BANANA FISHを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
檻から出て、空を舞う自由。翼をへし折り、檻に閉じ込める世界。
少年はその狭間で孤独にさまよい、冷たい拒絶を突きつける。
「お前には関係ねぇ」と。
OKそのとおり、それはお前の事件さ。だがな、俺の事件でもあるし、ならもう”俺たち“の事件なんだよ。だから…。
そんな感じの、監獄を出てなお加速する運命の第5話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
ゴルツィネの妄執、オーサーの奸智。赤黒い負の感情が毒々しく咲く中で、アッシュの孤独と、そこに自分を重ね”俺たち”になろうとする人々の姿が、奇妙に清々しいエピソード。
”バナナ・フィッシュ”の謎も深まり、暴力は加速する。状況は流れる。
今回は重なるモチーフとして、”車”が印象的だった。刑務所から出て、えーちゃんとアッシュが逃亡することになる赤い車。ゴルツィネに襲撃をかけるトラック。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
密室でありながら少年の足となり、力となり、自由に向かって漕ぎ出せる移動体(Mobile)。そのハンドルを握ることは、自分の人生を掴むことだ
えーちゃんはなぜ、大人とアッシュの競り合いでアッシュに付いたのか。ハンドルを握って、他人を傷つけることになっても二人で飛び出したのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
アッシュが好きだから? それは真実だろう。
だが大きいのは、ハンドルを握りたかったからだと思う。
足の故障で、二度と握れなくなった高跳びの棒。陸上選手としての輝かしい未来を、英二は”異国”で失っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
レイプされたわけでも、監禁されたわけでも、暴力を受けたわけでもない。NYのどん底に比べれば、生ぬるいかもしれない。
しかし、傷は傷だ。
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地面を蹴れなくなった足。夢をつかめなくなった腕。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
アッシュが兄を殺されることで、あるいは犯され殴られる中で傷つけられたプライドを、英二も持っている。ショーターも、マックスも。
それは主人公だけの特権ではなく、皆人生の理不尽に傷つき、それを取り戻そうと挑んでいる。そうする権利がある。
今回アッシュは幾度も『下りろ』『手を引け』という。車から降り、事件から下りろ。握っていた手を外して、俺にかまうな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
そこで他人を利用して、自分のプライドを回復させる犠牲にしようとしないのは、アッシュの善性であり(これまた)プライドでもある。誰かを食い物にする鬼畜と同じにはならない
そういう気概があればこそ、アッシュは自分の事件に関わるものを遠ざけ、孤独でいようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
運命を狂わせる天然の悪性を自覚していて、犠牲になる人を少なくしようとしている側面も、多分にあるだろう。暴力が人生をズタズタにするにしても、それは無差別であってはいけないのだ。
そんなアッシュの線引を、少年と男はそれぞれに拒絶する。アッシュはたしかに仲間で、放っておけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
だがそれだけが、悪徳の渦中に飛び込む理由じゃない。失われた仲間が、取り返せない過去が、痛む己の胸が、当事者としてハンドルを握り、自分を取り戻せと叫ぶから、男たちは事件に関わるのだ。
手で掴み取るもの。操縦桿、銃把、あるいは仲間の手。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
ハンドルを握り、自分の人生を他人の好きにさせない尊厳を取り戻すために、男たちは繋がっていく。
しかしそれは、半端な行動ではない。トラックは暴走し、英二はトリガーを引けない。
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どれだけ強くそのハンドルを握っても、暴力は独自の欲望を持って暴れまわり、願いとは裏腹に様々なものを傷つける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
他人の命、あるいは自分の優しさを、望むと望まざると奪ってしまうある種の自律性。事件に飛び込むことは、ままならないうねりに身を任せることでもある。
それを承知で、それでも飛び込む。踏切り、飛ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
えーちゃんが棒高跳びの話を始めた時、唐突に彼氏面で『俺知ってる、スゲェんだ』と言い始めたアッシュが可愛かった。スラムでのジャンプは、やはり強くアッシュの心に突き刺さっていた。だから未来に向かって飛び、川に身を任せることも出来る。
アッシュにとって英二は、青い空と繋がっている。薄汚い壁を飛び越えて、自由と正義に飛び出してくれる、青臭い希望。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
それを信じて、アッシュは赤いスニーカーで飛ぶ。不確定な運命と、制御不能な暴力に身を投げる。
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あのスラムでのジャンプは、英二にとっても運命だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
無力な自分を呪うのではなく、誰かのために飛ぶ。祈りを込めて、世界の善性を信じて声を上げる。
それは時に、虚しい結果に終わる。スキップは死んでしまった。グリフも眼の前で殺された。英二は常に、跳べない自分を思い知っている。
それでも、翼が折れたままでは嫌だから。英二は飛ぶし、アッシュもその飛翔に希望を見出して飛ぶ。ショーターも、マックスも、保釈の準備を整えた『マトモな大人たち』もそうだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
悪徳の重力を振り払い、世界が少しでもマトモなのだと証明したい。その渇望が、個人のエゴを躍動させる。
ショーターがアッシュを説得する時、スキップへの言及が決め手になるのが、僕は嬉しかった。幼い無邪気さと、分け隔てない優しさの象徴のような少年。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
悪に噛み砕かれて死んでしまった少年は、しかし彼を思う人々の心にまだ生きていて、離れていた手を取らせる。
握りしめ重ねた手が、チャイナタウンでは結束の、襲撃現場では暴力(あるいは自衛)の象徴になっているのは面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
英二はどうしても、命を奪う悪徳に身を投げれない。ショーターはその甘さを握りしめ、引き金を引かせる。銃弾が奪った命は、誰の指が放ったのか。死の重たさも、仲間は分け合う。
それぞれのプライドと、普遍的な善への意志、譲れない願い。様々なものを個別で持ち、あるいはお互い背負いながら、少年たちは運命を歩く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
屋上のカットは、あまりにも広大で暴力的な世界に立ち向かうよるべなさ、孤高の美しさが巧く切り取られていた。
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遠い青い空を見上げながら、少年たちはあくまで光の側を歩く。どれだけ世界が残酷でも、悪意に満ちていても、今ここで繋がった夢と尊厳は嘘ではないと確認するように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
その小ささが、今彼らが置かれている世界、繋がり、そして未来を誠実に描いていて、僕はとても好きだ。小さいが、無力ではない。
しかし彼らを無力でい続けさせるように、世界に満ちた悪徳と、悪徳に満ちた人間が立ち塞がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
アッシュ達が自由を求め、洒落ですむ”優しい暴力”を交換する中で、ゴルツィネは蘭を温室に閉じ込め、その手足を奪う。
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車とは異なり、移動しないガラスの住居。それは悪徳に満ちた売春レストランとも繋がる、子どもたちの墓場だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
アッシュはそこから出て、なお囚われている。蘭を蹂躙し、支配し、望みのままに咲かせて打ち捨てようとする存在から、奪われた自分を取り戻そうとあがいている。
殺して物語を終わらせようとするオーサーに対し、ゴルツィネは吐き気をもよおす執着をむき出しに、生け捕りを指示する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
そこまでゴルツィネを狂わせる、アッシュの毒。胡蝶蘭の花言葉は”純粋な愛”である。だからこそ、温室のシーンはおぞましい。
俺には俺の、お前にはお前の物語がある。でも物語は沢山のキャラクターを巻き込み、ゆずれない願いを引き受けて、”俺たちの”物語になっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
残酷でも、醜悪でも、”バナナ・フィッシュ”という物語を共有する仲間として、俺とお前は”俺たち”になれる…かもしれない。
世界は”俺たち”を引き裂く悪徳に満ちている。心の弱さ、暴力、あるいは死。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
様々なものが愛するものを引き裂き、憎むものを引き寄せる。それでも、”俺たち”でいようとする願いだけが、人と人を繋ぎうる。そこに背中を向け、孤独な温室に自分と他人を閉じ込めれば、待っているのは腐敗だけだ。
他人の物語を拒絶し、自分ひとりの物語を駆動させようとする。ハンドルを握らせしようとしない一点で、アッシュとゴルツィネはよく似ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
しかしアッシュは、ショーターの手を硬く握り、英二にハンドルを委ねる。ジャーナリストたちと川に飛び込み、”俺たち”の物語を走る。
ゴルツィネは孤独で、腐敗している。彼の物語はアッシュにだけ空いていて、しかもアッシュの意向は一切関係がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
閉じ込め、手足をもぎ取り、望むままに貪る。他者の物語を許容しない悪と主人公を分ける線は、薄いが確かだ。そして、暴力はその線を簡単に乗り越えてくる。
マックスはアッシュを殴り倒すことで、強引に”俺の物語”を認めさせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
英二が強引に出発させた車のように、マックスの暴力は取り返しのない致命性から離れている。制御され、洒落ですむ。荒っぽいが、奇妙なユーモアに満ちている。
これに対し、オーサーの狙撃、ゴルツィネの性暴力は、まったくもって笑えない。暴力本来の血走った表情で、敵の銃弾は噛み付いてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
そしてそれは、善を求めて走る”俺たち”にも、けして無関係ではない。英二の銃弾は、確かに人を殺したのだ。
善は悪に隣接し、悪は善を請い求める。綺麗に二分割できない世界の中で、アッシュも彼と物語を共有する仲間も、様々に揺すぶられる。その中心に”バナナ・フィッシュ”がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
そんな物語の中で、自分のちっぽけな手で何を掴み、足でどこへ進んでいくのか。それを問うてくるエピソードでした。
ゴルツィネ襲撃は痛み分けに終わり、それでも”俺たち”は歩みを止めない。状況の主導権(ハンドル)を握るべく、目指すのは打ち捨てた故郷、ケープコッド。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
兄の遺産が道を示すか、世界の残酷さが牙をむくか。運命の激流が少年たちをどこへ連れて行くか、来週も楽しみです。
追記 涙を許さないマチズモが排斥するもの。それを演じ続ける中で消失してしまうもの。
BANANA FISH追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
今週ラスト、黄金の屋上で一人アッシュは涙を流していたが、そういう“女々しさ“…弱さを公表できること、泣くことで自分の弱さをケアできることが、泣かない男たちの暴力と対比的に、アッシュが未だ人間であり、善人でもある現状を強調していると感じた。
先週もアッシュは、泣くことでマックスと和解した。まだ泣ける自分を確認することが、対立する悪と同じ存在に己がなっていないこと、暴力を制御し正義をなしていることを、アッシュに確認させているのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
アッシュが泣けなくなった時、彼は本当に”バナナ・フィッシュ”になるのだろう。
人を死に誘う悪魔の華。憎み、それでも手を伸ばしてしまう誘惑の権化。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月5日
アッシュの性的魅力、周囲を取り巻く暴力と破滅が、話の中心で敵対する”バナナ・フィッシュ”とそっくりなのは、とても良く出来た構造だと思う。
否定するべき巨悪は、常に私に似た顔をしている。だからこそ、悪は否むべきなのだ。