ヤマノススメ サードシーズンを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
街から山へ、山から街へ。一年ごとのバースデイのように循環しながら、一歩ずつ進んでいく歩みを確かめていく。
世界に文句垂れることしか知らなかった少女が、一人で富士登山のための体力づくりをして、友達のプレゼントのために思い悩む。
そんな日々の記録。
というわけで、ポップな示唆に満ちた前半戦、どっしり重たい後半戦を抜けての三期ラストエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
感情のピークは前回に持ってきてあるので、今回はフォローというかエピローグというか。荒々しい山を乗り越え、”いつもの二人”を取り戻し…つつ、半歩前に進んだあおいとひなたの肖像を描く回
お話としては他愛なく、穏やかな運びで、それがサードシーズンで積んだものをじっくり反芻させてくれる作りだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
冒頭、孤独に歩いて体力をつけようとするあおいからは、積み上げた逞しさを感じる。富士の挫折は、迷路と仲間の助けを経て、いい経験となって少女を変えたのだ。
富士に登る前、山に入る前、ひなたに再開する前のあおいは、重たいペットボトルをわざわざ背負い、『夏の再挑戦のための体力づくり』という目標を掲げて歩くことはしなかっただろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
半分に減らすところも含め、そういうあおいを描くサードシーズンであったと思う。
誰かに頼り、甘え、気に入らなければ毒づく。そういうパーソナリティが劇的に変化したわけではないし、するものでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
ひなたはダメなところも含めてひなたのままで、できることが増えて、関わり合う世界が広がり、身の丈が伸びていく。それは望ましい成長であり、自分でもぎ取った変化でもある。
そしてそこには喜びだけではなく、変化への怯え、失われてしまうものもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
成長に伴う陰りをあおい本人ではなく、あおいに頼られることをアイデンティティの基幹に置いていたひなたに反射させて描くのが、サードシーズンもう一つのアングルであった。
それは長い長い、当たり前に薄暗い青春の歩みを経て一つの頂を越えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
街の中でのすれ違い、山という特別な空間での本心吐露。過程も結果も、青春を構成する全てが大事で、そこにあるべきものとしてある。スパッと解決させず、感情が心に反射し、痛みを生む瞬間と残滓を追い続ける。
マニアックで執拗なドラマ展開、カメラワーク、アングルとレイアウトを使い倒して、変化していくあおいと、変化に戸惑うひなたを追う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
ひなたが手を引き、あおいが手を引かれるのが当たり前だった二人の距離感が、形を変える瞬間の摩擦を切り取り、それを受け入れていく柔らかな強さを描く。
そういう流れの決着点として、今回のバースデイ前夜は描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
その筆は柔らかく、前回までのバキバキした明暗が嘘のように、世界はとても明るい。それは青春の産道、薄暗い感情の子宮を区切る抜けた先にある、再誕の光であるが、けして過剰に劇的ではない。
光はいつも、当たり前の風景の中にある。
山に分け入り、特別な景色を見るときでも、そこが別天地であると同時に、自分の足でたどり着いた実感ある世界で、だからこそ少女たちの胸に分け入り、人格の構築材となる説得力があった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
美術のクオリティと、ドラマの体温が幸せな共犯を達成しているのは、このアニメのとても力強い部分だ。
そんな日々を賑やかに、楽しく過ごしていく中で、あおいは起点を夢に見る。物語が始まる直前、第1話の前風景の中で、全てのキャラクターはすれ違い、その出会いの意味に気づいていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
物語が動き出して、あおいはひなたと出会い直し、ここなちゃんや楓さんと出会う。
今回描かれたゼロポイントは、明瞭に”リスタート”だった(からこそ、ダメ人間の再生物語が起動する説得力があった)ひなたとの再開だけでなく、ここなや楓という仲間ともまた、あおいが山の中で”出会い直した”と、これまでの描写を書き換える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
運命はそこかしこに転がっていて、気づいていないだけ
山で会う人、街で触れ合う人のすべてが、仲間となりうる尊厳を持っていて、そこに目を開けることで、物語は別の意味をもって立ち上がり直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
富士登山を経て変化したあおい、それに触発され”いつものひなた”を手放すひなたを深く描いたサードシーズンを思うと、過去回想に挿入される描写は陰影が深い
ここまでの13話を使って描かれたのは、あおいとひなたがすでに出会っていたもの、これから出会うものへの期待と怯え、変化と痛みだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
そしてそれは、”特別なあなた””特別な景色”にとどまらず、当たり前の風景、名前も知らない人まで伸びていく。
楽しい山、退屈な街という対立項をこのアニメは作らない
だから、街の中で終わるこの最終話、僕はとてもいいな、と思った。街の中で感情を貯め込んだからこそ、金峰山での和解がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
歩む一歩一歩、積み重ねるあらゆる時間に意味があり、それを見つけられるかは人次第、仲間との絆次第なのだ。
不安なことも、すれ違うこともある。それも含めて人の在りよう
そこら辺の離別と再開、新たな飛翔を、金色の浜辺に降り立つ二羽の白鷺できっちり見せる映像詩学が、やっぱり好きである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
サードシーズンのフェティシズムはかなり明瞭で、描きたい象徴を強く、鮮明に推すね
(c) しろ/アース・スター エンタ―テイメント/『ヤマノススメ サードシーズン』製作委員会 pic.twitter.com/HA2DwU09oN
不貞腐れた表情は、もうない。”いつものひなた”を取り戻した少女は、グダグダ思い悩むダメ人間の前に出て、引っ張っていくポジションを取り戻す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
でもそれは、時間を巻き戻して同じ場所に帰ったわけではない。
自然と生まれる成長、それが生むわだかまり、乗り越えて発せられる声。
そこを一つ一つ超えたからこそ、手に入れた”いつもの二人”である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
そこに”いつも”以上の輝きが見えるのなら、サードシーズンであおいの成長、ひなたの当惑、二人の変化と帰還に焦点を当て、どっしり描いた意味はとても大きかったのではないか。僕はそう思うのだ。
主軸はあくまで二人だが、流石に最終話、今まで物語を彩った仲間たちもドンドコ顔を出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
ビデオレターの中の祝福と、現実のクラッカーが重なる演出とか非常に幻想的でよかった。ほのかちゃん可愛いし。
あとファンシーなここなちゃんが多数見れて、ほんま良かったです。リスさん可愛いね~(キチ顔)
というわけで、サードシーズンが終わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
富士登山を終え、再び挑むには長い時間が開き、明瞭なピークをどこに持ってくるかが難しいところから始まったお話。制作陣はあおいとひなたの関係性、成長していく児童としての二人に焦点を絞った。
日常系に求められる”いつものふたり”を少し逸脱してでも、ヤマの経験を経て街で学んでいくあおい、それに取り残されていくひなたに注力した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
そんな”いつものヤマノススメ”からの逸脱は、しかし重たい感情のうねりを繊細に切り取ってきたこれまでの延長線上に、ブレず位置している。
ダメな女の子が、山と出会い、仲間と出会い(直し)て変わっていく。新しい景色と手を繋ぎ、それでほころびかけた今までの繋がりを、再び繋ぎ直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
そういう当たり前の、言い換えれば普遍的な青春に深く、重たく切り込んでいったサードシーズンの試みは、僕はパワフルに成功していたと思う。
ヤマの美しさを切り取ってきた美術の冴えが、街でうねる複雑な感情を活写する。ヤマに入っても変化できない関係が、重たく横たわる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
映像表現の冴えが心理描写の細やかさを生み、思春期の複雑な感情を”絵”で語ることに成功していた。その雄弁なる沈黙は、映像娯楽の特権だ。
ラスト1話を感情山脈の”下山”に当てて、”いつものヤマノススメ”にテンションを戻して終わったのも、行き届いた構成だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
心がざわつく青春の山をいくつも登って、その旅新しい景色、思いもしなかった出会いを掴んでいく。
そうして伸びた背丈が不安を生んでも、大丈夫。ともだちだから。
凄くシンプルで、ヤマノススメがずっと真ん中に据えて描いてきたものを、どっしり腰を落とし捉え直す。そういうサードシーズンだったと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
アングルを変えてもヤマノススメらしい繊細な表現力、可愛らしい女の子の躍動は損なわれず、むしろスタッフの個性を活かしつつ元気だった。
とても良いアニメだったし、とてもいいサードシーズンだったと思います。此処から先、まだヤマノススメの亜に目が続いていくかは分からないけども、まだまだ見たくなる仕上がりでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
でもいまは次の山を想うより、登りきった山に感謝を。
ありがとうございました、とても面白かったです。
追記 やっぱ等身大のゴミクズダメ人間が、別人に変身するのではなく、負の人間性を維持したまま自力で他力で成長して、正の人間性へと目と体を向けていく話が好き。
ヤマノススメ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
最終話だってのに「相方のことサッパリ知らんかったな」と、無知の知にたどり着く運びが好きで。
世界の実相を体験もせず知ったつもり毒づいてた女の子が、自分がなんも知らんことを知る。白紙のアイデンティティ、他者像を認識する。
そこからすべてが始まるのだとしたら、『知らない』ということを学ぶのは強く意味のあることで、それを頭ではなくハートの奥底で(あおいだけでなく視聴者も)思い知るために、重たい重たい終盤戦の”尺”が必要だったんじゃないか、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
何しろ未踏峰を登り続けるアニメだから、『知らない』は『知ってる』に変えていけることも、あおいは既に学んでいるわけで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月25日
その途中でくじけて辛く思えることでも、むしろそこから新しい世界が広がっていくことを、富士登山とその後の物語は乗せている。やっぱベーシックな児童成長物語として強いな