風が強く吹いている を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
風が強く吹いている。箱根に向かう風、心に吹き付ける嵐。
溢れる真剣さが刃となり、お互いを傷つけ合う。フォローが年上から吹いて、迎えた二回目の記録回。
走るもの、後ろで見守るもの。それぞれの立場から、確かに風が感じられたのなら。
俺たちは、仲間だ。
そんな感じの、嵐の後の静けさ、嵐の前の静けさなお話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
前回の重たいムードを的確に使いつつ、ギャグや爽やかさ、疾走の気持ちよさでキレイに吹き飛ばして、しかしハイジの失調で重たく終わる。
見事なムード監理で凪も盛り上がりもヒキも完璧。いいドラマ、巧いドラマ、強いドラマである。
カケルのぶちまけで空気が最悪になったアオタケだが、その波風はハイジの人間味を引き立てる。エプロンを付け、メシと一緒に心をケアする様はアオタケのカーチャン。頼りになる男だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
王子も持ち前のタフさを見せて、自分なりにカケルの真剣さを受け止めていく。お互い理解らないなりに理解ろうとする
ハイジが心から、ビリッケツで年下の王子をリスペクトし、ともに走る行為をお情けや”なぁなぁ”でやってないと解ったのは、非常に良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
スペックが高く計算高いので、ついつい冷血さを妄想しちゃうんだけども、あんだけのむちゃを押し通した男に、熱い血が通っていないわけがないのだ。
ハイジはリハビリテーションの辛さという個人的な体験から、王子のスローな歩みに共鳴する。王子は”漫画”という自分の領域から、陸上を理解していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
お互いバラバラで、でもそこから理解をスタートさせ、共感の橋をかける。無理に仲間ぶるより本当だ
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このパラパラと単行本をめくる仕草でもって、無言で心が通っていく瞬間の気持ちよさを、王子の言動が見事に分解していた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
ありがちな消費行動、ステレオタイプな”オタク”ではなく、真実漫画に脳髄を焼かれちまったクレイジーが、本気で共鳴する瞬間をオリジナルに切り取ってくる。
コイツもコイツなりに一人の人間で、真剣に”漫画”読んで、その経験を”陸上”に繋げようとしているのだという、僕らから王子への共感が、面白く新規な表現で強まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
”オタク”の解像度が異常に高いんだよな…ポピュラーなイメージに逃げないのに、凄く伝わる。このアニメの描写全般に言えるけど。
ここで掴んだ温もり、『アオタケはまだ大丈夫なんじゃないか?』というムードを、巧く笑いで広げていくのが良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
双子のアホさが重たい空気の中では救いだし、ニコチャンとハイジのお花畑コントは切れ味が鋭すぎる。
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あまりにもファンシーで美麗な世界を、二十歳越えたごついオッサンが駆け抜けていく。片方はカーチャンエプロンにお弁当持参だ。絵が強すぎる…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
そんなネタの中にも、木立が生み出す距離感、そこを超えて縮まる心の間合いを、しっかり描いてくる所が良い。3つ目から4つ目への”接近”ね。
やりすぎ感あふれる弁当はハイジの気負い、過剰な負担を密かに語り、後半の物語の準備をするし、なかなか下がらない体重はカケルの焦りともシンクロしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
視聴者の息と気を抜かせて、製作者は大真面目にやる。コメディシーンの理想的な作り方だ。
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カケルはやっぱり、サークルの外側にいる。仲間を仲間と認められないまま、高校時代の孤独な走りにとらわれてしまっている。
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そんな彼を、ハイジ監督兼選手兼マネージャー兼管理栄養士兼カーチャンは、競技会から外す。
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前回問題になり、王子への爆弾を破裂させたカケルの”視野の狭さ”。
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それは記録が出ないこと以上に重大な問題で、カケルは劣等生集団と同じ外野に追いやられる。
高校時代エースとして、ただただ走り続けてきたカケル。走らないことの意味を知らない少年。https://t.co/50tdcL4luD
そんな彼に、ハイジは止まることの意味、走らないものの走りを教える。
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高校三年…その資質から見ればそれ以上長く走っているのに、応援するものの気持ちも、外から見たランナーの表情も知らなかったカケル。
その欠乏は少し悲しいけども、手遅れではけしてない。
孤独でバチバチした練習風景の中でも、王子と接触して話しているシーンが挟まるところとかも『俺たちのアオタケはまだ大丈夫なんじゃないか?』というムードを、巧く盛り上げる。王子がタフでよかった…キングなら一生凹んどるぞ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
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この劣等生ズ+1の構図が最高に良くて、キングが陸上に前のめりになってきて集団に馴染んできてる様子とか、王子の足場がまだ”陸上”にかかりきってない様子とか、年上のトーチャンとしてニコちゃん先輩が後ろから見守ってる様子とか、最の高なのよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
記録から見たら、ここにいる連中はゴミだ。でもそことは関係ない部分(あるいは深く共鳴する)で、コイツラは面白い。癖があって、優しくて、真剣だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
そういう連中が、徐々に徐々に頑なさを解いて、仲間になろうとしている。その複雑な引力のダンスが見て取れ、とても良い。
その面白さを受け入れること、ついつい笑っちゃって熱くなることは、カケルが”記録”以外を受け入れること、高校時代の傷を乗り越え”今”の仲間を受け入れることでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
それこそが、ハイジがカケルに待ったをかけた意味なのだろう。走らないやつも、止まりながら走っている最中なのだ。
そんなカーチャンの思いを弁当と一緒に受け取り、ツンツン反抗期ボーイの面倒を見ているニコちゃん先輩がマージ神過ぎて、一生推せると思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
そろそろ議員立法で、あざとさ規制法案を通したほうが良い気がする…。(オタクの脳内レッドカーペット)
ニコチャン先輩がフォローの風を吹かせてくれるおかげで、カケルの尖った部分はうまく着陸し、彼の生真面目さもポジティブに受け止められる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
王子がそこまで恨んでいない様子なのも、やっぱカケルの真剣さをちゃんと見ているからだろう。
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不器用だけど真剣なやつで、それは同じように不器用で、走りに恋して振られちゃった俺には、よく分かるから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
ハイジから王子に伸びていた共感の橋は、ニコチャンからカケルにも伸びている。それは今作られたものではなく、物語の骨格としてずっと描かれ続けてきた。…ユキの嫉妬がヤバい!!
そうして迎えた、二度目の記録回。走る者たちの表情は、初めての走りよりも明るく、そして締まっている。”陸上選手”の目になっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
この変化を実感させるために、ハイジは全員を走らせた。記録よりも心を鮮明にするために。そしてそれは、後方で見守る側にも伝わっていく。
あえて言葉少なく、”絵”の力を信じて心境の変化、関係の変化を見せる演出が、”駅伝”というフィジカルな競技と見事に噛み合い、非常に雄弁だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
二度目の疾走、男達の表情は輝き、走りは頼もしい。背筋は曲がらず、呼吸は乱れず、前を向き誇り高く。
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ここ一本、というところであまりに強い”絵”を、適切に持ってこれるのがIGという創作集団の強さだなぁと、つくづく思い知らされるシーンだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
双子が”試合”を語るダイアログも、簡勁で良い。王子が”漫画”を明け渡したように、彼らも人生の重たい部分を占める”サッカー”を、”陸上”に譲ってきた。
フォームもスピードもバラバラだけども、同じ呼吸を重ね、同じ方向を向いて走っている。そのことは、走っている最中ではなく、距離を起き客観を手に入れた時に、初めて見えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
”走る”という行為が持つ無条件の真摯さ、人を引きつける強さも。それは、冷めた心を燃やし、応援を引き出す。
根暗でニヒルなキングも、一歩引いた王子も、”なぁなぁでやってる”連中を認められないカケルも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
走りはその厳しさ故に、嘘なく自分をさらけ出す。その真っ白な興奮が、わだかまりを乗り越え、仲間を仲間にしていく。喋らないからこそ、視聴者の実感、共感も強まっていく。名演出、名シーンだ。
カケルは仲間の走りの中に、自分と同じ真剣さを見る。風だけが強く吹き付け、己の身体を前に前に進んでいく、真っ白で平等な空間。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
そこに”駅伝”の天井、遙かなる高峰たる藤岡を見るのは、感情が籠もった良い演出だ。
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今のカケルにとって、『真摯さ』『価値ある走り』の象徴は藤岡だ。
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それは彼が、自分に勝ったから『だけ』ではない。記録で上回られたから『だけ』ではない。その走りに込められた精神の美しさ、真摯に走り、そのことで周囲に報いる強さと優しさを、カケルが強く求めるからだ。感情…(オタク断末魔)
つまりカケルは藤岡と出会い、極限まで走り抜き負けることで、”記録”以外の価値を既に認めている、ということだ。ハイジが見つけてほしいものが既にカケルの中にあることを、今回の外野席は教えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
客観によって冷静に再発見されるのは、なにも他者ばかりではない。見失った自分自身もそこにいる
ハイジのいう”視野の広さ”、そこに直結した”強さ”とは、そういう声質を持っている。他人のことをよく見ることで、自分がわかっていく。自分を突き詰めていくことで、他人との共通点を見つけられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
それは車の両輪であって、片方を選び取りもう一方を捨てる、というたぐいのものではない。
そんな真実を、『そうである』ではなく『そうあってはならない』と仲間に、自分に言い聞かせるように苦しく呟くのが、ハイジという男の人格である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
つまり、そういう理想はなかなか実現できず、人間は極端に走って傷ついてしまうという体験から、ハイジは這い上がってきたのだ。
俺が四年前から、ずっと続けているリハビリ。十人集めて箱根に行かなきゃ、始末がつかない夢の残骸。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
王子のノロマな走りにかけた橋のように、ハイジはカケルの孤独に、真剣さに、走りにすべてを捧げる祈りに、強く強く共鳴している。
だからこそ、走りを蔑するような今の彼を、見捨てられない。
お前は昔の俺で、あの時ああ走りたいと、圧倒的に早く孤独に強く走り抜きたいと思えた未来の俺なんだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
そんなお前が、過去の傷に囚われ、今の仲間を蔑し、自分自身の未来を潰す。
それが許せないから、ハイジは万引きをしたカケルを引き受け、物語は動き出した。感情…(オタクゾンビ)
ハイジが傷の中で独習した真理を、カケルのナイーブな感受性はしっかり受け取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
走りしかない男だからこそ、走りの中で見えてくる真実は、絶対に見逃さないのだ。そこが歪んでいないのは、カケルというくっそめんどくさいボーイの(沢山ある)いいところ(の一つ)だ。
俺はお前が好きだよ。
走りに嘘がつけないからこそ、王子に暴言投げつけて傷つけ、仲間の熱量に引き寄せられ前のめり。とにかく、走りバカなのだ。そういう可愛げを嘘なく見せてきて、とても良かった。その背中を王子が見て、関係が変わるのも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
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自分を傷つけた相手の真意を静かに探り、しっかり整理して再構築する。王子は濃いオタクなだけでなく、結構人間が出来ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
帰り道でキャッキャするシーンは同年代のきやすさがしっかり宿って、”可能性”しかなかった。俺はオスだから良いけども、お姉さん方は過剰供給でヤバくね? 救心飲みます?
そしてランナー達は、はじめて”応援”を背負って走る体験を前に笑う。走ることは楽しい。仲間と一緒ならなおさらだ。俺たちは圧倒的に一人で、決定的に繋がっている。その実感が丹田から湧き上がって、笑顔が生まれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
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この爽やかな笑顔もそれぞれの個性がやどり、心の底から爽やかで、”絵”の強さを最大限振り回してきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
最初の記録回では走りのままならなさ、苦しさを強調してきた”絵”が、仲間と走ることでこうも変わる。フィジカルの強い”絵”を最大限活かし、変化を語るのではなく魅せる。https://t.co/MGAgmYzMgu
こういう分厚い演出があればこそ、カケルの心が変わり仲間を認めていく展開も、スムーズに受け入れられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
カケルがぶつけた思いにも、仲間になりきれていない、陸上選手になりきれていない現状にも、嘘はない。だけどそれは、前向きにあるき直すことが出来る停滞だ。
そして停滞を前に進めるためには、強いエンジンがいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
話の中心でブンブン豪腕を振り回し、話を牽引していたハイジ。彼の有能さはありがたいものだが、当然彼も人間で、背負いすぎれば潰れてしまう。
ニコチャンキャラ弁のやりすぎ感が、終盤のシリアスを引っ張ってくるのほんと巧すぎる。
ニコチャン先輩とカケルの間に、体をいじめ抜いて走りに向き合う聖痕として共通していた”隈”
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
それが、今回ハイジの眼にもかかっている。走りに向き合うために、相当な無理をしていたのは限界ギリギリ思春期ボーイだけではなかったのだ。
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みんなの飯を作るカーチャンの背中に、心なしか疲労の色が見えるのは、未来を知ってるからだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
ハイジがどれだけ仲間を思い、彼らを繋ぐために心を配り、適切に手を打ったか。身を粉にして献身してきたかが良く見える回だけに、彼の失調は重い。絶望感ハンパない。
『オメーら好き勝手ボーイが、好き勝手に思春期しまくるからカーチャンが倒れたんだぞ!』って感じだが、カーチャンも相当身勝手にブンブン振り回してきたからな…お互い様っちゃあ、お互い様。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
ハイジが背負っていた重荷を、ようやく自分の足で走れるようになってきた仲間が背負う。
そういう展開が必ずやってくるという確信は、真摯さと共感、強さと優しさを丁寧に積み重ねた今回のエピソードが、しっかり下支えしてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
あの爽やかなフッド感があるなら、何があっても”ムテキ”という感覚と、その無敵感は他ならぬハイジが支えてくれてるという実感の同居。脚本巧すぎる。
喜安さんは顔も声も良くて、芝居も歌もうまい。加えてこんなに作品のコアを捉え、アニメとして盛り上がり、毎週ワクワクとお話を見て次の話を待てる脚本まで作れて、ほんとにスゲェと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
スタッフワークバッチリだよなぁこの作品…IG(に限らず、強いスタジオ)の強さはやっぱ”そこ”だと思う。
みんなのエネルギーを支えてくれていたカーチャンのメシが、地面に落ちる。”食”のフェティシズムを最大限活かした”絵”で、次回に引いたこのアニメ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
いやはやどうなるか、毎回ちゃんと盛り上がりとヒキを創って、”週刊アニメ”に仕上げてるのホント偉い
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髪の色と鍋、エプロンとコメ、床とシャツ。カラーパイを共有させることで、メシとハイジを共鳴させる色彩設定の妙技が唸る”絵”である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
ここで地面にぶちまけられたのは、ハイジそのもの、アオタケの胃を満たし走る力、新しい楽しさに出会う支えなわけだ。
そういうものが損なわれてしまった。ピンチだ
しかしアオタケのベイビーたちも、ブーブー言ってた序盤のひよっこではない。ハイジの作った道を走る中で、他人と自分を見つめ、足腰を鍛えてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月27日
今度は、支えられていたものが支える番だ。そうやって互い違い、タスキを受け取って走っていくから”駅伝”なのだ。来週が楽しみ。