イマワノキワ

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”帝国の最期の日々(パトリス・ゲニフォイ/ティエリー・ランツ編、鳥取絹子訳、原書房)”感想ツイートまとめ

 

帝国の最期の日々 上

帝国の最期の日々 上

 
帝国の最期の日々 下

帝国の最期の日々 下

 

 


”帝国の最期の日々(パトリス・ゲニフォイ/ティエリー・ランツ編、鳥取絹子訳、原書房)”読了。
アレクサンダーのマケドニアから現在進行系の”アメリカ帝国”まで、歴史に名を刻んだ20の帝国、その最後の瞬間を集めた書物。
複数筆者特有のブレはあれど、帝国の臨終が連続し続けるドライブ感は特有。

”帝国”という共通項でまとめられてはいるが、その地域も時代も経済基盤も法政治体制もすべてが異なる。
帝国として成立していた時間、臨終の瞬間が特定できるか否か、その死因。
様々に異なる20の帝国を強引に一つにまとめることで、微かで奇妙な統一性を見いだせるか、否か。

そこら辺は個別に掘り下げる書物をしっかり当たって、自分で考える部分ではある。
上下巻合わせて500ページ位あるが、流石に20帝国総ざらいだとコアな情報を精査するとは行かず、訳文の硬さもあって疑問が残る部分も多少。
とは言うものの、やはり20帝国の死体が並ぶ見立は圧巻だ。

個人的に特に面白かったのは4章・カロリング帝国、7章・東ローマ帝国、9章・神聖ローマ帝国、16章・大日本帝国、第18章・フランス植民地帝国あたり。
第7章はコンスタンティノープル最後の55日間にフォーカスを絞り、地獄のような籠城戦と、そこに至る帝国の衰退をしっかりまとめ、手応えのある記述。
第9章・神聖ローマ帝国はあまりにも複雑怪奇なその分裂と、ある種”残滓”として残っていた国体が時代のうねりで破断していく痛みが感じ取れ、面白かった。
第16章・大日本帝国は国外の視座から見た情け容赦のない(そして的確な)戦前日本評が、クール&クレバーに当事者を殴る良いパンチ。
第18章・フランス植民地帝国は自国ということもあってか、奇妙なメランコリーと事実の追跡が良いバランスで両立していて、近代植民地帝国のコストが便益を上回り、国家の背骨をへし折る(前に、どうにか重荷を下ろそうとする足掻き含め)瞬間をしっかり伝えてくる。

”帝国”と一言に言ってもその成り立ちも、それを成立させる法的・経済的・軍事的な”たが”も異なる。
継承者戦争なり、長期的な疲弊なり、退廃なり時流の変化なり。
帝国を成立させていた”たが”が外れきってぶっ壊れる瞬間にフォーカスすることで、逆に成立条件を追えるのは面白い視座だろう。

最新の帝国としてあげられているアメリカは、グローバリズムと軍事介入によって見えざる手を伸ばし、条文ではなく実効によって成立する”帝国”とみなされている。
”帝国”の厳密な定義を適応できるか疑問もあろうが、一つの視座としては面白く、意義もある記述だと思った。
帝国は必ず破綻する。
ではその”後”に来た(と、進歩主義歴史観では言われるだろう)国民国家は破綻しないのか。
歴史の終わり、最上最後のシステムと持ち上げられた様々なものが綻びを見せる中で、ノスタルジーと羨望と恐怖を込めて見つめられる”帝国”の、輝かしい顔ではなくデスマスクを見る。

その皮肉な視座は、現在の周辺をかすめることでその輪郭を鮮明にしていく史学の手法と智慧に、よく通じている気がした。
章ごとにテーマ、視点、質にバラツキがあり、訳文がややぎこちない感じもあるが、面白い書物であった。
さて21個めの帝国は、どんな名前を冠するのだろうか?