星合の空を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
青く抜ける蒼穹に、笑顔が弾ける。ソフトテニスに、最高の相棒に出会えた奇跡を噛み締めつつ、王者に挑む喜び。
生まれた未来と笑顔は、世界の残酷にすり潰されていくのか。美しきものは、一瞬の夢か。
”何ごとも 変はりはてぬる 世の中に ちぎりたがはぬ 星合の空”
この歌、どう読む
というわけで、星合の空最終回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
最終回、なのである。
非常に難しい決着となったし、予想外、あるいは期待の外側に出ていくエンドカットであったが、裏切られたという感覚は少ない。つまり、少しはある。
そのザラついた満足感が何処から来るか。
おそらくあなたと同じように、僕も当惑している
それは『作者はこの作品で何を伝えたかったのでしょうか?』という、仮想の現代文受験問題にしかない問いかけになかなか答えられない、という意味ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
作者の、他人のことは分からない。しかし”分かって欲しい”というメッセージあればこそ創作は世に出て、”分かりたい”という願いあればこそ…
僕はアニメを見て、感想をしたためている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
今回の最終回も、いつもがそうであるように、そのように書いていこうと思う。
分からないものを分かろうとする。寸断される物語性に、溢れかえる理不尽に、諦観ではなく一貫性を見出す…あるいは無駄な努力。
アマチュアサイドのうめき声。
それを僕のために(そして結果として、もしかしたら貴方のために)書いていくのは、まぁまぁ無駄ではないと感じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
僕が勝手に読んだもの、受け取ったもの、望んだことを書いていこう。
最初に言っておく。
いいアニメだった。俺は好きだよ。
さて物語は、山積された全ての問題には答えない。未解決の不和は最終話でドラマティックに解決されず、むしろ不協和音は耐え難いほど拡大されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
”青春部活群像劇”というわかりやすいフォーマット、青く美しい空を描きつつ、それが全ての解決策になどなりえない冷たさで、物語は終わる。
『結局そうなるのか』と下を向くか、『それでもなにかが』と上を向くか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
それは人それぞれだと思う。僕個人は、好きだった彼らが理不尽にすり潰されて終わる未来よりも、あの赤黒い重たさを突破して青い季節に戻ってくる未知を信じたいところだ。
しかし必ずそうなるといい切るには、終盤は重い。
今回はOPもEDも、途中でブツリと断ち切られる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
アガる楽曲で気持ちよく物語が進行する、深夜アニメのお約束。
そういう話ではないと、と言外に告げるように、ガットは解けるところで、タイトルロゴは横に逃げるところで終わる。
©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会 pic.twitter.com/0PR0YmoFtp
俯瞰で切り取られた美しい青春は闇に染まり、柊真は結局母に愛されなかった事実を突きつけられ、眞己は”父”なる暗黒から逃れられないと、幸福を作っていた包丁を凶器に握りしめる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
その先に、何があるのか。緩くない人生という劇場で、必死に生きて輝きを見つけた二人は、どういう物語を続けていくか
それは視聴者の判断に、少なくとも今この瞬間は委ねられている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
作中幾度も顔を出した、ニヒリズムと暴力が結局強いのか。最終話でもきらめく、”部活”の輝きは一瞬の麻酔薬でしかないのか。
『そうではない』と言い返す権利と義務は、視聴者に丸投げされた…とは、実は僕は思っていない。
僕は眞己は刺さないと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
”願う”でもいいけど、自分が(オヤジの呪い通り)父のコピー、暴力の再生産に取り込まれる前に、確かに自分が成し遂げたこと、自分が繋げたものを思い出して、包丁で人体を貫く以外の解決法にたどり着く。
そうなるだけの地力は、この作品の”部活”にあったと思う。
お話の中だけのキラキラが、全てを解決してくれるわけじゃないんだよ。”現実”ってのはもっと重くて、理不尽で、抗えないものなんだよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
そう語って終わるには、今まで書いた夢が綺麗すぎて、重すぎる。
お話が綺麗に収まるところは、赤い再生産ではなく、青い突破ではないか。
僕はやっぱり、そう思う。”思いたい”という主観と、”そうである”という客観の中間地点に立てていると良いのだけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
どうにも出口のない描写、ろくでもないもの、最後に飛び出してくるものを重く見すぎるきらいが僕らにはあるけども、過程で描かれたものは、当然ラストカットのためのお膳立てではない
最終回Cパートに入るまでに、あるいはここまでの物語で積まれてきた物語もまた、赤黒い追加と同じウェイトで作品世界にあり、現実世界に伸延している…はずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
その輝きが、御杖さんが何を言われても描き続ける、瞳に焼き付いた物語が、眞己を取り戻し、柊真を、傷ついた子供たちを立ち上がらせる…
と信じたほうが、作品を好きなままでいられるからこそ、こういう言説を捏ねくり回しているのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
子供は結局、虐待の檻から出れない。
描いたものは絵空事、”現実”の重たさの前に、収まり良く希望を回収する物語なんてなんの役にも立たず、まぁ、世の中こんなもんですよ。
そう嘲ってくる物語に三ヶ月付き合ったと思いたくない損切意識が、『何かあるはずだ』と虚無を探らせてくるのかもしれない。そこの切り分けは、まだうまく行かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
”何ごとも 変はりはてぬる 世の中に ちぎりたがはぬ 星合の空”
なぜこの歌を、作品の看板に置いたのか。そういうことも考えたくなる。
全てが変わり果てていく世界でも、約束だけは消えない。七夕の空に出会う、牽牛織女のように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
織姫と彦星は、一年に一度しか出会えない寂しい星だ。逆に言えば、一年に一度は出会える。
確かに出会えた想い出を抱えて、無情な荒野を二人はこの後、歩いていくということなのか。
確かに交わした約束が、寂しさと孤独に塗れた世界の中でも、確かに二人を繋ぐと見るのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
和歌を読解するような、答えの出ない難しさを投げかけて、物語は幕となる。見事な引用…とも言えるし、自分が紡いだ物語に答えを出す責務を放棄した、とも言えるだろう。
あるいは、ニヒルな結論を突きつけたか
星合は七夕の異名、初秋の季語だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
青く澄んだ季節が終わり、どす黒い嵐がやって来る。それを越えてなお、もう一度七夕はやってきて、あの美しい季節を思い出せるのか。
それとも、特別な星合ではない圧倒的な日々の重さが、出会えた奇跡を塗りつぶしていくのか。
その未来を作品は語らない。僕が望む結末は既に語ったとおりだが、見終わった皆さん(『ぶん投げてんじゃねぇぞクソアニメ! くたばれ!!』という感覚含め)それぞれ答えはあると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
そうやって、アニメに刻まれた現実と、現実に刻まれたアニメのことを考えてほしいのかなー、とも思う。
『そんな問いかけではなく、答えが欲しかった。それを出すのが作家の責務だと思う』という感覚も、判るつもりだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
しかしその上で、山盛りの課題をぶん投げたこのアニメが僕は好きだし、それは終わり方だけではない。
いかにも青春然としていた、途中経過も、そこにあった笑顔も、好きなのだ。
さて、お話は王者への挑戦を追っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
母の残影を追ってコートを離れた凛太郎は、それが見つからなくても満足して、”部活”へと戻っていく。樹は振り回されつつ、それについていく。
出て、探して、戻る。帰ることの意味合いが、緑と青に滲む。
©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会 pic.twitter.com/YjQynm7sYp
凛太郎が母の実像を捕まえることではなく、母が自分を見て”ここ”に来てくれたこと、それを探して自分と”ペア”が追いかけたことで満足して”部活”に変えるのは、僕は凄く好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
彼は自分の中の葛藤を、自分なりの答えで切り分けた。
『もういいんだ』
その満足は、あくまで自己満足だ。
でも、それで良いのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
分からないことに当惑しつつ、樹はペアの背中を追った。勝手に満足して帰る相棒と、必死に走った。
そうやって、分からないものを分かろうとする人が、隣りにいることしか、僕らには出来ない。
何も掴まないことが、何よりも道を拓く時がある。
そういう決着だったかな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
二人を置き去りにしたコートでは、柊真と眞己が王者に挑む。
眞己の才覚である”見る”行為は、王者のスピードに追いつきはする。しかしラケットはスイートスポットを外されて、得点にはならない。
©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会 pic.twitter.com/15pkPXHwpb
見るだけでは追いつかない領域へ、二人は脚を使うことで挑んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
直央&大洋ペアが用いた、弱者の奇策。才能に恵まれた二人は、その撹乱をしっかりと突き刺していく。
自分たちだけの特権に踏み込まれ、焦る王者。なぜ、彼らがそこまで”領域”に拘るかは、書いてる時間がない。
鏡合わせの五瀬兄弟は、お互いの頬を張り合うことで調子を取り戻す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
誰かを従わせるためではなく、自分を取り戻すための暴力。殴ったら、殴り返されることを認める対称性。
フェアであり、繋がれていることが力になる。今まで描かれたものの変奏だ。
©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会 pic.twitter.com/LGOrQDoL93
『双子で良かった。殴られた顔が、鏡なしでもよく見える』というのは、冷たいテニスマシーン(あるいは無様な王者)だった五瀬兄弟に人格を与える、いい言葉だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
そこに反射してるのは、殴られた自分の顔だけではない。殴った自分が、どういう影響を”ペア”に与えるのか。暴力が何を齎すのか
それを受け止める足腰があるから、暴力の反射を認め、求めたのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
一方的に押し付け奪う”大人”が多いだけに、こういうフェアな暴行は妙にスッとする。そこに理知が割り込む余裕は、あるのだ。
まぁ、それが行き着く先を書ききる尺はなかったわけだが。
相互ビンタで気合を入れ直したチャンプに、三ヶ月の急造ペアは追い込まれていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
あれだけ憎んでいた”負け”が近づいているのに、柊真は笑う。眞己も笑う。
テニスは面白い。お前と、一緒にいるのも。
©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会 pic.twitter.com/0Ulz0HhvqS
何かを”見る”眞己の資質は、ペアとして隣りにいる中で柊真にも感染している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
勝ち負けの先にあるもの。与えられるのではなく、自分で見つける自分の価値。
そういうものに出会えるなら、この残酷な世界でまだ笑える。見つめ、届かないとしても、その無力に納得できる。
テニスコートの中で描いているものは、その外側に敷衍していく物語だと思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
ここで見つけたものは多分、作中でも大事な真実で、しかしその真実性を実証するためには非常に厳しい試練で擦り、試す必要がある。
この笑顔を、暴力と理不尽渦巻く場所でも浮かべてられるかい?
それを問う物語が、本来は用意されていたのだろう。しかしそれは、現状無い。見たかった気持ちは強くあるけど、無いものは無い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
だから想像することになる。そのための材料として、作中の描写と演出は大事な素材で、同時に今この一瞬を決死に生きてるガキどもの、かけがえない存在証明でもある。
認められること。繋がること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
五瀬兄弟が伸ばした手は、役にも立たない玉遊びに本気になった二人を、強者が受け入れてくれた証拠だ。
そういうものが、子供はいつでも欲しい。
自分がここまで来たと、今までの歩みは無駄ではないと、感じられる証明。
©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会 pic.twitter.com/P21reP6phl
…子供だけではなく、大人も、あらゆる人間がその証を求め叶えられないから、他人を踏み付けにしても『自分はここにいていい』という実感を拳で、態度の暴力で押し付け、自我を守るのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
そういう大人が、沢山この作品にはある。モニタの外側に広がってる世界にも。
無論そうではない大人も
少し早いエンドロールが、青春部活物語の終わりを告げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
認められた。勝った。
だからなんだ。
柊真はまだ、輪に入れない。孤立したやるせなさが、冷たい否認が、携帯電話越しに押し寄せる。
©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会 pic.twitter.com/XMhT2K2IVI
部の仲間も、弟を思う兄も、柊真を囲う緑の檻に踏み込めない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
上手く表現を見つけられない、冷たい炎。母に認められ、愛されたいと願った瞬間に突きつけられる、硬い憎悪と拒絶。
お母さんは貴方のお母さんをやめるの。他人になるの。
その傷は、ラケットじゃ埋まらない。
…のか。母と切り離されたら、世界は終わりなのか。人は巨大な傷を負えば、うめき倒れ伏したままなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
それにこの作品自体が答えを出す尺はない。
”負け”の中の笑顔に出会って、即座に孤独に叩き落される。
そのどちらが真実なのかは、現状僕らが決めなきゃならない。
『よっしゃ想像の余地がある!』と拳を握れる人は、まぁ超少数派だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
『いや…作家なんだしアンタが書いてよ…』とは思う。
モニタの向こうでどれだけ祈っても、悲惨な波風が愛すべき少年に襲いかかることも、それに膝を折り奥歯を噛みしめることも、止めらりゃしないのだから。
『24話予定が12話になり、実放送の形態にアジャストしなかった(あるいは、出来なかった)』ことを、監督が伝えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
創作は常に経済活動だから、そういうこともあるだろう。図らずして、作中で描いていた世界の残酷さが、ギラリと牙を剥いてメタ領域で暴れ狂った形だ。
それに、どう答えを出すか。
残りの12話があるのか、ないのか。あるとして、どのような媒介で描かれるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
柊真を残酷に切断した拒絶に、彼が飲み込まれるのか。砂を掴んで立ち上がり、また新しい物語を紡いでいくのか。
それは全て、不明な雲の中だ。断ち切られた”途中”が、僕と作品と作者の間を浮遊している。
罵倒もひっくるめて、全ての感想がありうると思う。なかなか驚天動地の物語形態だからな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
全ての想像が許される状況に、(おそらく望まず)僕らは投げ出された。
そうなると、『こういう展開になるんだろうな』という読解は、あり得るべき希望を交えて、ちょっと変わった形になる。
俺は柊真は母の憎悪を、眞己は父の呪いを踏み越えて、父母のコピーではない己自身を、厳しい旅路の果てに見つけ、世に問い認められていくと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
そのための柔らかなシェルターが”部”であり、ソフトテニスに勝って自己を実現していくことは、大事な予行演習であり成功体験だったのだと願う。
無論こんなもんは、基本的に世界が明るくあってほしいし、そういうオプティミズムでこの葉な詩が作られていたのだと思いたいいち視聴者の願望なのだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
こういう形で物語ってしまった以上、特権的な作者と受動的な視聴者という権力勾配は、かなり無化されてしまっているようにも思う。
『終わらせる』と呟いて眞己が握った包丁が、何を刺すのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
描かれない(かもしれない)オフィシャルの空白を埋めるように、僕らはそれを考えるだろう。
『ふっざけんなダボが! 駄作だ駄作!!』と蹴り倒すことひっくるめて、それは全て”アリ”だと思う。
こういう空間が生まれたのは、正直面白い。
それが作者の望まぬ横槍の結果、無念の討ち死にの副産物だとしても、だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
正直、今までの材料から『僕が見たい残り12話』を考えるのは、結構楽しい。そうさせてもらえるだけの解像度と容赦の無さが、これまでの12話にあったからだと思う。
同時に、それは哀しい遊びだな、とも思う。
しょせんは自分を納得させるための手慰み。本当は、全てを生み出したものの手で少年たちの群像を、終わりに導いて欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
つくづく、そう思う。二期は死ぬほど見たい。
だが、そうならない可能性は十全にあり、例えオフィシャルな終わりが与えられなくとも、自分なりにこの物語を定位する必要はある。
そんだけ、心に刺さる創作だった、という話で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
自分の中の決着をどうにか付けるために、こうやってWebに言葉を編んでいる部分はある。
僕らは何を見てきたのか。何が欠落の奥に続きうるのか。
この話の何が好きで、こういう終わり方をして何が寂しいのか。
一個一個輪郭を付けて、並べていく。
そうしたほうが、多分お話とその先にいる人間に、誠実に向き合える気がするから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
自分の中のしんどさを噛み締めつつ、それでも他人を踏み付けにするでなく、新しい何かを”見”ようとした、作中の尊敬するべきキャラクターと同じように。
自分も振る舞おうと思う。
本来あるべき”子供”として、ウキウキで帰宅した眞己は、想定した母の抱擁を受けられない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
奪われた金、不在の空白。
赤い、あまりにも赤い空が、一瞬前までの青春を無言で重たく否認する。
こっちが、本当の世界だよ。
©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会 pic.twitter.com/l67EAKBlX8
お前はラケットじゃなく凶器を握って、料理ではなく人体を刺しなよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
暴力を刻まれた子供として、暴力に飲み込まれて加害者のコピーになっていきなよ。
そういう出口のない繰り返しから、出る手段なんて無いよ。
”終わり”に突きつけるには、あまりに赤黒いニヒリズム。
世間に受ける自分を打ち崩してでも、刻みたかった憧れの形。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
当然の賛否両論が吹き荒れるだろう作品を、あえてドライブさせた作者の背中と、闇の中歪む御杖さんがダブる。
フードで鎧って、眉を吊り上げて。彼女の闘いは続く。
©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会 pic.twitter.com/Ykl20lUCZG
コートサイドで見上げた、綺麗なもの。負けてなお微笑める、可能性と希望。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
それがまさに、赤黒い街に飲み込まれていく現状を知らないまま、御杖さんは己を刻み続ける。
眞己があのどん詰まりで果たす出来事を、御杖さんはどう受け止めるのだろうか。
そこも、想像の雲の中だ。
赤い世界の美術は、最高に良い。邪悪で不吉で美しくて、”この世の果て”って感じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
傾いだ世界。どん詰まりに誘う赤い空白。
これみよがしに置かれる、アルコールとタバコ。”大人の特権”の、最悪の発露。
憎悪を込めて、眞己は理不尽を見つめる。
©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会 pic.twitter.com/PFEHWd5fnk
刃を握って扉の前に立ち、さぁ、何が来るのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
この赤黒い世界に飲まれていくのが”終わり”なのか。
中途で望まず断ち切られたことで、凄い速度で問いかけを投げる形になった物語は、かくして終わる。
星が出会ったことに、どんな意味があるのか。
©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会 pic.twitter.com/UYu6EAKwn9
あるいはそんなものはなくて、全ては黒い現実が塗りつぶしていくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
作者の用意した結論を受け取るチャンスは、今はない。
これまで紡がれたものから、僕らが勝手に作り上げ…あるいは『付き合ってられん!』と放棄することになるだろう。
それは当然の反応、当然の権利だと思う。
しかし僕は、答えより問いを投げられる方がどちらかと言えば好きなタチであるし、空白を身勝手に埋めたくなる引力をこの作品に感じてもいるので、色々と擁護めいたことを言いもした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
終わらない物語を抱え込んだ者たちの、終わらない物語。
そういう形に、”星合の空”はなった。なってしまった。
用意していた物語の尺が半分に折られた時、それとどう向き合うかは色々道があったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
『終わらないことで終わる』という決断をした時点で、こういう形の物語が生まれることは読めたと思う。
その上で投げかけたのは…僕は作者じゃないから、それ以上は推察できない。
その決断に誠実があるのか、ないのか。ぶん回された徒労感を何処に落ち着ければ良いのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
色々言いたいこと、問いたいこともあるけども、兎にも角にも終わりなのだ。それが”一旦”となるのか、はたまた上がることのない幕なのかは判らない。
終わったのなら、己にとって何だったかは言葉にしたい。
そう思って、長い感想を連ねてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
いやはや、『あ、こりゃ全部終わんねぇな』と薄々感じていたけども、ここ迄豪快に終わらない話であるとは、正直思っていなかった。
そういう意味で裏切られたんだが、同時に思わぬ広がりみたいのが結果として生まれてしまったのは、悪くないかなと思う。
一番最後まで書ききって、自分が生み出した作品と世界、キャラクターを語りきりたいのは作者だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
そういう前のめりの本気を、作中の演出や描写、抽象や映像言語から感じたから、僕もこのお話を見てきた。
そこで成立した(と僕が思い込む)対話は、多分嘘ではない…と信じたい。
だからまぁ、荒れ狂うよりも『ありがとう』で終わりたかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
だからこの、長く迷走した言葉を積んで、最終話の感想としている。
母から切り捨てられた柊真が、刃を握った眞己が、その他あらゆる青春と家族の嵐、ただ中にいる子供たちが、何処に行き何を見つけるかは、語られない。
その断絶は、当たり前に終わると信じていたノンキな立場としては衝撃だし、正直苦しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
児童虐待や、性自認と社会の断絶や、大人になりきれない大人や、それに苛まれる子供や、百億の幸福で不幸な家庭という難しい問題をわざわざ引き込んだなら、答えを出すのが責任だとも思う。
しかしそれをアニメの形で問いたかった赤心は、この中途の物語にしっかり焼き付いていたと、僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
そこで受け取ったもの、開かれた眼、心の動きは、作者が明瞭な答えを出せない(出さない)としても、僕だけの嘘がない宝物だ。
その実感が、中途の物語の先に光がある妄念を補強する。
断絶の暗さを睨みつけた上で、それでも届くものを大事にしてくれた話なんだから、僕が見たいように、多分気持ちよく終わるのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
そういう身勝手な想像を、幸運にも獲得できた視聴者としては、この終わってない最終回、悪くないと思う。
いや最悪だとも思うけどさ…最悪だよホント。
非常になんとも言えない、10年アニメを見ても一度出会うかわからない奇妙な感慨を覚えたまま、どす黒い”終わり”を僕は受け取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
作者が描き、描ききれなかったものだけが、作品の全てではないという傲慢を抱えて、自分なりのスケッチを、今までの画材から引っ張り出して描く。
だってそうしなきゃ、俺の”星合の空”は終わらないから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
そういう精神安定行動に、Webごしの方々を巻き込むのはなんとも身勝手だと思うが、まぁご容赦願いたい。
多少なりと、動揺した自分が自分なり、この話を定位する過程を言葉にしていくことで、似通った動揺を鎮める功徳もあろう。
願わくば、中途に終わった物語の続きは見たい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年12月26日
でも見れないとしても、これまでの全てが無駄になるとは、僕は思わない。”思いたくない”のかもしれないけど。
いいアニメだったと思う。少なくとも、好きになれるアニメだった。
お疲れ様、ありがとう。
いつかまた、星合の空で逢いましょう。