文豪とアルケミスト ~審判ノ歯車~ 第10話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
図書館は揺れていた。
黒き炎を宿した”芥川龍之介”は、敵か味方か。何が真実で、何が断ち切るべき欺瞞か。
青の洞門の眼前で、震えながら握った”讐”の一刀。せき止める”恩”の一撃。
かくして、文豪相打つ。
そんな感じの大文学論争 With 刃物! 何が本当かなんて判んねぇ大乱闘文豪ブラザーズ、文アニ第10話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
”芥川龍之介”の処遇を巡って、芥川親衛隊と無頼派がバチバチやり合う展開となったが、問われているのは結構形而上な議題かと思う。
何をもって、真実を定める。文学がずっと追い続けるテーマ
それが、二人の芥川によってあぶり出しにされていく話だと僕は感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
偽・芥川は太宰たちを救ってくれた英雄であり、同時に文豪の存在意義を危うくする侵蝕者でもある。
その両方が真であるとき、どちらを取れば良いのか。矛盾を止揚しジンテーゼに至る道はあるのか。
無い、と菊池寛は思い定める。生前、そして転生してからの狭間の空間でもずっと一緒にいた、自作を肯定する芥川龍之介こそが、真実の芥川だと自分に言い聞かせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
無い、と太宰治は吠える。侵食者に見えても芥川先生は仲間で僕だけの救世主で、時空を超えて一緒にいられる夢のような時間を取り戻すと
お互いの中にある理想の”芥川龍之介”を譲らず、文豪たちは刃を交える。そこに実は、『二人の芥川龍之介は、己(達)をどうしたいのか?』という問いかけはなかったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
人は見たいものを見て、読みたいものを読む。
島崎の言うとおり、そうして見つけられたものにはすべて尊く価値があり…
同時に身勝手な、客観からかけ離れた独自の読みでしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
真実を見定め、価値を妥当性の天秤に乗せて推し量ることと、たった一人の真実に突き動かされて進むことが等価だとするのなら、芥川を殺す側も守る側も一旦は刃を収め、”芥川”の言葉を虚心に聞く必要があろう。
しかし状況はそんな余裕を与えてくれないし、胸に滾る愛おしさこそが、男たちに刃を握らせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
愛すればこそ殺し、情故に事実を見落とす。
これもまた、止揚するべき人間の矛盾…と言ったところか。
まー落ち着けよなー、親衛隊も無頼派もさー…。聞ける状況でもないだろうけど。
さて、文豪審問官・菊池寛が色んな事情を探った前回から、状況は動く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
狭間に囚われ文豪戦士としての本分を果たせなかった者たちの記憶が、未知なる真実を告げる。
偽・芥川を生み出した異質なる存在。燃え上がる青黒い炎。
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芥川一行を狭間の世界に閉じ込めていた偽・芥川(と、彼に宿った侵食者)が、今は牢に閉じ込められているのは面白い逆転であるが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
狭間の文豪達は偽・芥川が侵食者でしかない瞬間を、しっかりと見て覚えている。太宰達が知らない、”芥川先生”が捏ね上げられる瞬間を。
これを見ているか否かが、文豪たちの衝突の根源な気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
芥川親衛隊にとって、”芥川”は黒い炎で捏ね上げられた偽物でしか無い。(彼らが後悔し敬愛する芥川当人には、実はそうでもないのが面白い断絶だけど)
それが作り上げられる瞬間を、その目で見ているのだから。
しかし太宰たちにとって偽・芥川の起源は秘匿情報であり、知らない事実だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
彼らにとっての真実とは、芥川が肩を並べて戦う同志であり、生前の憧れを投影するべき救世主である、ということだ。
優先するべき事実は、置かれた現実と手に入れた認識によって決定的に食い違う。
『そこを埋める努力をするのが人間であり、そのためのツールがあんたらの商売道具、”言葉”でしょうが!』とツッコみたくもなるが、柔らかな方向に言葉を使ってた人たちじゃないからね、文豪。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
矜持と意志を強く載せ、刃のような鋭さで現実をえぐる。そんな風に言葉を使うことに成功したからこそ。
彼は文豪なのである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
二人目の芥川は、切り捨てるべき怪物なのか、守るべき仲間なのか。
ここに”もう一人の私”という、第三の視点を持ち込めるのはその誕生を唯一知る芥川先生だけなんだが、その告白は中断させられ、偽・芥川のアルター・エゴ性は共有されない。それを芥川が、どう思っているかも。
偽・芥川が侵蝕され、文学炎上を強要される自分をどう思っているかも、また共有はされない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
事実は明らかにならないまま、思いは加速しすれ違い、闘争が青黒く燃えていく。
他人をしっかり”読む”ために必要な落ち着きも素材も、徹底的に略奪された状況だよなー、ここら辺。
偽・芥川の内側から吹き上がる炎は、彼自身の真実から生まれたものなのか、侵蝕者が外部から差し込んだ偽物か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
これを問う余裕もなく、掟破りの刃が図書館に踊る。対峙と暴走を経て、傷つくものは多く、やはり事実は共有されない。
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一連の殺陣を見るに、気になるポイントはいくつかある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
”文豪とアルケミスト”という物語に入り込んだ侵食者たる芥川が、禁じられている暴力を図書館に持ち込んでいる所が、まずそれだ。
世界のルールとして、文豪は歪められた本の中以外では、暴力を行使できない。まぁ、そらそうだ。剣豪じゃねぇんだ
しかし偽・芥川は『文豪戦士の友情が世界を救う』という基本ルールに深く入り込み、太宰たちを惑わし物語を書き換えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
『世界のために、文学存続のために限定された暴力を振るう』という文アルの基本的テーゼは、偽・芥川の存在と暴走によって書き換えられているのだ。
”走れメロス”あるいは”人間失格”の太宰が、”桜の森の満開の下”の安吾が、歪められた自作と向き合い自分を再発見したように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
そしてその過程に、激しい剣戟が必要であったように。
偽・芥川が侵食する『文豪とアルケミスト』もまた、苛烈な暴力を経て自分を見出すのではないか。
偽・芥川を仲間として怪物として内側に取り込み、友情を侵蝕され暴力を持ち込まれた『文豪とアルケミスト』自体が、テーゼとアンチテーゼを止揚するための闘争を必要としているのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
そんな見立てをしたくもなる。
当然視されていたルールを撹拌することで、真実が見えてくるのならば。
『図書館は武器禁止!』というルールを打ち破る偽・芥川はトリックスターであり、敵対することで世界の真実を暴き立てる、サタン的存在だとも言えるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
そしてその刃を止めるのは、禁止された暴力ではない。
『気に食わねぇ新入り』と見ていたはずの中也が、仲間を守るため体を張った”情”であり…
燃える刃を握り込み、芥川先生に真っ直ぐな視線を向ける太宰の思いである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
それは”人間失格”に囚われた時、稲妻に体を焼かれても”小説・太宰治”に入り込んで太宰を助けようとした偽・芥川の鏡である。
あい思い、時に命すら賭ける。麗しき友情…が、既に一緒に戦ってる戦友だけのものではないと。
中也の献身がひっそり証明しているのが、彼が好きな僕は嬉しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
本来なら刃を向け合うのではなく、お互い守り合うのが本分のはずの文豪戦士。
しかし認識と感情のズレから、親衛隊と無頼派は相撃することとなる。
『それ、本当にいるのか?』
中也の庇い立ては、そんな疑問を突き立てる。
構図的には、どうしても偽・芥川擁護派VS真・芥川純愛派の対立に見えてしまう流れなんだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
『本当の答えは、そんなところにゃねぇだろ』と、中也の行動が語っているのは、なかなか強い補助線だ。
寛の振り上げた椅子は芥川を止めず、自分が燃えるのも厭わず刃を握った太宰が、彼を止めるのも。
『真実、何かを変えうるのは愛であり暴力ではない』という、まぁ気恥ずかしいんだが多分真実なルールを、静かに再確認させてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
とはいうものの、愛だけで何かは動かない。道を間違えた暴走には、暴力を以て正さなければならないときもあるというのが、文アニもう一つのルールであろう。
想いの尊さと無力というのは、僕の見る限り文アニの結構な柱で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
太宰がどれだけ、史実ではなくこの仮想空間でしか会えなかった”芥川先生”を仲間と思い込んでも、それだけでは彼に宿った炎は消えない。
蛙を刺す蠍のように抗えない性は、本を焼き仲間を傷つけてしまう。
『怪物だけど仲間』も『仲間だけど怪物』も両方真実で、しかしどちらかを選ぶことでしか前には進めず、だからどちらも間違っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
刃を振り上げて状況を進める相手に、刃を持って対抗するのが正しいのか、間違っているのか。
それを考えているうちに、大事な先生の首は墜ちる。
腰を落ち着けた文学論議とはならない、切迫した土壇場が続いていくこのお話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
偽・芥川を生み出し、意に沿わぬ暴力(あるいは使命)を果たさせようとする青い炎が、どこまで世界を焼くのかは気になるところだ。
暴力の特徴は、その取り返しのつかない不可逆性にあると思う。
図書館を侵食し、刃を抜ける空間に書き換える偽・芥川の性を彫り込むのなら、太宰が信じる甘っちょろい希望は一回、ボーボー燃えないとテーマを完遂しきれない感じあるんだよなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
そこら辺、一切容赦しないアニメでしょ文アニ。そうじゃなきゃ、志賀燃やしてねぇ。
そこら辺は先の話として、偽・芥川の暴走は奇妙な状態で止まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
芥川の著作を燃やすべく侵食しておきながら、それが止まる。それは怪物である自分と、文豪戦士である自分の狭間で苦悩する、獄中の芥川の震えそのものなのだろう。
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それは僕らがこのアニメで獲得した、僕らだけの感慨、僕らだけの物語であり…同時にそれは、史実のドラマに立脚した楼閣でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
お前は、本当の龍を知らない。
『生前の交流でマウント取るのはズッケーぞ!』とツッコみたくもなるが、まぁ菊池クン潜書してないしね…。
狭間に閉じ込められていた芥川一行にとって、侵蝕者を切り文豪ともに戦う物語は、実感のない…言うなれば『まだ読んでいない本』だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
一方偽・芥川を守らんとする連中には、文アル的友情バトルの方が、生前の交流と後悔よりも実感は強い。
まぁそれ手に入れようと思っても、芥川先生死んでたしなぁ…
図書館を大胆に割る分断はつまり、史実の文豪としての意識と、再生し新たな使命に身を投じた戦士の認識の衝突、とも言えよう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
それは再生しても埋まらない。
それを埋めるのが、ダラダラ一緒に愚痴る図書館の日常であったり、潜書で肩を並べて闘い、救ってもらう経験だったりするのだろうけど。
狭間に閉じ込められ、ガチャから出てこない不具合が長く続いた親衛隊にとって、それは体験できない物語なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
ここの対立は、実体がかつてあった亡霊としての文豪と、文アル特有のドラマとキャラクターを背負わされた文豪の対立(融和の前段階)として、なかなか面白い。
自作への批評構造だよねコレ
話は平行線をたどり、ズレても連れて獄に行き着く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
太宰達が掲げるキラキラな未来と、寛が危惧する破滅の運命。どっちが到来するかなんて、蓋を開けなきゃわからない。
龍を救えなかった後悔を背負い、親衛隊は屹然と立ちふさがる。
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『コイツは偽物。龍を苦しめる敵。叶わなかった後悔を俺が晴らす、絶好の機会を邪魔する壁』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
そう思わなければ、どうしようもなく芥川龍之介的な眼の前の存在を、殺すことが出来ないから。
菊池寛が拳を握る姿を、カメラは隙なく捉える。ここら辺は、中也のカバーリングと同じ仕事だと思う。
此岸に取り残され、芥川に自死されてしまった菊池寛の後悔が、日本最大の文学賞として結実しているのはご承知のとおりだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
もし文豪が転生するような奇跡があったとしたら、そら菊池寛は芥川龍之介の救済を願うだろうな、という納得はある。
死んで花実が咲くものか。生きてくれるなら、それが何より
そういう思いがあればこそ、”菊池寛”は二人目の芥川を偽物と切り捨て、自分がよく知る芥川を救おうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
『でもよー、やり直せるとしても、芥川は死んでたんじゃねぇかな』
そんな問いかけが、僕の中に浮かび上がってもくる。
寄り道だが、少し書こう。
救いたいと、”菊池寛”は言う。自分がもっと愛していれば、芥川は死ななかったと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
しかし、人が死ぬことは人が生きることと同じく巨大すぎる謎で、なぜ自死という結果が出たかは分かり得ない気が、僕にはする。
友情は美しく、愛は尊い。だがそれが、絶対の答えにはなりえないから、人は苦しい。
そんなことは百も承知で、それでも身を焼く後悔を断ち切りたいからこそ、寛も苛烈に頑なに、自分を追い込んでいるのだろうけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
『仲間の優しい言葉より、エビリファイやデパケンの方が、芥川を救い得たんじゃないの? その死は文学的と言うより、精神病理学的に受け止めるほうが良くね?』と。
勝手に問う声も、僕の中から浮かび上がったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
芥川が何故死んだかなんて、他のあらゆる人が死ぬのと同じようにさっぱり分からないことで、寛の後悔と決意は美しい身勝手だ。
そういうものを繋ぎ合わせることでしか、人は生きて死んでいく仮宿を編むことなんて出来ないけど。
それはどうしようもなく分断された思い込みで、そんなものしか我々には与えれないから、どうしようもなく寂しいのだろうなと、芥川の自死に苦しむ菊池寛を見ていると、僕は思ってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
ここら辺、シニカルな見方してんだなー、と自分を鑑みるところであるが、さてはて。
太宰くんが偽・芥川の生に強い思いを寄せるのと、寛が偽・芥川の死に感情を燃やすのは、多分同根同質の行いだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
どちらも”芥川龍之介”に死んで欲しくないが、その対象は分裂し、矛盾し、両立不可能に見える。
そしてそれは、客観として身勝手にそこにある”芥川龍之介”なのか。
それとも泥のようなエゴに反射した、理想像としての”芥川龍之介”なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
綺麗に見えるものの中に、凄まじく危うい泥土が入り混じり、そこから救いの蓮が咲くという文アニの構図は、終盤を迎え更に先鋭化しているようにも感じる。
寛の思いは、献身なのか我欲なのか。
『それを対立項でくくらず、藪の中のジンテーゼ、矛盾同居する人間存在の発露としての文学を、まるごと食え』ってのが、多分このアニメの目線なんだと思うけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
なかなか安直な得心に休ませてくれない、ヘンテコで厳しいアニメである。好きだなぁ…色んな所に、魅力的な矛盾がある。
図書館に潜り込んだ侵蝕を、切り飛ばすのが正しいのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
偽りと判っても、共に過ごした日々に輝きを見るのは間違っているのか。
悩める太宰に、文学探偵・島崎藤村は静かに寄り添う。
感慨に、成否優劣なし。偽りの極光、大いに美麗。
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そうして太宰の”間違い”を肯定する島崎は、相変わらずシニカルに性格が悪く、だからこそその言には信頼が置ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
自分と家族の間違いきってるだろう人生を”夜明け前”という傑作にまとめ上げた文豪は、そら世間一般の正しさなんぞくそくらえである。
ここの島崎は、悩める太宰の背中を押して文豪大決戦の火蓋を切るストーリー進行上の役割だけでなく、ここまで文アニを見て太宰くんと芥川先生に思いを寄せてしまった、僕らにも助け舟を出しているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
色々思い悩み、迷うことがあったとしても、何かを読んで感じた思いは、あなただけの宝物。
(多様な)芥川の(多様な)死を肯定するにしても、否定するにしても、そこに否はなく是のみがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
その上で、自分の感覚と決断を他者に敷衍し、何かを掴み取ろうとするなら当然審判と衝突もありうると、言外に認めてること含め、島崎(に仮託された文アニ)の視線は、読むものに優しい。
僕もまぁ、僕の感じた想いをこうして文に連ね、己のうちに留めておかずWebに放流している時点で、反発やすれ違いを当然と考えつつ、そうするだけの尊さを自分の感想に見出している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
そこに、島崎に後押しされた太宰くんの決断を重ねるのは不遜というものだが、まぁ感じ入るものがあった。
まぁ自分の範疇なら何感じてもいいけど、それを言葉にし外に出し他人に預けた時点で、別個の厳しさが立ち上がってくるってのも事実なんだけどね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
そしてあらゆる思いは人間関係のマトリクスの中でのみ形を為して、客観と主観は切り離せないってのも、また事実だとは思う。
そこら辺を問うのが、処刑場・青の洞門である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
図書館で、血を呼ぶ剣は振るえない。ならば侵食者たる芥川の力を借りて、菊池寛の代表作を歪めることで、暴力の巷を呼び込む。
極めてグロテスクで無様な転倒しか、”菊池寛”の解決はない。
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そも侵蝕を避け、物語が描かれた思いと意義、込められた誇りを守り歪みを正すことが、図書館に再生した文豪たちの存在義。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
しかし”芥川”に染み込んだ歪みを切り飛ばすには、本来否定するべき歪んだ文学…殺される当人である偽・芥川の強力が必要になってしまう。
毒を食らわば皿までというか、軒先を貸して母屋を取られるというか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月29日
正しさのための方便とするには、魂をインクににじませて書いた傑作を歪ませる決断は、ちと重すぎる。
了海を追い詰めてなお、剣をおいてノミを取った実之助を書いた時、寛さん、アンタ何考えてたんだい?
岩盤ほど硬い恩讐を貫き、明日へと踏み出していく希望の物語。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
それを書いた”菊池寛”自身が、芥川を守るために芥川を切る。切るために、自作を歪める。
これまで英雄的に描かれてきた文学闘争は、ここで非常にグロテスクに歪曲する。
しかしそれも、愛ゆえである。
怪物なら怪物と、心を殺して刃を振り下ろせばいい。それが正しい行いなのだから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
しかし寛は、芥川に言葉をかけ、己の思いを吐露していく。守れなかった後悔を今生では取り戻すために、刃を振り下ろさんと震える。
…放って置いても、この人芥川斬れなかったんじゃないかなぁ…。
太宰が抗弁した、怪物を友情が戦友に戻す甘っちょろい物語。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
それを信じていない体で、一番信じたいのは菊池寛かもしれない。
超然とした態度に、そこに滲む確かな情感に、多分彼は幾度も”龍”を見ている。偽物と否定しても、すればこそ重なる、取り逃がした面影。
それを斬るのは、己の腹をかっさばくよりも辛いと、僕は勝手に思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
それでも、龍を、龍の紡いだ文学を守るためには。
彼もまた、あやふやさの中で揺れている人間的な…あまりに人間的な存在なのだろう。
こういうのちゃんと書く筆合わせて、好きになっちゃうなぁ…。
さて迷える刃を止めたのは、恩義に踊る飛苦無。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
悪童軍団参上と、譲れぬ思いをたぎらせて、無頼派VS芥川親衛隊、河原の大乱闘開始である。
『やっとる場合か~!』と思わずツッコんだけど、久米くんの鎬念仏片手受けが格好良かったから許す
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『やりてぇようにやる! それが無頼派ッ!!』と吠えた檀くんにも、『いや、おかげでアンタの家庭もアンタのお仲間の家庭も大惨事じゃん…』とツッコんどいたけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
うるせー! 文豪の通信簿には基本”作品”しかねぇんだよ! 人格テストで満点取るようなやつは、そもそも小説なんて書かないのッ!!
川の向こうと此方岸、寛と太宰を分けるのは潜書者と侵食者、史実と新たな現実、文豪と怪物…二つに別れた真実の、どちらに立つかという認識論だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
そこに橋をかけるのは刃しかなく、刃を振るう特権がこの歪んだ”恩讐の彼方に”では許されている。
芥川ぶっ殺すってんなら、お前らぶっ殺しても良いよな!
そんなやけっぱちの”正しさ”を見たいがために、ここまで彼らを見守ってきたわけではないが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
二人の芥川の存在は、そういう人間のむき出しを否応なく引っ張り出し、ぶつける作用がある、ということだろう。
やっぱテーゼとアンチテーゼをぶつけて、ジンテーゼに導く構造の具象化だよな、二人の芥川。
太宰は偽りのオーロラであろうが、ここまで積み上げた芥川先生との交流を肯定し、寛に立ちふさがる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
それは時間も生死も超越した、ある種の夢としての”文アル”が生み出す、あり得るはずもない…が、確かな手触りのある繋がりだ。
僕も、それを支持したい。面白かったからね、ここまでのお話。
しかし同時に、それを生み出す”文アル”はどうしたって史実の下部構造であり、寛が足場に選んだ『俺の知ってる芥川龍之介』をないがしろにも出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
お互い譲れぬものをぶつけ合い、暴力の巷に火花が散る。そーじゃないだろ! 愛だろ愛ッ!!
愛ゆえに、彼らはこんなことをしておるのです。
史実の芥川にも、偽・芥川にも救われた文豪戦士・太宰は、愛を証明するために刃境に立つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
未だ先生と読んでくれる純朴に涙する瞳から、黒い炎が立ち上がる。
どうあがいても、お前は文学を喰う怪物。そう作られたのなら、そう生きろ。
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偽・芥川の隻眼を黒く染め、怪物としての表情をビジュアライズした演出の巧さが、ここでは冴えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
人として、戦士としての情に触れて涙を流す時、芥川の瞳は閉じられ、怪物と文豪は区別がない。
しかし己のうちから湧き出る芳忠ボイスに向き合う時、芥川の二つの顔は峻厳と区別される。
愛するものを燃やしたくないと、苦しむ人の顔。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
愛すればこそ燃やし尽くしたいと、吠える獣の貌。
その両方が”芥川”なのだと、ここらへんのカットワークは雄弁に語ってくれる。冴えるなぁ…。
そしてその2つの顔は、文アニ世界に生み出された、嘘偽りないたった一つの”芥川龍之介”の肖像なのだ。
燃え上がる炎の中で、影法師は己の起源を思い出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
それは芥川が告白しかけて、暴力的に中断された真実。ドッペルゲンガーが思い出せなかった、空白の記憶。
書くべきものを見失った文豪が、生み出した己の中の己。
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読者が、編集者が、あるいは作家自身が求められる”芥川龍之介”は、実感のない影法師のように世間をそぞろ歩く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
己は何を書くべきか。
身を焼いていた自明の衝動は途切れ、透明な歯車が自意識を苛む。
無明の中見つけた答えは、存在するはずもない理解者。客観化された主観。
さて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
黒い炎に包まれ、二つの瞳をアシンメトリーに繋げた”芥川”は、どんな存在なのか。
侵蝕者として、芥川龍之介を殺すもの。
文豪として、仲間を助け迷いを晴らすもの。
真実の芥川が作り出した、都合のいい影。
他人が知り得ない真実を、唯一共有する共犯者。
様々な真実が、藪の中に転がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
どれを繋ぎ合わせたとて、”芥川龍之介”なる唯一絶対は生まれず、不格好なキメラになるしか無い。
救ってやる、助けてやる。
そうやって芥川に手を差し伸べるアンタら、影法師ほど強く、芥川の内面に繋がってたのかね?
判ってやれてたのかね?
そんなことを厳しく問いただしもする、偽・芥川のオリジン開陳でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
芥川先生の告白が中断したので、彼がどういう存在であるかってのが周囲に共有されず、真実が認識のマトリックスを変化させるチャンスが奪われてるのが、誤解を加速させるよなぁ…。
真実が分からんのは偽・芥川の方も同じで、自分が正しい文学を取り戻す戦士なのか、それを燃やす敵なのか、答えなんて出てないと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
そんなことはお構いなしに、刻まれた呪いと使命は彼に吠える。
燃やせ、生まれてきた意味を果たせ、自作を否定し自殺しろ、と。
いや、かわいそうだろ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
小難しい理屈を一旦横に置くと、そういう感想が一番最初に出る。
芥川も苦しんでるし、彼を愛すればこそ衝突しちゃってる文豪たちも、また苦しんでいる。
三界火宅、逃げ場所などどこにもないのが人の世だとしても、いかさま苦しすぎる状況だ。
芥川の瞳に宿った光が、それを安楽な方向に進めるとは到底思えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
彼の黒い瞳は侵蝕者として様々なものを焼き、暴力は激しく荒れ狂うのだろう。
それは取り返しのつかない暴虐であり…矛盾を解消するためには必須の衝突でもあろう。
腹ぁ決まったよ、ヒデェことになる…。
一度怪物として暴れ倒し、自分が汚した『文豪とアルケミスト』をぶっ壊さなきゃ、芥川の潜書と侵略は終わらないのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
なら、行くとこまで行ってくれ。その灰の中から、不死鳥のように止揚された結末が飛び出してくれ。
現状、そんな気持ちであります。
それにしたって、皆かわいそうだ。
芥川が怪物でしか無い事実を、どうしても取り逃がしてる太宰の道化っぷりにしても。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
心魂の一作”恩讐の彼方に”を、”讐”を捨てきれない処刑場に歪めるしか無い寛の震えも。
みな苦しんでいる。どーにかならんかな、と思うが、おそらく偽・芥川が生まれた時から約束された苦しみなのだろう。
『なんもかんも芳忠が悪い! クソ唆す悪党をぶっ飛ばして完全勝利!!』とは、まぁならなさそうな最終盤。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月30日
彼方になど進み出ることの出来ない恩讐は、積み重なった矛盾はどんな悲惨を、どんな輝きを刻むのか。
掴めぬ極光を、それでも美しいと思う心をどう、作品に焼き付けるのか。
来週も楽しみです