シャドーハウスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
ケイトの部屋から、屋敷へと広がり始めたエミリコの世界。
そこには班の仲間との交流があり、疑問と学びがあり、抑圧と危険がある。
煤は寄り集まって怪物となり、ローズマリーの首を狙う。
シャドーハウスは、素敵なお家。
秘密だらけの、怪物の塒。
そんな感じの、ろくでもなさ炸裂ッ! やっぱホラーハウスじゃねーか!! な、異能館サスペンスの第3話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
その発生方法からしてヤバそうだった煤が、寄り集まるとどうなるか。
ローズマリーのぶらんぶらん姿が、これ以上なくよく教えてくれた。こえーよシャドーハウス…。
ケイト様の部屋の外に出て、生き人形と触れ合い屋敷を探検するほどに、霧と煤に閉じ込められた舞台の異様さは際立ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
それが見えるのは、エミリコが好奇心と決断力に満ち、知らないものを知ろうとする子供だからだ。
もっと言えば、ケイト様がそんなエミリコを許容しているからでもある。
伏せられたものは捲りたくなり、知らないものは想像したくなるのが、人類のスタンダードというもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
この作品を牽引する見事なサスペンスも、そんな"物語る動物"の本能を刺激して駆動しているわけだが、シャドーハウスの規範はそれを許さない。
考えるな、疑うな、機能を果たせ。
そう言い続け、エミリコ以外の生き人形も(表面的には)それを許容し、内面化している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
しかしエミリコは好奇心をとめられないし、窮地でも『何故?』を考える。
それが規範から外れたアクシデントへの対応力に繋がり、ローズマリーは危うい所を救われる。
ケイトの部屋で花瓶を壊したのは"失敗"であったが、粗相をした生人形に煤出しつつも許容してくる主の庇護のもと、今回エミリコはそれを強さに変えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
『なぜ間違え、どうすれば良いのか』を考え続ければこそ、状況は停滞せずに改善されていく。
しかし、シャドーハウスはそれを望まない。
少なくとも、生き人形には。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
冒頭、ミアはサラの"顔"になっていた時の冷淡を引っ込め、良き友人として微笑みながらエミリコに接する。
それが彼女の、人間としての”真実”なのだと思いたくなるが、亡霊に取り憑かれたローズマリーを助けた彼女は、『顔が傷つくから!』踏まれる立場から抜けようとする。
そうすれば、宙吊りにされたローズマリーは死ぬ(あるいは壊れる)と知りながら、である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
人命尊重主義を幸運にして当然とする僕らにとっては、異質で醜悪な決断にも見えるが、生人形にとって主の”顔”であることは、何よりも大きな存在意義である。
蹴り飛ばされて、傷がつくわけには行かない。
”表情”という言葉が示すように、感情は”おもて”に出て形になることで、初めて共有される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
人間が当然持つコミュニケーション・ツールを、黒塗りの影達は持ち得ず、生き人形の”面(おもて)”を借りることで意思表現/疎通を成立させる。
しかし生き人形は、意思も生命もない介護ツールではない。
主の顔の代用とならない時は、危険が潜む屋敷のシャドウワーカーとなり、あるいは共通の制服で武装した少年兵となって、死に隣接もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
掟に感情を抑圧されながら、”生きたい”という望みを何処かに抱え、渦巻かせている…ように見える。
生き人形は共通の規格品ではなく、識字能力の有無、外見に性別その他差異がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
これは彼らが工場などで”生産”されず、ランダムな命の営みからシャドーハウスに略奪/搾取されていることを、静かに示唆している感じもある。
人間はそれぞれ違う。望みも、顔も、能力も。
しかし館に形成されている社会はその個性を塗りつぶし、意思を押しつぶし、シャドーという種族/階級に奉仕するツールとして機能させている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
生き人形が担保する”面(おもて)”は、つまり”体面”でもあり、館の内部で担保されている社会性やプライドは、生き人形を媒介に駆動し、また彼らを消費する。
レースで手足を隠し、顔だけが浮き上がった一つのツールとなること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
そうして、生き人形を飲み込む館のシステムにどれだけ従順に同化しているかを、”偉大なるお祖父様”に見せること。
支配者に思えるシャドーにも居住階層の違い(おそらく、支配階層の差異でもあろう)があり、成り上がりの意志がある
”お披露目”を運用する顔のある存在が、果たして屋敷の奴隷すごろくを上がりきった生き人形なのか、シャドーに(社会的にも、精神的にも、あるいは肉体的にも)同化した異物なのか、まだ疑問は尽きないが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
どちらにしても、館の内部は強く分断され、支配と搾取が横行している。
無邪気なエミリコは僕らの価値観に寄り添いながら、そこに疑問を持ち、ノートにまとめ続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
過去と比較し、条件を検討し、真実に近づいていく彼女の英明さは、動くパンくんの謎を解くケイトとのやり取りに、よく描かれている。
もしエミリコが、(館が望むように)ケイトのただの”面”だったら。
ケイトが知らないこと、疑問に思わないことは同質化され、その能力は不明のままだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
異質で自由で不遜であることが、ケイトとエミリコの可能性を開花させていく。
そしてケイトは、そんな二人の可能性が自分を取り巻く館の異端であり、秘密にするべきと判断する。
ケイトは屋敷を駆動させている搾取と支配の構造に疑問を持ち、そこでサバイブするための方策を考えながら、部屋でお披露目の日を待っている…のだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
あくまでエミリコ一人称で描かれるこの話は、ケイトが見ているものを簡単には暴かない。
しかしケイトに対する振舞いにその思いは滲み、鏡合わせな二人の視差を通じて、館の歪さは立体視されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
これが、エミリコが館を知り人と触れ合う小さな成長、そこに滲む不気味なサスペンスと、調和の取れた歩調で踊っている完成度が、また凄いなと思うけど。
絞首刑寸前まで行ったローズマリーを助けたのは、館に蔓延するプロトコルからの逸脱であり、それを赦しエミリコの個性を認めた、ケイトの叛逆でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
例えケイトが己の部屋から出なくても、彼女の気高さをエミリコは背負い、彼女なりの元気さで駆動させる。
固定された自己像を反射させるのではなく、お互いに照らし合って変わっていく、変化の望ましさ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
主役二人はそれを軸に踊っている感じだが、館はそうではない。
狭い館に、公と私が対立する気配がチリチリと、火薬のように満ち始めた。なかなかきな臭いね…。
(エミリコが常時そう望んでいるように)ケイトがケイトらしく振る舞えば、生き人形の”面”を搾取することで成立しているシャドーの社会(それに飲み込まれることで、シャドー自体の尊厳も搾取されるわけだが)とは必ず衝突する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
その時、今回発見した”煤を動かす能力”はどんな武器になるのか。
そこも気にかかったりする。何しろ、屋敷にはヤベーのがこびりついて暴れてくるからな…とんだモンスターハウスだぜ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
上層から”お披露目”を見つめている上級シャドーは、生き人形もデビュタント前の子供シャドーも、娯楽の対象と見下しているようだ。
ケイトの部屋の外には、蛇の巣が広がっている。
シャドーがどんな存在であり、生き人形に何を施して”普通の人間”じゃなくしているのか、まだまだ不明なのでなんとも言えないが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
記憶と価値観を漂白され、表情の代用品として使い潰される生き人形だけでなく、シャドーもまた館の価値観に同化され、不自由にシステムに取り込まれている。
しかし窮屈な檻に収まりきらない多様性の軋みはそこかしこに見える。だからこそ、館のシステムはそれを殺すように駆動してる、とも言えるか…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
『生き人形は壊れても当然』『不出来なシャドーは、デビュー前に選別しよう』という価値観に染まることで、シャドー自体も己の尊厳を踏んでるのよね。
この閉じた抑圧の再生産に、ケイトは慎重に叛逆の機会を探る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
エミリコはその気高さに寄り添いつつ、ただのコピーではない善き影響で、誰かの命を助けている。
全容定かならぬ物語の名家で、主人公たちの特質は煤の中、よく輝いているように思う。
館の中で当然と流通する抑圧と漂白が、けして当然ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
そんな好奇と反骨の気配が、どんな風にケイトとエミリコの未来を切り開き、あるいは苦難を呼ぶのか。
そこが心配になり、また楽しみでもある第3話でした。煤で真っ黒なだけに、想定より啓蒙的(Enlightenment)な話だな…。
シャドーがシャドーである限り屋敷は煤に塗れるんだが、その中で人間は生きていけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
放置された負の感情は凝り固まって怪物になり、煤に囚われた人間は心を病み、命を止める。
シャドーと生き人形は、根本的に共存不能な生き物なのか?
ここも気にかかるね。エミリコとケイトの根幹に関わるし。
それを知るためには屋敷のもっと奥、封じられたシャドー生誕の秘密に踏み込まないといけないと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月26日
その歩みが危機山盛りであることは、今回よく示された。
待ち受ける”お披露目”に、日々の雑務に潜む闇に、少女たちはどう立ち向かうのか。
次回も楽しみです。