シャドーハウスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
”お披露目”も大詰め、生き人形たちはそれぞれの主を求めて、庭園迷宮をひた走る。
知恵と勇気と策謀が、活路を求めるその全てがおのが掌の上と、ほくそ笑むエドワード。
不協和音の交じる旋律を奏でる指が、黒く、黒く、影のように染まって…。
そんな感じの、衝撃の真実開陳なったシャドーハウス第8話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
とは言うものの、エドワードの黒く染まるかんばせにどんな意味があり、何が待ち構えているかはまだまだ謎であるが。
重要なのは生き人形とシャドーを行き来できることではなく、それが生まれる過程…だと思うが、さて。
相変わらず庭園迷宮は冒険と智慧に見えてワクワクと手応えがあり、これを突破する渦中でキャラクターの内面もよく見えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
今回はルイーズに従属するばかりと思えたルウが、思いの外自分の”顔”の威力をよく判っていて、実は主人をコントロールしている関係性が顕になった。ズルくて良い。
ルウもエミリコも主に声をかけることで、その窮地を助けようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
しかしその内容は真逆で、ルウは嘘を言うことで狼煙を上げさせ、エミリコは自分の存在を知らせて(結果として)煙を止めさせる。
(画像は"シャドーハウス"第8話より引用) pic.twitter.com/7ABmYkDhQZ
ルウは自分の声が主を安心させすぎてしまう事を知っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
ただ主お気に入りの”顔”として、道具的に使い潰されるだけでなく、歪に歪みつつも愛され求められている事実を、賢く利用する。
物静かに黙っているからと言って、何も考えていないわけではないのだ。故に、煤の違いにも気付く。
エミリコはケイトが囚われている檻が、不安によって崩壊していく凝った仕掛け(エドワードくん頑張るねぇ…)を、知っているわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
ただ自分の存在を知らせることで、ケイトが不安から開放されることは知っている。
嘘と真実、告げる内容は真逆ながら、ルウとエミリコは同じものを言葉に乗せる
ここに至る前に、エミリコは全てを載せうる荷車に積んだ素材で衣装を取り替え、”掃除”が出来る普段の自分を取り戻す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
それは”お披露目”に挑む前、『普段どおりの貴方でいてね』と伝えてくれた、ケイトを信じればこそである。
繋がり方は様々だが、生き人形とシャドーは思いで繋がっている。
リッキーが再会なった主従を嫉むのも、自分が主にたどり着けていない不公平、愛する者のもとへたどり着きたい焦りが背景にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
己の”顔”を抱擁するルイーズが、ルウの表情を覆い隠しているのが、サスペンスの作り方としてなかなか上手いヒキだ。
(画像は"シャドーハウス"第8話より引用) pic.twitter.com/3vvUET6yC1
リッキーが求める主は、エミリコが差し出してくれた博愛を支えに闇の中、彼の人形を待っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
抑えられない不安に押しつぶされる事なく待てるのは、リッキーが”御花畑”と(主であるパトリックがそう言っていたので)蔑む少女のおかげであり、半身への曇りなき信頼ゆえでもある。
『考えるな、他人に構うな』という館の掟は、子供たちを支配できていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
ルウを溺愛し道具的に支配しているように思えたルイーズも、”顔”から引き剥がされれば不安に煙を出し、声一つでそれを抑えてしまう。
そういう特別な力が自分に…自分の”顔”にあることを、ルウは自覚している。
ルイーズのルウへの執着は、輪郭なきシャドーが待ち望む美しい顔、美しい私への自己愛であり、同時にその対象は独立した意識と力を持つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
ルウは愛されている自分を巧妙に使って、愛するものを助け出す。
そこで求められているものが”顔”の表面なのか、内側の魂なのか、判別は難しい。
時に歪に、時に純粋に、虚実は互いを求め合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
そんな繋がりが、自分にはないとラムは涙する。ラムたん泣かないで…。
エミリコが純粋に、力強くケイトを求め闘う理由…絆が自分にはないのだ、と。
そしてエミリコの光は、孤独と疑念を再び晴らす。
(画像は"シャドーハウス"第8話より引用) pic.twitter.com/1b100chZAD
ケイトに似てないエミリコの名前は、個別の尊厳を大事に思えばこそ与えられた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
館のルールではそれは愛の不在であるが、ふたりにとってはそれこそが、愛の証明である。
シャーリーとラム(そしてラミー)もまた、似通った名前を持たない。それはラムの孤独と生存の証明である。
定められた半身と上手くコミュニケーション出来なかったラムは、やくたたずと罵られながら、必死に誰かに認められ愛される事を求めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
後にエミリコによって与えられる自己承認(自己反射)を虚空に求めて、ラムは己の中指を独立した鏡とし、抑圧された無意識をそこに反射させる。
ラミーはラムが本当は言いたいこと、出来ることを発現させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
名前が欲しい、愛して欲しい、認められたい。
館の中では言う事を許されない、人間当然の欲求は奇妙な形で這い出して、ラムの”生き人形”として彼女を支え、導いてきた。
主に声をかけても、言葉も反応も返ってこない孤独の中で。
エミリコと一緒に、”こびりつき”だらけの迷宮を戦い抜いた後、ラムはついに耐えきれず本心を吐露する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
それはずっと一人で抱え込んでいたもので、答えの出ない(あるいは間違った答えが蓋をしている)苦しみだった。
エミリコは自罰するラムを責めることなく、新たな解釈をもたらす。
ラミーに相談しても、『煤が出ないのは良い報せ』だとか『ラムと同じようにシャイなのかも?』という発想は出てこなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
あくまで、ラミーはもう一人のラムでしか無いからだ。
しかしエミリコは、素直に己の姿を反射しない鏡として、意外な角度から孤独を照らして壊す。
想像力を用いて、自分に見えている世界からはみ出すこと。推察し、情を働かせ、不安ではなく希望を膨らませていくこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
エミリコがラムに差し出したものが、ケイトが彼女を受容した体験によって芽吹いた事実は、既に描写されている。
異質な存在を寿ぎ、許容して生まれる連鎖が、ここにはある。
同時にエミリコがラムの涙を拭い、抱きしめられるのはその同質性…生き人形ならば、人間ならば普遍的に持ちうる幸福への願いを共有するからこそだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
違っていて、でも同じ。
『それは捨て去られるべきでも、塗りつぶされるべきでもない、面白く素晴らしいものだ』という静かな信念が、エミリコを動かす
ルイーズ-ルウの関係性が過剰に”顔”を愛し求めること、声が聞こえすぎることで時に軋むのとは真逆に、シャーリー-ラムの関係性は反応がないこと、感情が見えないことで軋んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
ルウは時に愛を逆用出来る、賢い自律的存在だということを、今回示した。
ラムがシャーリーにたどり着き、触れ合った時
同じくラムらしい人間の証明が果たされて、それがシャーリーに反射すると良いな、と僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
エドワードが『落とす』と決めていたのが彼女たちだったとしても、その厳しいルールに負けず、生き延び手を繋いで欲しいと願っている。
いやマージで、許されざるよそういうのは…。
子供たちの奮戦を横目に、エドワードは生身と影、二つの掌で煤時計を握りしめる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
全ては自分のコントロール下にあり、権力への階段をたしかに登っているのだと、かけがえのない仲間と確かめながら。
果たしてそこに、何があるのか。
(画像は"シャドーハウス"第8話より引用) pic.twitter.com/2opzXry0rV
”お祖父様と共に在る棟”、”三階のお歴々”という言葉遣いから、エミリコ達がいた場所の外に館は続いていて、そこにはまた別種の権力構造と抑圧、制御された階級闘争が潜んでいることが見えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
エドワードは館のルールに従い、仲間と力を合わせ”お披露目”を準備し、管理していく。
しかしそれは、あくまで館の内側にある野望であって、全てを手中に収め鍵盤を自在に弾く…ように見えるエドワードは、予定されたシステムの内側に囚われている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
庭園迷宮を用意し、子供たちにコントロールされた試練を与えている彼は、その実権力と支配の迷宮の中に囚われている。
これこそがおそらく、ケイトとエミリコが突破しなければいけない迷宮なのであり、”お披露目”は文字通り、その端緒に過ぎないのであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
そこでは智慧が試され、絆が生まれ、何かとても人間的な関係が育まれているように思える。
それは嘘ではない。ルウの狡さも、ラムの涙も確かに、そこに在る。
しかし館は、”人間”など求めていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
非常に複雑で、多彩で、しかし普遍的な幸福を求めて繋がりうる、異質で等しい数多の鏡像を肯定などしていない。
”お披露目”を設計したエドワード、彼を捉える館のシステムからは、否定と抑圧と支配の香りしかしない。
この冒険がゴールに辿り着いた時…『ああ、みんな頑張ったな、良かったな』と視聴者が息をついた瞬間にこそ、館全体を覆うルールが牙を向いて、犠牲が選ばれるのではないかと、僕は危惧しているが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
なぜならイニシエーションは、それを突破し成員となる子供に、社会のあり方を教えるためにあるからだ
他人を思い、違いを大事にしても、この館はそれを是認しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
これを思い知らせるのに一番強烈なのは、共に窮地を乗り越えた(からこそ、エドワードと二人の仲間は未だ、縁を繋いでいるのだろうし)仲間を害することだと思う。
あるいは、強い絆で繋がれた半身を砕くか。
エドワードの変貌がどういうカラクリかはまだ説明されていないが、もし彼が己の生き人形を食った/己の影を取り込んだ結果として、半人半影の存在になっているのだとしたら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
そしてそれが、子供たちの世界から”お祖父様と共に在る棟”に進むための、犠牲のイニシエーションだとしたら。
人格の邪悪な連中しか、仕組まれた”お披露目”を娯楽に消費する側にいないのは納得である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
苦楽を共にし、思いを繋げた生き人形(あるいはシャドー)を食い潰し、乗っ取れない”人間”は、この館で大人になる資格がないからこそ、館システムの上層に位置している連中は、”そういう”奴らなのではないか。
そういう疑念がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
とすれば、五組の子供たちは皆、大人になる資格がない。
この”お披露目”でそれぞれ発露に違いはあれど、皆誰かを求め、誰かを支えられる魂の持ち主だと描かれてしまった。
それは、己のシャドーだけに限定されない。
館が『かまうな』と制する他人に、誰もが知らず手を伸ばす。
時に閉ざされ歪みもするが、それを切り開く輝きも、エミリコを中心に描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
その、館の外側にいる僕らからすればとても好ましいものが、館の内側では排除すべき夾雑物になっている。
館(に延長する”お祖父様”の人格)は、独善と孤独を残酷に、求め続けているように見える。
しかしシャドーハウスは自分たちの仲間になりうるか、子供たちを試している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
異質性の徹底した排除と、同質性の限りない延長。
違うことは怖くて醜いので跳ね除けたいが、一人は寂しいので自分の似姿を無限に増やしたい。
そういう願望が、館のあり方、”お披露目”の描写からは見える気がする。
エミリコのような今生の天使が生きていくには、あまりに邪悪で薄暗い場所であるが、しかしだからこそ、彼女はこの物語の主役なのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
己を監視し、同化する館のシステムに既に勘付き、慎重に評価をコントロールしているケイトは、そんな彼女に冷静な理性と、戦う意味を与える…のか?
エドワードが自惚れ囚われている”掌”の存在を、ケイトは既に理解しているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
何故彼女は、全てを煤で塗りつぶすこの館で一人、正気なのか。人が人である理由を、しっかりと掴み手放さないでいられるのか。
ここにも秘密がありそうだが…。
つーか、アニメの範囲だと当然全部書けねぇだろコレ
再開を果たすペアも出る中で、”お披露目”も佳境。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
はたして子供たちは、ゴールにたどり着けるのか。
そしてゴールに思える場所から這い出してくる、残酷な真実がどんな形をしているのか。
慄きつつも、次週を待つ。大変楽しみです。
追記 色んなキャラやペアが出る群像劇にすることで、エミリコの眩い光で作品全体を照らしつつ、そこで描ききれない影の魅惑をしっかり切り取ってるのは、大変巧妙な話運びだ。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月31日
従属的に見えたルウがその実、主の依存をしっかり把握し、コントロールする側でありなおかつ、ただの打算ではない情愛でルイーズと繋がってると判ったのは、大変良かったです。これもまた、愛の形…。
『ソウマトウ先生はSM(つうかドミナンス)描くのがが巧いっすね!』と思った。