SSSS.DYNAZENONを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
怪獣がいた季節が終わって、僕らは日常に帰る。
寄る辺なく、一人彷徨っていた場所は砕かれて傷付き、しかしまだ形を保ったままだ。
手に入れた不自由は愛おしくて、奪われた縁はずっとうずき続ける。
さようなら、怪獣使い。
多分…そういう話だったんだと僕は思う。ダイナゼノン最終回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
いい最終回であり、いいアニメだった。
解らん解らんのたくっていたことの幾つかには(自分なり)答えが出て、幾つかには(自分なり)相変わらず判らない。
それでよかろう、と思える最終回になったのは、とても良かったと思う。
考えないようにしていたから見えなかった部分だとは思うのだが、ダイナゼノンへの解らなさは凄くシンプルに僕が”老いた”からで、それが全部でないにしてもまぁ、基質の劣化(あるいは変化)が導いた混迷であったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
ジジイが自分向けじゃない食い物にかじりついて、胃腸壊してゲーゲー言ってる。
そんな無様な視聴であったが、しかしこのお話と取っ組み合いをして、上獲ったつもりになったり腹見せたりしてきた三ヶ月は、自分的にはいい体験だった。面白いアニメだったし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
夢芽と蓬が永遠であることを望む、深い傷跡。
それほどには、このアニメは僕には突き刺さらない。
かさぶたが出来上がって、忘却が分厚くこの作品にも乗っかっていくのだろうけど、多分ふとした時に思い出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
ああ、解らなかったけど、面白いアニメがあったな、と。
それは僕のアニメ視聴棚には結構レアな陳列で、(大概、解んないと心の棚に置かない)それは嬉しいものである。
カチッと誂えたように心にハマる作品もいいが、ズレた違和感(多分、この作品が描きたかった沢山のものの一つ)をずっと抱えながら、距離を測りつつ隣りにあり続けるお話も、またいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
そんな自己満足で、最終話感想を始めることが出来るのはありがたい。
というわけで、最終決戦である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
シズムくんが一体化した怪獣は、片足を人間の世界に置きかけた怪獣使いを食んで取り込む。
終わらない非日常の夢、超越の夢。
蓬達が燃える世界を司会に入れるのに対し、怪獣使いは怪獣に目を奪われ、食われる。
(画像は"SSSS.DYNAZENON"第12話より引用) pic.twitter.com/NHQsRaeSxG
彼らもようやく”合体”して、生きて死んで終わる当たり前の世界に適応しきれないまま最後の決戦に挑む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
五千年前に終わりそこねた彼らは、ガウマさんのようには(大)人の世界に馴染めなかった。
壊し、殺し、奪うこと。野放図な獣性に憧れ、身を委ねること。
そこにしか、結局居場所がないこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
怪獣優性思想は、彼らが憧れた世界を壊す、自由で優しくない怪獣そのものになって、不協和の決着をつけに行く。
それは、人として生まれ人として迷い、人に出会って居場所を見つけられた子供たちの、あり得た可能性なのだろう。
鏡合わせの殴り合いに、譲れない生き様のぶつけ合いに戦いを持っていくために、子供たちは瓦礫の街を走り、自分の助けとなるものを掴み取っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
出会いは偶然であっても、もはや人生を走るかけがえのない伴となったモノたち。
(画像は"SSSS.DYNAZENON"第12話より引用) pic.twitter.com/9Ubn1q6ruK
別に彼らでなくても良かったが、しかし結果として彼らになった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
そういう偶有性からこの物語は始まっているし、あやふやで形のない己と世界の輪郭を、そんな偶然を意思で固めて掴み取るまでの物語であった気がする。
やっぱ、リアリティにまつわる物語だったんじゃないかと、僕は思う。
夢芽ちゃんがアンクを一回外し、また自分の指で繋ぎ直していることが、彼女がそこに込められた姉との思い出、死とその超越を杖にして、瓦礫から立ち上がるシーケンスに意味を持たしていると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
それは唐突に奪われ(あるいは喪失を与えられ)、理不尽に惑わされ、必死に答えを探したもの。
当たり前の景色の中で、かつてそれと触れ合ったものは皆折り合いをつけて忘れ、自分だけが決着できずに迷っていたもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
一緒に死の河に沈み、答えを潜って探してくれる誰かを求めて、ビニール傘の向こうから視線を贈り続けたもの。
怪獣という非日常によって、ようやく自分なりの繋がり方が見えたもの
それだけが夢芽ちゃんを立ち上がらせるわけではなく、蓬くんが差し出した掌を取ることで…蓬くんにとっては、それを受け取ってもらうことで、二人は決戦に挑むことが出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
自分たちの戦いの外側に、炎と瓦礫が広がっていることを確認しながら。
激戦の中で、怪獣使いと怪獣使いのなり損ないは、熱血ロボットアニメみたいなテンションで思いを吐き出し、殴り合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
人間の形をしていた間は、どうしても吹き出さず共有されなかった、行き場のない思い。
(画像は"SSSS.DYNAZENON"第12話より引用) pic.twitter.com/0h842YJ8Cr
『それくらい、街巻き込んでボーボー燃やす前にケリつけておけよ…』と思わなくもないが、この話は怪獣というギプスがないと、当たり前の人間が決着させるものに形が与えられない、人格機能不全者のお話…だと僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
こういう場所でしか、真実語り合うことすら出来ない不具者の集い。
上手く収まりきらず、それでも大事なものがある自分たち唯一の舞台と、ありきたりの日常を見つけ直したから、子供たちは怪獣使い≒怪獣を拒絶する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
その逸脱と破壊に親和性があったから、蓬は最後に一回怪獣使いとなり、勝負の趨勢を決定的に決める。
シズムくんがなーんも言わない(そして、最後に判り合えないことが判る)のが良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
終わることも収まる事もできない異物として、5000年前に社会に排斥された子供たちは、時を超え死の運命を踏み倒して、怪獣の国を作ろうとした。
そこには人間がいて、邪魔をするし触れ合っても来る。
結局空振りに終わったシズムくんの転校は、怪獣を生み出す情念の採取であり、彼なり人を解ろうとした努力だったのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
そこで見つけた、一番彼らに近い人間。
異質な他者をそれでも分ろうとする、恋の引力に思い悩む思春期の戦士たちと、彼なりに繋がろうとした。
それが街への大破壊になるしかない所含めて、やっぱり怪獣使いのなりそこないとしての人間と、人間になりきれない怪獣使いとの断絶のお話なんだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
それは明瞭ではなく、不鮮明な日常の手触りの中で、接近できそうな気配を宿しつつも、決定的に分断されていく。
その宿命を既に越えて、人に寄り添っていた怪獣使いがガウマさんであり、彼との触れ合いで子供たちは人間≒大人≒怪獣と一体化しなくても生きていけるものとしての自分の、輪郭を描いてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
死んでいく怪獣使い達が、間違えた敗残者なのか。社会の形を維持することだけが、人の答えなのか。
それはこの最終決戦の後、怪獣使いとの日々を傷に変えて身体に刻んだ子供たちが、当たり前に生きていく中で探り、実証していく問だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
どちらにしても、蓬が最後の怪獣を掌握し、口から放たれる”死”をコントロールすることで、勝負の趨勢は決まる。
ここでも結局、蓬は全てを選べはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
人間と怪獣、どっちを生き残らせるかの選択で”人間”を選び、殺して街を守る。
結局何も言わないまま死んでいくシズムくんと、通じ合えないまま決着を付けることを選ぶ。
(画像は"SSSS.DYNAZENON"第12話より引用) pic.twitter.com/wyOwYXIPpF
時も因果も書き換える野放図な自由よりも、血塗られた決断の先にある日常を、少年は選んだ。そこにしか、彼の大事なものはないからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
募金箱にもらったお金を投げ捨てるような、あやふやで…だからこそ体温のある反抗をするしかなかった蓬は、非日常の戦いを通じて彼なりのリアリズムを選ぶ。
コックピット越しに、瓦礫の街は見えない。それが彼に、今見える世界だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
見えるのは目の前で今死んでいくガウマさんであり、そこにはかつて夢芽ちゃんが奪われ、彼女の在り方を決定した姉の”死”と同じ重さがある。
ガウマさんの”死”を通過することで、蓬が夢芽ちゃんに追いつく最後のピースがハマる。
ガウマさんがこがれた”姫”が、結局再生せず言葉も届けない所が、残酷でいいなと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
怪獣使いとして常理を超越した彼と、人間として当たり前に死んだ想い人はもう合うことはない。
でもそこにこそ、彼の満足があった。
会えなくても、別の人と出会っても、恋が掌をすり抜けても、人は笑って死ねる
夢芽ちゃんと蓬くんのロマンスを、ぶっとく作品の手中に据えたこの物語で、恋愛未満のまま殺し合う暦とムジナとか、当然の如く死の川を越えられない(ことで、姫が”死”を超えて託したものの意味を知る)ガウマさんとか、思いが全然成就しない連中が結構いるのが、僕は良いなと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
夢芽ちゃんと蓬くんのロマンスは、物語全体を駆動させる巨大なエンジンであるけども、あくまで彼ら個別の答えであって、世界全体を支配はしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
恋は万能の処方箋ではなく、結局殺し合ったり、実在の欠片すら匂わせず終わっていったりする。
それで良いのだと確かに思えるなら、それが答えなのだろう
姫との恋があったから、ダイナゼノンが5000年の時を超えて託され、怪獣優性思想が人間の世界を壊すこともなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
そういう物分り良い公の意義だけでなく、死にゆくガウマさんの個人的な納得が、当たり前に出会えない恋の決着にあるのは、僕は良いことだと思った。
ダイナゼノンは全てが集まったカイゼルグリッドナイトではなく、個別に分裂し、チームとして再び繋がる形を選び直して、闘争に勝利する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
川辺を越えて、別天地へと旅立っていく終わり方を思えば、そのバトルスタイルはキャラとドラマを、強く反射したものだったと思う。
一つに繋がっていた星は別れて、バラバラに落ちていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
あくまでコックピットには座らないちせは、高く高くその輝きを見つめる。
そうして何処か遠く、誰かに思いを託しながら曖昧な自分の居場所を探していた、もう一人の怪獣使いの物語もまた、決着していく。
ちせがゴルドバーンを生むことで、怪獣と怪獣使いの”善い”関係性が示せたのは、なかなか良い運びであった気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
ゴルドバーンは盾となり、翼となって戦いを助ける。
そう言う事をしたかったちせは、ゴルドバーンに思いが結実することで、実は結構善良で強い自分を知っていく。
それは怪獣優性思想という、結局異質なエイリアンになるしかなかった存在だけが怪獣使いではなく、『怪獣と別れて人間として生きていくことすら、怪獣使いには可能なのだ』という前向きな希望を示す意味でも、大事なことだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
つーか、俺はちせちゃん好きなの。可愛いし。
怪獣が死に絶えて三ヶ月後、子供たちの日常が戻ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
橋の上、死と非日常に相変わらず足を止めて惹かれる恋人を、追い抜き待ち共に歩く蓬くんの姿を、長尺で捉えるシーンが大変良い。
ここには、彼らが歩いた道、これから進む道の全部がある。
(画像は"SSSS.DYNAZENON"第12話より引用) pic.twitter.com/AJ9OGjAzrI
形にならない抑圧が怪獣を生むなら、答えの出ない”死”に捕らわれて他人を翻弄していた夢芽ちゃんもまた、怪獣であり怪獣使いだったのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
街を壊す巨獣はもう形にならないが、だからといってその曖昧で、凶暴な引力が消え失せるわけでもない。
夢芽ちゃんはずっと、姉を飲み込んだ河を見続ける。
しかし、もうそこに飛び込みはしない。そうさせないように、一緒に傘をさして歩いてくれる少年が隣り合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
ともすれば、他の人が当たり前に忘れ去って馴染んでいく世界から、弾き飛ばされて死んでいってしまうような、当たり前の不具なる敗残者候補。
怪獣のいる季節を過ぎて、彼らが彼らなり歩き方を見つけるまでのお話だったのかなと、僕はダイナゼノンを判ろうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
…判りゃしない。
そうなるようにこの話作られてるし、”判る”という営為それ自体が、ネトネトへばりつく不自由を抱えている。
これを蓬くんのように、愛しく抱きとめれるか。
そこまでは断言できないし、僕は見取り図の鮮明なアニメのほうがやっぱり好きだ。見てて楽だし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
でも、凄くありふれた曖昧さに包まれ、当たり前に形を定めてしまう世界から弾き出され、それでも人の間に自分を置こうとした子供たちの揺らぎを、凄く不親切に描こうと務めたこの話が、僕は好きだ。
その曖昧な逍遥の果てに、主役たちが何を掴み得たかは、ちゃんと描けてるしね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
夢芽ちゃんと蓬くんは、恋と”死”の克服を。
暦はうじうじ終わらねぇ青春に”友達”と名付ける決着を。
ちせはアームカバーの奥の友達の影を、堂々刻む生き方を。
(画像は"SSSS.DYNAZENON"第12話より引用) pic.twitter.com/GkX1SdeZua
それぞれ非日常の闘争報酬として、掴み取って日常に帰ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
世界に平和を取り戻して、怪獣たちは河を超えていく。それは夢芽の姉が、夢芽を置き去りにして去っていった場所だ。
異界、黄泉、ここではない何処か。
ネバーランド。
地に足がついた岸辺に、微かでも意味を見出すなら行けない場所。
しかしそこに触れ合ったことは、現実の岸に居残る子供たちに確かに、生きる術を与えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
ダイナゼノンクルーではないちせには、多分運命の傷は刻まれない。だから彼女は自分で、ゴルドバーンの残影を肌に刻んだんだと思う。
それは制服には、もう閉じ込められない。
ちせの愛しい”先輩”が、ジャージ脱いでスーツ着て、コネ使って社会に居場所を見つけたのとは違う道を、ちせは歩いていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
別れたようでいて、相変わらずちせは暦にまとわりつき、グネグネと不鮮明な関係が続いていくのだろう。
その割り切らなさを、僕は良いな、と思う。
当たり前に薄汚れている日常の中で、日陰に身を預ける夢芽ちゃんを、暦は(再度)探し当てる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
ここで書道部の言葉が遠いBGMとして、しかし確かにそこに存在していることは、”死”を軸にこのお話を食ってきた自分としては、とても大事なことだ。
(画像は"SSSS.DYNAZENON"第12話より引用) pic.twitter.com/EGWgxDCmKJ
このフジヨキ台だけに怪獣が出現していたわけではないし、作品の視界が捉えないとしてもやはり、犠牲は出ていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
それは追悼しなければいけない”死”だったのだ。
狭く特別な非日常を、闘争と恋と青春の主役として駆け抜けた先に、彼だけの特別な少女が待っている蓬くんにも、その声は届く。
その”広さ”が、たしかにこの学園祭にあること、作品の中心軸たる蓬くんに届いていることが解ったのは、自分の中でとても大きなことだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
運命に巻き込まれたヒーローとして、破壊の中心に身を置いたとしても、”死”は遠い。
それは蓬くんが、自分の曖昧な生を定位しえなかったから…かも知れない。
何しろ明瞭な言葉で何かを語らない作品ではあるので、彼の内心や情動に関して確たることは言い切れないし、自分が見たいものを彼に押し付けすぎるのも良くはなかろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
…まぁもう、十分以上に押し付けてる感じはあるけど、そう言う部分あるだろやっぱ、アニメ見るのって。
クラスという狭い社会のややこしさから、逃げて影に飛び込もうとする夢芽ちゃんは、同時に蓬を危うさから救うアンカーでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
甘えるように差し出される手を掴むことで、蓬は己の中にある怪獣使いの資質を、寸前で拒むことが出来る。
(画像は"SSSS.DYNAZENON"第12話より引用) pic.twitter.com/QmJ5otj8fj
複雑な線がお互いを阻む空間で、シズムくんの眼が隠されつつ、かすかに見えるのが良い演出だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
彼は人を解ろうと務め、人の中にある怪獣を…自分と通じる部分を見ようとした。
結局わからないと口を閉ざし、それでも確かに蓬の中にあった可能性を手繰って、彼だけに言葉を届ける。
心の窓は、確かに微かに開いていた。でもお互いを入れ合うには小さすぎて、ビームパなしてのぶっ殺しあいに落ち着いた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
蓬くんが取ったのは、自分とどこか似た怪獣使いの少年ではなく、良く解らないからこそ判りたいと思えた、ミステリアスな少女の手だった。
誰もが曖昧な居心地の悪さを抱えながら、心のなかに怪獣を飼っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
それは不鮮明で、繋がったかと思えば逃げていき、でも確かに特別な時間を生み出してくれるかも知れない、特別な幻影だ。
それと別れつつ、肌に強く刻んで、子供たちは巣立つ。
(画像は"SSSS.DYNAZENON"第12話より引用) pic.twitter.com/IJe6JvxRIJ
理由なき死を追いかけるのを辞めて、当たり前に流れていく日常に居場所を見つけた、普通の大人のように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
あるいは彼らにも、表に見えないだけで深く強く、香乃の死はずっと刻まれているのかも知れない。
それでも、外側からはそれは見えない。”本当”がどんな形か、判りゃしない。
だからこそ、怪獣のいた季節の残滓を擦れあわせながら、二人は共犯者のように微笑みながら日常を駆けていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
苦手なものと向き合い、不自由を愛おしく抱きしめていく、怪獣を必要としない大人になっていく。
でも、確かに刻まれた傷がずっと、その季節を覚えているだろう。
『不明だからこそ価値がある』と、シズムくんが彼の怪獣を語ってくれたことで、色々腑に落ちるものがあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
わからないことが大事だから、わからなく描いた部分は、多分大きくあったんだろうなー、と思う。表現形態と内実のシンクロを狙った、というか。
その理解が的を射ているのかも解んないし、その挑戦が適切で的確であったかも、また断言はできねぇんだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
でもまぁ、やりたいことは判る。判ったつもりである。…判ってねぇなやっぱ。
モノを見て、何かを思い、それを語る。
”感想”の難しさと面白さを、問い直す視聴ともなった。
夢芽ちゃんと蓬くんは、ラブラブ比翼の鳥として人生を飛び続ける中で、『って、なに?』と問い続けるナイーブな感性を、摩耗させずにいられるだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
それが怪獣を生み出し、問いを諦めて日常に安住できる一般性を略奪するとしても、曖昧な自分たちの痛みを抱え続けられるだろうか。
そこにも、この作品は確たる答えを出していないと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
未来はわからない。
急に怪獣が現れて、正義のチームの一員となって、でもダルい日常は壊れず続いて、闘うことが悩みを深め答えを出して、当たり前の日々に帰還していくような物語が、また待っているかも知れない。
あるいは主人公たちの周辺に、確かに描かれた普通の大人(に見える存在)のように、不鮮明を切り捨てて日常に適応していくかも知れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
怪獣使いの季節が残した傷は、消えるかも知れないし残るかも知れない。
それを決めるのは、二人がこれからどう生きていくか、白紙の物語にかかっている。
そこに小さく、でも確かな手応えのある希望を残して、子供たちを当たり前の青春に帰還せしめたのは、やっぱ良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
色々判らんところはあるけど、恋と死の河に潜って子供が自分を見つけるという芯は、確かにあった物語だと僕は思うんだよな。
それは、僕好みの物語だ。
界渡りの戦士として、怪獣たちの領域に戻ってきたアンチくんと二代目ちゃん…その前に色と光を取り戻したダイナゼノンを描いて、この物語は終わりである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
これがガウマ生存に希望をつなぐファンサービスなのか、追加コンテンツへの色目なのか。
(画像は"SSSS.DYNAZENON"第12話より引用) pic.twitter.com/q6ZufObVIH
それも解かんねぇっす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
でもまぁ、いい最終回であったしいいアニメだったと思います。
”群像劇”と言い切るには、重点バランスがかなり歪ではあるのだが、ダイナゼノンでしか書けないものに挑み、ちゃんと掴まえてた作品だと感じました。
こういう気持ちで見終えられて、ありがたいことだな。
あ、最終話で堰を切ったように画面がエヴァエヴァしだしたのは『我慢しきれんかったかー!』感あって面白かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
マージで凄い勢いでラッシュ仕掛けてくるので、受身の準備とれてなかったからビックリしちゃったよ…。
オマージュ警報、ちゃんと発令しといてよね。
さて、というわけでダイナゼノンが終わりました。良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
最初は自分なり小賢しく、手持ちの道具で読もうとしてたわけだが、それじゃ手がかりすら掴めないと認めてハラ見せてから、見るのも書くのも楽になった。
こういう経験はレアなので、まずそこが楽しかったです。
画面の中に描かれているものは相当に曖昧で胡乱で、だからこそ視聴者が読み解くべきコクがあって、僕の好みの調子でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
ゴロンと素材を手渡して、『あとは貴方の腕次第』って書き方の是非は…俺は是。自分の味付けでアニメ煮込むの許してくれるの、とても好きだから。
ただ作者が意図しただろうポイントに自分の読みが接近できたかどうかとか、それを適切に受け取れたかどうかは、終わっても全く自身がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月18日
これは自身の素養のなさとか、作品との相性とか、シンプルな老化とか、色んな要素が噛み合っての結果であり、作品が選んだ筆致の必然だとも思う。
当たり前の日常の中で、大概の人が切り捨てて生きていける微細な違和感…怪獣を呼ぶものをどうしても、切り捨てられない子供たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
彼らのしっくりこない解らなさと、それをぶん回して何もかもぶっ壊せない曖昧さを焼き付んとしたから、この話は根源的に解りにくいのではないかと、最後まで見て思う。
ならば”判らない”のは、むしろ作品の狙いに綺麗にハマった結果であって、あんま嘆くことでもないのかも知れない。楽しいわかんなさだからこそ、最後まで見たわけだし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
でもこれは、作品にシンクロしきれなかった雑魚が連ねてる言い訳でしかないよな、とも思う。強い読者は、どう受け取ったのだろう?
新条アカネの個人的な鬱屈と救済の物語であると、作品の最終盤で判明する前作のミステリテイストに比べ、この作品はより多くの視座、より当たり前の曖昧と当惑を強く孕んで、(僕の目からは)不鮮明に進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
『それこそが、僕らを包むリアリティである』と言うかのように。
そんなリアリティを持たない人たちも、主役の外側で丁寧に描写され続けて、数でいえば当然、そちらが多数派である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
現実に違和を感じることなく、怪獣なんて求めない人が多いからこそ、社会はぶっ壊れずに駆動し続け、死んでしまった人のことを忘れて転がり続けるのだ。
しかし忘れないこと、曖昧でい続けること、形にならないものを追い続けることにも意味はあるはずで、ガウマさんと仲間たちのヘンテコで、唐突で、曖昧な日常は、それが意味ある形に孵えるまで見守ってくれる生温さがあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
そのクニャっとした手触りが、独自の形で描かれていたのは良かったと思う。
僕はフィクショナルな非日常を、鮮烈な特効薬にも鬱屈の出口にもしたくはないから、アクション
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
シーンだけ明瞭に筆致が変わることをどう腹に収めればいいかは、相変わらず解んない。
やっぱなー…アクション分解酵素が体内にほぼ無いの、アニメブロガーとしては欠陥だな。しゃーないが。
怪獣使いが去っていく最終話で、ここまで描いた物語が日常に残る子供たちにとって何だったかは、まぁまぁ掴めた気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
その手触りがあるなら、僕はこの作品を楽しめるし、好きでいられる。自分なりの芯がおっ立てば、まぁまぁなんとかなるのだ。
それは、確かに在ったと思う。
一つ明瞭に好きなポイントがあって、あんま文脈引用に頼る所が少なく、ダイナゼノンっぽい筆致を頑張って掴んでいたことが言い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
世界の性質上コピーであること、フェイクであることを主題に据えざるを得ず、そこから逆算のリアリティを打ち立てていた前作は、ギラギラと引用のタピストリを編んでいた
しかし誰かの夢の中ではありえないこの作品、たとえ社会で当然視されるリアリティが、怪獣をギプスにしないと真っすぐ歩けない子供たちにとって遠いとしても、現実は確かな手触りで共有され、駆動してしまっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
そのザラついて遠い実感を、自分たちなり捕まえようとしたこと。
その努力がぼやけた曖昧さの中、原色で滲んだように見えたことが、僕にとっては作品を手元に掴んでおく手がかりだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
まー”君を退屈から救いに来た構図”を筆頭に、やるところでは一切我慢できずにパなしてんだが…しょうがないじゃん、作ってるのが日本一のオタクたちなんだから。
夢芽ちゃんと蓬くんのロマンスフラフラ青春紀行は、甘酸っぱく繊細に、作品の真ん中をしっかり支えながら描かれていました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
特に夢芽ちゃんの微細な震えが切り取られ続けたことが、作品独自の匂いと手触りをダイナゼノンに宿す、大事な足場だったと思う。
そこに注力した分、いまいちアンバランスになった”群像”もあるけど、さっぱり分からないほど描けないわけではなく、特に最終話で大事な補強を行い、皆それぞれの物語を駆け切ったと感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
ちせとゴルドバーンの物語は、特に好きだなー。幼い分、怪獣依存とそこからの離乳が一番鮮明だった。
怪獣は定義不能で、だからこそ時も因果も飛び越えて、何もかもを繋ぎうる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
シズムくん最後のメッセージを逆算すれば、怪獣なしのありふれた日常では、死も思いも断絶も飛び越えられないまま、あやふやな日常に閉じ込められ出られないモノたちが確かにいる、ということになる。
多分そういう子たちの物語で、なんとなくで出会ってなんとなくで生まれていく絆の中、それでも確かに曖昧さの沼から出る手がかりを掴み取って、怪獣のいない季節に漕ぎ出していけるまでの話だったのかなー、と自分では見ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
多分、見た人それぞれに様々な答えがあるのだろう。
それは意図されたものである…あるいは、あって欲しいという気持ちは揺らぎつつ僕の中にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
怪獣無しで生きていける多数派達が、当然のように抱えている不自由。
それが輪郭を手に入れられないからこそ、怪獣使いたちは不定形の活力が答えを出してくれる瞬間を、何処かで求める。
それに飛び込んで逸脱していくか、それを足場にして自分なり、現実との向き合い方を手に入れるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
あるいは非日常の中、確かに繋がった感覚を頼りにして、一人では進んでいけない場所に向かって歩き出すか。
答えは色々ある。
似通ったモノたちが、同じ結末にたどり着くとも限らない。
怪獣使いを解ろうとして、しかし適切に対話できる場すら用意できずに、ある意味なんとなく生きるか死ぬかの決着に雪崩込んでいく最終回は、大変にこの話”らしい”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
普通のお話なら、当たり前に用意されるだろう劇的なコミュニケーションの祭壇が、怪獣使いとそのなり損ないにはとても遠いのだ。
それは後悔を食う怪獣という、デウス・エクス・マキナの力を借りて因果を越えないと突破できない、透明な壁かもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
あるいはあの事件がなくても、子供たちは日常を必死にのたくり、自分たちなりの結論にたどり着いていたかもしれない。
可能性はたくさんあって、選べるのは一つだ。
似た者同士なんだから怪獣優性思想とちゃんと判りあって、ぶっ殺し合う以外の結末にもたどり着けたかも知れないけど、大事なものを見つけてしまった蓬くんに、そんな曖昧さを待つ余裕はもうない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
殺して、守る。一度は押し流されたその決断を、今度は確かに掴み、選び取って闘いは終わる。
そのままならなさもまた、今作が切り取ろうとしたリアリティの痛み、子供たちに残る甘い傷の疼きなのかなと、思ったりもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
自分的には最終回を飲み込んで、判らんなりにそれなりに納得は出来てんだが、そこに妥当性があるかどうかはさーっぱり不明である。
感想ってまぁ、そんなもんだ。
というわけで、振り回し振り回され、正直疲れる視聴となりましたが、しかし見終えて後悔なくありがたさがあります。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月19日
面白かったです。いい視聴者だったかは棚上して、それは大声で言うぜ。
この作品宇宙が次にどんな物語を問うか楽しみにしつつ、今はお疲れ様とありがとうを。
いいアニメでした!