NOMAD メガロボクス2を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
決戦を前に、戦士たちの心は晴れやかに落ち着いていた。
全てを燃やし尽くし、新たに進み出す。
そんな決意が火花を散らし、観衆は熱狂に包まれる。
傷を受けてなお立ち上がり、荒野を進む野良犬のように。
ジョーは幾重にも別れた道を、今日も進んでいく。
そんな感じの拳闘神話決着ッ! NOMAD最終回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
大変良かった。
過去を取り戻し、死を超え、今を生きる。
リングの上で真っ白に燃え尽きるジョー・イズムの先、勝利と不屈と栄光が生み出す呪いの果て。
そういうものに、皆が挑んだ物語は見事に終わった。
戦うこと、負けること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
その意味を多角的に掘り下げてきた物語を反映して、最終回のリングは多層的に展開する。
ジョーとマックが殴り合う場所、それをリングサイドで見守る者たち、そして佐久間とゆき子が挑む倫理の戦場。
それぞれの場所で、それぞれの決着が付く。
歩みを止め、新たに進み出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
そのためには誰かに支えられ、自分を燃やしきらなければいけない。
自分が何者であるか、その魂に誠実に選び取った決着の後には、たとえグローブを置きリングを去っても、豊かな道が続く。
そうして一歩ずつ進んでいくなら、死せる魂もハチドリに乗って、舞い戻るだろう
そういう物語であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
この穏やかな決着にたどり着くまでに、さんざん傷つき殴り合い、すれ違い許し合えなかった人達が、だからこそ掴んだ豊かな前途。
それを馥郁と吸い込んで、大変良い気持ちである。いいアニメであり、いい二期であった。
ジョーとマックの闘いは、孤高な戦士たちの聖域では行われない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
多くの人が見守り、夢を託す。これから死闘に挑む自分にも、確かな信頼と期待を寄せて、心は落ち着いている。
そんな姿を、カーサの面々もしっかり見守っている。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第13話より引用) pic.twitter.com/xgKUmrXV0C
主任さんがガラス越しの高い場所を降りて、マックのリングサイド、汗が飛び散る生の現場に身を寄せたのに対し、佐久間は相変わらず遠くからマックの生き様を、ポップコーンのように消費している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
食物を蹴り飛ばすその仕草に、どうしても生き様に誠実になれない業が透ける。
VIPルームはもう一つのリングであり、ゆき子は視線が直行しない位置に身を置いて、佐久間との戦いを始める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
それは理想に突き進めなかった自分の過去との闘いであり、挑めるのはリングで戦うボクサーと同じく、頼れるセコンドがいればこそだ。
ここで、彼女も己の人生を決着させる。
だがそれは、終わりであって終わりではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
終わらせればこそ始められる場所へ、決意を持って踏み込む。
鋼と肉の軋る音が鳴り響き、過去と現在と未来に焼き付いた戦士の全てを、厳しく試す。
そこには、たった一人で進まなければいけない。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第13話より引用) pic.twitter.com/DycPljXIu8
しかし、孤独ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
マックもジョーも、誰かから託され、迷って出会い直したものを身にまとって闘っている。
激しいバウトを彩るように、ギアが擦れ合う金属音が打撃音に混ざるのが、”メガロボクス”を感じさせてくれてとても良い。
それは戦士だけが掴みうる、祝福の音色だ。
”威厳”、そして”飾らない美”を花言葉に持つ山百合は、マリアに捧げられる女性的な花だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
主任さんが佐久間に命じられ、自分が掴んだ過ちを告白する時…後にゆき子が社長室を去る時も、この花が二人を見守っている。
死者の日に散る白い花といい、花に満ちた話よな。
かつて樹生と講堂で交わした信念の拳に揺らされて、彼女はここにたどり着き、過去を精算して高いところから降りる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
マックの脳髄に埋め込まれた悪魔を乗り越えられる助けをするべく、セコンドに座る。
それが、彼女を未来に進めていく。
対して佐久間は、あくまで軽薄なファイティングポーズ。
向き合い打ち合う様子だけを見せて、現実と真実を認識せず、自分の都合の良い夢に踊る。そのステップは、他人と自分の魂を踏み続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
そんな相手を、とっ捕まえて殴り倒す。自分の人生も激しく揺れるが、誰かがやらなければいけない。
共犯者たる自分だけが、それを為しうる。
足下にて、一切揺るぎない最高の作画で展開するボクシングと並んで、社長達の、科学者達の闘いを描いたのは、やはり好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
色んな人にそれぞれの戦場があって、そこにどう向き合うかを選ぶことは出来る。
だがそれはとても重たく、痛みと迷いに満ちた旅路だ。
それでも、皆闘い方を選んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
打ち倒され、赤子のように地面に這いつくばりながら、大切な誰かが呼ぶ声を支えに立ち上がる。
そういう人がいる場所に、自分も立つ。故郷に戻る。
殴り、殴られながら、鏡合わせのように。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第13話より引用) pic.twitter.com/sr1WDTLYun
男たちは激痛の中で、それぞれのカーサを見つけて立ち上がり直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
偽りと過ちに覆われた過去に、否応なく殴られ打ちのめされ、それでも拳を握って突き返したから、今隣りにあるもの。もう一度掴めたもの。
そういうものが、激闘の中で戦士を支える。
やっぱ二人が立ち上がる理由が、無条件に彼らの側にあるのではなく、フラフラと迷い幾度も離れ、時に厳しく殴りつけたのを見ていれるからこそ、ここは染みる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
そういう風に、間違えてしまうことは沢山ある。
試練を前に、足を踏ん張れず折れてしまうことも、当然あるのだ。
ふらつく視界の中で、真実大切なものを見つけ立ち上がること。死や不和や嘘に殴りつけられ、倒れた先でまだ、立ち上がれること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
がむしゃらな勝利の先にある荒廃と迷妄を、わざわざ描いたのはやはり、そういうタフな魂の勝負に、説得力を込めたかったからだと思う。
不敗のチャンプから、荒んだドサ回りへ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
”ジョー”をわざわざ転落させて、這い上がりたどり着いた場所で、彼は一人であり独りじゃない。
お互いよりかかるしか無い脆い信頼、張り詰めていればこそ脆い理想、栄光を知ればこそ立ち止まれない危うさ。
それを超えて、今終わるために殴り合う。
そこは(多分人生のあらゆる局面と同じく)通過点であり、だからこそ全霊を賭して本気で殴り合わなければ、駆け抜けることが出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
ゴールではなくスタートとして、この最後のリングを描けるのは、このアニメが描いてきたものの証明だと、僕は思う。
強敵から立ち上る芳香に酔いながら、ジョーはリングに魅入られる性を加速させていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
荒野に独り立ち上がる獣のように、危うく魅力的な場所へと頭を突っ込んでいく。
その輝きが、人々を魅了する。魂の火花が、人々の灯火となる。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第13話より引用) pic.twitter.com/mAJ43VETDe
サチオもかつてそうであったように、彼のチャンピオンの勇姿に見惚れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
闘争に陶酔し、あえて殴られる喜びに溺れる姿が、あまりに眩しい。
それが生み出す危うさも美しさも、知っているからこそ一度タオルに手をかけて、それを外して見つめてしまう。
後ろを見ずに、真っ白に燃え尽きる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
翔び続けるしか無いハチドリの美しさは、戦士事態を壊してしまう。
贋作は、それに抗えなかった。
ジョーがリュウとのエキシビジョンに希望を繋ぎ、死を殴り倒さんと無謀な闘争に突き進む道に、手のひらを重ねてしまった。
サチオも同じ道に進みかけて、花宿る大きな手に導かれ、もう一度タオルを握る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
今そこにいるのは、永遠のチャンピオンなんかじゃない。
傷つき、逃げ出し、間違え、死にもする生身の人間。
自分にとって、あまりにも大きな存在であると、殴られ抱きしめられて思い知った存在だ。
野良犬の性に手綱を付けて、止めてやるのは自分しかいない。ジョーとともに生きていく道を、贋作の代わりに…あるいは一緒に進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
その決意を込めて、タオルが宙を舞う。
”あした”のためにこそ、敗北を選ぶ勇気。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第13話より引用) pic.twitter.com/72MIH731KH
ノマドと名を変えて、番外地の子供たちを捨てて旅立った時、ジョーになかったもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
それを差し出されて、ジョーは微笑む。ボコボコに顔を腫らした姿が、力強く眩しい。
リュウに負けた時は、『まだ終わってねぇ!』と縋り付いたエキシビジョンが、視線だけで拳闘を称え合える決着を掴み取った。
負けてなお、番外地の子供たちがホッとした表情をしているのが良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
勝ち負けよりも大事なものを、彼らはもう知っているのだ。
でもそれは、拳に宿るものを突き詰め、生き様を追い切った先にしか待っていない。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第13話より引用) pic.twitter.com/lBLqbgG114
カーサで見守るミオだって、間違え傷つき逃げ出せばこそ、この穏やかな顔をしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
託したハチドリの鎧でジョーが闘い切り、生きて戻ってきたことを、微笑んで見送れる。
負けに見えるものが勝利に繋がり、終わりに思えるものが始まりとなる。
勝者の栄光を称える門を、背筋を伸ばして敗者がくぐる
そういう旅路を、ジョーはようやく終えた。終わらせるために、このリングに挑んだのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
あの栄光の最終回から、この二度目の終わりを語り直した意味が、激戦に分厚く滲んで眩しい。
やっぱ”メガロボクス2”をこうして終わらすの、ホントに凄いよなぁ…覚悟と意味のあるセカンド・シーズンだった。
足下で行われるボクサーたちの激闘と並走して、科学の夢、企業の倫理を問う闘いも決着を迎える。ゆき子は高い場所に、佐久間は低い場所に立つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
傷を覚悟で正対した時点で…信頼と真実を集めてこのリングに上げた時点で、大勢は決していたのだろう。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第13話より引用) pic.twitter.com/WAOlVgXZVM
ゆき子の指摘するとおり、認知の歪みは佐久間にこそある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
目の前に在るものを泥臭く認め、そこに踏み込んでいく愚かさの欠如が、彼を遠いガラスに閉じ込める。
反撃を受けず殴り続けられる社会的、精神的特権は、彼に痛みを教えない。だからこそ、誰かを踏みつけに踊り続けられる。
ゆき子が辞任を前提に倫理を問うたのは、そんな佐久間と痛みを共有する行いであり、ジョーがマックと闘らなきゃいけない必然と、何処か通じる行為だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
真正面から殴り合ってくれる相手、KOしKOされる対等な敵が現れて初めて、佐久間は終われるのだ。
それが新たな始まりとなりうるかは、不透明なガラスの向こう側だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
逮捕される時も、彼は手触りのある実感ではなく、ロスコの虚栄に反射した自画像を画面に写している。
主任さんが現実の音を覆う、ヘッドフォンを外してゆき子の演説を聞くのとは好対照だろう。
成功者特有の共感性の欠如、現実を自分色に塗り上げていく能力の高さを、よく描かれたキャラクターだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
こういう人は多くの人を背負い、あるいは踏みにじれる立場にこそ多くて、だからこそ生まれる悲劇も栄光もたくさんあると思う。
負けを知らない、痛みを知らない。
ジョーがズタボロに這いずり回った泥臭い道を、けして歩かないガラス越しの特権階級。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
一度も主人公と触れ合わなかった佐久間の存在こそが、終わって始まるこの物語に、深い陰影を与えていたと僕は思う。
倫理を武器に戦うもう一つのリングも、彼がいればこそ描けたしね。
山百合が見守る中、ヒールを脱いでスニーカーで歩く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
社長室から出たゆき子の歩みは、社会的には敗残と取られてなお、実り多く軽やかだ。
七年前はその重さを抱えきれず手放したガキ共を、職を得た番外地の子らが抱きかかえるの、最高すぎるな…。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第13話より引用) pic.twitter.com/2NmIbykRtX
ここを巣立っても、もうバラバラにはならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
形のないものこそが心を繋いでいると、形のある家を一つ一つ、治したからこそ気付けた。
全てが哀しみに押し流され、砕かれたように思えても、人は立ち上がり帰るべき場所へ戻ることが出来る。
そこに至る道が、たとえ険しくても。
ハチドリの詩が高らかに鳴り響く中、人々はそれぞれの新たなリングへ漕ぎ出していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
やっぱ色んな人が交わる話だったから、最後のモンタージュは染みる。
リュウが今までの自分を信じきり、あの激戦に魂を燃やしてリングに戻りつつあるの、ホント…
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第13話より引用) pic.twitter.com/PWREVmC127
あんだけとんがりボーイだったミオは、魂の安らぎを祈ってハチドリを削り出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
ジョーが”修復”を引き継いだように、この仕草はチーフからミオに継承されたわけだ。
運命の刃に断ち切られてなお、確かに繋がるもの。別れてなお、心を通わせる縁。
それは、様々な人、様々な場所にある。
エンジニアとして新たな旅路に立つ兄弟に、自由に走れるバイクを譲って、ジョーは車で道をゆく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
耳に聞こえる懐かしい声に、思わず周囲を見渡しても、もう亡霊はいない。
南部贋作は死んだのだ。
でも、確かにここにいる。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第13話より引用) pic.twitter.com/zZZwWyXntp
荒野でノマドを責め立てていた悪霊は、無限に分岐する麦畑の道を進む我が子を、優しく見守り続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
死者に言葉はない。
もしもう一度その声が聞こえるとしたら、それは愛おしく共に過ごした日々の残響であり、愛を抱えて前に進む生者の意志が、敗北を超えて立ち上がる決意が、それを生み出すのだろう
ジョーはもう、何処へでも行ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
先も見えず、自分を罰するようにバイクを走らせていたノマドは、屋根のある車に乗って、無限に分岐していく未来へと漕ぎ出していくのだ。
そこに道連れはいない。
しかしその歩みが孤独ではありえないことは、ここまで彼と歩みをともにした者なら、皆判るだろう。
南部贋作の死という、あまりに絶対的でけして勝ち得ないものに、チャンプが打ちのめされてなお終われない荒野から、この物語は始まった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
強いとは、どういうことなのか。
勝つとは、どういうことなのか。
拳で殴りつけてもどうにもならないものに、一度負けたところから始まる物語。
暴走するバイクを盗まれることで、カーサに宿り見つけた安らぎ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
時を巻き戻し、もう一度”ギアレス”が成し遂げた奇跡に向き合うことで…目を背けていた愛とその喪失を我が手に引き受けることで、掴んだ光。
死してなお生き続ける友の意志と、第二の故郷の温もり。
掴み取ったそれは、背を向けて逃げ出した故郷で散々に殴り倒される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
時は巻き戻らない。過ちは取り返せない。
その厳しさをもう一度思い知りながら、ジョーはチーフがそうしていたように、黙々と家を治し、闘うべき所で拳を振るう。
勝利にしがみつくのではなく、信念を寡黙に抱きしめること。
それこそが不屈の真の意味だと、学びなおしたジョーの在り方に一人、また一人と子供たちが寄り添っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
殴り合わなければ越えられない場所、許すとか許さないとかを超えた場所へと、抱擁のクロスカウンターで進んだ先に待つ、最後の決戦。
アイツとよく似た、オレの宿敵。
自分ではどうしても止められない性が、投げ入れられたタオルで止まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
リングでしか死ねなかったはずの男が、無事に戦場を降りて無限の麦畑へと漕ぎ出していく。
負けて負けず、死んで死なず、終わればこそ始まる物語。
それが、語りきられた。
最高のアニメ、最高の続編でした。
一期であれだけ、がむしゃらに戦う意味、勝ち続けたどり着いた場所を描いた上で、それを否定するような物語に飛び込んでいくのは、非常に勇気のいる話運びだと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
しかし終わってみれば、あの燃え盛るような日々があればこそ、生まれた哀しみと喜びを深く…非常に深く彫り込んだ作品でした。
異国たるメキシコの風を、ただのエキゾチズムで終わらせずドラマとキャラクターにしっかり練り込み、ジョーが新たな道に進んでいく支えの一つと生かしたこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
リング以外の闘争に目を向けつつ、拳闘描写は常に鋭く、選手の力量や才覚、ファイトスタイルをしっかり反映していたこと。
カーサ編でしっかりジョーの眼を開かせ、答えを与えた上で街に戻らせる構成。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
手に入れたはずの答えが、なかなか伝わらないもどかしさ、だからこそ実感できる人間のままならなさと、それを超えるからこその感動。
ハチドリのモチーフが、豊かな詩情と意味合いを背負って、作品を軽やかに走り抜けたこと
本当に良い所がたくさんあって、素晴らしいアニメでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
子供ではなくなってしまったからこそ、面倒くさくこじれ逞しく育った番外地の連中。
ボクサーを辞めても、それぞれのリングで闘ってるかつての戦友達。
それに負けぬほど、熱い血潮を燃やしてくれたニューカマー達の顔。
どれも素晴らしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
野放図な闘気だけではもう、先に進めない現実を思い知らされ、罪悪感に迷い苦痛を誤魔化す、ノマドの荒れ果てた顔。
髭を剃り、”ギアレス”ではもはやないただのジョーに戻った時の、静かな成熟と哀しみ。
ジョーもまた、試練の果てに大人になったのだと、よく判るヴィジュアル
愛した人を奪われる哀しみに、それに向かい合えない己の弱さに、たっぷりヤスリを掛けられて鈍く輝く、その魂。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
ジョーの表情、立ち居振る舞いから匂い立つ静かな躍動が、作品に命を与えていたと思います。
ホントなー…黄金期を終えてしまった青年の戸惑いと焦りが、しっかり作画されてた。
高度成長期を終え、先行きが全く見えない世情の中で蘇った”ジョー”を、どう自分の事場で語り直すか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
『立つんだジョー!』を一回しか言わなかった一期から、既に力強く脈打っていたその意識は、真っ白に燃え尽きる結末の先を、生きて生きて生き抜く辛さと喜びで描く二期で、さらに研ぎ澄まされた。
人は間違い、迷い、裏切り、死ぬ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
その弱さを真正面から受け止めた上で、どうすれば超えていけるのか。
死を超えて生き、負けてなお立ち、終わることで始まる真実の強さへ、どう辿り着けるのか。
そういうとても難しい問題を、泥臭く熱いドラマにしっかり宿して、描いてくれるアニメでした。
そうして”ジョー”と、”メガロボクス”と本気で殴り合った末に、生まれる輝き。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年6月30日
それが随所に宿る、大変優れたアニメでした。本当に最高の二期で、最高のアニメ。
ジョー達が進んでいく無限の麦畑が、祝福に満たされていることを祈りつつ。
ありがとうございました、お疲れ様!