白い砂のアクアトープを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
故郷から来た母鬼から、身を隠す逃走劇が始まる。
菓子折り持って礼を尽くし、手を取る思いを聞かぬまま、子供たちは何処かはしゃいだ顔で、何処かへ逃げていく。
何処へ行って、何をするのか。
まだ分からない、青い時代の小さなレジスタンス。
そんな感じの親の心子知らず、子の思い親知らずなアクアトープ第5話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
『親バレからの逃走劇』と聞いて最初想像していたものと、結構違ったのが差し出されて軽く当惑しつつ、しかし大変に面白かった。
絵里ママンを筆頭に、相当にマトモな親たちを鏡にして、子供たちの未成熟が見える回だった。
風花は母の思いも聞かず、自分の願いも告げないまま、身を翻して逃げ出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
くくる達も妙にはしゃいだままその背中を押して、逃亡劇を助けるけども、では逃げ出して何が欲しいのか。
それは皆見えていない。そういう時代に、彼らはいるのだ。
早くに一人アイドルをやっていたから、出来てない”親”を間近にやってあげたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
死んでしまった娘とはもう会えないから、生きてる限り大丈夫。
子供たちの未熟とは真逆に、大人たちの腰はどっしり落ち着いて、人生の酸いも甘いもよく見据えている。
多分、ちゃんと話せば全て通じる相手だ。
しかし風花達はそんな信頼感を大人と…大人に向き合う自分とまだ構築できていなくて、どこか浮ついた高揚感とともに逃げ出し、カエルウオの生死を見守る”仕事”のために帰ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
お母さんにちゃんと向き合うとか、自分を伝えるとか、それは”仕事”の結果として付いてくる。
風花から見えていない母の姿、一緒にお酒は飲めない子どもの世界。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
今回のエピソードはその両方を照らし、明確にモラトリアムとして設定された夏休みという帰還、とりあえず風花ががまがま水族館にい続けることを許してくれる。
そこで働き、迷い、出会う事で、癒やされ見えるものがある。
そう信じたからこそ、お母さんは手ずから育みたいと強く願ってる愛娘が、ひと夏異境に身を置くことを許す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
大事だけどわからない何かを、掴み取るまでの猶予期間。
それは風花だけでなく、館長代理たるくくる、作品全体に敷衍する視座とも思える。
一生懸命でありながらどこかヌケていて、大事なものを見落としながら掴み取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
ひどくアンバランスに揺れながら変化している子供たちが己を固めるまでの、奇跡のような時間。
それをかなり冷静で複層的な目線で見据えてる作品なのかな、と思わされた。
と、いうわけで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
なんだかノリでワルモノとして演出されていたお母さんだが、礼儀はしっかりしている、感情で突っ走らない、相手の顔はよく見て飯も食う…よくよく考えれば立派な大人である。
立ち回りに焦りと強要がない。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第5話より引用) pic.twitter.com/n4Qwegan1I
娘が今身を置いている環境が、どんなものなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
名刺を手に取り梅酒を飲み干す姿勢には、それを自分の目と舌でちゃんと確かめる、相手と向き合う姿勢が見える。
それは娘に対しても多分同じで、絵里さんはなかなか触れ合えなかった風花と、たくさん話したいと思っている。
なにしろ風花はW主人公の一人なので、彼女が持つ一人称の歪み、理由のない衝動が作品に反映される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
天性のふわっと女だからこそ沖縄に流れ着いて、”なんとなく”お母さんが無理解に思えて、ちゃんと向き合わない。話を聞く前に慌て、逃げ出す。
そんな視線を、今回のカメラワークはちょっと外す。
子供たちがもどかしく、自分の願いも世界の形もわからないままもがいている時代は、大人たちには遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
自分の為すべきこと、やるせないルールを見据えた上で、黙々と進む。
そういうスタンスが、風花のいない場所で積み上げられていく。
これは、絵里さんだけの特権ではない。
おじいも厳しい経営状況を見据え、より幸福な終わり方を掴むべく、水族館の閉じ方、人と魚の行き先に視線を向けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
終わりを認められないくくるの幼さを、館長代理として存分に暴れさせつつ、諦観ではなく希望を込めて、現実に静かな粘り腰でもって相対する。
袖すり合うも他生の縁、見ず知らずの風花に親身にしてくれるうどんちゃんのお母さん含め、今回の大人たちはすごく冷静で、生き様が丁寧である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
自分たちの感情を押し付けることはしないし、子供のやりたいことも尊重している。立派なことである。
しかし子供らは、同じ目線には立てないし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
”なんとなく”な風花の反発はあれよあれよと転がって大事になり、家出は退屈な島の大事件として、行き先も定めないまま加速していく。
…手を取るまでが早いんだよなぁ、四話以降の海咲野くくる。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第5話より引用) pic.twitter.com/785Gp3qDAc
浮ついた風花の視線も、生臭い水族館仕事で鍛えられてはいて、カエルウオの不調を見据えはする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
そこには影に隠れてる自分との共感があって、しかし揺れ動く状況の中で、自分が見つけた兆しを伝えることは出来ない。
ちゃんと”仕事”が出来ないことが、後に響いても来る。
がまがま水族館のバックヤード、草むらとサングラスと帽子。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
色んなものに身を隠し、逃げて隠れる風花の時計は、彼女が自覚する通り第1話に巻き戻っている。
何がしたいか、何が大事かもわからないまま、風に踊る花びらのようにフラフラ、ただ流されるだけの思春期。
その潮流に主体的に向き合う覚悟が固まるまでは、彼女は日陰に置かれ続け、自分を隠し続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
アイドルとして、堂々己を曝け出すことに失敗したからこそ始まった物語は、しかしだからこそ、誰か(自分自身含む)の前に毅然と立つ自分を、モラトリアムを通じ見つける事を求める。
母が海咲野家の手料理を腹に収めている裏で、風花がうどんちゃんの手際を見据え、まかないを一緒に食べているのは印象的だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
親子は同じように、目の前に差し出されたものをしっかり見て、その味を自分の舌で確かめる。よく似ているのだ。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第5話より引用) pic.twitter.com/O2OSHaP8ya
チャンプルーうどんを作る手際が良い作画で描かれて、月美ちゃんがこの”家”、この”仕事”で積み上げたものが可視化される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
なんとなく、確かな夢のカタチなんて見えないまま過ごす日々だけど、それは確かに魂の糧を作り、他人に振る舞わせる。
そこに、彼女なりのプライドがある。
同時に浮ついたイベント感も有していて、チャンプルーうどんは問題の根源的な解決ではなく、目の前でとりあえず出来ること、である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
おそらくは、風花とくくるの”仕事”がそうであるように。
子供は”なんとなく、とりあえず”しか出来ない。それは、お話を貫通する一つのルールなのだろう。
風花をここに導いた奇縁をもう一度たぐり、もう一人の”母”の胸に甘えることで、風花の家出は輪郭を得ていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
那覇に転がっていって、家を借りて…座組は優しい大人たちが、知らず整えてくれる。
ここら辺、おじいの好意で成り立ってる水族館仕事と、通じるものがあるよね。
大脱走で盛り上がる雰囲気は、空也のシビアな一言で少し落ち着く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
『なんで水族館なの?』とか、彼は良い問いを投げて、作品が進む先を考えさせるキャラなんね。
お話が落ち着くカウンターバランスとして、なかなかいい仕事をしよる。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第5話より引用) pic.twitter.com/PEFLovLRyX
空也に咎められることで、くくるは大脱出を楽しむ足を地面につけて、死にかけのカエルウオを見ることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
風花が届け損ない、自分もちゃんと見れなかった”仕事”。
生死に関わり、見守り送る仕事。
その本分に、くくるは危うい所で戻っていく。
ここで落ち着きを取り戻し、日陰者の魚が死んでいく事実、それをちゃんと見送ることで生まれる尊厳にくくるが向き合えたのは、良い運びだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
『イベントにはしゃいで、為すべきとと全部取り落して魚死んじゃいました!』じゃ、くくるもカエルウオも報われねぇわけでね。
絵里さんも海咲野家に腰を落ち着かせることで、娘が何に惹かれ、何を求めているかに目を向けていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
おばあの助けはありつつ、あくまで自分で腰を落ち着かせて、風花が見つけた大事なものをちゃんと見ようとしているのは、やっぱり立派だ。
ママン…娘好きかッ!
転がる風花の命運も、自分ががまがま水族館で成したこと、これから為すべきことを見据え、戻るべき場所へと進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
見通しの悪い那覇行きの道からトンネルを抜けて、大きな海が広がる舞台へと戻る。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第5話より引用) pic.twitter.com/3v0AVccDLF
一連の歩みには、大地に裂けた子宮であり、魂が戻る墓所でもある洞窟…”ガマ”のイメージがどこか宿っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
カエルウオの葬送が描かれる今回、生死が交錯する場所としての水族館が、なぜ”ガマ”なのかが描かれるエピソードでもあるかなー、という感じ。
沖縄戦において、沢山の人命を飲み込んだ”ガマ”の過去は、既にくるるがさらっと触れていたりもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
笑顔の輝きと、その裏にある死の陰り。
両方が交差する場所にこそ、風花の為すべき”仕事”があるから、彼女は覆いを捨てて開けた場所へと、光を通って抜けていく。
そういう物語だから、第3話でお産をやったのかなー、とも思ったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
輪廻の結節点として、世に生まれた命。
その起点である母と、そこから自立しつつある己。
そういうモンを、ゆったり微細に捉えていくアニメ…かな? 存外、ふわっとばかりしていないのだ。
風花は果たせなかった自分の”仕事”に引かれて戻り、浮かれ調子のツインテールをようやく解く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
魚臭いツナギを着て、伝染病媒介者の嫌疑をしっかり扱わなければいけないシビアさに、自分の手を汚していく。
そして絵里さんは、それをしっかり見る。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第5話より引用) pic.twitter.com/koyVg5qhGF
娘が家を抜け出して、何をしているか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
その”仕事”ぶりをしっかり見れたのは、絵里さんが自分の外側にあるもの、命を展示するがまがま水族館ありのままの姿を、ちゃんと見れる人だからだ。
礼儀が整っていて、相手を尊重し、落ち着きがある…”大人”だからだ。
散々振り回しておいて元いた場所に戻る風花を、照屋のお母さんがほほえみながら見守っていたように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
このお話の大人たちは、子供を解ってあげようとする。
しっかり見つめて、不安定に揺れるその有り様を、浮ついた青春の熱気を、優しく見守ってくれる。
その尊い歩み寄りの意味を、子供たちはまだ知らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
元々、背筋を伸ばし堂々と告げれば、問題なく判りあえた相手。
逃げ出して、背を向けて、回り道して元に戻って、怯えて手を繋いで一歩を踏み出す。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第5話より引用) pic.twitter.com/TTJBdciLfp
それがけして無駄ではないと、夕日に輝く強い瞳が、繋がる手と手が教えている。ほんっっと、4話以降フィジカルコンタクトが増えたねこの二人…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
前回濃厚に間合いが縮まるまでをやりきったので、ここで風花がくくるを押し留め自分で語る価値も、手を繋いでもらう尊さも、よく伝わる。
応援したいと思える誰か。手を繋ぎ支えてもらえる誰か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
その側にいることで、生きることと死ぬことを”仕事”の中学ぶことで、娘が何かに為っていく。
その眩しさを、絵里さんはやはりしっかり見据える。とにかく、娘個人の尊厳を大事にできる人である。立派だ…。
娘からの連絡にたまらず実家から押し寄せて、絵里さんも興奮していたと思うが、それを落ち着かせて彼女本来の美質を生かしたのは、沖縄の穏やかな空気、それを体現する海咲野家の応対であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
いい人に出迎えられて、いい人がいい人として振る舞える。ホンマ、ええことですよコレは。
噛み合わない逃走劇が、魚の葬列とともに落ち着いて、大人たちはしっとり、人生を盃に飲み干していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
生きてるなら大丈夫。
そう語る父母の背に、もう会えない娘の遺影が一瞬映るのが、ずっしりと重い。
(画像は"白い砂のアクアトープ"第5話より引用) pic.twitter.com/T5X6RHlMzd
海咲野のおじいおばあも、なんも傷つかないまま楽園の天使をやっとるわけではなくて、この歳になるまでさんざん背負って失って、それでも天真爛漫、焦らず靭やかに過ごしとる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
そういう陰影を刻んでいくのは、ともすれば気楽なリゾートとして疎外されてしまう”沖縄”を舞台にする上でも、大事だろう。
いつも笑顔で明るい人が、ずっしり抱えた大荷物。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
そこに思いを馳せるには、くくるも風花もまだまだ青いということが、今回の逃走劇からは見えてくる。
同時に彼女たちもただ無邪気なわけでなく、”仕事”をちゃんとやってると、魚の死骸を扱う手付きから見えてくる。
夜闇の中で、まだ母の顔を真っすぐは見れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
でも思いを受け取り伝えて、この夏に堂々と潜っていく。
絵里さんがしっかり布団を畳んで、娘離れを果たして去っていくのが、最後まで颯爽としていて良かった。立派な人だ…。
というわけで、心配ママンからモラトリアム御免状が、無事発行されるエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
絵里さんを物分かり悪い悪役と書いてしまいそうなセッティングなんですが、大人としての落ち着き、他人を尊重し見守る姿勢が丁寧に積み上げられて、彼女を尊敬できる書き方となりました。凄く良かった。
逃走劇に浮かれる子供たちは、そんな成熟からはまだまだ遠く、しかしちょっとずつ経験を積み重ねている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
第1話熱に迷った時から、仕事をして友達と出逢って、手を繋いで手に入れたものが、風花を流されるだけの幼子から、周りを振り回しながらも自分の意志で戻る存在へと変えていく。
その先に何があるかは分からないけど、今そこにいたいと思える場所。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
誰かを応援できて、何かが死んでいって、その全てが糧になると思える場所。
そういう場所として、がまがま水族館を描くエピソードでもありました。
やっぱ墓所であり子宮でもあんだよな、ガマは。
騒動にはしゃぎつつ、夕日にきらめく女と女のハード・コンタクトも濃厚で、風花とくくるの間柄がどんっどん特別に為っていくダイナミズムも、たっぷり堪能。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年8月6日
とりあえず、夏休み終わりまで。期限付きの夢の果てに何が待っているか。
見えないけど、だからワクワクする。次回も楽しみです。