薔薇王の葬列を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
羊飼いと天使の夢は続かず、ケイツビーの来訪によりリチャードは”ヨークの男”へと戻る。
己を苛む父の亡霊を演じることで、揺らぐジョージは帰参を果し、ロンドンはヨーク軍によって制圧される。
王も簒奪者も、後悔に塗れる純白の降誕祭。
雪が血に染まる準備は、既に出来ていた
そんな感じの決戦前夜、薄汚い大人に成り下がった者たちの嘆きが響く、雪の日の第9話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
時代の趨勢は複雑なうねりを生み、皆が本心を隠す仮面劇のように政治が踊る。
何処で間違え、何故裁かれるのか。
誰も解らぬまま、誰も満たされぬまま、近々多く首が胴から離れていくだろう。
リチャードとヘンリーが、子宮にも似た木のうろで過ごす暖かな時間は、アバンも持たずに終わっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
目の前の男が仇であり王であると知らないからこそ、愛と約束を儚く結び会える間柄。
その真実を、賢きリチャードはけして知らない。
ケイツビーが真名を告げぬのは、残酷な優しさと言えるだろう。
リチャードの身体の(そして魂の)真実を知る数少ない存在であるケイツビーは、リチャード個人の幸福を願う作中ほぼ唯一の人物だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
寒中の灯火のように奇跡の出会いを抱きしめる主に真実を告げれば、ヒビの入った心は完全に壊れてしまう。
そう案じて、”ヘンリー”の名に仮面を付けた。
なにしろリチャード自身が自分を苛みまくるので、その心遣いは(表面上は)無用と切り捨てられる…かもしれないが、父の仇と追う男がどんな顔をしているか知れば、漆黒の殺意は千々に迷い、戦と復讐の道具という自己定義は、簡単に掠れてしまうだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
ジョージが帰参し、兄を正当の王としてイングランドの趨勢が固まれば、殺戮機械の居場所はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
血に汚れた戦場をこそ自身の揺りかごと定めていたリチャードであるが、武勲を上げれば上げるほど、己が必要とされる場所は削られていく。
ならばこそ、揺るがぬ玉座を。
リチャードのキングメーカーたるバッキンガム公はそう煽るが、現状リチャードはその囁きには乗らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
自分が天使と愛され、愛されることを望む楽園の夢から醒めて、”ヨークの男”として果たすべき役目を、冷酷に果していく。
夢から立ち去る時、林檎が大地に落ちているのは示唆的だな、と思った。
愛の果実、あるいは知恵と罪の果実。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
権力も家も関係ない、羊飼いと天使でいられる約束の地から遠く離れて、ヘンリー六世とリチャード三世は修羅の巷へと進んでいく。
愛されたら、愛して欲しいと望む。
人として当たり前の心の動きを、”浅ましい”と感じてしまうリチャードの感性が、なんとも哀しい。
とても原始的で、様々なしがらみが張り付いてこない純粋な場所。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
そこでしかリチャードは”ただのリチャード”でいることを許されない/己に許さないし、ヘンリーもまた”ただのヘンリー”ではいられない。
エデンの園から追放された最初の男女のように、二人は茨に満ちた場所へと足を進めていく。
そこは王弟ジョージも、あるいはエドワード王子も同じく身を置く、浅ましく汚れた場所である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
ジョージは酒、エドワードは性…非常に悪し様で暴力的な形で”大人”の資格に翻弄されながら、かつて純粋なる子供であった者たちは悩み、藻掻き、戻り得ない道へと突き進んでいく。
ジョージをヨーク陣営に引き戻す時、リチャードが父の幻影を演じるのが、なかなか面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
リチャードだけが苛まれる狂気にじょーじを取り込んだ形だが、それは毒のように(あるいは薬のように)遅効性で、確かによく効く。
自分と同じ”ヨークの男”ならば、父の無念からは逃れられまい。
そんな算段が、不気味な幽霊芝居からは感じられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
ジョージはクリスマスの仮面劇に、いつの間にか流れ着いてしまった歪な現状を睨み、酒に溺れ正気を奪われていく。
この内乱が終わった後の彼を思うと、また示唆的な描写だな…と思ったりもするが。
飲んだのは、マムージーの葡萄酒なのだろうか?
さておき、ウォリック伯を主役に演じられる三文芝居を唾棄しつつ、彼自身帰参の際は感動の再開を、”ヨークの男”たるエドワードを正当な王とするための演出の舞台へと、自身も上がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
そこに、クリスマスに見せていた弱さや迷いはない。
そんなものを見せれば、政治の土台は揺らぐのだ。
この歪な劇場性は、エドワード王子とアンの褥で最大化される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
”男の務め”としてのセックスを、母の前で実演する。
このお話が常に冷徹に睨みつけている、性の暴力性が最もよく現れた、グロテスクで残酷な場面と言える。
王冠を担い、公権に相応しい立場の存在の身体と性は、もはや個人のものではない
最もプライベートな場所であるはずのセックスの現場も、血を繋ぎ家を残す”公務”の現場となり、衆目に暴かれて隠すものはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
あるいはそこで暴かれることで、最も大事に隠したいものを隠し切るために、私的身体を公的身体へと、”公務”にひどく傷つけられながら変貌させていくのかもしれない。
マーガレット自身、貴族の女として望まぬ婚礼と性に傷つき、不甲斐ない夫に代わって”ランカスターの男”として正しく振る舞ってきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
そんな”当然”を、我が子に残酷に突き立てることで、王たるべきものの公的身体からはみ出す、とても私的な魂からの致命の出血を、見落としている感じもある。
それはこの仮面劇に踊る全てのものがそうで、皆家に縛られ、魂を苛まれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
そういう時代であり、そういう立場である…が、それにしたって酷すぎる。
そういうふうに感じるのは『現代的な感性』というもので、それを駆動させるために、セックスと権力のレンズで、原案を見つめ直しているのだろう。
私的な愛を砕かれ奪われたからこそ、王権の借り腹として自分の体を諦め、エドワードが”男らしさ”を証明する犠牲となることを受け入れるアン。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
この交わりが、何を生み出すのか。
待ち受ける数奇な運命を思うと、なんとも気が重い。
生誕なったエドワード4世の愛子と合わせて、無垢なる子供達に祝福を…
エドワードもリチャードもヘンリーも、自分たちを押しつぶす家の重荷、簒奪され陵辱された暴力的なセックスにNOとは言えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
言わせないことで王権は成り立っているし、つまり玉座を手に入れたところで、孤独を埋める魂の充足など得られないのだ。
楽園を出て目指す場所は、けして楽園ではない。
それでも、そこに行きさえすれば何かが手に入るだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
そう夢見て、ジョージは兄弟再開の道化芝居を演じ、ウォリックは修羅の目でかつての主君を睨みつける。
父王リチャードの亡霊が形になるのも、玉座の魔力故か。
ならばエドワード兄王が正式なイングランド王となれば、幻は消えるのか?
薄暗い胎動が、リチャードの魂の奥底で揺らいでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
この内乱が終わった後、新たに幕を開ける残酷劇に視線を送りつつ、情勢は複雑怪奇に踊り、戦況は揺らいでいる。
そらー、ヘンリーもなんもかんも投げ出したくならぁなぁ…。
でもその浮遊した理想主義が、彼の息子と国土を致命的に傷つけてもいる
一個人としての幸福と善を追い求めるヘンリーのスタイルが、時流と現実に合致していない危うさ、”男らしくない”ことの実害をしっかり書いてる所が、出口なくてエグいなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
王冠を求めて血みどろに突き進んでも、全てを投げなって荒野に進み出ても、楽園は彼方に遠い。
では、何処へ行くべきか
かつてペテロも彼の師に問うた古い疑問を、誰にも告げられないまま皆が走る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
野望と渇望が渦を巻くバーネットの戦場で、運命が激しくぶつかり合う時、迷い子達は何を知り、如何に血を流すか。
第1クールクライマックスも見えてきましたが、楽園未だ遠し。
次回も楽しみです。
しっかし血を分けた兄弟とて、自分の狂気を真実共有はしてくれないだろうと、王冠を求める父の亡霊を”演じ”て政治的に利用するリチャードの冷静と荒廃が、なんとも哀しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年3月9日
この時代の貴族王族に、家族のぬくもり、揺るがぬ血の絆などはないことは、この二次内乱の推移で解ってるとしても、だ。