イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プレイレポート 22/03/20 ストリテラ『ルートイレヴンは眠らない』

たっぷりと終末紀行を堪能した我々であったが、終わりきった世界への旅路はなんと一時間で終わった。
『フユ先生の最新作をあそばぬか』
『やろう』
『やろう』
そういう事になった。

シナリオタイトル:ルートイレヴンは眠らない システム:ストリテラ GM:シェンツさん

よねちょくん:”クーデクラ”:ガンファイター 先代の意志を継ぎ、必殺の銃弾として裏稼業に勤しんでいる少女。裏通りを震わす勇名に似合わず、気弱で引っ込み思案な性格をしている。
コバヤシ:”ヒッポカンポス”:ドライバー 海馬を損傷し記憶(Memory)を保持できなくなったハンディを、愛機”ヒッポカンポス”の電脳で補っている過去のない男。外部装置に記憶された記録(Record)で紡がれる、渇いた感性のまま闇を疾走るプロフェッショナル。

こんな二人が、託された荷物とプロの誇りを抱えて、銃刀法と道交法を完全無視して大暴れする物語を、皆で紡ぎました。
大変面白かったです。

 

瀧里フユという人は『何がTRPGを成立させるのか』という問いかけに対し、とても鋭敏な感覚と鋭い疑問、それを実際のシステムとして結晶化させる技術とセンスを兼ね備えた、現代日本最強のデザイナーの一人だと思っている。
”ストリテラ”というシステムは判定やパラメーターを廃し、『シナリオは隠蔽されGMによってのみ運用される』という思い込みを打ち砕き、TRPGTRPG足りうるギリギリ限界までの軽量化……というよりも、体験を規定する必要十分な手続きのみを残した最適化を行った、最速最軽量の物語追体験装置だ。
TRPGが持つ即興性、相互影響力、リアルタイムで唯一の体験を共有する独自で強烈なグルーヴを、どうすればもっと安定して、もっと強力に、もっと面白く届けられるのか。
そのことについて、強く思慮を巡らせ、極めてピーキーでエッジで、今考えうる最強のエンジンを積んで、システムとして仕上げてきたな、という感想を持った。

 

ストリテラの基本的なルールは、2ページにも満たないシンプルな手続きによって成立している。
そこでは数字の増減も、行動の可否を決める判定も、シナリオライターが用意した筋立てを探っていく一般的な物語体験も排除され、全ては全参加者に公開され、共有され、高速で駆動していく。
最も古典的な形ではダンジョンの闇の向こうに、何があるか。
近年顕著な形だと秘匿型ハンドアウトとか、ドラマ進行に従って様々な情報が開示されていく体験の構造など、既に用意され伏せられた情報に潜っていく、いわゆる”TRPG”な体験はそこには存在しない。

あるのはシナリオごとに可変しうる舞台設定と、キーワードに結晶化された『こういう物語を紡ぎたい!』という願いと、それを導いていく骨格となるキャラクターのオモテとウラ……PL全員に共有されていながら、PCは知り得ない伏せられた真実だ。
僕らは一時間ほどシステムの読み込みとキャラの準備、共通認識の形成に時間を使って、これからどんなゲームを遊ぶのか、遊びたいのかを編み上げてから、10本ある基本ルールブック掲載シナリオの一つを遊んだ。
同意形成はTRPGにおける最も基本的で、最も重要な手続きの一つであるけど、『こういうゲームをする』という確固とした数字的/世界観的フレームを持たないストリテラにおいては、参加者全員が必ず、ここにコミットすることになる。
それは(ルールブックにおいて幾度も強調されるように)競技ではなく、より楽しくより納得できてより余韻を残す、より善い物語を皆で紡いでいくための必須の、大事な手続きとなる。

 

大多数のシステムではあくまで、実プレイのための下地作りである『皆で共有する物語編の同意形成』それ自体が、ストリテラにおいてはゲームとしての本体なのだと、遊びながら思った。
『こういうシナリオを遊ぶ』とGMに提示され、『それなら俺らが慣れ親しんでるトーキョー・ナイトメアをそのまま流し込んでも良いんじゃね? ルールブックでも、コンバートは許可されているし』と舞台とキャラクターを提示し、それぞれ演じたい立ち位置、付随するウラとオモテを選ぶ。
共同幻想としてこれから数時間浸る舞台を自分たちでひねり上げ、そこに住まう仮想の人格を作り込み、シーンごとキーワードに沿ったロールを続けて、最終的な物語決定権を持つPLを決めて、物語を終わらせる。
一切のフレーム無しでは何かと言いっぱなしになり、無限に時間と集中力が出血する部分を、シンプルで強力なルールフレームによって規格化し、体験を共通しやすく整える。
個人のエゴとか萌えとか、とかく手綱を付けにくいものに最小限の制約とルールをつけることで、奔馬のごときイマジネーションとエネルギーを殺すことなく、楽しい物語を共有するにはどうしたら良いのか。
そのために、極限まで軽量化し、自由が羽ばたくために最も重要な心地よい不自由を、『ここしかない!』というポイントに的確に差し込む。
そういう見切りが、いつも以上に冴えているシステムだった。

 

今までTRPGとされてきたものの形から大きく異なるため、人によっては『TRPGじゃない!』という反応も出てきそうなシステムであるが、しかし実際にプレイに飛び込んでみると、『ここまで削り込んでも、TRPGなんだなぁ……』という感動と納得が、僕個人としては強くあった。
自由奔放な想像力を、それらが化学反応して生まれる面白さを、濃厚に圧縮された短時間に体験する。
そのためにピーキーに尖らされたシステムは、しかし上手く参加者間のコミュニケーションを加速し、手続きによって相互のリスペクトを加速させて、ゲームが楽しく上手くいくよう、大変に工夫されていたと思う。
TRPGなるもの』をゼロベースで完全にバラバラにし、駆動のために必要な最小限のパーツを選びぬくことで生まれる、心地よい軽みと同居した濃厚な……あるいは軽妙だからこそ重厚な物語体験。
これは大変新鮮であるし、同時にTRPGのコアにある交流と創作の面白さを、原液で叩きつけられる感じがあった。

世界観的にもゲーム手続き的にも軽量で自由であることで、『これがやりたい!』というピュアな熱量を殺すことなく、ダイレクトにゲームに接合できる。
ココまでシステムを削り込み、GMという特権的である意味孤独な立場や、PLから見えない物語の筋立てや、様々なランダマイザや、システム独自の数理処理や……”TRPG”なるものに必須と思われていた諸要素を切り離すことで、『アンタが本当に欲しかったのは”コレ”だろ?』と、目の前に突きつけられたかのような衝撃があった。
僕は物語体験/共有装置としてのTRPGに強い興味があるわけで、この極限的にドラマドリヴンなシステムとの相性は、おそらくとても良いのだろうけど。
そういう好みを超えた客観的判断として、今出てくるべきTRPGがしっかり形になったな、という感慨がある。
下手な動かし方をしたら容易に空中分解しそうな超軽量フレームを、どう取り扱うべきか繊細に、読みやすく取り扱い方で沢山補強して、TRPGという体験が早く、強く、安全に動く工夫がしてあること……遊んでとにかく楽しいことが、やっぱり凄い。

 

システムのデザインを読み、実際プレイしてみて思ったのは、コレまでのTRPGが扱ってきた『ゲームの事前準備としてGMが情報や物語や危険をシナリオ内部に伏せて、それをPLが暴き公開していく気持ちよさ』が、180度旋回していることだ。
シナリオを公開しても、キャラクターの秘密が顕でも……むしろだからこそ高速で駆動するこのシステムは、ゲームの面白さを過去ではなく未来に、隠蔽ではなく公開と化学変化に置いている。
シナリオとキーワード、生成されていく世界観とキャラクターから生まれる素材をどう組み合わせ、各人の個性とイマジネーションによって料理し、そうして差し出された面白さと自分の”好き”を混ぜ合わせて、どうここにしかない物語を作り出していくか。
各員が心の中にある『私の好きな物語』をどう結晶化させて自由に解き放ち、適切な場所で混ぜ合わせて、より面白い、一人でこねくり回していたら絶対に生まれなかった『私達の物語』にしていくか。
それが生まれていく過程それ自体を、どう安全に軽量に濃厚に楽しむか。
このシステムが志向する、極端な現場生成主義はそういうTRPGの楽しみを、考え抜いた結果の武器なのだろう。

昨今のデザイントレンドに反することなく、このシステムはとにかくシナリオを作るハードル、世界観を作るハードル、実際にゲームをするハードル、楽しさを共有するハードルを、大変な労力を用いて下げている。
『遊ぼう!』と思い立ってから『やっぱやめた……』となりがちな要素をガンガン削り取って、大胆に既存の思い込みを方向転換して、気楽に心地よく、早く突っ走れるよう土台を整えてくれている。
基本ルールブックの段階で10個のシナリオを搭載し、この強力なエンジンに何が出来るか、豊かな発展性を全ユーザーに向けて提示しているのも、この魅力的な可能性を受け取り、想像力を刺激されたユーザーがストリテラと化学反応して、もっと面白い物語を紡いでくれる可能性を、強く信じているからだろう。
TRPGに関わる全ての人が持つ”楽しい”も”好き”も、堂々オモテに出して形にし、皆に届けて共有して良いものなのだという、ポジティブで公平な期待によって、このシステムは支えられ加速している……とも言えるか。
それは一見オープンアップに気さくに全てを曝け出し、平等でフレンドリーな立場に見せて、握り込むべき勘所はキッチリ土俵を譲らず、自分の信じるゲーム体験へとユーザーを導くように磨かれたライティングと、表裏一体なのだろうけど。
怪物的な知識と研鑽を、上手く絹の衣に隠して静かに噛みつき、いい塩梅に毒を流し込む手腕はやっぱスゲーなと、毎回思う。

エッジな設計思想が眼高手低に終わらず、とにもかくにも楽しいゲーム体験としてしっかり成立しているのが、やっぱり一番いいと思う。
早いだけで面白くないゲームは、楽しむために時間と集中力を使う”ゲーム”の要諦を満たさないから微妙なわけだが、とにかく早くてとにかく面白かった。凄い。
『やりたい!』と思えたことを妨げる壁が様々な領域で薄く仕上げられているので、身軽に遊べるのもいいし、『ここの判定とか、これ書くのとかダリーな……』と思っていた部分を全無視しても”ゲーム”になるので、実は遊ばなくなったが愛着はある昔ゲーとかを再生させるのに、スゲェ良いツールだと思う。
過去に固執するロートルほど、この最新最強最速のシステムに挑めッ!!

正直今回のセッションも、「俺が一番食べたかったトーキョー系」の精髄だけをゴクゴクと、一時間だけでガブ飲みできた感覚があって、大変良かった。
こんだけ心臓と骨しかなくとも、むしろだからこそ、一番食べたいところだけをダイジェストでいただけるのだなぁ……。

 

というわけで、とても楽しく刺激的なセッションとなった。
うちの環境はデザイナー志向が強いので、ルールブックが用意してくれた体験だけを素直に飲み込むのではなく、その裏側で駆動しているエンジンの仕様とか強さとか、デザイナーが見据えている風景とぶっ殺したい不満点なんかにも言及しながら、凄く面白く遊ぶことが出来た。
新システムを体験する時、ゲーム体験の表層に立ち現れてくるモノをプレイヤーとして楽しみつつ、それを生み出すメカニズムやデザイン意図を同時並列で演算し、消化し、脳味噌が多層的に高速で動いている実感を僕は噛みしめるわけだが。
TRPGを遊び、新たな体験に出逢うその醍醐味を思う存分受け取ることが出来て、なお全然ストリテラの可能性や奥行きを探り尽くした感じにはならずに、とてもワクワクしている。
この素晴らしいセッション体験を種火にして、今後もどしどしと”ストリテラ”遊んでいきたいと思いました。
同卓していただいた方、このシステムを世に出した方々、大変ありがとうございました。