薔薇王の葬列を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
陰謀を逆手に握り、幼き王から冠をむしり取ったリチャードは、バッキンガム謹製の道化芝居を演じきり、真白き神として玉座に座る。
待ち焦がれた宴席に捧げられる、堕天使の戯曲を笑って飲み込み、冷たき褥に身悶える。
稀代の悪王が、望むものを掴みとった瞬間であった。
そんな感じの愚者達のサーカス、一つのクライマックスとなる薔薇王の葬列第17話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
ついに運命が至るべき所に至った感慨と、そこが物語の幕引きにはならない皮肉と、栄光の裏でじわじわ滲む破滅と切なさが入り混じった、なんとも言えない戴冠となった。
大変、この作品らしくはある。
道化は王に、悪魔は神に、楽園は地獄に。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
全てが転倒するカーニヴァル性の皮肉は、かつてオールフールズデイの狂騒として作中でも描かれ、ずっと作品を支配している。
望むことは叶わないし、そもそも何を真実望んでいるのか、それを生きている間に実感できる存在はほとんどいない。
我が子を寿ぐべき母の言葉は呪いとなり、愛を凶器に復讐を果たそうとした女は、軽薄なる重婚の事実に後ろから刺されることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
人間が当然行って然るべき”~~なはず”とか、”~~べき”は全て果たされず、人生の皮肉に全てがひっくり返され、無様に砕かれていく物語。
なれば悲惨な痛みの果てに全ての茨を引き千切り、王冠の向こうに楽園を求めたリチャードが辿る末路も、年表を探らずとも明らかであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
今回バッキンガムと掴んだ栄光の一瞬、全てが終わり報われるはずの時間が、転落の始まりであり悪徳の源泉にしかならないことは、既に予期されている。
堕胎薬によってただれた腕は悪魔の鉤爪のように描かれているが、人間にとっては子殺しの毒薬を助けとして、リチャードは決定的な堕天を果たす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
悪魔としての己を、バッキンガムとの共犯と情交を産婆にして、世界に解き放つのだ。
…その生みの親は、やはり呪いを履き続ける母なのだろうけど。
己の美貌と肉体で、エドワード四世の寵愛を買ったエリザベスも、国すら割った”真実の愛”を裏切る事前婚礼を暴かれ、全てを捧げてもいいと思えた王子から王冠を奪われて、全てを失っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
愛を凶器にしたものは、”愛”によって刺されたのだ。
似合いの末路…というには、少々酸鼻が過ぎる。
リチャード戴冠の道を塞ぐのは、彼を生み悪魔と詰り続けてきた生母セシリーである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
バッキンガムが書いた脚本の中、純白の衣をまとった神王を演じることで、簒奪の疑念は払われ、イングランドの救世主として衆愚に望まれて、正統に王位に進んでいくことになる。
リチャードは迫真の演技で、前王朝への忠誠、王たるべきものの高潔な責務を訴えるわけだが、その芝居が狙いを果たすのは、そこに真実の欠片があるからだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
父の悲願を果たし、国を背負う重責に相応しい、強く清らかな存在でいたい。
その願いは、リチャードにとって嘘ではない…と感じる。
その軟弱さで内乱を呼び込んだヘンリー六世も、死んでなおその多情が波乱を呼ぶ”愛”に狂ったエドワード兄王も、あるいは優柔不断の果てにそこ手で殺したジョージも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
リチャードが奪った僭王達は、『王たるべきに足りない』という判断のもとに、血の池に沈んでいる。
つまり『王たるべきもの』がどうあるべきか、その眩い理想が父王の思い出とともに強くあって、玉座に座ることで己がそれを体現するという、髪の白い衣に嘘のない理想が、あの芝居にはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
しかしその高潔を、行いの全てが裏切る。
欺瞞、暗躍、殺戮、淫行。
玉座に続く道は、血塗られた悪魔の色だ。
『誤った手段で掴まれた理想は泥に塗れ、それを果たし得ない』というルールも、ここまで幾度も描かれてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
策謀と裏切りが渦巻く獣の時代で、清くあるということは他人に踏みしだかれるまま、弱くあるということと=だ。
ならば、獣の手段を取ってでも強くあり、間違えて死ぬべきなのか。
答えはないし、既に愚か者たち数多の死骸で示されてるとも言えるし、これから先積み重なる屍が新たに示す、とも言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
年表はもっとたくさんの裏切りと皮肉が踊り、眼を塞ぎたくなるような死が山積みとなり、誰の望みも敵わないことを告げている。
愛も野望も、幸福を連れてこない。
楽園を遠く離れたこの荒野の物語には、しかし確かに安らかに自分らしく生きられる場所を求める人の切なさが眩く宿っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
母の呪いを逆打ちにし、戴冠を確実なものとする悪魔が神を演じる道化芝居。
そこには、リチャードが玉座に求めるものが確かに、黒い嘘の中白々しく眩しい。
かくして戴冠を果たしたリチャード三世であるが、そこに望んでいた魂の充足はなく、引き裂かれてなお温もりを求める肉の疼きと、道化めいた仕草でくねる内乱の予感がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
エカチェリーナ二世とポチョムキン公爵、あるいはヴィクトリア女王とジョン・ブラウン。
女帝たちがその公式の配偶者との冷たい愛を隠れ蓑に、真の王配と育んだ”愛”の匂いが、バッキンガムとリチャードの秘めたる関係の中には匂う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
玉座への道を整備し、かけがえない共犯者として罪を背負い、肉と魂が本当は何を求めるか、情交の痛みを通じて教えてくれる”私だけの男”。
バッキンガムと向き合う時、リチャードは”女”の色を強く帯びて、それがアンとの冷たい共寝…王たるべき存在の責務の一つとして、心から切り離されたセックス(の真似事)の内側で、熾火のように燃える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
しかしバッキンガムが茫漠たる世界唯一の灯火と見つけた野望と愛は、果たしてリチャードの望みか
野心に満ち、冷淡で暴力的で、極めて”男っぽい”バッキンガムの願いが、リチャード自身気づいていない…あるいはあの森の中でヘンリーとともに殺した真意と噛み合っていない描写は、随所に見られる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
お前はコレがほしいんだ、と。
押し付けるように上書きする、いかにも”男”めいた仕草。
それはプライベートな情交(というか強姦)から発し、今や世界最大のオフィシャル…玉座という場所へ至ってしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
確かに、それをリチャードはずっと求めてきた。
しかしあの虚しい輪の奥に望んできたのは、父の無償の愛であり、”ヨークの男”としての自己実現であり、魂の安らぎ。
バッキンガムが奪い押し付け、今王の勤めによって遠ざけられた奇っ怪な熱が、果たしてリチャードの真実か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
ここのズレが、史実に刻まれた結末へと物語を導く、狂暴な犯行手段となりそうな予感がある。
バッキンガムは常に、自分が愛するリチャードだけを見る。(別に、彼に限った話ではないが)
国を奪うほどに欲望に素直に、目を見開いて生きているのだという自認が、逆にリチャードの真実を見つめる邪魔をして、その結果凶暴な牙でリチャードを犯し、侵し、後戻りできない場所までお互いを追い込んでいった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
今回たどり着いた玉座と褥は、そんな歩みの終わりではなく、終わりの始まりだろう。
さて戴冠式典で仮面の男達は、神の不在と傲慢の天使を演じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
父の偉大さを求め、空の玉座に手を伸ばして地に落ちるルシフェルは、リチャードの過去と未来に重なっている。
その両性具有の美しさを、かつてヘンリーは天使と称えたが、その血が決定打となって、リチャードは堕天使となった。
国も栄達も家も捨て、性別も身分もない太古の楽土で平和に暮らす夢は、あの森で一度間近に迫り、決定的に砕かれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
ならば堕天使としての道を走りきり、神を演じる悪魔として、父なる存在の望みに近づくしか道はない。
リチャードの覇業は、父なる神を愛すればこそ背くルシフェルの行い。
なればその末路は翼をもがれての地獄堕ちであり、裁きを下す正統な神王は誰か…という話にもなるのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
狂える道化として刃を握り、玉座を求めるリッチモンド伯が、ついに表舞台に顔を出してきた。
ジョージがかつて悪酔いした、政治という名の道化芝居。
富と栄達を求め、あるいは”愛”だの”正義”だのを掴まんとあがいた挙げ句、ヘンリー六世もエドワード四世も、王冠を抱いたものは皆死んでいった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
狂った道化芝居を踊り切る資格のない軟弱者に対し、リッチモンドは己こそがもっとも卑劣で、狂っていて、血みどろの資格者だと吠える。
確かに高潔なはずの玉座は低劣な劇場でしかなく、王であろうとすることがそこにとどまる資格を奪うのであれば、もっとも王に相応しいのは道化である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
カーニヴァル的転倒は祝祭の季節だけの特別行事ではなく、神に見放された荒野の常態なのだ。
…ならば、リチャードは王の資格がない。
我らが主役がどれだけ真摯に、男であること、女であること、王であること、人であることに悩み、玉座につくものの高潔な資質に悩み、理想を果たそうとして幾度も果たせず、愛を求めて伸ばした掌をすり抜けて、悪魔の呪いを授けられてきたかを、僕らはよく見てきたはずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
道化は全てを笑い飛ばす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
世に正しいとされ、清らかと歌われるものをこそ嘲笑いひっくり返すことが、その責務であり資質である。
リッチモンドは王たる道化に相応しい存在として、軽薄で卑劣で残酷な存在であるだろう。
リチャードが漆黒の罪から微かに漏らす、誠実な光を持たないだろう。
だからこそ最終的な勝者として、救いなど何処にもない現世の王に、なるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
ボーズワースで待つ終わりに向けて、後は転がり落ちるだけの虚しく美しい高みへと、リチャードはついに登った。
そこにあるのは、かつて求めた清らかな救済などではない。
それを求めるのならば、なりふり構わず全てを汚し、殺して奪う道を進むべきではなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
しかしリチャードがその道しか進めなかったことは、ここまでの物語に記載され、これからの物語に積み重なるだろう。
それは既に決まった結末であり、このお話が個別に命を宿す、人の愚かしさと美しさの結晶だ。
人は過つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
アンは王女として掴んだ冷たい褥に、暖かく寄り添う道を遠く離れた今を思う。
野心の果てにたどり着いたバッキンガムは、想い人が別の人と寝る痛みに胸を焼かれ、割り切れない衝動に苦しむ。
そして望んだ場所にたどり着いたリチャードは、その虚しさを知るだろう。
ヘンリーを押しつぶし、エドワードを腐らせた玉座の毒。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
それを平然と飲み干せる…例えばのちのヘンリー七世のような…存在なら、リチャードはここに至っていない。
それでもこの毒杯の城に至ったのならば、飲み干す以外に道はない。
それこそが、王たるべきものの責務だ。
おめでとう、リチャード三世。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
おめでとう、その王配たち。
愛は歪み、正義は軋み、求めた玉座は不幸の揺籃。
それでもそこから答えが生まれるのだと、揺らすたびに不和と内乱が飛び出してくるのが、神なき荒野の摂理である。
物語は続く。
もう、悪い方にしか進まないだろう。
次回も楽しみである。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月10日
今回の補助線…を書こうとしたら、大概絶版でガックリ来た。
バフチン”フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化”
北岡 誠司”現代思想の冒険者たち10 バフチン -対話とカーニヴァル-”
池田理代子”女帝エカテリーナ”
あたりです。図書館にはある…のかなぁ?