プロセカイベスト”白熱! 神高応援団!”を読む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
体育祭の季節、青組応援団に集った類、瑞希、杏は団長の元、全力で応援合戦に挑む! …というお話。
普段は学校の外で自己実現に勤しむ連中が、”みんな”とどう接続していくか…というエピソードだったと思う。
現状のスケッチであり、未来への希望、か
ユニットをまたいだ群像劇色の濃いイベストで、同時に馴染みのユニットだと見えない色合いも強くあったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
類と瑞希、屋上にはぐれていた二人が応援合戦を通じて”みんな”なるものへの苦手意識を克服…とまではいかないが、その足がかりを作る感じの話となった。
”Revival my dream”で描かれた、突出した才能故に”みんな”に馴染めなかったという類のトラウマ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
その孤独は理解ある家族に受け止められ、寧々に理解され、ワンダショを身内にして、フェニランで己を存分に発揮し、仕事を得る所までこぎつけた。
オープンな舞台で、自分を孤立させた才を武器に変える。
これに成功したから、団長は類を学校の外で見初めて、団に勧誘することになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
類は彼が応援に賭ける熱意とアイデア、皆の声を聞きあげる器の大きさを認めて力を貸すことになり、セカイでの助言と瑞希の後押しを受けて、突飛で危険なアイデアをどう”みんな”に受け入れてもらうか、震えつつ前に出る。
お互いの好みも人格もよくわかっている身内だけでなく、信頼を作りきれていない”みんな”に、己のアイデア(類が演出家である以上、それは己の全てだ)を受け入れてもらう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
少しさみしげな瑞希の言葉は最後の後押しになったが、これを決意させたのは類自身であり、ここまでのワンダショでの経験だろう
独創的であるがゆえに拒絶もされるアイデアを、どう整形しプレゼンし受け入れてもらうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
類は今回、応援団という小さく馴染みのない社会…”みんな”に対しそのエキセントリックな才だけでなく、それを適切に社会化する能力も発揮して、満足の行くパフォーマンスをやりきる。
それはかつて望んでできなかったことであり、それ故大きな傷となって彼を阻んできた痛みだが、ここで成功体験が得られた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
今後類くんは自分の奇人性を殺すことなく、”みんな”に受け入れてもらう方法をどんどん見つけ、臆せず踏み込んでいくのだろう。
その言葉の真の意味で、”大人”になっていくのだ。
そんな歩みを隣で眺めつつ、後押しして自分は足踏みする瑞希も、”みんな”の前で慄いているのは同じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
身内であり親友である絵名にすら切り出せない、分断と異質の実感。
それは応援団と一緒に汗を流しても消えないが、瑞希に背中を押された類がその行いを手渡し返すことで、少し和らいだように見える
類がその才によって遠ざけられていた”みんな”と、瑞希が己を”みんな”から遠ざける理由は、おそらく別だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
それこそが瑞希とニーゴが今後向き合い、最も大きな物語の核だと思うし、嵐に向き合う遠くない未来、この応援合戦は瑞希の力になってくれる気がする。
とまれ、今回は普段舞台になりにくい学校という”みんな”を入れる箱…公共性を帯びた器が舞台である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
そこに個性強めの個人主義者が接続される時、強力な武器になるのがそれぞれのクリエイティブであることも、今回よく書かれていた。
類は舞台演出、瑞希は映像制作、暁人は歌唱。
それぞれのホームで培った創造性…”わたし”であることを嘘なく表現するための手段は、”みんな”がより善く”みんな”であるための祝祭において、大きな仕事を果たす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
ここら辺、もれなく造り手であるプロセカの子供たちらしい、社会との繋がり方だなぁ、と感じた。
それぞれのホームでは抑えられない自分らしさを叫び、それを”私たち”にしていくための手段だった創作能力は、今回”みんな”のための応援合戦の中で悪目立ちすることなく、集団全体のパフォーマンスを上げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
アイデアは的確に拾い上げられ、適性は有益に生かされ、連帯感と充実感がみなぎる。
それは”学生の祝祭”という、二重の意味でのモラトリアムに守られた柔らかいものであるけど、確かに望ましい社会のあり方、”みんな”の中の”わたし”の形だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
もっと厳しい嵐の中でも、あの子達の個性が殺されることなく、こんな風に生かされればいいな、と思う。
個人的に面白いのは青組団長の書き方で、彼自身分厚いクリエイティビティを有しつつ、そこに固執せず他人に頭を下げ、出来ないことを委ねる器のデカさがあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
こういう人が上に立ったから、類も瑞希も苦手意識を持つ”みんな”に馴染む経験を、今回積むことが出来たんだと思う。
そういう視野と器量が大きい人もいれば、業に囚われ他人を押しのける人もいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
そうでなければ瑞希は己の真実を告げるのにこんなに悩んでないし、類も孤独を感じてない。
世の中結構ままならないが、しかしその上で上手くいく…時もある。
あるいは上手くいくよう工夫し決断した結果、上手くいく。
暗いばっかりじゃない世界と”みんな”を自分の目と肌で確かめて、この先類と瑞希がどんな道を行くのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
それは個別のユニスト、それぞれのホームで掘り下げられるポイントかな、と思う。
”みんな”でいたいとは思うが、それに”わたし”を殺されたくはない。
普遍的で個人的な、分断された私たちの悩み。
それを色んなキャラクターと音楽性、それぞれ色の違うクリエイティビティでもって描いていく物語は、まだまだ続く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月12日
その大事な一歩として、今回のイベントと打ち上げが楽しく満足できるものに終わったのは、良かったなと感じた。
次の物語も楽しみですね。