薔薇王の葬列を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
道化師の蛇舌が宮廷に不和を蒔き、戴冠を前にリチャードの治世は揺れていた。
女であることの証が胎に宿り、王の心身は揺らぐ。
バッキンガムは鉄枷で愛を縛り、全てを捨て去る夢を見る。
隻眼の死天使が求める誓約に、黒衣の宰相は何を差し出すのか。
大嵐が、近づいていた。
そんな感じの王殺薔薇地獄、内破の季節が迫りくる第20話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
『運命は決まっている』と嘯き、唇から毒を撒き散らすリッチモンド。
年表には彼こそが薔薇戦争の最終勝者と刻まれており、それに相応しい振る舞い…とはまぁ、言えなかろう。
顔を変え、身分を偽り、流言で惑わす。
王というより道化の軽薄で、しかしこの作品における玉座が愚か者の指定席であることを思えば、約束の王に最も相応しい存在かもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
とすれば、王の責務も己の性愛も重く重く受け止めてしまうリチャードの生真面目が、あれだけ望んだ王冠を危うくしていくのも、致し方なし…か。
道化芝居に良いように踊らされる、簒奪されし少年王。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
後に神父が語る、リチャード三世の評判を思えば、華々しき復権はただの妄想と片付けられない。
自分がそうしたように、いつ寝首をかかれても可笑しくはない。
世界の関節は、既に外れてしまっているのだ。
ハムレット気取りで、それを正すべく生まれてきたと、のちのヘンリー七世はほくそ笑む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
年表に裏書きされて、この狐ヤローが勝つと知ってても、欠片も尊敬も共感も出来ない存在として描き続けていることに、”勝利と栄光”なるものを作品がどう捉えているか、透けて見える気もする。
血と裏切りの上に咲く栄華に意味がないとすれば、真に意味在るものは何なのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
バッキンガムとの逢瀬の帰結として、リチャードの肚には子が宿る…と、魔女は告げる。
それが真実、リチャードの女性性を身体機能として証明するものなのか、怪しい佞言なのか。
見ている側にも分からない。
王位簒奪撃の重要な小道具として、呪いの被害を演出した堕胎役が、ここで”本来”の役目を取り戻していくのが、なんとも皮肉である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
”ヨークの男”として玉座を目指す時、その毒は野望の薪として役立った。
しかし白薔薇の泉に愛を知り、”ヘンリーの女”として満たされた先で、毒は毒に戻る。
子殺し。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
玉座を危うくするスキャンダルの種、等に幽閉された不和の爆弾…あるいは全てをひっくり返す、性別の証明。
子供たちは愛されるべき聖嬰児などではなく、都合の悪い悪種として間引かれる、邪魔で危険な存在である。
それを孕む行為も、寿がれなどしない。
『俺は女じゃない!』とリチャードは叫び、魔女は『女であり、男でもある』と応える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
リチャードの身体は魔女を支持し、妊娠のシグナルを発しているが、王になってしまった社会的立場、”男”であり続けた野心の歴史は、そのあやふやを認められない。
ならば、腹に宿った愛の結晶もまた…。
ジェーンのリベラルな価値相対主義、在るべき秩序ではなく身体の自然な訴えを認める柔軟性は、現代の我々には好ましく思える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
しかし王が王であり、男が男であると強く定めることで社会を維持している時代にとって、この曖昧さは悪魔の理屈である。
在るがまま、在るように在れ。
そんな人間讃歌を強く吠えるには、未だ神の栄光が長く長く世界に伸び、その影で悪魔が蠢いていた時代。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
男と女、野望と純粋が入り交じるリチャードの在り方をそのまま肯定することは、到底ありえない。
一つの生き方を選べば、それ以外の全てを殺す峻厳こそが、中世の厳しき顔を成り立たせるのだ。
無論人間の根源的カオスを封殺するだけでは軋みがありすぎるので、祝祭において全ての秩序は擾乱され、道化が王になり、男は女を装う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
しかしそれはあくまで特別なハレの日の狂気であり、むっつりと己と己以外を押し殺すケの日が、それ以外は延々続く。
それが、この時代の玉座の土台だ。
その正統性を疑い、王は道化であり囚人で、栄光は欲望と悪徳の同義語なのではないかと、シニカルに問い続けている作品でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
魂の在り方に素直に、現世の鎖を解いて自由に。
女を捨て、王冠を選ぶリチャードの生き方の、逆しまをバッキンガムが差し出し縛る。
他人の血と己の人生を捧げ、ようやくたどり着いた玉座。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
それを維持するための冷酷な仮面は、愛によって乱れていく。
バッキンガムがリチャードから遠ざかろうとした努力を、その温もりを求め追いすがる彼の王自身が、罅を入れて壊していく。
しょうがないだろう、好きなのだから。
”愛”が万能の解決策になどならず、むしろ残酷に運命を狂わせていくことは、リチャードが父王の亡霊に囚われている姿からも解る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
バッキンガムも愛の虜囚となり、王/妻の手に鎖をかけ閉じ込めようとする。
髪の長い、抗う力のない存在。
かつて子供たちが、そこから這い出そうとした檻。
何もかも忘れ、愛だけに包まれ女として生きる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
もう一人の”ヘンリー”に対しそうしたように、リチャードは今回もその結末を拒絶する。
その身は既に王であり、王冠を求め地に濡れた日々は、無力な存在から脱せんともがいた日々は嘘ではないと、強く証明するべく。
”男らしく”あるために、愛の鎖を砕く
聖処女の幻影に惑わされつつも、髪を伸ばすことを拒んだリチャードの選択には、彼自身の意志が在る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
しかしそれは、真実求めるものを見落とした過ちではないのか。
肌を重ね、愛を注いだ半身として、”ヘンリー”はリチャードの真実を厳しく問う。
”女”であることの幸せは、厳しく跳ね除けられた。
あれ程求めた王冠は自由も力も与えず、魂を縛り付けるだけ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
ならば死と大逆を以て過ちを正すことしか、最早出来ることはない。
そう考えて、バッキンガムはティレルに王殺しを命じたのか。
彼が見据えている”リチャードの真実”は、果たして唯一の答えなのか。
もう一つの答えにもなりうるだろう愛の結晶が、バッキンガムの叛意と同じく、全てを壊す破壊力を有しているのが、なんとも切ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
世界に殺されかけ、その運命に抗うべく王冠を望んだかつての子供たちが、今は嬰児殺しの刃を握る。
そういうもん…と割り切るには、あまりに切ない。
”ヘンリー”が愛を約束する指輪を薬指に差し出す前に、リチャードの親指にはリングが嵌っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
右手の親指は指導者の指。
王に相応しい”男”であることを、己に課す指だ。
ひとり虚しく己を搔き抱く時、その指輪がアンに向いている。
(画像は”薔薇王の葬列”第20話より引用) pic.twitter.com/nP6pL0Rl62
左手の薬指は心臓に繋がっていて、愛の誓約を指輪に込めて、伴侶を縛る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
”ヘンリー”が血のように赤い石を嵌めたのは、あくまで現実での創造力を意味する、右の薬指である。
秘密の茨が八重葎、誰にも開かせぬ二人の愛が落ち着くべき場所は、”ここ”なんだなぁ…という感じがする。
それでもリチャードは2つの指輪をその身にまとって、悪魔としてたどり着いた玉座から、頭上の光を治世に伸ばそうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
”ヨークの男”にふさわしい善き王として、馬上で毅然と振る舞えるのは、赤い指輪に込められた愛が、リチャードを抱くからだ。
しかし、それも終わる。
バッキンガムは眼鏡を付け直し、王位再簒奪へと踏み出した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
ヨークでの誉れ高き戴冠を前に、リチャードの王国は、秘めたる愛の園は、激しく揺らぎだしている。
その先に待つものは、一体何か。
年表見りゃ解るけど、別にもう、それは大事じゃない。
どう愛し、どう生きて、どう死ぬのか。
この奇想に満ちて懸命な物語なりの答えを、僕は見届けたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
あまりにも身勝手で、賢く、邪悪で、純粋だったバッキンガムという男が、燃やす内乱の火、恋の焔が、行き着く先を。
毎度ながら、次回もロクでもないことになるだろう。
楽しみである。
追記 この作品自体が、愛されて生きたかった子供たちの遺骸を弔う、無辜の幼児殉教者のための礼拝堂なのだ…とも言えるか。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
ここに来て子殺しというモチーフが焦点になってくるの、神=父に愛され光に満ちて生まれたはずのキリスト=リチャードが、現世の地獄に揉まれた結果子殺しのヘロデ大王にまで堕ちてしまった感じがある。
んじゃあ鏖を免れる三人目の”ヘンリー”が贖い主か…と言われれば、それもNOで。
誰もが無原罪の幸福を求め荒野を彷徨うが、愛に迷い性に溺れ、在るべき望みを見失っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
リチャード真実の願いを見つけたと嘯くバッキンガムが、選んだのは抱擁ではなく短剣だ。
愛で抱き殺す道か、殺して真を証明する道か。
そういう修羅道にしか進めない業が、彼には付きまとう。
半身を二度殺せば、リチャードの心はもう耐えられない気もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年5月30日
しかし年表はバッキンガム公処刑の未来を、その先に続く治世を語っていて、ここをどう語り切るか、大変に気になる。
聖嬰児から子殺しの王へ、気づけば流れ着いた迷い子達の行く末。
血みどろなのは、間違いない。