ダンス・ダンス・ダンスールを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
砂浜で舞う白鳥に、差し伸べられる2つの手。
奪われる恐怖と怒りに、流鶯はむき出しの己を舞に乗せる。
目覚める魂と美しく残酷な選択、その先に続く道。
溢れる感情を精密な枠組みに流し込んだ時、形になる美。
淳平の”バレエ”が、今始まる。
そんな感じの、青春バレエ絵巻最終回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
とにかく砂浜のラストダンスが作画演出共に圧巻で、スカラシップ獲得はあくまでその余波というか、運命が噛み合った結果の必然というか…。
激情をあるがまま曝け出す自由と、定められた規範で美を体現する伝統。
それが衝突し混ざり合う瞬間にこそ”バレエ”が生まれる事を、流鶯と都が選び取りたどり着いた道と、淳平が”生川”を選び進んでいく道の2つで切り取って、物語は一旦幕を閉じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
この後も感情と理性、前衛と伝統、規範と自由は幾度も衝突し、一度たどり着いた高みを超えて新たに生まれ直し続ける。
コンテンポラリーダンスの属性だと、一般的に思われているものが実は、真実クラシックバレエに血を通わせ、古典を現在に演じきるためには必須であり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
あるいは我を忘れるほどに己で満たされた瞬間にこそ、動かない規範、死んでるはずの”美”に命が宿る。
そういう昇華で幕が下りるのは、僕的に心地よい
色々凄いところのある作品なのだが、僕個人としてはこの画角、この古典と前衛の相互共存が凄く鮮烈で、好きな部分である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
理念として言葉だけで語れば、凄く薄っぺらな”正しさ”になってしまうカオスに、ドラマを燃料に動く絵の説得力を乗せ、見ているものの間近に投げかける。
アニメスタッフは見事に、原作に脈動する作品の核を”アニメ”に仕上げ、流鶯の体からほとばしる炎にあぶられた淳平が勝者となる必然、それが生み出す影の奥の涙まで、ちゃんと見据えて終わらせた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
とても良い最終回だったと思う。
1クールでまとめ上げるなら、確かにここだよなぁ…。
都と淳平が砂浜の舞台に上がることで、祖母の人形として孤独に踊っていた流鶯の舞に、生きた人間の血肉が宿りだす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
口づけよりも艶めかしい距離、闘争よりも激しい視線で、触れ合う思い。
そこで己を語るのは、あくまで流鶯一人である。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第11話から引用) pic.twitter.com/jRd45plPXI
彼が祖母の呪いを引きちぎり、あるいは母への思慕と憎悪を超えて己になるこの舞台が、水と大地が触れ合う岸辺であるのは、見事な舞台設定だといえる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
自分の世界をかき乱し、奪っていくものへの憎悪。
そんな存在だけが生み出しうる、変化への期待感。
美しき矛盾が星のように輝き、ぶつかり合う。
その全てが己なのだと理解し、それが生まれ出るためには自分ではない誰かが必要だと思い知る…演じきる場所は、やはり境界線上が良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
祖母に叩き込まれたクラシックバレエの技芸と、型にとらわれず己を表現し切るコンテンポラリーな精神性。
これまでの流鶯と、淳平に出会ってしまった流鶯。
流鶯は白鳥の姫から魔王へと演目を変えて(男女の境界線を越えて)、自己に没頭しながら世界全部を感覚し、体得し、表現する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
それは洋舞祭と似通っていながら、全く違う舞だ。
あの時死にきれなかった淳平は、一度の死で倒れ伏し起きない。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第11話から引用) pic.twitter.com/h6O80XR3vO
あの時は『死ねない』と、己の内側から湧き上がる感情を切り落としてくれる、圧倒的な才能を求めていた潤平であるけど、それがいつでも目の前にいることを、流鶯という存在の確かさを、彼はもう疑っていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
ここで殺され起き上がらないこと、孤独と怒りに流鶯を投げ込むことこそが、この舞台の必然
潤平の豊かな感性は必要な演出を直感するし、その熱量は都にも伝染し、手を引いてくれるはずの姫騎士もまた、倒れ伏して起きない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
激しい吹雪の中で、ずっと母の手を求め満たされなかった孤独な少年に、もうダンスパートナーはいない。
それを苦しいと感じる心が、魔王の中に確かに育っていた。
所詮コリオの一つ、嘘っぱちの偽りでしかないはずの舞台に、流鶯の魂は深く深く潜る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
その没入性は潤平の才能であり、極めて優秀なダンサーたる流鶯の中にも眠り、あの体育館で、あるいは洋舞祭のステージで、怒りとともに燃え盛ったモノだ。
その時、虚構と現実の境目は無くなってしまう。
砂浜に普段着のまま倒れ伏す、彼の王子と姫騎士を見下ろす時、潤平と都は本当に死んでいるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
友情と愛を失ってなお、消え去らない流鶯の身体に宿ったものが、人形の舞台たる浜を越えて、水の領域へと溢れ出していく。
流鶯は黒いショールを己の翼として飛び立ち、水の中で生まれ直す。
ジャンプの一つ一つが産声であり、怒りと痛みを叫び、愛されず顧みられずそれでも愛されたいと、現在進行で引き裂かれている胸の内を踊る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
それは生の躍動に満ちた”森流鶯”それ自体であり、日常の中に埋もれて形にならない流体に、一瞬形を与えられるからこそ、”バレエ”は今生きた芸術なのだろう。
都の挑発と潤平の助けを得て、流鶯は己を踊り切る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
魔王であり、白鳥であり、王子でもある自分に満たされ、だからこそ思い悩まず己でいられる、そんな舞いを掴み取る。
己が己であること、人が人であることを、その身体を賭して表す黄金の一瞬
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第11話から引用) pic.twitter.com/7tij21l5lN
扉の奥に封じ込められていた、誰かに見てほしいという願い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
あるいは”願い”という、大人しく綺麗な言葉では収まらない暴力的衝動。
それが形になるのは、流鶯の細胞全てに”バレエ”を叩き込んだお祖母様あってのことで、しかしそこに、愛はない。
流鶯の魂は、見て欲しい人に届かない。
羊水に塗れ、泣き叫びながらこの世に生まれてくる赤子のように、流鶯は無防備な姿を晒す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
その瞳は、恍惚となった祖母にはもう届かない。
魔王の祈りは届かない。
それを思い知って崩れ落ちそうになった時、都もまた水に飛び込み、道を選ぶ。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第11話から引用) pic.twitter.com/wt4whWWoJR
流鶯の体全体を抱きしめる都の姿勢が、己の体で祖母への視線を塞ぎ、過去の思い出から彼女の王子を奪い去る姿勢であることに注目したい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
都はただ清廉なお姫様として、己を流鶯に捧げるわけではない。
踊る理由、生きる意味を与えてくれる相手だからこそ、全霊を賭して守り、支え、奪う。
そういう狡猾(”女のズルさ”と狭くいうより、”人間の業”と受け止めたい場面だ)はしかし、震えるほどに美しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
ここで濡れることをためらわず海に踏み込み、流鶯を抱きしめることで何を手放すのか、都はこれ以上ないほどに理解している。
切断と決断の痛みを覚悟で、それでも流鶯を抱くのだ。
それは潤平自身の望みでもあり、他人の顔を否応なく見てしまえる彼が、それが正しいと飲み込んだ苦味でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
二人の初恋は、ここに至るしかないのだ。
それは寂しく悲しいことだが、しかし奇妙に誇らしく、眩しくもある。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第11話から引用) pic.twitter.com/y8mXFmQavT
ここからは、家族のこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
恋が幸せに転がっていって、非血縁を血族に変える婚礼の魔法が潤平に訪れれば、あり得たかもしれない未来を、千鶴さんはスパッと切り捨てる。
ここではなく、砂浜を越えた先にある場所にこそ潤平の未来があること。
そこに隣り合うのが、五代ではなく生川であること。
その事実を、当人に先んじて師匠は理解している感じがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
自分たちの元を離れていく潤平の足跡を見る時、都の瞳はエロティックな光を浴びて、打ンサーに必要な陶然を眩しく宿している。
少し獣めいた、夢見るような視線は、魂を燃やしきり愛を体現するための必須条件。
あの洋舞祭での蚊帳の外感から、都は彼女の王子に追いついて、その瞬間運命が離れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
残酷であるけども、まぁ、そういうものなのだろう。
走り出した先で、潤平は幾度目か衝動のまま動き出して、他人の人生をかき回す。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第11話から引用) pic.twitter.com/Y6Et6UPCVq
頭で考え、先達の出した解答を必死にパッチワークして、完成度をあげる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
海咲の舞は、後に出される”正解”の当て馬、ダンスに愛された少年を際立たせるための”間違い”なわけだが…そう終わらせるつもりは、当然この作品にはない。
己の限界を知りつつ、醜い笑みを浮かべつつ、それでも踊りたいと願う。
海咲の健気で醜いあがきは、しかし”バレエ”(の真髄に触れ、舞台を降りた後も全人生を賭け他人を利用してでも体現しようとしてる綾子さん)には届ききらない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
経験以外の全てを手に入れた少年が、一回の跳躍で全てを追い越していく残酷。
これから、潤平はそれを舞う。
海には踏み込まなかった潤平も雨に振られてずぶ濡れで、初恋を殺し五代から離れ、新たに生まれてきたことが解る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
高鳴る心音を精妙な”形”で導いて、爆ぜさせないように踊り切る舞いは、洋舞祭の勝手な高揚と大きく異る。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第11話から引用) pic.twitter.com/7WUHkdw8Fu
『つーか中村先生、潤平好きすぎだろ…』とm思わずツッコみつつ(そんな中村先生が、俺は好き)。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
海咲が憎悪を混ぜて否定しようとするものに、寿くんの素直な感性は震え、涙が溢れてくる。
ほんと寿君は、バレエが好きで、その全てを受け止めたいと思ってんだなぁ…。
完璧には程遠い潤平の舞には、より良くなろうとする率直な欲望と、それが果たされた先にある理想形が宿っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
見るものに遠くない未来を夢見させるほどに、潤平の荒削りな踊りから溢れるものがある。
正解を追いかけ、間違いなく踊ろうとする海咲からは、溢れ出ないものが。
水に足を取られ、倒れ伏して見えるのは美しい思い出。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
魔王に奪われ、あるいは与え、去っていった初恋と友情が離れても死なないのだと、証明するかのように潤平は立ち上がり、音を感じて自在に翔ぶ。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第11話から引用) pic.twitter.com/3z23diXFjN
ここで他の生徒を捕らえている”正しさ”の鎖から、寿君の感性が解き放たれ、自分の感じたものこそ、目の前にあるものこそが美しいのだと泣けることに、僕も涙を流す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
演者として”バレエ”に愛されずとも、彼の愛は特別な体験と視線を、彼に連れてきてくれている。
逆に言うと、正しく観ることにすらある種の鍛錬と才能を必要とする厳しさが、寿君を通じて描かれてる…ともいえるわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
選別の残酷さは、それがダンサーを押し上げる高みを際立たせ、才気が煥発する潤平の舞に説得力を与えていく。
今ある答えではなく、いつかたどり着く眩さをこそ。
綾子さんは洋舞祭の時から、その才能に惹かれつつ、己の野望のために潤平から膝を曲げるよう、状況を作ってきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
五代との縁を切り、生川を己の答えとして、その才能を活かす。
迸る感情を抑え込み、だからこそ生まれる輝きを研ぎ澄ます。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第11話から引用) pic.twitter.com/H4TV5avV3E
そういう道を潤平は選び、綾子さんは受け入れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
ぜってー部屋出た後、夜神月みてーな笑み浮かべてたよなぁこの人…『計画通りッ…!』って感じだろ。
野放図な星のように生きることを、体育館の流鶯の舞を見て選び取った潤平は、生川の檻で己を鍛えつつも、そこに収まりきらない。
極めて現実的で厳しい師匠のもとで、たくさんの苦労と成長を重ねていくわけだが、それこそがバレエに愛されバレエを選べなかった少年にとって、必要な運命なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
そしてそこからはみ出した海咲を、勝者である潤平は声援に包まれて、見ることが出来ない。
ここで大和だけが敗者の闇に踏み込み、潤平は己が踏みにじるものを見ないのが、僕は好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
正しいと感じるし、選ばれるということ(つまり、選ばれないということ)には、必ずこの残酷が付きまとうのだと思う。
それもまた、この作品が描いてきた”バレエ”の真実だ。
流鶯が己を表現する舞を、お祖母様は見てくれなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
同じように魂が爆ぜる瞬間に出会って、潤平は生き方を変えた。
星が炸裂する瞬間が、届く人もいれば、届かない時もある。
そういう複雑なステージの中を、ダンサーたちは駆けていく。
負けるものもあれば、勝つものもいる。
残酷な選別の刃に倒れ伏すものも、『死んでられねぇ!』と立ち上がるものもあるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
音楽は鳴り止まない。
人生は続いていく。
エピローグ、お父さんの遺影が映るのが、僕は好きである。
彼は死の直前、愛息に踊ることを許し、願った。
(画像は"ダンス・ダンス・ダンスール"第11話から引用) pic.twitter.com/7SD62EawFD
『こんな楽しいこと、やめられねぇ』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
あくまで身勝手に軽やかに舞っているようで、潤平はその踊りの中に父の願いを背負って、翔ぶ度生き死にの境を越えているように、僕には思える。
彼の舞いは、父を奪い運命を捻じ曲げた運命に反逆する、ある種のプロテストソングと、僕には聞こえるのだ。
此処から先にも山あり谷あり、潤平の人生は大荒れで続いていくわけだが、アニメが今回切り取るのはここまでである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
とても楽しかった。
自分の興味がある領域を、納得できるテーマ選択と、人生の泥や苦味から目をそらさない筆致でしっかりと描き、優れた身体描写を通じ、そこに熱を宿してくれた。
ダンスシーンへの気合の入りようは正に圧巻で、重力を制圧し一瞬の夢幻を形にする”バレエ”の強さと凄みを、分厚く描いてくれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
たかが踊りで人生が変わっていく物語を、浮遊させること無く僕の手元に届けてくれたのは、”動く絵”たるアニメ特有の強さ、美しさあってのことだろう。
同時にアニメがこの短い話数ですくい上げた、原作の濃厚なエッセンス…その源泉たる漫画の強さも、間違いなく魅力の源である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
第1話を見終わった瞬間に全巻読んでしまったが、今回魅せられた物語が序盤も序盤、さらなる”バレエ”の深奥へと踏み込んでいく魔力は、怪物めいて力強くうねる。
だから…最終回見終わった瞬間に貪欲だけど…ぜってぇアニメで見てぇよこの続きを…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
この演出、この色彩、この音楽と動きで、あのシーンとかあの場面とか体中に浴びて、圧倒されて打ちのめされてぇよ!
身体表現にまつわる作品なので、”動く”意味がホントデカいんよなー…。
まー静止画の連なりって表現領域で、音楽を鳴らし人間を踊らせてしまっているジョージ朝倉先生の怪物性があって、このアニメもあるわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
そういう幸福なる共犯が、三ヶ月元気に踊ったのは、凄く幸せな”アニメ化”だと思う。
限られた時間、削られたものも当然ある。エグみは結構抜けてると思う。
しかし原作に宿った青春の躍動、選別の残酷、出会い動き出す人生の飛翔は、アニメという表現媒体の強みを最大限活かし、たいへん力強く舞ってくれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
圧倒され、飲み込まれ、そこにいる青年たちの思いと執念を、毛穴から吸い込めるような迫力と熱量が、毎回とても元気だった。
古臭く、既に終わった芸術に思えるクラシックに、どれだけ現代的(Contemporary)な活きた想いが宿っているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
躍動する人間の証明が、厳しく定められた規範によって鋭く磨き上げられ、人の心を打つ激しさを美しさと共存させうるのか。
一人間の感情が宿らなければ、舞に普遍的な感動は宿り得ない。
そんな一見矛盾にも見える真実を、”バレエ”に魅せられ呪われ愛された人々を描く中でしっかり伝えてくれたのは、個人的に嬉しい描き方でもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
綿々と受け継がれてきた伝統を、どう活かし直し続けていくか。
その美しさに焼けた血潮を流し込むには、何が必要化。
個人的にとても大事な問題に、ド迫力の示唆を与えてくれる作品と出会えたのは、とてもありがたいことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
この古典と前衛の衝突、その果てに生まれくるものを描くべく、洋舞祭と砂浜、2つの”白鳥の湖”でアニメをまとめ上げる構成を選んだのは、俺すごく好き。
野放図に己を舞える潤平の可能性が、流鶯の内側から引き出したものの凄さを描いた上で、それがクラシックな規範にまとめ上がることでたどり着く、新たな高みへと繋げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
一度正しいと思えた興奮を、厳しく問いただし、その身を以て新たにしていく。
そういう終わらない歩みの、第一歩、第二歩…
そして、その先に続くもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
それをしっかり感じさせてくれて、とても良いアニメでした。
都が可憐で可愛くて、『いやぜってー好きになっっちゃうて…キスは裏切りじゃねーって裏切りだけど…』て納得する書き方だったの、大変良かったですね。ありゃー好きになっちゃうって。
自分を見出し育ててくれた師、世界を変えてくれた親友にしてライバル、初恋の美しい思い出。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
色んな者に背を向けて、潤平は”生川”での新しい日々を走っていきます。
その別れは寂しいことだけど、人生には必ずあるもので、道の先でまた出会うこともあるでしょう。
そんな馥郁たる広がりを感じさせる幕引きは、自分たちが描こうと思ったものに必死でかじりつき、全力で表現したからこそ生まれるもので。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月21日
そういうアニメを見届けられて、僕は凄く嬉しいです。
ありがとう、お疲れ様。
とても素晴らしく、楽しいアニメでした!