メイドインアビス 烈日の黄金郷を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
ヴエコの口から語られる、”ガンジャ”冒険の顛末。
不帰の黄金郷に活きた証を刻む足掻きを、奈落の全てがあざ笑う。
人であることが許されぬ場所で、それでも生きるのならば、人でなしになるしかない。
落ちる、皆落ちる。
闇の中のまばゆき、漆黒の光へ…。
という感じの、アニメ版再構成の真骨頂、折り返しタイミングでの最悪の伏せ札暴露、烈日第7話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
いやー…エグいね!
ですまされない、過酷極まる環境でなんとか生きようとして、生き残りはしたが人でなしになったものと、その聖餐となったものの物語である。
糞便からセックス、暴力に人肉食。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
様々なタブーを色んな場所で扱ってきたこのお話であるが、”ガンジャ”がこの形に成り果てた裏にはその全てがあり、禁忌を禁忌として成立させる倫理や秩序の、決定的な不在(ゆえの、再獲得へのもがき)がある。
他人を抱きしめる優しさや、瞳に宿った強さをケツの穴からドロドロにして排出していく、奈落の水病。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
人間としての極限が試される状況で、ワズキャンはイリュミューイとその子らを餌食とすることで、生存を選び取った。
全てから排斥された我々は、己の両足でその尊厳を立てる以外に道がない。
そう信じる”神がかり”の神様はあくまで自分(とチーム)の生存にこそあり、そのために唯一打てる手筋を、慌てることも絶望することもなく掴み取ったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
そこには洞窟のように底なしに暗い眼窩と、確信に燃え立つ炎があり、絶望と希望、尊厳と最悪は混ざることなく同居している。
ある種不屈の精神は探窟家の鑑といえるし、人間失格の極みでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
しかし何が人間であるかを、この奈落は規定してくれない。
呪いは簡単に人を欠損させ、殺し、あるいはその欲望に従った形に捻じ曲げる。
甘っちょろい信念や倫理を抱えては、生き残れない厳しさしかここにはない。
それでもなお、何かを選び取り、変貌に変貌を重ねてなお人が人である証…己が己でしかない証明を打ち立てる時、闇の中の輝きは眩しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
それは常に、光の中に濃い影としても描かれていて、簡単な判断を許しはしない。
どう考えても許されないが、誰が許さないのか?
神か人か、それとも母なる深淵か?
人でなしの行いと心にあわせて、人の形を捨てさせてくれる遺物に導かれながら、ボンボルドにしてもワズキャンにしても、大変立派な人でなしになった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
その烈日の如く強い意志は、人間が人間である最も強い証明ではないのか。
そんな事、あってはならないと叫ぶのならば…
その時差し出されるべき人間の証明は、一体何処に宿るのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
リコの旅路は、おしなべてこの問い掛けがみっしり詰まった最悪の問題集だといえる。
片手を切り落としたら、機械の体だったら。
全身を切り刻まれ、カートリッジに詰められたら。
死ねない肉塊に成り果て、知恵を失ったら。
『いつ人は、人でなくなるのか』という問いかけは、飯を食ったりクソしたり、価値を定め欲望を図る人間的な営為に重ねながら、幾度も描かれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
その問いかけは形而上的であると同時に、糞便と血泥に塗れたくっせぇくっせぇ超絶リアルであり、答えを共用された子供たちの酷い有様で、作品はいっぱいだ
そこに現代最高峰の変態であるつくし先生の個人的フェティシズムが過剰に混入しているのは大いに認めるが、しかし勃起したちんぽこを描くのも、ブリブリウンコ垂れる姿を隠さないのも、血を流し切断される身体から目を逸らさないのも、ただ拷問官としての悦楽からではないと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
奈落という場所、遺物という設定。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
優れたファンタジーと過酷な冒険譚を通じて、それでも己であり人であることの証明として、人であることを手放さず奈落の最奥に進む主人公たちを、より眩く描くために、卑尊善悪の入り交じる混沌が必要なのだと思う。
その旅路に膝を曲げ、人でなしになったものも。
それはたった一行の”正解”にまとめられるものではなく、食って血を流し笑って殺した長い旅の、一粒一粒をまとめてようやく描ける砂絵だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
この曼荼羅の一つとして、間違えきって”成れ果て村”になってしまった”ガンジャ”黄金郷植民基地の、凄惨にして聖餐にして精算なる物語がある。
最初の探窟隊である”ガンジャ”は、リコ達が知っていた奈落の不帰性を当然知らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
これから語らえる惨劇と同等か、それ以上の地獄が地上に持ち帰られたからこそ、”ガンジャ”に続く者たちは奈落の知識を、微かながら知り得た。
(画像は"メイドインアビス 烈日の黄金郷"第7話から引用) pic.twitter.com/HwfJXEqow0
白い石を握り、昇降装置を起動させた(妙に可愛い)成れ果て。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
そこにリコとプルシュカのようなドラマがあったればこそ、遺物はその思いに応えて動き、しかし人間はそれに耐えられない。
この事実をあくまで冷徹に受け止め、黄金郷に未来を踏み出したワズキャンの、神がかりの眼。
あるいはイルミューイの語る言葉に、知恵と未来を感じ取り瞳を輝かせる、病を得る前の(勿論、怪蛇にも成れ果てていない)ベラフ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
弱く可愛い生き物の面倒を見れる自分に、強さと優しさを見出すイリュミューイとヴエコの、暖かい視線。
瞳は彼らの”人間”をよく語る。
ベラフは正しく賢者であった。
現在の成れ果て村に比べ、過去の植民基地は暗く、だからこそ薄暗い光が眩い場所として描かれ続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
生存の希望をつなぐ、水を見つけた時。
社会から爪弾きにされ、”女”という性を蹂躙され剥奪された思い出を重ね、温もりを求め抱き合う時。
(画像は"メイドインアビス 烈日の黄金郷"第7話から引用) pic.twitter.com/3J5CiN14hI
あるいは残酷な死が哀れな命を噛み砕き、しかしその思い出を装身具として身にまとう知恵を、美しく活かせた時。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
そんな賢い優しさを、そっと見守り心の支えとする時。
人は絶望の闇の中で、確かな光を見つけている。
その微かな輝きがあればこそ生きられるし、それがあるからこそ、死の影は濃い。
この不鮮明な色彩は、”ガンジャ”が後に成れ果てる葛藤なき欲望充足集団ではなく、様々な辛さに思い悩む人間存在であった、一つの証明な気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
心を削り体を変貌させ、瞳を塞いでたった1つの欲望だけを、叶えればいい存在。
言葉の真の意味で”獣”でいていい、大いなる母の胎内はこんなに暗くない
陽光は眩しく、色彩はハッキリしていて、死を外部から招き入れたとしても、それは価値を拡大するための”祭り”である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
そこに終局への恐怖はないし、存在に思い悩む足踏みもないだろう。
獣は悩まず、後ろも振り返らない。
隣に立つ人を抱きしめることも、希望を共有することもない。
あるいはこの明暗を排除し、ヴエコが身を沈めていた暗黒の淵に追いやったからこそ、あの村は価値と欲望のシステムを明瞭に、成れ果て共が暮らしていける場所として、あのパキッとした色合いで成り立っていたのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
どっちにしても、それは先の話だ。
今”ガンジャ”は、生死明暗の境にある。
誰かの代用品ではなく、性処理の道具でもなく、産めない自分を自分だからこそ求めてくれたイルミューイ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
彼女の変容から、”ガンジャ”の終わりは始まり、始まりが終わる。
どう見ても卵巣な、夢と欲望の卵。
(画像は"メイドインアビス 烈日の黄金郷"第7話から引用) pic.twitter.com/e274vUrL7Q
これに無垢なる子供を適合させることが、これから”ガンジャ”を襲う未曾有の嵐を生き延びる、唯一の方法だと、この時のワズキャンは見抜いていたのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
眩すぎる光を背負い、逆光に暗く彩られた無貌の中で、瞳だけが異様な黄金を宿している。
闇の中の光は、”欲望の揺籃”と同じ色合いだ。
それは愛する人が生き残るという、最も素朴で強烈な願いの光であり、ヴエコはワズキャンに導かれるまま、遺物を子供に預ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
かくして病は乗り越えられ、イルミューイは生きる。
だが心臓が脈打ち二本の足で立てば、人間は生きていることになるのか?
遺物も奈落も、簡単に人の形を捨て、望んで果たせなかった道を開いてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
それが閉ざされていたのは、開いてしまえばあまりに簡単に、人は人でなしになってしまうからではないのか。
選択を果たした重責は、医療従事者として患者と共倒れになるわけにいかない…
イルミューイが人であるうちに、一緒に死んでやる無責任に身を投げれない、ヴエコを激しく苛んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
人扱いをされず、犯され傷つけられてきたヴエコが、既存の社会ではなく未知なる奈落に己の実現を求めた様子は、第1話で既に見ている。
他の”ガンジャ”隊員も、似たりよったりであろう。
しかし彼らを満ち足りた黄金から追い出した”人でなし”が、あくまで人の範疇でしかなかったのだと思い知らされる異様が、この深淵では起こりうる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
少女が不滅の肉塊へと、あるいは祈る白笛へと変わってしまう世界なのだ。
(画像は"メイドインアビス 烈日の黄金郷"第7話から引用) pic.twitter.com/0LtfIMoh9g
”欲望の揺籠”はイルミューイを、獣身の地母神へと変えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
子供が埋めない存在だから、兄弟にもママにも、”生む”ことを女性の第一義とする社会にもはじき出され、とてもつらい思いをしてきた少女。
彼女の夢は、琥珀色の卵巣と同化することで叶う。
しかしそれは、悪夢のままごとでもある。
その子宮は飽きることなく子を孕み、しかし子らは息を吸い乳を飲む形体を宿していない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
絶叫するほどに腹を痛め、産み落とした我が子への愛を、それが結実する優しい生を、遺物は当然斟酌しない。
子は産めるようになった。
でも、一緒に過ごし、幸せになることは叶わない。
このポンコツ極まる願望充足は、異様な病によって既に削れていたイリュミューイの精神を、更に壊していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
生殖活動とはただ産めば終わりではなく、単独では生きられない存在を社会全体で育み、家族とともに守っていく全体を言うはずだ。
だがそんなバランスのいい幸福は、地獄では高値すぎる。
イリュミューイはなぜ、”母”に成れ果てることを欲望したのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
そこには、”母”になりさえすれば幸せになれるという、幼いがゆえに未熟で純粋で、けして間違ってはいない…間違いであってはいけない願いが、黄金色に燃え盛っていたのだと思う。
子を生む存在でありさえすれば、私は私として…
そんな願いを暴力の褥でズタズタに引き裂かれ、ひどく捻れた形で抱え込んでいたヴエコには、少女はかつての自分であり、救えなかった未来の自分でもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
イリュミューイが幸福になることで、何も良いことなかった私も報われる。
弱い存在に優しくすれば、わたしは満たされる。
それはあの可愛い、帽子もぐりのフワフワを愛玩しようとしたイリュミューイと、同じ博愛のエゴイズムなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
誰かに優しくするのは、自分が満たされたいから。
誰かを抱きしめるのは、誰かに抱きしめられたいから。
そんな矛盾した不可分が、人と人が触れ合う場所では必ず起きる。
イリュミューイとヴエコの共犯関係は、医師が病を懐き、生存欲求のみを焼き付けられた”獣”となった時、決定的に破綻する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
命を繋ぎ、明日へ進む。
これまでも幾度か描かれた、奈落のヨモツヘグイはしかし、今回決定的なグロテクスと、生きるということの切実を眩く反射する。
水を確保するのすら命がけ、食料確保に犠牲がつきもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
そこで、死病を跳ね返せるほどに滋養に満ちた糧があるのならば、それはまさに聖餐だろう。
ヴエコは生きていることを実感し、何よりも眩しい光に直面できるのは、生きているからだ。
だが、その一匙に込められた毒は致死量でもある。
イリュミューイの子らを喰らって、”ガンジャ”は生き延びていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
それはもはや社会から排斥されてなお、己の居場所を求めた誇り高き冒険者などではなく、純粋な願いを秘めた少女を食糧生産プラントに貶め、彼女の愛をうめぇうめぇと貪る畜生餓鬼の軍勢である。
なるほど、”成れ果て村”…。
イリュミューイが夢見て叶えられず、だからこそ遺物が反応した願いは、母たる己と愛しき子と、それを愛してくれる様々な人との間に、満ち足りた相互関係を豊かに紡げる、”人間らしい”光だったはずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
しかしワズキャンは、それを生存のための食料庫として、計画的に生み出し、貶めた。
”貶めた”という表現は、今僕を包囲し保護している”普通”の価値に体重預けすぎた言い回しかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
彼は極限に適応した神がかりとして、自分の夢と、その実現に必要不可欠なチームが生き残る唯一の手段を、迷わず実行したにすぎない。
聖人のように光の中で微笑む、瞳に曇りはない。
こういう局面で人でなしが過ぎる正解を選べてしまうから、彼は探窟家としてここまで生き延びてきたのだろうし、己を最後まで貫けるものは強い…という話でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
理想主義者だったベラフの変貌に比べると、彼の成れ果てが軽微なのは、人格が透けて面白い。
…それでも仮面は被る、か。
生きるの死ぬのの瀬戸際に追い込まれ、ヴエコの願いはただただ”水”の一文字になった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
そこにイリュミューイへの慈愛も、未来への希望も、医師としての矜持もない。
人間の皮を剥いで剥いで、最後に残った欲望だけにしてしまえば、成れ果てるのは一匹の獣。
遺物が心を現象として引きずり出さなくとも、ヴエコは己の浅ましさと、世界の真理の一端を嫌というほど、死の床で思い知らされた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
そこから助けあげてくれたから、”シチュー”はこの世のものとは思えぬほどに美味かったのだろう。
そうして繋いだ魂が、取り戻せぬ罪を教える。
イリュミューイの幼く必死な願いと、生きられずとも生まれてきた子供たちの尊厳。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
それを顧みず、積極的に徹底的に蔑ろにすることでしか、もう”ガンジャ”は生きられない。
あるいはこの決断に追い込まれた時点で、誇り高き”ガンジャ”が終わり、人でなし共の”成れ果て村”が始まったのか。
どちらにしても、食って守って必死に生きて、過酷すぎる黄金郷に己の存在意義を探してきた先駆者たちの旅は、病と聖餐によって終わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
食べること、クソをひること。
人間というシンプルな管の、入口と出口で起きる現象が探窟隊の眩い理想を、残骸も残らぬほど粉砕するのは、いっそ痛快ですらある。
瞳に魂が宿るだぁ、私たちはずっと一緒だぁ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
そんな理念は、食ってクソして生きて死ぬ存在…”獣”でしかない事実から逃れられない人間には、あまりに過ぎた望みだったのか。
この過酷過ぎる深淵の底で、哀しすぎる生産を続けながら生きていくことの、価値は何処にあるのか。
始まりが語られたのならば、そこには終わりが続かなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
成れ果ての姫、ファプタ。
彼女がなぜイリュミューイの面影を残し、村を憎悪するか理解る時が、終末の導火線に火が灯る。
この呪われた生い立ちを知れば、確かに戻れはしない。
『とっとと滅べ』が、率直な第一印象だろう。
しかし幼子の屍、貪った命の上に成り立つバベルの塔だとしても、そこには数多の願いがあり、奇妙に捻くれた尊厳がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
譲れない魂の輝きがあり、それは常に、何かを踏みつけにもする。
明暗は渦を巻き、混沌に答えはない。
ただ加速して、全てを暴力的になぎ倒しながら、新たな光を引き寄せるだけだ
第1話から続く変則構成を回収し、村の真相がわかった上で、罪と欲望の成れ果てを取り囲む”今”へと、お話は加速していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
精算は成されねばならない。
犠牲となり、蔑ろにされたものの権利と恨みは張らされ、炎によって清められなければならない。
それだけの正当性は、今回描かれた闇に強く宿る。
その上で、復讐譚は一方的な答えには終わらない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月19日
許すのか、抗うのか。
子供たちは加速していく”今”のど真ん中で、幾度目か決断を果たさなければいけない。
それが生み出すのは闇か光か…その境目は、確かなのか?
次回も楽しみです。