メイドインアビス 烈日の黄金郷を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
壊滅の危機にあった”ガンジャ”は、おぞましき聖餐によって命を繋いだ。
願いを形にする遺物により、変容していくイルミューイと一行。
何処にもない場所への望郷を叶える、我らの呪われし故郷。
そは我が母なる暗黒の、暖かき香りに満ちて…。
そんな感じの成れ果て村起源譚、決着と再帰の烈日第8話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
村とファプタの起源が明かされ、姫がレグに何を求めているかも鮮明になっていく。
そうされるだけの罪が村にはあり、相応しき罰の執行者として、イルミューイの末娘は生まれた時から選ばれている。
内側と外側が奇妙に繋がり、何処にも出口がない村の構造も。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
妙に肉感的で、生殖器官を思わせるそのデザインも。
欲望と価値のシステムを成り立たせる黒い精算の獣が、違反者を”喰う”理由も。
ここまでの描写全てが、捻くれた因果の産物であることが見えてくる。
ガンジャ隊の過去と、リコ達の今を重ねて描きなおしたアニメの物語は、その起源を語ったことである意味原点に戻り、村と復讐姫の前には白紙の未来が広がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
これだけの惨劇の果てに生まれてしまった場所に、どう落とし前をつけるのか。
何をどうすれば、祈りと過ちは贖われるのか。
新たな問に向かって進むためには、一見牧歌的な村に伏せられていた秘密を、暴き立て知らなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
そして、知れば後戻りはできない。
ヴエコが作中語った”識る”ことの暴力性が、今後はもっと物理的で直線的で、悲愴で残酷な形で発露していく。
それは聖なる復讐劇か、人間性の身悶えか。
ファプタは瞳に宿る百万の感情で、その舞台に上がる資格をすでに証明している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
可憐、苛烈、悲愴、壮絶。
記憶が無いなりに、ナナチを取り戻すべく普通で誠実な交渉を持ち出したレグの前に差し出されたのは、姫の鬼気迫る覚悟だ。
(画像は"メイドインアビス 烈日の黄金郷"第8話から引用) pic.twitter.com/UKJlsCksmc
そうさせるだけの因縁を彼女は背負っているし、そうしなければ何処にもいけないどん詰りに、生まれつき打ち捨てられてきた…とも言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
僕らは(TVシリーズの巧みな再構築の助けも借りて)ファプタの事情を知ってしまっているので、レグののんびり顔にちいと腹も立つ。
人の形を捨ててなお欲望の揺り籠として利用され、無念を晴らす機会もない母のために。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
生まれ落ちてすぐさま食材と化し、天命を全うすることもなく貪られた姉たちのために。
ファプタは何を差し出しても構わぬ決意で、成れ果て村を憎悪し、その終わりを願う。
成れ果ての姫は、生まれつきの怨霊だ。
その業を背負い未来を切り開くのに、無垢なる機械の少年は釣り合うのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
その瞳は、ファプタの眼力に似合うだけの重さがあるのか。
そこら辺は全ての因業を語り終えた村を舞台に、今後問われていく部分である。
ヴエコの語る歴史の重さに、釣り合うだけの姫の覚悟を最初に見せる構成、好きだな…。
というわけで、イルミューイを中核に”ガンジャ”は”成れ果て村”に成れ果てていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
瞳に宿る意思にこそ人の尊厳を見出していた賢者は、病と飢えに己の浅ましき本性を思い知らされる。
その眼は、もはや死んだ魚のように濁る。
(画像は"メイドインアビス 烈日の黄金郷"第8話から引用) pic.twitter.com/QRlBI8WY5u
他方ワズキャンの瞳は底光りする闇のように揺らがず、常時現実を見据えながら、欲望の落し子を的確に”処理”していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
食わなければ死ぬし、食うのならば余すところなく。
そんな英断は決定的に正しくて、根本的に間違えてもいる。
この黄金郷では、人でなしこそが英雄なのだ。
ワズキャンの瞳は人でなしになること以外に人であり続けられない現実を見つめつつ、故郷に居場所なきアウトサイダー達に、新たな居場所を与える奇妙な使命感も見据えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
『我々はこう成れ果てる』という、狂気めいた確信を彼はずっと見つめて、そのための最善手を打ち続ける。
仲間や状況を誘導していたとも言えるし、避けえない運命の中でそれでも、自分たちなりに人でいられる最後の居場所を切り開こうと、唯一実効性のある手立てを探った…とも言えるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
ヴエコの生涯を思えば、奈落の外側でも既に崩壊していた、人を人たらしめる倫理。
それは害獣や疫病、上昇不可や遺物という形で更に厳しく人間を試す奈落において、変質し独特の形を手に入れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
人の形が心のあり方で変化する場所においては、人が人である証も、それを保証する社会も、歪に、そして自然に変わり果てていく。
欲望と価値を根源とし、個人の人命を顧みない村。
それはこの地の底で、疫病に食われて屍を晒すか、個人も社会も人でなしに成り果ててなお生きるか…究極的な選択を果たした先にある、一つの結果だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
その善悪是非を問うのなら、究極的選択を常時迫るアビスに潜り、色んな事情を考慮に入れた上で為さなければならない。
確かに、ワズキャンは外道だ。
しかしその行いを”外れている”と断罪するのならば、守るべき正道なるものが示されなければならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
ボンボルドの所業に対峙したときと似通った、超倫理的で暴力的な、人であることを問う物語が、再びこちらを睨みつけている。
この成れ果てに宿るものは人の美なのか、醜なのか。
結論は出ぬまま、イルミューイも瞳を失い、涙とも涎ともつかぬものを吐き出す肉塊へと成れ果てていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
彼女を社会から阻害し、この場所へ追いやった”母ではない”という属性は、巡り巡って意思なき”母でしかない”存在へと、少女を変貌させてしまった。
バランス良く、正しく、みんなで幸せ自己実現。
そんな綺麗な夢が叶うほど、黄金郷の光は清廉ではないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
人間の根本が常に試され、弱さは死か死ぬより酷い結末に簡単に結びつき、形を変えてなお、心に残った最も強い欲望だけが駆動し続ける。
そういう場所で”人である”のは、ひどく半端な生き方かもしれない。
弱きヴエコは殺すことも死ぬことも選べないまま、イルミューイだったものを中心にガンジャが変貌していくのに付き合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
彼女の選べない惰弱は、迷わず選ぶワズキャンの強さの、歪んだ鏡でもある。
選んでいたら、どうなっていたのか。
その答えの一つが、あの揺らがなすぎる眼だ。
神がかりの願いに導かれ、世界最初の探窟隊はその畢竟へと成れ果てていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
賢者は罪の重さ、己の弱さに耐えかねて、地母神の贄となることを願う。
知恵なき欲望の獣、イルミューイの仔と生まれ変わって、迷いなき新たな生へ。
(画像は"メイドインアビス 烈日の黄金郷"第8話から引用) pic.twitter.com/ljpjKycIJD
”食った”ことで決定的に己を手放し、命を繋いだベラフが”食われる”事を望むのは、皮肉でもなんでもなく一つの正しき精算であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
奪われ続けてきたイルミューイはその人生の果に、奪い食らう側へと己を変貌させ、その内側に罪人たちをまくり込んでいく。
緑色の膜は胞衣であり処女膜であり、けして破れることのない夢の境界線である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
ここに取り込まれたものは、母の外側で自分の足で立ち、自分の未来を切り開く権利を喪う。
瞳の輝きを亡くしたベラフは、それをこそ願ってイルミューイの胎内へと先駆けていく。
願った結果、夢を見た結果、自分が揺らぐことなく強い自分でいた結果が、あの子殺しであり人でなしなのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
夢の結末がこうも無惨ならば、暖かき揺り籠の中で眠る、一匹の人でなしでありたい。
その願いは、ガンジャ全員の祈りへと拡大し、皆は食われて形を変えていく。
捕食と出産が同時に進行する、地母神の聖餐。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
かくしてイルミューイは村そのもの…母なる場所それ自体へと成れ果て、願いは叶う。
後に沢山の欲望を内側に取り込み、価値を精算するシステムとなっていく彼女自身が、その欲望を最初に精算する犠牲者となった。
始まりと終わりは、ここでも繋がっている
入口と出口が繋がっているのなら、何処にも”外側”はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
永遠に繰り返す微睡みに、冒険の余地はありえず、ガンジャはもう二度と未知に挑むことは出来ない。
こここそが、社会に打ち捨てられ何処にも故郷をえれなかったもののどん詰まり、肉に満ちた麗しき故郷である。
この惨状を終わらせる”外側”を、遂にヴエコは自死に求めるわけだが、ワズキャンはそれを許さない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
イルミューイを中心に完成した、人でなしたちの閉じた楽園。
それが成立するためには、”母の母”が生きていることは大事なのだ。
(画像は"メイドインアビス 烈日の黄金郷"第8話から引用) pic.twitter.com/gqj4kMYOyN
”死”という薄暗い終わりを覚悟したヴエコにこそ、眩く禍々しい黄金が輝いていて、社会の新しい形を先導した神がかりが暗い場所に立っているのは、なかなか興味深い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
人が死ねば闇で、生きれば光。
そんなシンプルな二分法は随分前…多分、アビスに足を踏み入れた時終わっている。
どん詰まりの絶望の中でこそ人は輝きを求め、生きることは常にその夢を裏切る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
それでも願うものがあるのならば、ぼんやりと未来を見据えていた神がかりもギラついた輝きを瞳に宿して、”人命救助”に勤しむ。
それこそが、彼が見据えた閉じたる楽園には必要だからだ。
ベラフもイルミューイも、その願いと善性をワズキャンに見透かされ、利用される形で楽園の礎となった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
それは彼なり必死に、”人として”やれることをやりきった結果なのであり、神様の高い位置から何もかも操っていたわけではない。
神様は、もはや欲望しない。イルミューイがそう成り果てたように。
世界のどこにも認められなかった私たちの、何処にも存在しない故郷。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
正しくUtopia的な己の居場所を、神話的決断と冒涜を積み重ねて、ワズキャンは作り上げた。
この村がそこにあり続けることそれ自体が、彼が夢見た欲望の形であり、一つの価値だ。
そして、彼は成し遂げた。おめでとう。
しかしイルミューイは最後に、己の胎の外側に末娘を産み落とし、欲望の残滓を預ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
産声は憤怒に満ち、己達をいつか滅ぼす者をこそ、人でなし達は涙ながらに祝福する。
美しき破壊者、聖なる復讐者に向けられる、粘ついた視線。
(画像は"メイドインアビス 烈日の黄金郷"第8話から引用) pic.twitter.com/aJVfFV04N2
ファプタは生まれつき、母から切り離された子供だからこそ特別だ…とも言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
緑色の幕の内側、閉じた欲望の再生産現場に捕らわれていては、正しく怒ることも、誰かと出会うことも出来ない。
母であることの権能を、暴走させ利用されたイルミューイは、最後の娘を”外側”に置いた。
これは村社会からの阻害を自動的に意味し、異質だからこそ圧倒的な価値を生まれつき、ファプタは有している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
そして人でなしではないからこそ、母と姉たちの無念を生まれつき宿し、ワズキャンとガンジャの罪と祈りを練り上げた、醜悪にして壮麗なる母の墓標を、壊す願いを抱えている。
完成した村のシステムの、秘すべき暗部。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
大いなる暗がりにして墓標に閉じ込められて、ヴエコは村の誰もが忘れていくその起源を、始原たる罪をずっと覚えている。
忘れないために子らに名前を付け、抱きしめ、闇に親しむ。
村での価値精算は、彼女にはバーチャルな信号でしかない。
あるいはあの閉じて狭い場所で、延々価値の循環…時折”祭り”によるその総体の拡大を繰り返してきた歴史こそが、実態のないバーチャルなのかもしれないが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
根源を暴かれてみれば、なるほどありえないほどに人でなしで、同時に人間の所業でしかありえない、最初の探窟隊の末路。
その奇妙な有り様は、リコの眼を通じて僕らも見てきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
残酷でおぞましく、捻くれて必死で、飯を食って皆生きていた。
欲望の先に、どんな願いがあったのか。
繰り返す今がどんな過去を踏みつけに、どんな未来へ進みうるか。
そんな事を考えないでいい、閉じた楽園。
それが、正しく壊されるべきなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
精算されるべき過去が描かれた後は、破壊の先にある未来を、物語は問いかけていく。
復讐に呪われたファプタの苛烈は、暴かれた真実を思えば正統であるが、同時に単機能に過ぎる感じもある。
あのような冒涜に成り果てて、なお確かにあった温もりと光。
過酷な運命の中、人であり続けることに失敗した人でなし達が、確かに抱えていた願いの形。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
それすらも、怒りの炎の中に燃え尽きていくべきなのか。
ファプタの魂は、文字通り血を流すほどに苛烈だ。
凄惨なる聖餐を前に、探窟家たちはいかなる己を示し、未来を願うか。
加速する物語…次回も楽しみ。
追記 永遠に欲望の絶頂を繰り返し、価値を循環させ続ける。
成れ果て村は、非常にファンタジックでグロテスクな形で、キャピタリズムの究極系を描いているとも言える。
しかし知恵なき魔蛇に堕することを望んだ賢者が最後に残した欲望が『柔らかくフワフワの存在に包まれていたい』なの、彼が何を食ってぶっ壊れたか含めて、最高に残酷な描写だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
それは血と罪で削れてなお消えない、彼の黄金なのだ。
そのためには探窟家としての未来も体の半分も、鴻毛の如く軽い
自分の半分捧げて手に入れたミーティを”喫する”のも、自分の命を繋ぎ魂を殺したイルミューイの仔の味わいを、けして満たされぬまま反復しているのだとすると、まさに悍ましくも美しき餓鬼道…三賢の末路としては相応しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月26日
あの村の住人は、否応なく単機能な反復機械になる。ファプタの根源は何だ?