ぼっち・ざ・ろっく! を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
喜多ちゃんを加え、四人になった”結束バンド”。
もっとバンドらしくなろう! …ってんで下北の街に繰り出しアー写撮影だ!! という回。
相変わらずの奇人変人博覧会に、普段は見せないリョウの地金がシリアスに絡んで、小さいながら確かな前進感が宿っていた。
何かとアクティブな喜多ちゃんが追加されたことで、ぼっちのヤバさにツッコミ入れつつ場が回るようになって、群像劇としての噛み合いが良くなったと感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
ここら辺、それぞれの個性がぶつかって”バンド”になっていくという、リョウの言葉を物語が裏打ちしている気配もある。
虹夏ちゃんはぼっちの奇行にも動じず、全てを暖かく受け止め冷静に進行していく、稀有な資質を持っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
それはそれで得難い強み…つうか虹夏の菩薩力ないと話が破綻するのだが、どうあがいても否定できないぼっちのヤバさを、ツルンと受け流してもいる。
そこからは、音楽は生まれにくい。
激ヤバ人間の身悶えする内面に踏み込み、向き合い、ぶつかり、突っ込んだ上でメンバーとして噛み合っていく流れが、喜多ちゃん加入とリョウとの対峙で、今回強くうねった感じがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
”らしさ”のフレームに仲間を入れる虹夏ちゃんの優しさだけじゃ、ロックンロールは始まらない。
そういう手触りがあるエピソードになったのは、なかなか面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
リアルでいたらドン引き必至の超ヤバ人間を、突き放さず諦めず隣において受け入れてくれる虹夏ちゃんの柔らかさって、ホント大事なんだけども。
それだけじゃ、なかなか形にならないものがあるのだ。
というわけで今日も悶絶ヤバ人間、作詞を任され死亡寸前ッ!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
マスコットじみた柔らかな作画から、急に描線のリアリティが跳ね上がって後藤家観測定点カメラが回りだすの、面白い落差の作り方で感心しちゃった。
色んな角度から刺すなぁ、このアニメ…。
(画像は”ぼっち・ざ・ろっく!”第4話より引用) pic.twitter.com/zPf0iayCpg
結構時間使ってぼっちの家族を見せてくれたおかげで、彼女がどんな環境で自意識こじらせ、優しく見守られてるか、分かった感じがした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
家族は家でも激ヤバなぼっちを見捨てず、歪な個性をそのままに面白がって、時に心配もする。
こういう場所に背骨を支えられて、ナメクジ人間はなんとか、青春に立つ
ポスターだらけの押し入れがぼっち魂の居場所なのに、そこで捻る歌詞は『バンドらしいもの』ばかりだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
キラキラで、ピカピカで、応援で、青春で。
そういう”らしさ”を追いかけるのは、ぼっちが一人じゃないからだ。
”結束バンド”という集団に所属するなら、そこにふさわしい歌を…自分を殺してでも。
元々社会性動物としては半分死んでるような後藤ひとり、せっかく手に入れた共同体に受け入れられるべく、誰かが作った”らしさ”を追いかけて認められようと思うのは、自然の流れだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
しかし、それはノートを埋めてくれない。
陰気なのに承認欲求おばけだから、サインソッコー決まるのは納得ね。
バンド活動が他者との共同作業であると同時に、孤独な創作活動でもある以上、ノートに絞り出せるのは嘘のない自分の言葉だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
天性の陰キャであるぼっちにとって、なんか人気がある風味の、顔のない誰かが求めていると思い込みたい言葉には、全く実感がない。
個性も宿らず面白くもない。だから書けない
ぼっちが『書けないッ!』と悶絶するのは面白い見世物だが、そこには借り物の言葉をノートに刻めないクリエーターとしての真摯さと、結構生真面目な自分に気づいていない現状が透けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
この身悶えこそがロックンロールを生み出すと思うので、しっかり見届けられたのはとても良かった。
人格が腐敗していく孤独な穴蔵から引っ張り出してくれるのも、仲間のありがたさで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
下北沢のリアリティが、カラフル髪のきらら美少女と不思議な融合を果たす、結束バンドアー写探究ツアー。
そこでリョウは、ひどくつまらない顔をしている。
(画像は”ぼっち・ざ・ろっく!”第4話より引用) pic.twitter.com/p12SMbsPQ9
個性を切り落とす世間のフレームに、倦み疲れてバンドを辞めかけた時、リョウに手を差し伸べてくれた天使。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
喜多ちゃんは”らしさ”のフレームで仲間を切り取り、定番で大事で、でもそれだけじゃ何かが死んでいく”らしさ”の舳先に立つ。
たぶん喜多ちゃんは、そこに窮屈を覚えない。
規格外の変人たちは虹夏ちゃんの作ってくれる、”らしさ”の枠に収まることで社会性を手に入れ、導かれて欠けた部分を補っていくだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
リョウにも多分そういう幸福があって、だから””結束バンド”は大事で、でもどこか、恩人で親友の振り回す”らしさ”に殺される自分を感じてる。
だから最後尾、距離を取って自我を守ってる形…なのかなぁ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
リョウはロックンローラーの謎めいたカリスマを担当するキャラだと思うので、なかなか自分を見せず価値観が分かりにくい。
でもロックに真剣で、求めるものがあって、傷つき立ち止まる当たり前の弱さもある。
それが見えてくる今回、昔から親しい虹夏のリードに乗り切らず、むしろこれから関係を作っていくぼっちに地金見せてる感じなのは、面白いねじれだな、と感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
ここに奇人が抱え込んだピュアな”ねじれ”があってくれると、大変自分好みの味付けだが…なかなか読みきれない。
このお話、最初想定していたBPMよりよりゆっくり、どっしり転がっていく作品で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
ぼっちのダメっぷりはシャレにならない深刻さで、それを溶かしていく歩みは一歩ずつゆっくりで、世界を真っ二つに切り裂くような快音は、なかなか鳴り響かない。
喧騒の中で行ったり来たり、一歩進んで二歩戻る。
そんな手触りのお話だから、キャラがどんな人物でお話がどんな形か、明言するにはまだまだ時間がかかる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
でもとらえどころなくスカされてる感じはなくて、珍獣大暴れの青春凸凹旅も、そこに匂う嘘のない魂の火花も、微笑みながら受け止めたくなる体温がある。
表面的なヤバテンションの高さとは裏腹な、このゆったりした分かりにくさと面白さは、自分の中でかなり独特で面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
そういう語り口を、”個性”に向き合うエピソードから感じ取ることが出来たのは、面白いシンクロだと思った。
こういう噛みごたえがあるアニメ、俺キライじゃないぜ…。
ドッタンバッタン珍道中の中で、ようやく掴んだ”結束バンド”の形。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
…ほんとこのきららヒロイン、毎回スゲー顔するな。
手書き風アニメで暴れる承認欲求モンスター、大変このアニメらしいし。
毎回、なんかヘンテコなことするね…一時期のシャフトみてー
(画像は”ぼっち・ざ・ろっく!”第4話より引用) pic.twitter.com/3653VpX2Yq
他の連中が”手のひら”で留めてる身体接触を、ひじまでガッっと入れ込んでの喜多の赤面…やっぱコイツもやべーな! と、つくづく思わされるが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
バンドの顔になるアー写でも、ぼっちは全然キラキラ笑顔を創れない。
それでもいいよと、仲間たちは笑って受け入れてくれている。
だから本当は、借り物の言葉で飾らなくても”結束バンド”はぼっちの居場所で、でもそうされる自分の個性と価値も、そうしてくれる仲間のことも、後藤ひとりは信じきれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
ぼっちが真実ぼっちを止めて、リアルでもギターヒーローになるには、自分と誰かを信じる必要があるのだろう。
それはコミカルなヤバさ大暴れの笑撃に確かに宿った、結構普遍的な青春の悩みだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
こういうモンがアバンギャルドな絵作りと、ハイテンションなヤバ笑いの合間にある。
このお話独特の手触りだ。
…眼の前で痙攣発作キメられて、何事もなかったように青春に戻る虹夏ちゃん、普通すぎて変だな最早
下北沢探訪を終え、ぼっちはリョウと二人きり向き合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
気まずくて遠い視線をガラス越し、ピーッとラインを具体的に引いて見せる画作りが、なかなか面白い。
掴みどころのない変人が抱えた傷と、譲れない思い。
(画像は”ぼっち・ざ・ろっく!”第4話より引用) pic.twitter.com/FosEOEmVgw
それをノートと一緒に手渡されて、何も感じない女ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
勝手にビビってイメージを作り上げて、相手の内面に踏み込まない危うさと無礼を、後藤ひとりはしっかり実感している。
それこそが暗がりの中、彼女の頭上を照らす。
ぼっちの人間レベルが上がる時、必ず街灯光るの面白い演出ね。
個性を殺され全てを諦めかけた経験があるからこそ、他人に合わせるより自分でいることを重視するリョウ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
彼女がぼっちのノートを受け取って、嘘のない言葉を返したのは、虹夏ちゃんがほっぺに触ってくれた経験が、リョウの中で大事だからだと思う。
壊れかけた時、優しく繋ぎ止めてくれる人への恩義。
暗くて後ろ向きでも誰かに届く、嘘のないロックンロールに燃える魂と同じく、そういう当たり前の人間らしさが、野草もしゃもしゃ人間にも宿っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
リョウのことが解って半歩前進なのは、ぼっちも僕らも同じだ。
そこに”曲作り”という、創作活動が絡み合ってるのが好き。バンドの話だからね。
勝手に他人にビビって他人を決めつけてるボッチに、ズカッと踏み込んで道を示すリョウは”先輩”っぽさもあって、そこも気持ちよかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
なにしろ危うい主人公なので、誰かが支え導いてやんないと一生足踏みと後退りし続けそうで、”先輩”の一人がいざという時頼りになるのは、なかなか有り難い。
勝手に受信した”らしさ”と独り相撲してる時は、ある程度余裕を持った創作してたのに、リョウから熱を手渡されて自分の”今”を言葉にする時は、目にクマ出来るほど己を追い込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
こういう所信頼できるな…と思ってたら、最悪のサイコハウスオチだよッ!!
(画像は”ぼっち・ざ・ろっく!”第4話より引用) pic.twitter.com/s9Pum4UgxF
自分が見てないところでリョウの人間関係が変化すると、抗議の声をピーピー上げる喜多ちゃんと合わせて、やっぱりこのバンドはヤバい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
しかしヤバいまんまの私達で、独自の勝負を仕掛けられるんじゃないか…という手触りが、確かに立ち上る第5話でした。
大変良かったです。
今回リョウと向き合うことで、ぼっちはド根暗な自分の”らしさ”こそバンドの力になることや、思い込みで他人を判断する危うさを学んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
そういう噛み合い方と、普通でおおらかな虹夏ちゃんが後追いする”らしさ”のフレームには、微かな摩擦熱が宿ってる感じもする。
クソヤバ人間の大暴れを朗らかに見守り、社会活動の手綱を握るきらら菩薩のマトモさにこそ、実は特大の軋みが宿っているのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年10月29日
そんな期待を込めつつ、一歩前進した”結束バンド”がどこに転がっていくか…次回も楽しみです。
ちょっとずつアニメとの向き合い方が解ってるこの感じ…やっぱ良いな