イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-:第9話『DIYって、どっきり?・いがい!・よていがい!』感想

 片手にトンカチ片手に友情、キラキラな夢に向かって全力疾走な手仕事系近未来学園アニメ、梅雨も明けて夏の一コマである。
 部員の学力など描写しつつ、自分の特性と現状に悩み”役立たず”ではない己を証明せんともがくせるふと、見守り手を差し出す仲間たち、特に深くその在り方を理解しつつ隣に並べないぷりんの姿を、どっしり描くエピソードとなった。
 色んなことを『ま、いっか!』で済ませるせるふが、どうしても良いとは思えなかった存在証明はあくまでこの作品らしい、ライトでポップで暖かな筆致で描かれるけども、だからこそ彼女が笑顔と真剣な瞳の奥から血がにじむようにすがった必死さ、それを受け止める部員のありがたさが良く染みた。
 ハタから見てりゃちっぽけでありきたりな、人生の一大事は爽やかな友情に照らされて、不思議な立体感を持っていた。
 そのスケッチを力んだ渾身ではなく、あくまで気軽にライトに……そう見えるよう丁寧に編み上げているところが、とてもこのアニメらしいと思う。
 軽い歯ざわりの奥に、確かに結愛せるふと仲間たちがDIY部に何を見つめているか、鉄のような強さが感じ取れるところも。

 

 

画像は”Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-”第9話より引用

 というわけで期末テストを終え、運命の自宅招待、存在証明披露に向けて敬礼するせるふのかおは、期待に火照りつつ少し硬い。
 素敵な思いつきに両手を離して、自転車が倒れてしまっても『ま、いっか!』な彼女が、どうしてもおろそかには出来ないもの。
 それに向き合う時、シャツ半分出しっぱなしののんびり少女は、ちょっと違った顔を見せる。
 その硬さが……せるふ”らしさ”からの逸脱が、DIY部であること、そこに愛情と存在意義を見出している自分を見てもらうことへの意気込みを見せていて、勝手に前のめりになってしまう。

 そして第1話以来幾度目か、窓越しに幼なじみの魂を見つめ続けているぷりんこそが、そんなせるふを一番良く分かっている。
 分かっているのに、分かっているからこそいつの間にかズレていた間柄に戸惑い、どう繋げ直せばいいかわからない。
 だけど諦めるには思い出はあまりに甘すぎて、届かない手のひらを遠くから伸ばして、間合いを図ろうとする。
 第6話、夏の海鮮烈に描かれたのと同じ距離感を、別の季節、別の角度から掘り下げていく今回、幼なじみからのお誘いは文末に”♡”が踊り狂い、せるふの変わらぬLOVEが夏に燃えている。
 変わってしまった自分と、変わってくれない友達の適正距離は、一体どこにあるのか。
 そらー、ぷりんも心底悩み立ちすくむわな……。

 

 

画像は”Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-”第9話より引用

 すっかり裸の付き合いも当然となった、三条市の仲良し姉妹(非血縁)が、お湯と一緒に想いを共有する様子は、エロい以前に微笑ましい。
 ジョブ子をぷりんの所に住まわせて、ゼロ距離から彼女の善性を照らす展開にしたのは大正解だよなー……ツンデレがデレるまでを話のエンジンにして、イライラ感が全然ない。
 むしろこんだけいい子がどうしても踏み込めない、特別大事な相手だからこその難しさ、思春期なら当たり前であまりに特別な戸惑いを、丁寧に積み重ねる足場にもなってる。
 年の離れたジョブ子と、解り解られイジリイジられ、対等な距離感で向き合ってる(けど、お互いの年齢、それによる精神的・社会的立ち位置はクリアに見据えてる)様子も、爽やかでいい。
 こちとら12歳のひとり泣きを既に見せられちまってるので、ワイワイお風呂でそういうモンを埋めてるかけがえなさ、幼なじみに抱く柔らかな感情をスルッと預けちまえる関係が構築されてるのは、ほんといいなと思うよ。

 部の連中がなかなか見えない、せるふの気合の裏側。
 そこにスルリと回り込んで、何を気にかけ気に病んでいるか深く理解して、さらに当人の悩みにも先回り、”答え”を事態が動き出す前から掴んでいるぷりんの居住まいからは、ツンツンの殻が守っている柔らかな……柔らかすぎる感情が良く見える。
 DIY部という、入学当時はそこに所属することすら思いつかなかった新しい場所の善さを彫り込みつつ、長年一緒にいて、一緒にいすぎて思いがこじれた幼なじみ特有の”深さ”が描かれるのは、とても良い。
 何度も描かれる窓越しの視線から解るように、ぷりんはずっとせるふのことを考えている。
 その思いが絡まって、もしかしたら一方通行のアンバランスな感情なのではないかと不安になって、飛び込むべき場所に飛び込めない。
 同居人との構えない距離感が、共に浸かる湯船の暖かさがふわっと頑なさを解いた時、その結び目が解けて、誰かの思いをわかってあげて、当人以上に理解する優しい季節が、ちらりと顔を出す。
 そんだけ相手の顔を覗き込めるのなら、もう難しいことなんて何もないはずなのに、ぷりんの世界は難しいことばっかりで、つくづく十代、そういう時代なのだろうな……と思わされる。

 

 

画像は”Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-”第9話より引用

 かくして気合十分、独力で豚小屋を作り上げようと意気込むせるふと、見守る面々(母含む)。
 作中、せるふは工具の正しい使い方をうっかり忘れてしまうし、(たくみんが得意とするような)細かい手仕事は大雑把になってしまうし、他のメンバーが途中から始めた爪研ぎボードや餌やり板が出来上がっても、自分の仕事を終えられない。
 その特性は、DIY部に入る前より制御されてきてはいるものの”正しく”はならず、削ることの出来ないせるふのmyselfとして、残り続ける。

 それは糸ノコの扱いを”間違わ”せ、危うい場面に仲間は駆け出し、ぷりんは走ろうとして立ちすくむ。
 そこで足を縛るものがなんなのか。
 せるふは何故、そうまでしてDIY部の役に立つ自分を証明しようとあがくのか。
 強い語調でシリアスに語られはしないが、しかしそこには凄く必死なものが渦を巻いていて、時折少女たちの瞳に宿る強い光が、それを語っているように思う。
 せるふの思いをせるふよりも良く分かっているぷりんが、幼なじみの危機に駆けつけたい自分の足を自由にできない難しさを、慎重に削り出す筆先には、人間が抱えている小さく、切実で、なかなか動いてくれない困難を真っ直ぐ見据える視線が研ぎをいれている。

 

 

画像は”Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-”第9話より引用

 世界の、あるいは他人のスタンダードにそった形で”正しく”なければ、『役立たず』と繋がりを断たれる恐怖はのんびり少女にもあって、むしろ世界をほんわかゆったり平和に見つめられるせるふだからこそ、身近で大事な関係性から隔たれることは怖いのかもしれない。
 DIY部は自分たちを繋いでくれ、ワクワクを形にして膨らますイマジネーションの中心として、せるふをかけがえのない仲間だと思っている。
 でもそれはなかなか当人には伝わらなくて、あるいは伝わっていてもそれ以上の証が欲しくて、せるふは向いてない手作業を自分一人で成し遂げようと、頑なに糸ノコを握っていた。

 ジョブ子が語る、ぷりんが見ているせるふのイメージと可能性は、そのこわばりをほぐしても大丈夫なのだ、と告げる。
 せるふに出来ないことがあって、つまりは必ずせるふにしか出来ないことがあって、色んな工具を組み合わせて使うように、私たちの”部”はそれらを繋ぎ合わせて、何かを成し遂げられる。
 時に遠くはなれてしまったように思える幼なじみだって、風呂場でそう言っていた。
 そう告げられた時、せるふの瞳は眩しく輝く。
 ずっと、そう言って欲しかったからだ。
 そういう待望のプレゼントを、『べ、別にアンタにあげるわけじゃないからね!』とツンデレ仕草で遠ざけてしまいがちな善良人の性根、きっちり晒して伝えたのはグッジョブである。
 ほんっとこの子は、自分がとびきり優しくて他人を思いやってる事実から、自分も他人も遠ざけようとすんだからね……バンバン胸張って、愛に素直になんなッ!!

 

 

画像は”Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-”第9話より引用

 

 ……それが一番難しいことだから、みんなで力を合わせて豚小屋を完成させていく輪から、遠く幼なじみを眺めるぷりんを丁寧に積み上げていくんだとも思う。
 せるふが糸ノコを手放してからの描写は徹底して、部がたどり着いた”正解”を先取りしてた少女がそこに混じれない現状、彼女が見据えている世界の寂しさを彫り込んでいく。
 夏の午後、フッと孤独に吹いた涼やかな風にぷりんが何を感じ、何を見つけたのか。
 それは明言されず、今後物語が転がる中で新たに掘り下げられていく……あるいは思い出し手をつなぎ直していく、柔らかな思いなのだろう。
 人それぞれの特性を尊び、生まれつき欠けざるを得ない人間存在が、その欠落を重ねながらなにか一つを生み出す大切さを彫り込みつつ、そんな人間の”正解”イノイチで見つけつつ飛び込めない女の不器用を見つめる。
 終盤戦が見えてきて、この作品が思春期を削り出す筆致はさらに冴えを増している。

 

 

 

画像は”Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-”第9話より引用

 それは後に炸裂する青春爆弾として、今はツリーハウス建造計画の一大事、皆のワクワクに嵐を呼び込む建材撤去だッ!
 部長が普段の頼れる大人っぽさを投げ捨てて目ん玉キラキラさせてる横を、不穏な存在感で通り過ぎていくトラック見た時に『あっ……』とは思ったんだが……。
 さてはてどうなる、皆の青春!
 という所で、次回に続く。

 そんな衝撃を知らぬせるふの、いつも通りで新しいワクワクな夢。
 それが序盤のフワッとした描線ではなく、輪郭線のはっきりした、現実に適応した形に整ってきているのが、凄くこのアニメらしいな、と思った。
 DIYと出会う前の野放図な夢見がちは、例えば豊かなイマジネーションをいかし全員のやる気を高めるイラストとして結実させつつ、せるふが”部”に入ったことで、だらけた『ま、いっか!』の奥に抱えてきた怯えと決意を受け止めてもらったことで、どんな風に現実の中何かが出来る自己像を、そこから生まれる世界のイメージを手に入れているのか。
 それが、ツリーハウスが出来た後の未来予想図が”リアル”になっている様子から感じ取れた。
 DIY部での活動を通じて、せるふは曖昧でしかなかった夢の描線と、確かな形で自分を”役立たず”と遠ざけていた現実の線を、確かに重ね合わせていく。

 この夏の日、せるふは色んなことが出来るようになって、色んなことが出来ないままだ。
 その両方がとても良いことで、良いことにしていくために仲間がいて、せるふだって良いことにしていく手助けが沢山出来ていると、部の仲間と幼なじみは教えてくれた。
 それは思いの外自己評価低く焦っていたのんき少女が、自分の特性を”リアル”の中で役立て、大好きな場所を守り育む未来を夢見るための、大事な足場だ。
 DIYという行為、それを共にする”部”は、そういう人間的な営為も、自分たちの手で作り上げることが出来る。
 そんな希望を、テーマに選び取ったもの、描いている人間そのものに抱き続けて話を作っているのは、俺は本当に好きである。

 ぷりんとの隔たりを生んでいたせるふの幼く豊かな夢は、ここまでの物語を経てその色を失わぬまま、少し形を変えた。
 それを『大人になった』と行ってしまうのは、描かれたものの豊穣を切り捨てすぎると思うけど、ではなんと言えば良いのか、なかなか言葉は見つからない。
 ただ一つ言えるのは、結愛せるふは自分がなりたいと思ってずっと手が届かなかった自分に、DIYと出会って、間違いなく近づいている……ということだ。
 それより大事で素敵なことは、世界になかなか無いと思う。
 そういうモノを書き続けれているのは、本当に凄いことだ。

 そんな素敵な手仕事も、材料がなくちゃ成し遂げられない。
 ワクワクな夢に立ち込める暗雲を、一体何がはらうのか。
 地道で確かな少女たちの青春闘争、最終コーナーを切り抜けクライマックスが加速する次回……大変楽しみです。