イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プロジェクトセカイ カラフルステージ感想:あの日の夢の、彼方向こうへ

 ワンマンライブを成功させ、さらなるステップへ進み出すMORE MORE JUMP!
 大きく膨らんでいく未来との向き合い方と、それを見定めるための桐谷遥、原点回帰のお話。
 一度”アイドル”のてっぺんを見た三人と一ファンから己を”アイドル”にしたみのりの視野差、学生ベンチャーとしてのモモジャンの仕事ぶり、各種メディアとの付き合い方、幼い遥が”アイドル”と出会った瞬間の輝き……と、色んなモノが見えるエピソードだった。
 僕は既存のアイドル産業に一回ズタズタにされ、大きなシステムを信じられなくなって、それでも自分たちで運営から設営準備まで握り込むことで夢へと進み直したモモジャンのビジネス模様が好きなので、そこら辺ツッコんだ話になっていて良かった。
 そういう”現実的”な部分をより善く進めてくために、自分の納得と起源を大事に己を鑑み、浮かれることも焦ることもなく力強く進んでいける、桐谷遥の人格も良く見える。
 ホント高校二年生とは思えない完成度だが、こんだけ出来上がった子でもアイドル稼業の厳しさに一度は夢を砕かれ、今回顕になった夢の始まりも全部封じて諦めようとした事実……それを再起させた花里みのりの無垢なる可能性も、同時に感じ取ることが出来る。
 桃井先輩や雫ちゃんにとっても同じだと思うんだが、熱烈なアイドルファンであり、現場を知らないからこそ純粋に自分たちの原点を思い出させてくれるみのりがいた事は、現実に夢を砕かれてなお立ち上がろうと思えた、そうして一歩ずつたしかに前に進んでいくモモジャンと遥の青春にとって、凄く大事なことなのだろう。

 

 前回のソロコンでもみのりの白紙ゆえの伸びしろは最大限発揮され、それはこれまでとはちょっと違った景色にグループを近づけていく。
 もっと多くの人に、もっと知られて欲しい。
 そんなファンたちの純粋な願いをメンバーは親身に受け取り、”いつか”の夢だった武道館やドームは数字を積み重ね、実際に近づいていくべき目標に変わりつつある。
 自分たちの動員力を具体的な数字で把握し、それで狙えるハコをシビアに選定している様子とか、自分以外の誰かに運命を握られない形で始めた手びねりの仕事が、大きな形を得ていく手応えが良く宿っていた。
 露出が増え間口が広がって一番最初にやることが、激ヤバビジネス依頼へのお断りであるあたり、いい具合に生っぽくて、キラキラ軽い夢だけを描くつもりがない。

 それは遥たちにとっては、強く傷つき耐えられなかった過去に戻っていく歩みでもある。
 大きなハコ、忙しないスケジュール、肥大化していくビジネス、遠ざかっていく夢。
 最初は純粋な憧れから始まったはずのものが、現実の難しさに歪められて、柔らかな願いを引き裂く刃に変わっていく残酷さを、三人は既に味わっている。
 それでもなお、”アイドル”でいたいと思い出せたからモモジャンの物語も動きだしたわけだが、ソロコンの成功は一回痛い目見た古巣との付き合い方を、否応なく考えさせる。
 顔の見える距離で、自分たちの手で反響を握り込める規模で展開してきた、これまでのモモジャン。
 ファンの……そして自分たちの夢である”もっと”を叶えるためには、そのハンディなスケールから大きく飛び出して、制御困難なマスに接近していく必要がある。
 そうなれば”こうである私””わかってほしい私”が誰かの都合で歪められ、思わぬ伝わり方をしてまた痛手を被るかもしれない。
 あらゆる局面で、物事の多面性を冷静に判断し続ける遥の頭脳と経験は、みのりが吹き上がるTV出演に待ったをかける。
 今回も集中線絶好調、異様なテンションでモモジャンのニトロブースターを担当する花里みのりは、見てるだけで面白いので凄いと思う。
 作中のファンも、こういう気持ちで”モモジャンの末っ子”を楽しんでいるんだろうか……アイツほんとオモロイよな。

 

 遥は地頭が凄く良いし、ストイックに自分を律して必要なことを成し遂げる能力が高い、理性的な人物だ。
 でもそういう計算だけでは納得は生まれないし、無理くり飲み込んだ引っ掛かりがいつか致命打になることを、既に経験から学んでもいる。
 『自分が何に戸惑い、立ちすくんでいるのか知るためには他者という鏡が必要』という真実も良く解っていて、外形化された内面であるセカイへと、答え……を探すための問いかけを求めて潜っていく。
 プロセカの基本パターンながら、個人の願いから生まれ、共有可能な精神世界で相談したり、立ち止まったり、内省したりすることで状況が改善する様子は、セカイなき現実に敷衍すると、落ち着いて考える意味とか相談できる友達の大事さとか、メチャクチャスタンダードな人間模様を、ファンタジーで包んで分かりやすくしてんだな、と感じる。
 誰かの心から生まれ、でも孤独ではなく色んな人が入ってこれるセカイは、内生的でありながら開かれ、自分が見えているものより広い可能性を教えてくれる、魔法の鏡だ。

 そこでみのりは”ファン代表”としてのMEIKOから、どれだけメディアに拡大され、歪められ、拡散されても変わらないモモジャンを信じる思いを受け取る。
 自分たちの手で、自分たちが分かってほしい自分を、自分たちに出来るやり方で伝える。
 演者が運営でもあるモモジャンがこれまで選んできた方法、それが確かに伝えたモモジャンの形は、より大きな夢を狙って新たな挑戦に挑み、それが予期せぬ波風を起こしたとしても、けして乱れない。
 MEIKOは遥とファンが新たに紡いだ関係性だけでなく、そのためのメディアとして選んだ制御可能で小さな形態、それが生み出す交流の手触りも、肯定していく。
 何を見据え、何を望み、今のやり方を選んだのか。
 その結果として変化が生まれ、夢それ自体も形を変えていく中で、それでも揺らがないものはなにか。
 そういう事を、セカイは桐谷遥に優しく反射していく。

 

 そんな言葉に勇気をもらった遥は、自分の原点を思い返す。(今度は外形化された内面としてのセカイではなく、一般的で孤独で共有不可能な内省である)
 まさかまさかの笑えぬ子供、ロボット人間・桐谷遥が愛する人に思いを伝えるために、”アイドル”を選び取った事実が全力で叩きつけられ、こういうモチーフ大好き人間としては致命打であった。
 そっかー、笑うの苦手だったかー……。
 物語開始時彼女を追い込んでいた生真面目さは、あの屋上でお姉さんに笑顔の可能性を引き出されるまで支配的だった、沈思黙考の地金……という話かもしれない。
 完璧アイドルとしての笑顔や夢が、それを糊塗する嘘っぱちって話ではなく、地金の奥に更に眠ってる精神のマグマは、殺されてなお幾度も蘇ったり、付き合い方が変わって急所が武器に変わったり、色々あるよね……つう話でもあろう。

 世界ナンバーワンアイドルの道を決めた”お姉さん”の書き方が素晴らしくて、セカイの外側にもこういう、不安に震える女の子を見落とさずに手を取り、楽しくなって欲しいと一緒に踊って、ずっと眠っていた笑顔の可能性を引き出してくれる人がいてくれることに、強いありがたさを感じた。
 みのりが魅了された桐谷遥の笑顔は、それをこそ守り育みたいと願ったお姉さんが覚醒させ、継承されたものだ。
 それが巡り巡ってどん底だった遥に返り、もう一度笑えるようになって『もっと、もっと』な未来を願えるようになったと思うと、人の祈りが反響し未来に続いていく不思議さを、強く感じる。
 前回みのりの原点として桐谷遥を描いた余韻が、その遥の原点にも特別な”アイドル”が関わっていたとさらに強く響いているのも、人と人の縁が連祷のように繋がっていく様子を、良く教えてくれる。

 

 そうして思い出した人が、”アイドル”を止めてなお続く道で元気に笑っているさまを、新聞というメディアは遥に教えてくれた。
 それは時に制御不能な大きなスケールあってこそ、色んな人に届きうる可能性、その最良の発露だ。
 サジェストされない思わぬ出会い、興味の外側から回り込んでくるかけがえない喜びを、TVや新聞という大きなメディアは確かに生み出しうるのだと、遥は”お姉さん”の顛末を受け取ることで実感する。
 遥が一旦判断保留を決めた悪しき可能性は、人と人、利害と思惑が複雑に絡みあう大きなメディアに確かに存在していて、大事な仲間も一度ならず傷つけられている。
 それでもなお、大きなメディアだからこそかけがえない可能性と実際に出会える事実を遥は噛み締めて、TV出演にわだかまりなくGOサインを出す。
 ここでモヤモヤを『仕事の都合、現実への対応』で受け流すのではなく、大事な話だから納得するまで時間使って考えられるのは、モモジャンが選び取った小さな形の強みであるし、信頼でつながった顔の見える仲間たち(特に桃井愛莉)の良さなのだろう。
 あとファンが望む自己像とありのままの自分の差異に悩んでいた雫が、それを統合した”なりたい自分、見せたい自分”を心底信じて、待ち受ける嵐に怯えず仲間と挑む道に力強く踏み出していたのも、マジでいい。

 大きなシステムに食い殺されるのではなく、自分たちの納得と信頼を最優先に小さく進め、成長に相応しい新しいサイズ、それを実働させるのに必要なスタッフを慎重に増やしていく歩き方。
 学生ベンチャーとしてのモモジャンの書き方、それが大事にしている価値は結構ナウくて、若い世代への訴求力が高そうだなぁ……などと思った。

 

 しかし一つのモヤモヤを越えたら一つの因縁が顔を出すモンで、モモジャンを大きな場所に連れて行くTVという船には、Cheerful*Daysという嵐も乗り込んでいるのだった……。
 ユニストだけだと嫉妬に飲まれた低劣な輩という印象だったが、色々イベストが積み重なるに従って、現実の難しさと衝突した結果、それを雫が上手く乗りこなせなかった結果、生まれた摩擦だったかな……という印象になってはいるが。
 しかしまー当然しこりは残ってるだろうし、ファンへの刺さり方が具体的数字と生々しい”推され・干され”となって襲い来るアイドル泥まみれに、未だしがみついて戦ってる戦士としては、ドロップ・アウトしてあるがまま身軽そうな今の雫には、思うところも多いんじゃなかろうか。
 残ることを選んだ子たちも、歪なシステムに魂すり減った犠牲者と、人間一人ぶっ壊す寸前まで追い込んだ加害者、両方の顔を持って”アイドル”やってんだろうしね。
 ここら辺の多面性を、一部ではセカイと現実との呼応で見せ、あるいは各ユニットの対照で描き、またストーリーごと色んな角度、色んな人物で彫り込んでいる語り口は、プロセカの最大の魅力で一番面白いなぁ、と思う。
 世界はいつだって、万色を宿したパレットなのだ。

 全てが中心であり、どこにも中心がない新世代の機動型アイドル”MORE MORE JUMP!”と、大人の都合が真ん中に居座り道を決める旧式の”Cheerful*Days”がぶつかることで、双方の強味と弱味が見えてくるかな……つう期待もあるね。
 それは今回小さく制御可能なモモジャン的メディアと、大きく扱いが難しいマスメディアの接点を探って、新しい挑戦、そこから広がる笑顔の可能性を肯定できた筆と、どっか似たものになる気がする。
 ゼロから自分たちらしく立ち上がることを選び、さらなる高みを目指すのであれば、一度叩き落された”てっぺん”に残るしこり、宿る歪みと対峙することは避けれない。
 しかし願いの原点と、揺らぐことのない祈りを心に携えていれば、道は見えてくる……はずだ。
 今回見据えた夢の先……立ち現れるのは嵐か、光か。
 次回も楽しみである。