飴玉甘いかしょっぱいか、命行き交う修羅界に染まったアキバに出口なし、そんな生き様まっぴら御免、黒に赤にと染まりつつ、それでも貫くメイド道、死んでなお咲く花実もあるか。
……あるいは、生きてこそなのか。
アキバ冥途戦争、最終回である。
大変良かった。
このアニメにしかたどり着けないイカレきった最後であり、そのイカれ加減にしっかり答えきった終わりだったと思う。
なごみは嵐子の死を受けてメイド服を喪の色、闇の色に染めて、手慣れた手付きで遺品のリボルバーに弾を込める。
それは渦子がそう教え込まれ、かつての嵐子がその純粋さで変えかけた……からこそ美千代を弾くしかなかった暴力の連鎖に、自分を投げ込む道だ。
デカいサングラスで瞳を封じ、店の金に手を付けて殺し合いの準備を進める。
顔を隠しかつての自分から遠ざかるという意味では、ねるらの死後忍び装束で表情を包んでいたときと同じだが、進む先は凪や嵐子が抜け出すことが出来なかった血のカルマであり、ねるらちゃんが死んでも希望を託した、なごみだけの新しい可能性とは真逆の道だ。
そんな闇に身を投げて、なごみはメイドの足を打つ。
ED後に描かれたなごみの未来を思うと、その暴力はしっかり彼女に帰ってきて、だからこそ車いすを使うことになったのだと思う。
暴力を選べば、暴力に食われる。
叶えたかった夢も、抜け出したかった過去も、一度血に手を染めてしまえばけして届かなくなる。
アホみたいな軽さで人が死んでいったこの話であるけども、このルールはとにかく徹底されていて、第1話でギャグみたいに壊滅させられた”チュキチュキつきちゃん”への仕打ちが、思い返してみればメイドリアングループとの全面戦争の引き金を引き、嵐子を殺し凪を終わらせていった。
嵐子への愛を凪への憎悪に書き換えて、己の心を黒く染めたなごみが銃を取る道から引き返せねば、行き着く場所はたった1つだ。
冥途の旅はいつでも、地獄への片道切符である。
牛メイドを殺せなかったなごみは当然のように報復を受け、萌えキャラがしちゃいけないタイプの膨れ上がり方で顔面を腫らせる。
ボコボコに殴られ臭い飯を食い、地べたに倒れ伏す体験はなごみに暴力の本質を教える。
嵐子への愛と涙を燃料に燃えていた怒りの炎は雨に吹き消され、顔面を覆っていたサングラスは引っ剥がされる。
結局、忍者の衣と同じくこの装束はなごみが(そして嵐子が)望んでいたものではなく、しかし一度は袖を通さないと自分なりのメイド道には戻れない、大事な寄り道だったのだろう。
顕になった瞳でなごみは、嵐子と暮らした部屋に戻ってその遺品を探る。
リボルバーだけを受け取ってしまった死亡直後と違い、なごみはそこに色んなものを見る。
ちぎれてしまった髪飾り、変な顔で写っちゃった思い出の写真。
暴力に満ち溢れたイカれた世界で、死に怯えつつ続けたメイド稼業で、たしかに萌えたものがあった。
嵐子が”家”と呼んだ場所で、仲間たちとひでぇ暮らしを笑いながら過ごして、生まれたものが確かにあった。
それを思い出すためには、一度暴力の真ん中に真っ黒に沈み込んで、取り返しがつくギリギリで戻ってくる必要があったのだろう。
ボッコボコに殴られて、牛メイドのように報復に猛り狂うのではなく、なんもかんも奪われてなお心に確かに残ったものに涙するのは、なごみの魂が確かに、そういう形をしていたからだ。
あるいは嵐子やねるらちゃんがメイドとアキバの未来を見出したモノは、そこにこそあったのかもしれない。
メイドが殴ったり殴られたり……そもそもオカシイだろうがッ!
視聴者もそう感じていた作品全体へのツッコミを、第7話以来全力で叩き込んで、殺し殺されの道に進みかけていた仲間を、なごみは別の場所へと引っ張っていく。
ゲロ吐きながら啜り込む七杯目のラーメンは、嵐子への弔いであり、交わせなかった姉妹盃なのだろう。
ここで”とんとことん”の姉妹たちが、溢れた唾液と胃液と心意気を汲み取って誓いの盃を飲み干す中で、14年前のあの日以来時間が止まり、暴力にも萌えにも振り切れないニセパンダだけが孤独なのは、最終局面で彼女が果たした役割、その生き様を考えると納得がある。
結局暴力を手にすることしか出来なかった、孤独なケダモノ。
”とんとことん”で一番凪に似ていたのは御徒町であり、似た者同士ほど食い合うアキバのルールに照らし合わせてみると、彼女が竹槍ぶん投げて一切合切を決着させる立場になったのは、むしろ必然と思える。
狂気と暴力が当たり前のアキバから、外れてメイドの本道突っ走るという、嵐子が果たせなかった夢。
なごみはボコられ似合わぬグラサン外されてそこに立ち戻って、持ち前の影響力で仲間たちを巻き込む。
しかし、そこに御徒町はいない。
……ここら辺、彼女が時代に取り残された暴力の奴隷の一人として、愛美や渦子や嵐子と同じ世代なのと、不思議な呼応があると思う。
はるか未来、『昔はアキバも荒れててさ~』などと笑い話にできる夢の国に、ケダモノの居場所はないのだ。
だからそんな未来への固め盃である、ゲロ混じりのラーメンを御徒町は啜れない。
そういう生き方も、まぁあるのだろう。
親を殺し子を殺し、手勢を引き連れながら狂い果てた孤独な道を行くしか無い……だからこそ同じ血みどろの道にかつての妹に戻ってきて欲しかった凪は、かつての”家”の奥に銃を持った幻を見る。
つまり、死んでしまいたかったのだろう。
殺されるなら、妹の手が良いと願いながら果たせず、死と暴力の黒い闇ではなく、なごみが放つ明るい道へと進むことを選んだ嵐子に、撃ち殺されたかったのだろう。
それはもう叶わない。
嵐子の遺志を……あるいは凪が殺した美千代の思いを継ぐメイドは、凪と同じ色の衣はまとわなかった。
そこに落ちかけて自身暴力の意味を思い知らされ、殴ったり撃たれたりするのは怖くて良くないことだと思い直し、銃を手に迫る相手になお、”メイド”であることを選んだ。
それはアキバの申し子として英才教育を受け、それ以外の道を知らぬ生粋の”メイド”とは、真逆の道だ。
かくして微笑む修羅と、氷の菩薩が対峙する。
一瞬の歓待が終われば、間違いなく殺される。
そんな状況でもキャラ設定を崩さず、歌い踊り楽しいゲームに興じる”とんとことん”の連中は、罵声を張り上げるメイドたちよりも遥かに狂っているのかもしれない。
それは僕らが知る”正しい”メイド喫茶を、嵐子が夢見てたどり着けなかった場所を命懸けで形にする行為で、そっちが普通のはずなのにこの町でそう生きることは、血の代償を必ず求める。
正統派のメイド衣装に身を包み、殺さず殺されずの新しい生き方に進み得た未来もあったはずなのに、選び得なかった未来。
それに復讐するように凪はなごみの腹を撃ち、しかしなごみは自分のメイド道を、けして譲らない。
紅い衣を身にまとって生誕祭、嵐子がけして動かぬ表情のまま踊りきった”一生女の子宣言☆”を、なごみは命懸けの自己証明として選び取った。
ここでゆめち達が、堪えきれず泣いているのがマジで刺さる。
凪達が剥き出しの殺意抱えて飛び込んだのを、表情一つ変えず”メイド”としておもてなしした時、笑顔の仮面を被っていたのは、死を前にして当然震える魂を、抑え込んで仲間のために意地を通す覚悟が創味に満ちていたからで、しかしそれは自分の痛みではなく、腹から血を流して踊るなごみの生き様に、震えて崩れていく。
殺されて、死ぬ。
間違いのない未来にそれでも、嵐子が突き立て貫きたかった夢をけして崩さず踊る教示こそが、怯えず泣かないと決めていた烈女達の仮面を剥がし、敵だったはずの者たちの魂を震わせる。
そこには銃を握らないからこその覚悟があり、殺さないからこその強さが確かにあったのだと、凪が選んだ……選ぶしかなかった道に続くケダモノ達も感化されていく。
銃がサイリウムの代理を果たし、暴力が萌えに飲み込まれていく展開は、そのまま第1話のヲタ芸殺戮シーンの逆さ写しだ。
嵐子が主役を張って演じた、永遠に出口のない殺し合いの輪廻を象徴する構図を、なごみは彼女だけの任侠を土手っ腹に風穴開けられながら、観客を巻き込み演じきった。
嵐子がこの物語をスタートさせ、出ることが出来なかった、萌えが暴力に、メイドがヤクザに飲み込まれてしまうイカれたルールを、なごみは姉を殺され友を取られ、自身暴力の黒に染まりかけそこから這い上がって、心意気一つで逆転せしめた。
そんな勝利を、凪は今更飲み込めない。
心意気に絆され生き様を変えた我が子を撃ち殺し、自分の手で壊してしまった思い出を蘇らせながらも止まることはなく、なごみに激情と暴力を浴びせかける。
それに潰しそこねた仇の銃弾と、絶滅寸前の古い動物の一撃が応えて、幕引きはひどくあっさりと、暴力的に終わっていく。
全てが終わる前に、凪が自分の直系である獅子を撃ち殺しているのが、だれよりも孤独を恐れているのに、親である美千代、妹である嵐子と、身内から不幸にしていくしかない生き様を象徴しているようで、おぞましくも哀しい。
情け無用の荒野に生きるよう躾けられ、自分の生きざまにアキバ全体を感化してメイドの生き方を定めてきた女は、『暴力には、暴力が返る』というルールを身に受けて死んでいく。
そういうメイドもいる。
物言わぬ獣として素顔も見せず、豚耳付けた人間たちがワイワイ絆を深める中、竹槍研ぎ澄ませていた御徒町。
彼女の牙が、結局は決着を付ける。
殺されることすら織り込み済みの、銃を握らぬ必死の道化は、果たして何も変え得なかった。
結局世の中殺し殺され、イカレきったアキバのルールから抜け出せるやつなんて、誰もいなかった。
空白の19年を大胆にすっ飛ばし、エピローグはキッツい36歳のメイドとして生き延びたなごみと、暴力が追放され僕らがよく知る色合いになった秋葉原を描く。
車いすに貼られた思い出。
”とんとことん”の仲間たちの遺品を身体に刻み、グロテスクなパッチワークのようになったなごみの成れ果て。
けして、安楽な道ではなかったのだろう。
作中”メイド”として暴力のルールに飲み込まれ、キッチリ一線超えちゃってた仲間たちは、なごみの見果てぬ夢を共に走る中で、多分倒れたのだと思う。
それでもそんな夢の残骸をその身に引き受けて、狂乱のアキバ冥途戦争を生き延びてしまったなごみは笑う。
泣くのは、メイドの仕事ではないからだ。
不惑の声が聞こえようと、みんなが信じた萌えは永遠でなければいけないからだ。
そんな生き方に殉じることが、なごみの選んだメイド道だからだ。
それは道半ばにして終わらず、確かにアキバを変えた。
その結末だけが、暴力と萌えの果てに燦然と輝く、非常に奇妙でこの物語、このキャラクターたちにしか出来ない、とても良い終わりだったと思う。
嵐子さんがそうであったように、36歳のなごみは大変キッツくて、最高に可愛い。
というわけで、メチャクチャロクでもなく最高にハチャメチャで、しかし終わってみれば自分たちが選んだ奇妙なテーマに真正面、血の絵の具で答えを出し切った快作が終わった。
大変良かった。
序盤ロクでもないブラックジョークででボコボコぶん殴ってた時は『大丈夫かオイ……』と正直思っていたし、実録ヤクザ映画をメイドの皮かぶせてやりたいだけのお話だと思っていたのだが、紅い超新星が強く瞬いたあたりから『萌えと暴力について』というキャッチコピーが伊達ではなく、狂いきった作品世界に自分たちなり、主人公なりの答えをしっかり刻み込む気概が、作品に噛み合い出した。
とにかく万年嵐子というキャラクターが強烈かつチャーミングで、その活かし方……なにより殺し方が巧かったと思う。
あの世界のアキバに焼き付けられてしまった暴力のルールから、抜け出たいと願い抜け出るべき切なさを総身にまとった、トウが立ちすぎた可愛いかわいい、俺たちのメイド。
絶対死んじゃいけないと思える人を、絶対死んじゃいけないタイミングで殺すからこそ、暴力の理不尽さ、凶悪さ、底知れない終わらなさはよく伝わった。
そのブラックホールに飲まれかけ、しかしそこから抜け出して世界を変ええたなごみの覚悟を、最終話鮮烈に踊り狂わせたことで、このお話における”メイド”はただのヤクザの隠語から、作品独自のイカれた味わいと、最後まで見届けたなら確かに胸を打つ不思議な響きを宿した、特別な言葉にしっかりと変わってくれた。
あきらか作品世界から浮き続け、ギャーギャー叫んで何もしないなごみが、最初嫌いだった。
でもその反発は、嵐子への『うわキッツ!』というリアクションと同じく計算されたもので、メイド=ヤクザというイカれたルールを飲み込みきれない当たり前の女の子だからこそ選べた答えは、話数を増すほどにどんどん輝いていった。
なごみが体現するものに心底憧れ、しかしそこに至る道を19年前自分の手で血みどろ塞いでしまった嵐子が、それでも見る夢と、それを覆い尽くす赤い闇。
それを命がけの綺麗事を震えながら仲間と選んで、なごみがたどり着いた結末は……やっぱどこかイカれていて、でもとても素敵だ。
そういう、一言では言い表しにくい、12話イカれきった話に付き合ったからこそ生まれる喜びとともにお話を見終われるのは、やっぱ凄く満ち足りた体験だと思う。
ありがとうございました。
思う存分メチャクチャで、最低最悪に悪趣味で、思う存分やりたい放題で、そんなイカれきった話の中確かに、人間の生き様がブヒブヒ元気に吠えている。
そういうアニメだったと思います。
シニカルにイカれた絵面と設定をぶん回しつつも、題材と選んだ場所と時代にしっかり向き合い、自分たちがなんでこんなイカれた話作ってるのか、大真面目に取っ組み合いしてしっかり終わらせたの、本当に凄いと思います。
面白かったです、お疲れ様ッ!!