イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

”サイバーパンク エッジランナーズ”感想


 

 



はじめに

 新春一発目の景気づけ、昨年のアニメ界を席巻した話題作をまだ見ていないので、この機に一気見して感想を書くことにする。
 当方”サイバーパンク2077”未プレイ、しかし原案TRPGである”サイバーパンク2.0.2.0”はその影響を受けて生まれた”トーキョーN◎VA”シリーズを人生歪む程に遊び倒しているため、間接的に馴染み深い……という立ち位置である。

 


第1話『Let You Down/期待を背に』

 後に伝説のエッジランナーとなるだろう青年、デイビッド・マルチネスのゼロ地点……といった塩梅の第1話。
 過剰な情報量が眠ってるだろう世界観を適度にこすりつつ、あくまでデイビッド青年が抱える鬱屈と不満、その奥にある優しくナイーブな魂の物語として、ゴミまみれで眩しいスタートである。
 巨大企業体アラサカが全てを支配し、人間の尊厳すらも金次第なサイバーパンク世界の現状を、母の遺骨を抱え街をさまよう少年の世知辛さ、それに追い打ちをかける請求アナウンスの山の中で、見事に描いてきた。

 なーんも分かんなくても、冒頭ネオン色に大暴れする過剰な暴力と、脳髄直結の夢が覚めた後の世知辛い現実を浴びていく中で、この世界の空気は肌で感じられる。
 そこで一人の少年が普通に生きていく難しさと、夢も持てないクソみたいな現実にそれでも母の涙は輝くことを書いた上で、鮮烈に奪う。
 デイビットの人生が動き出す(あるいは狂い出す)まで前半15分、英雄の起源でありその舞台を追体験する濃厚で鮮烈な体験は、まだデイビッドには縁遠い暴力の淵(エッジ)をビビッドな原色で、母と過ごす時間を少し柔らかいナチュラルカラーで塗り分ける。
 とにかくカラーリングが良い作品で、80”Sリバイバルの気運に乗っかりつつその最先端(エッジ)を自ら担保する、暴力的な赤と青が目立つけども、実はそんな夢が覚めた後の現実がゴミの色だけではなく、凄く暖かで大切な……だからこそ情け容赦なくぶち壊しにもされる宝物の色合いで塗られているのが、相当印象的だ。

 ウェアを入れれば、人間性は削れる。
 それがサイバーパンクの常識であり、人間辞めるギリギリの瀬戸際まで機械を埋め込み人間を超越して、このクソみたいな世界に一言物申す権利はようやく掴める。
 だから冒頭のブレインダンスのような色合いで、デイビッドの日常も狂っていくのだろうけども、しかしその奥底には確かに人のぬくもりがある、アースカラーの地金があった。
 それを奪われ、我利我利亡者共に追い打ちをかけられて、おまけにいけすかねぇ金持ちのカスにボッコにもされ、デイビッド少年は運命を変える決断を果たす。
 誰かの脳みそにタダノリして、娯楽としてエッヂを楽しめる安全圏からはみ出して、クロームを身体の中に埋め込んでいくのだ。

 安全帯無しでジェットコースターに飛び込むようなひりつきに、二輪以降の物語への機体も高まるが、しかしやはりその裏側には人が人でいることの温もりと、それを全く許してくれないサイバーパンク世界の非情が、どっしりと構えている。
 神経を異常加速し、銃弾と鮮血とセックスでバチバチに煮えたぎる場所にデイビッドごと物語は飛び込んでいくんだろうけど、この第1話ですごく慎重に刻まれていた暖かな色合いを心に留めつつ、僕もいっときエッジを走ろうと思う。

 憂鬱で抑圧された毎日の隣で、窓越しけして手が届かない場所へとアラサカのロケットが高く高く飛んでいく様子が、隙なく抜かれてる所とか好きよ。
 デイビッドの人生を狂った高みへと押し上げてくれるだろうヤバいブツが、同時に小さなポッドに詰められた母の人生、最後の”遺品”でもある哀しみを思いつつ、序章の続きを見ることにする。

 

 

第2話『Like A Boy/少年は何を思う』

 転がりだした運命は、少年を鋼と少女に出逢わせる……という第2話。
 展開に水ぶくれした所が一切なく、母の愛が守り留めていたフツーの将来から放り出され/フツーの将来を蹴り飛ばしたデイビッドが、彼の運命に出逢って裏稼業へと足を踏み入れていくまでがスピーディに描かれる。
 蠱惑的でありながら清潔感があり、ヤバいのに惹かれてしまうルーシーの描き方が大変見事で、母を喪って恋を知る少年の、過酷でありながら洗練な青春のキックスタートが、見事な勢いでかかった。

 冒頭、もったいぶらず一気に魅せるクソみたいな世界への三行半は、クソみたいなお坊ちゃんをボコに仕返す爽快感で終わらず、傷の縫合も終わってない血まみれのまま一切合切を決着させるしかない、デイビッドの焦りとどん詰まりを強く滲ませる。
 喪失感と債務に追われ、どこにも居場所がないデイビッドにはヤバいウェアへの特別な適性があり、凄腕すら狂わせる魔剣を扱う特別な資質こそが、主人公の主人公たる所以だ。
 しかしそれはあくまで平和的な電脳スリの片棒で現状留まっていて、よりエッヂな暴力の最前線……”サンデヴィスタン”が真価を発揮する場所からは少し遠い場所で揺らいでいる。

 そんな生死の中二階にとどまりながら、少年は恋に出会い酒を知り、裏切りと拳に出会う。
 庇護者であり支配者でもあった母との離別に続く通過儀礼は、とにかくルーシーの魅力を最大化し『こんなの……絶対好きになっちゃうよ!』という納得に溢れている。
 医者がいつ自分を売り飛ばしてもおかしくない、ナイトシティのハードな掟に試されつつ、ルーシーはストリートの先輩として、彼の初めての少女として、デイビッドを翻弄しつつ導く。
 その挑発的な視線とヒップラインが、熟れきらない硬質な少女性が、彼女を切り取るあらゆる瞬間から豊かに匂っていて、大変に良い。

 ストレッチャーで危険極まる騎乗位に飛び出し、デイビッドと僕らの脳髄に強烈に”Lucy”を刻み込む場面の、尖ってヤバい色合い。
 そこで酸欠になった所で、バキバキに決まったレイアウトで追撃キメてくる私室でのやりとりが、見事にとどめを刺す。
 デイビッドと母が必死の背伸びをして、届かぬまま叩き潰されたアラサカの高み。
 ストリートの先輩に思えたルーシーはそこに不思議な視線を投げかけて、月の夢に踊る妖精めいた純粋さを、夜の中でさらけ出してくる。

 お互いの素性も知らぬまま犯罪に手を染め、触れてはいけない一線に一瞬触って、ちょっとずつお互いを知っていく。
 酒も女も知らない……どころか炭酸ですらむせてしまうデイビッドの純情を笑いつつ、ルーシーは虹色の輝きを身にまとって、不思議に魅力的な夜の輝きを体現しながら、物語の奥へと見ているものを誘っていく。
 私室での視線の交じらわせ方、身体ポジションが示す社会的・心理的関係とその変化が凄く鮮烈に描かれていて、こういう細やかな演出力が強烈な絵力をしっかり地面に繋ぎ止めて、強烈でありながらナイーブでもあるサイバーパンクジュブナイルの手触りを、しっかり彫り込んでいる感じがある。

 わからないからこそ、知りたい。

 それはルーシーという少女が高くて遠い、ここではない何処かに憧れるその根源への思いであるし、どんどん危険度を増していくデイビッドの運命が行き着く先……サイバーパンク世界の極限(エッジ)にも向いている。
 夢みたいにいい感じな月面ボーイ・ミーツ・ガールを叩き壊す、強烈な警告と高鉄の拳……あばずれが吐き出すタバコの煙。
 避妊具にも見える接続補助具が繋げた夢は、はたして少女の無防備な純情に繋がっていたのか、それも死に至る美人局か。
 たった一話ですっかりルーシーを好きになってしまった僕が、絶対に知りたいと思っている本当の心に、犯罪初心者デイビッドの人生は果たして届くのか。
 ナイトシティでは当たり前な女の裏切りが、デイビッドだけではなく視聴者もしっかり翻弄し、その奥を探りたいと思える強いヒキになっているのは素晴らしい。
 迷い道の中ようやく出逢えた初恋に、猛烈な逆撃を食らったデイビットの人生がどこに転がっていくか。
 第3話も楽しみだ。

 

 

第3話『Smooth Criminal/裏稼業』

 運命は急転直下、サイバーパンクとしてのデイビッド初仕事……な第3話。
 スマートな情報窃盗のはずが大暴走のカーチェイス、直接的暴力が至近距離で暴れまくる鉄火場へと、ガンガンに加熱していく危機的状況の中で、ナイトシティのプロたちはどう立ち回るのか。
 その粗雑さと繊細さ、ミラーシェードの奥に隠した瞳の透明度と一緒に味わう、手応えのあるエピソードである。

 前回衝撃的な一発を食らわせたメインが、デイビッドの不在なる父としてその巨躯を揺らし、彼の人生にズズイと踊りだしてくる展開である。
 音声通話がテキストアニメーションとなって、センス良く暴れる演出がエッジランナーズの生態を良く伝え、凄く良い。
 こういうセンスで暴力を包み、刻一刻と変化する状況に翻弄されつつもなんとか乗りこなして、血飛沫の中で笑えるタフな連中の一員に、我らがピュアボーイは参陣する資格があるのか?
 そこら辺を各種アクションで伝える回でもあった。

 デイビッドは未だ命を奪わないが、メインの圧力にも屈しないやけっぱちな度胸、サンデヴィスタンで地獄の逆走を切り抜ける発想力と、伝説になりうる資質はしっかり刻んだ。
 その先……殺すも奪うも当たり前だが、スタイルを持ってビズをこなしていくプロの領分に先んじているメインに試されつつ、物語は奇妙なダンスを踊る。
 作戦全体の見取り図も知らされないまま、謎めいた大きな絵の一つのパーツとして便利に利用されるパンクスの限界点もひっそり示しつつ、デイビッドの初仕事は摩擦熱で発火しそうなほどの加速度で突っ走っていく。
 母の遺品を背中に埋め込み、エッジに切り込む資格を得た少年の身体も、クロームと返り血にまみれた”プロ”になっていくのか。
 この不格好ながら必死で、未来を切り開いていく強い意志と、気になるあの娘を隣において良いところ見せたい純情に満ちた初仕事を、懐かしく思い出す時が来るのか。
 愛すべき主役のデビュー戦に心躍らせつつ、そんな寂しさもかすかに漂う。

 ”タフガイ”を額に入れて飾ったようなメインは、仕事が終わるまで基本的にその瞳を見せない。
 そこには燃え尽きそうな人間性が確かに宿っていて、その柔らかさを顕にすれば即座に食い殺される場所で仕事をしているのだと、その立ち居振る舞いが語っている。
 ルーシーが見せた月世界の夢のように、強くなければ生きられない悪徳の街で微かに、生きる意味たりうる優しさはデイビッドの前一瞬漏れて、再びどこかに遠ざかっていく。
 瞳が人間性の窓だとすれば、四つ目の冷酷なフィクサー……彼の背後にどっしり横たわる巨大企業の論理は、異様にして強靭な生き様を既に体現している。
 対等に地獄を生き延びる戦友として、デイビッドを認めてくれたタフな兄貴分が、ミラーシェードの奥でそらした瞳……そらさざるを得なかった生き様。
 それが今後どう転がって、その返り血がどうデイビッドに跳ね返ってくるか。
 初仕事を終えても、全く落ち着く感じがなく物語は加速していく。
 そのヴィジュアルだけでなく、お話が展開していく速度と姿勢が絶妙にサイバーパンク的で、どんどんと前のめりになっているのを感じます。
 面白いなー(周回遅れ人間の鳴き声)

 

 

第4話『Lucky You/ツキが回って』感想

 初仕事で男を見せ、サイバーパンク・ルーキーとして動き出したデイビッドの日常とその終わり……という第4話。
 頼りがいあるメインに見込まれ、仕事を回され鍛えられ、地道なトレーニングとハードな現場の中、ウェアも入れて信頼も得て。
 アラサカ・アカデミーに縛り付けられていた時には得られなかった充実と居場所を得ていくデイビッドの日々が、ノイズまみれのカットアップでセンス良く刻まれていく前半と、それがあっけなく断ち切られ血塗られていく後半……そしてぶち上がるロケットに乗せてルーシーの本心が唇に届くクライマックス。
 もともと無駄なシーンを切り詰め、スピード感とテンポで魅せる手腕がとびきり優れた作品であるが、今回は特に緩急と実感がみっしりと詰まってていい感じだ。

 高木渉ボイスも最高なピラルが、ションベンまみれのクソ下らねぇ場面で頭をふっ飛ばされ、チーム全滅の危機にデイビッドが”童貞”を捨てる流れの唐突で残酷な早さと、サイバーサイコの瞳に魅入られ動けない時間の長さの対比が、下世話で即物的に展開する猥雑な物語に、内省の芯をしっかり入れている。
 そこにいたるまでの騒がしくも楽しい日々、『そらー好きになっちゃうよ……』と思わされるレベッカとの触れ合いの、色んな時間軸を入り乱させたノイジーな面白さが、なにかが決定的に変わってしまう瞬間の残酷さ、恐ろしさを良く語っている。
 それはずっと追いかけ続けてきたルーシーの瞳と唇……それよりもっと知りたい本心が何よりも恐れているモノであり、仲間の死を『よくあること』と切り捨てられない彼女も、サイバーパンクには向いていないのだろう。
 それでも小綺麗な企業の飼い犬にはなれないから、路上に命を張るのだ。

 ランニングと筋トレで地道に実力を付け、あるいは”サンデヴィスタン”の圧倒的パワーで仲間の窮地を救う場面は、デイビッドが表社会のレールに乗っても掴み得なかった充実感に満ちている。
 同時にそれだけで満足できないからこそ、デイビッドは母の骨壷をどこにも埋められないまま隣に置き続け、殺しへの忌避感を乗り越えられないままルーキーを続ける。
 死してなお、母への愛……それ故の支配はデイビッドを縛っていて、ここから開放されるのは物語が(どういう形になるにせよ)終わるとき……かな?
 平時では男同士の笑い話で済んでいた、鋼の銃も裸の銃も使い所を知らない”童貞”な日々をぶっ壊した時、デイビッドは血まみれで笑う。
 その純粋さは裏稼業でも殺人でも汚れることなく、だからこそルーシーは全てが失われるのが怖いのかもしれない。

 デイビッドの視線を借りて、ずっと置い続けてきた女という謎の奥、明かされた思いはルーシーにとっても、デイビッドが運命の少年であったことを語る。
 クールな鉄面皮が率直な言葉で削られていって、緑と紫のネオンが二人を彩る夜が深まり、ついに堪えきれず思いを口づけに載せた時、ロケットが月に向かって飛び立つ。
 その推進力が、夢のないデイビッドが見つけた『キミを月まで連れて行く』という夢が、彼を死せる母の引力圏から引っ剥がし、天国までぶっ飛ばすエンジンなのか。
 裏路地に眩く咲いた青春とロマンスを見事に活写する、素晴らしい演出であるけども、その前風景たるピラルの末期は、ションベンと爆炎と血飛沫に満ちたどす汚れたもので、汚濁と清廉、その両方がナイトシティの偽りない実相なのだと理解らせてくれる。

 いつかデイビッドも、ルーシーが危惧するようにあんな風にあっけなく死んでいくのか……それとも『どう死ぬか』で伝説を刻んで去っていくのか。
 ルーキーが銃と女をその手に掴み、栄光への確かな一歩を踏み出す回だというのに、充実感よりも漠然とした不安が色濃いのは、ルーシーがクールな態度で表に出さぬよう堪えていた思いが、僕を侵食し始めているからかもしれない。
 そんな風に感じられる引力の強いお話は、やっぱりいいものだ。

 

 

第5話『All Eyez On Me/刺さる目線』

 ルーシーと結ばれ、サイバーパンクとして一皮むけたデイビッドが直面する、クズの最悪な末路。
 達観と嘲弄の視線を跳ね除けれる根拠がどこにもないことに気づいて、少年はどこにいくのか……というお話。
 エピソードゲストであるジミー・クロサキのキャラが大変良く、チームに独力で対抗しうる底知れなさと、BD作家として死の淵を覗き込みすぎたぶっ壊れた……あるいはサイバーパンク時代にしっかり適応した虚無感、人間性の虚飾を剥ぎ取りきったゆえの冷たい洞察が、いい塩梅に入り混じって人の形をなしていた。
 そういう男が流れ弾であっさりくたばり、死にかけの視線がデイビッドを射抜いて離さない終わり方含めて、彼らが立つエッジの危うさと、成功と成長の階段を駆け上がっている間は気にしなかった死と破滅の匂いが、物語を燻してくる。

 緑と赤、紫と青に加えて黄色のネオンが追加され、なにか新しいことが動き出してしまった手触りを、上手く作品に乗せてもいた。
 やっぱ色彩設定で表現の最先端(それは過去への善き帰還でもあるのだが)を触りつつ、非人間的にまで加速した先端踏破者(エッジランナーズ)を包囲し、抱擁するモノの顔を照らす演出が、良く冴えている。
 なぜ、そこでその色なのか。
 それを読むのが楽しい作品だ。

 クロサキがデイビッドに流し込むBDは作品冒頭、少年が退屈な日常を爆破するための刺激物として接種していたソレと似通った筋書きで、しかしあのときの他人事な離人感はもうない。
 デイビッドは制服から母のジャケットに衣装を着替え、悪魔の脊髄を身体にブチ込み銃を握った。
 酒も飲んだし女も抱いたし、人も殺した。
 立派なサイバーパンクになった彼にとって、サイバーサイコの殺戮劇は『在り得るかもしれない未来、あるいは現在』であって、一時ウサを晴らすためのスリルライドではもうない。
 無論、作家お手製の生データをぶち込まれるのと”製品”じゃ、脳みそへの刺さり方も段違い……って話なんだろうけど。

 ウェアは肉体だけでなく、精神もモノ化していく。
 死と狂気は娯楽となって個人的体験の範疇を越えて、マーケットに流通され、追体験され消費され棚に並べられていく。
 武器であり財産でもあるウェアは死体から尊厳なく剥ぎ取られ、マーケットに流通し、あるいは特別な約束の籠もった”遺品”として、特別な相手に因縁を手渡したりする。
 ピラルの手を移植しなかったのは、ソロとしてのスタイルをデイビッドが確立しつつ在り、その理想像は巨大な拳で敵を殴り、自分を守ってくれるメインにこそある。
 いつかデイビッドの手に成り変わるだろうメインの”遺品”には、モノを超えた約束や因縁が宿り、それは少年を逃げ道のない崖っぷちへと更に追い詰めていくだろう。
 モノとヒトの媒となり、その制御を司るサイバネティクスが可能にする技術と社会は、ヒトとモノ、尊厳あるものと無価値な物質の境目を薄くしていく。

 人間のモノ化はサイバー技術による物質/≒精神面だけでなく、巨大な企業のロジックに飲み込まれた社会の側からも進行している。
 自由気ままに銃をぶっ放し、死ぬか生きるかの瀬戸際で疾走しているように見えて、サイバーパンク(に限らず、この世界に生きるすべての人々)は企業の用意した箱庭の中で踊っている奴隷だ。
 精神も尊厳も死も狂気も、なにもかもモノ化され値札がついて流通する、価値観の中心軸なき高度資本主義社会。
 そこからロケットで突き抜ける手段はどこにもなく、出口のない破滅は猛々しき青春の真っ只中にいるデイビッドを、静かに包囲している。
 クロサキの死瞳に宿った破滅と虚無からのウィンクを、青年は無視も否定も拒絶も出来ない。
 Big brother is wathing you。
 裏稼業で大金を稼ぎ、恋した女を抱いて強い自分を証明しても、がなり立てる債務の声を遠ざけても、世界を睥睨し支配する大きな目からは逃れられない。

 経済と暴力の二輪で世界を引きずり回すジャガーノートを、抑える倫理も真実もどっかに行き果てたサイバーパンク世界。
 クロサキはそこに適応し、信じるものは何もないまま死体の思い出を食い物に生きて、あっけなく死んだ。

 デイビッドだけが特例的に、クロサキ飲み込んだの世界の引力から逃れられない暗示は、既に果たされている。
 思いを伝えあい、彼女の少年に特別な熱量を見せるルーシーとの愛が、虚無の視線を振りちぎる唯一のロケットになるのか。
 生まれ、出会い、闘い、老い、死んでいく人の宿命を過激な駆け足で突っ走っていくこのお話も、そろそろ幸福なる黄金期に陰りが伸びてきた。
 というか最初から出口なき暗がりを舞台にした物語であり、だからこそ必死に走って走って走って、ここではない何処かへと突き抜ける夢に急かされた少年と少女のロマンスを、このお話は追いかけているのだろう。
 愛は、月まで届くのか。
 次回も楽しみだ。

 

 

第6話『Girl on Fire/炎に包まれて』

 前回デイビッドを見据えた死と虚無の視線が、メインとドリオとキーウィーと……つまりはチームを睨みつけ飲み込んでいく話。
 ここまでのいかにもアニメチックな、手応えある活劇と日常が遠くに離れていって、生々しいリアリティで惑乱する記憶と、踏み切れない弱さと、容赦なく牙をむき出しにする死が切り取られていく。
 コレまでとは異質な……成功と成長に覆い隠されて、しかし確かにそこにあったものを暴き立てる筆致はお話の潮目がかわり、順風満帆のサクセス・ジュブナイルから、成り上がるための代価と出口のない世界の実相を、イヤってほど濃く描く。
 完全なサイバーサイコに落ちたメインの、死の具現としての怪物的存在感には、もはや頼れるオヤジの面影はなく、叛逆の手段として魂をモノ化する技術を選んだ末路を、たっぷりと教えてくれる。
 その筆致の選択が、衝撃的かつ的確で良かった。

 頼れる兄貴分、喪失されていた父性の補充者だったメインは、ひ弱な生身を補うべく過剰に突っ込んだウェアの反動に苛まれ、仲間を殴り正気を失っていく。
 出逢った時印象的にその目を塞いでいたミラーシェードは、人間性の喪失にしたがい彼の視界を暗く沈めていって、自分がどこにいるのか、目の前にいるのが誰かなのか、いちばん大事なものを見失わせていく。
 ミラーシェードは古くから続くスタイルへの象徴物でもあって、クールなプロは皆それで視線を隠し、恐怖と不安に震える生身を覆い隠して、危機に立ち向かっていく。(ハヤカワから出てるサイバーパンクアンソロジーのタイトルも”ミラーシェード”だ)

 グリッチする視界の中、打ち捨てたはずのひ弱な少年時代に追いすがられるメインは身体に埋め込んだウェア、それをダウングレードできないタフガイとしての矜持に苛まれて、マトモな視力を喪っていく。
 大事な仲間も、愛する女も、なにもかも忘れ果てて、無差別な暴力機会に落ちていった果てに、ミラーシェードは砕け散る。
 精神をエッジの果てに追い込んででも手に入れたかった”何か”が、プロとしての矜持がぶっ壊れ、もう次はない。
 そうしてようやく、メインは人間に戻る。
  出来ることは爆薬を薪のように積み上げて、愛した女の死体と自分の夢を燃やしあげることだけだ。

 自分が置き去りに走り、向き合わなかった過去……あるいは弱さ。
 そのどん詰りを体で教えられて、デイビッドは母に続き父を失う。
 それはクロサキの死とは逆位置から、エッジを走るもの、このクソまみれの世界に飲み込まれ適応した存在の終わりを、残酷に告げている。
 どこに逃げても出口なし、全てはコーポの掌の上。
 タナカが告げた世界の真実が、真実……の少なくとも一部だとわかっているからこそ、デイビッドは致命的な迷いに脚をもつれさせ、恋人を危機に晒しチームを終わらせる一端を担う。
 閉塞感と、それ故の焦燥。
 先端突破者の背中は、常に煤けている。

 そんな行き止まりに行く末を塞がれても、いちばん大事な誰かが『出来る』と言ってくれれば、何かが出来る気がする。
 母の夢、ルーシーの夢、メインの夢を借りて突き進んできたデイビッドはここでも、誰かの言葉と夢を借りて英雄的決断を後押ししてもらおうと願う。
 それは誰もが求め、この渇ききった地獄では果たされない夢だ。
 身体を繋げ、ディープダイブ用のセクシーな孔すらさらけ出しても、自分の過去と傷を見せられないルーシーもまた、愛する誰かの手を掴めぬまま立ち止まっている。
 二人が本当に大事なものへと、素直に自分を解き放って、遠くに飛んでいく月へのロケットを自分に引き寄せられた時、物語は終わるのだろう。
 それはつまり、このお話がド派手で暴力的でぶっ飛んだ外装を完璧に整えつつも、自分が自分になること……クソ以下の世界でなお、人間が人間でいる意味を問い、描く普遍的な物語だという証拠だ。
 そして幾度も示されているように、サイバーパンクの価値は死に様で決まる。

 デイビッドはこの炎を越え、父の遺品である巨大な腕を己に埋め込んで、ヒトより早く動ける脚で、前に前に進んでいってしまうだろう。
 その先にあるものが何かは、既に示されていたし今回、グロテスクなほどにリアルな筆先でとても濃厚に、刻まれてしまった。
 何もかも出口なし、クソまみれのこの場所で、それでも何かを突破できるとしたら。
 折り返しを過ぎての後半戦は、愛と暴力と死のワルツをがなり立てながらそんなモノを、描いていく話になりそうだ。
 影の中でこそ光は眩しく、極寒にこそ灯火のありがたさが解るように、クソにまみれた汚濁の中でこそ、否応なく人間性を削り取るクロームに苛まれてこそ、真実譲れない人間の証明は際立っていく。
 ジャンルの始祖がその傑作に刻みつけたように、サイバーパンクはいつだってNew-Romanticだね。

 

 

第7話『Stronger/もっと強く 』

 誰かが死んでも、街が止まるわけじゃない。
 未だ片付けられない母の骨壷に睨みつけられながら、ボロアパートからコンドミニアムへ、ひ弱な生身からバリバリのクロームへ、大人へと変わり果てたデイビッドの、何も変わっていない日々を綴るエピソード。
 メインの生と死を腕ごと引き継ぎ、すっかり一端のサイバーパンクになったデイビッドと、あの一件が傷となって前に転がれなくなったルーシーとの対比が、騒々しくも妙に寂しい回である。
 頭の湧き上がったニュービーに憧れられる立場になり、しかしそいつはマジあっけなく、マジつまんない死に方を果たして、その死にもウェアにも仲間からの熱視線にも鈍感な男は眉一つ動かすことなく、プロらしく仕事をこなしていく。
 そのタフガイっぷりの奥で、相変わらずとてもナイーブで優しいものが震えていることを郊外へのデートは教えてくれて、相変わらず粗雑さ(クルード)と繊細さ(テクニカル)が良いバランスで同居している作品でもある。

 メインの腕は過剰で古臭い重荷となってデイビッドを呪い、彼を狂気と死に追いやった震えは、特別であるはずの男を確かに蝕んでいる。
 それを間近で見守ってくれているルーシーの過去には、アラサカの子どもとして企業の夢を借り受け、危険すぎる電脳探索に使い潰されていた苦しみが潜んでいた。
 その柔らかな場所に踏み込まなければ、お互いもっといい場所には進めないのだと思い知って、聞きにくいことをちゃんと聞きに行く。
 恋人と向き合うデイビッドの、ありふれた青年としての優しさと勇気。
 それこそが、”サンデヴィスタン”をこれまで描写されたような生き残る力・守る力ではなく、殺す力として明確に使用しだしたサイバーパンクの、いちばん大事な成長かもしれない。

 借り物の夢は、背負ったものを引き裂く。
 デイビッドが母や兄貴分の祈りに呪われているように、ルーシーも逃げ出して振り返れなかったアラサカでの日々に、強く呪われている。
 それでもなお、出逢った時二人だけで見た月の夢は、アラサカ製のロケットでしかたどり着けない場所にこそある。
 一端の男の顔で受けるテストは、アラサカとは別の企業がアラサカに噛みつくための代理兵士の首輪でしかなく、ストリートは別に企業のオルタナティブじゃない。
 レベッカの粗雑で刹那的な態度……その奥にある純情は想い人に届くこともなく、赤と青のクロームに巨大な銃を握っても、追いつけない者が確かにある。
 死んだ兄への口汚い罵り言葉は祈りそのものであり、生前の彼と全く同じ戯けた仕草には、滑稽よりも寂しさと痛ましさが滲む。

 どこにも出口なし。

 そんなサイバーパンク時代唯一の真実は恋人たちを深く蝕んでいて、いくら抱き合っても傷を塞ぐことは出来ない。
 メンテナンスを終えたサイボーグとして裸体でいるときよりも、むしろ服を着込んで寝床から離れたときのほうが、二人は緊密で自由で……お互いに優しく出来ている感じすらある。
 恋して結ばれたはずなのに、セックスは別に万能の魔法じゃなかったというありふれた大人の実感が、バカでかいコンドミニアムに移った社会的成功にひっそり滲み出していて、浮ついた日々の中でリアルだ。
 だからこそ、タフでマッチョな外装を整えた青年とその恋人が未だ、とても純粋な優しさでお互いを思いやり、ここではない何処かを夢見ながらどこにも行けずにいる足踏みが、切なく痛いのだろう。

 

第8話『Stay/いかないで』

 選ばれなかった僕らでも、明日を待っている。
 特別なはずだったサイバー適正に限界が訪れ、サイバーサイコシスを発症するデイビッドと、影から密やかにその魂を守るルーシー……そして同じ鋼の腕で銃を握り、背中を守って思いは届かないレベッカ
 三人の若人の臨界点が近づく、第8話である。

 特別ななにかになれると思い込み、メインの遺言に見果てぬ夢を託されたデイビッドがたどり着いてしまった天井は、母に似た誰か……とても普通の人を殺すことだった。
 自分をサイバーパンクにしたあの永訣から流れ流され、遺品のジャケットとウェアで武装して行き着いた場所が”ここ”だってのは……ナイトシティじゃありふれた話なんだろうけど、なんとも寂しい。
 あらくれた態度ながら彼の人生に寄り添っていたドク・リッパーを妄想の餌食にし、関係が決定的に壊れてしまう(しかし避け得ない終わりを前に、現世に残るドクはガキが一端に成り上がった物語を語り継ぐ決意を見せる)展開には、どうしようもない寂寥が濃い。

 殺した相手の頭部から湧き上がる銃は、デイビッドを無敵のヒーローに押し上げてくれた味方のはずなのに、それによって奪われるものの意味を知る青年の無意識を反映して、凶暴で野放図な凶器/狂気の色合いをしている。
 顔のない怪物に睨まれる悪夢と同じくらい、避け得ない視線が延々自分を見つめているパラフィリックなグリッチが彼に襲いかかってもいて、ドクに襲いかかる時、その瞳は無限に増殖しデイビッドを見ている。
 何かが決定的に壊れた後、ドクの瞳は人間の色を取り戻しているが、色んなモノがもう遅すぎる。
 近年特徴的な演出であるグリッチ表現は、サイバーサイコシスの現状を的確に伝えこの作品でも有効に活用されているが、強さの反動で精神を蝕まれたマッチョ達の瞳の震え方を描くときにも、その冴えが生きている。
 自分を見つめる他人の視線も、他人を見つめる自分の視線も、自分の制御を離れて震え、増殖したり消滅したりする世界の端に、デイビッドは行き着いた。
 それは学校への登校時、擬似的な落下死で少しでもスリルを味わい、ゴミに受け止められ安全を買っていたクソガキが、戻るべき場所へ戻った……という話なのかもしれない。

 そういう行き場のない縁に、偉そうなツラしてたフィクサーもまた追い立てられ出口はないのだということを、アラサカ防諜部のクールな仕事ぶりと、かつてメインに告げた『知る必要はない』ってクソを巨大企業になすりつけられるファラデーが良く語る。
 巨大な銃と激しい暴力で武装し、クソみたいなありきたりを跳ね除けて何処かへと突破可能な”特別”だったはずのプロたちは、あるものはウェアの反動で怪物と化し、あるものは街を支配する巨大な檻に閉じ込められて誇りと信義を売る。
 クールに冷徹に、コーポという巨獣の身体に押しつぶされないように賢く仲間を売り、自分を売る恥知らずは、クロサキとはまた別の形でナイトシティに適応した”賢い大人”の在り方を描く。
 そんな檻にキーウィも取り込まれ、ルーシーが古巣にも連れ戻されていく展開も……この街じゃ当たり前なんだろうけども、なんとも寂しい。
 ルーシーがアラサカに確保されたことで、『魔王の城から抜け出したお姫様を、命がけで取り戻す王子様』という構図が完成し、ドクが予言していたデイビッドの破滅がいよいよ、避け得なくなってきた感じもある。
 『この好ましい青年は死ぬ。避け得ない運命の中で、それでも何かをなそうとあがき、確かに何かを成し遂げるその生き様を、最後まで見届けて欲しい』というメッセージが、様々な形で誠実に出されていて、来るべき終わりに心構えを作りながら見られるのは、この苛烈な物語の良いところだと思う。
 そこは、不意打ちされても全く嬉しくないポイントんだからな……。

 そんなデイビッドの出立から終わりまで、一人の少年の末路を見届けるこのお話だが、それは母なる存在の支配と庇護から暴力的に引っ剥がされ、不在なる父の限界を思い知って突っ走ってきた、結構普遍的な歩みだ。
 人生のパートナー足り得る少女と出会い、幾度も肌を重ね、気付けば関係はほころんで、心の奥にあるいちばん大事なものは届かない。
 ルーシーとの関係もまた、イカレきったエッジランナーのど派手な仕事ぶりになわない、オーソドックスな恋の歩みをしっかり追いかけていて、倦怠期……というにはあまりに重たく、破滅的なものを抱えて軋んでいる様子が書かれる。
 それは凄く切なく鮮烈で、でもどこにでもありそうな恋人たちのもつれでもあって、こういう所がいい意味で”アニメっぽくない”のが、このお話の凄く好きなところだ。
 少年を男にした、銃と鋼と人造筋肉のマチズモに、誰かから受け取った夢の重さがさらに巻き付いて、どこにも行けず誰にも言えないどん詰まり。
 そんな恋人を守りたいと密かに、企業の長い手を潰してきたルーシーの紅い純情は、因果が巡ってついに魔王の長い手に絡め取られる。
 愛しているからこそ言えなくて、二人であった希望を壊したくないから、『企業には勝てない』って街の……そして多分、ルーシーの中の揺るがぬ常識を言葉にできない。
 『出来ない』って自分を縛り付ける鎖をぶっちぎって、魂を月まで飛ばしてくれる信頼と愛は、普通の人間を軒並み縛り付ける引力に足を取られて、自由に届かない。
 そんなすれ違いと、その裏にあるありふれた愛の形が、とてもエッジの立った表現力で刻まれているのはやっぱり良い。
 ルーシーと話す時世界が不安定にグラグラと揺れて、カメラアングルがグリッチしていくのが、二人の心が今どこにあるかを明瞭に語っていて、とても良かった。

 そういう特別な地震を生み出す運命の席に、レベッカの純情は座れない。
 それでも(ルーシーと違って)、サイバーパンクとして隣に立ち続け、背中を守り同じ鉄拳、同じ巨銃で生き延びてきた相棒との歩みは、ナイトシティの一番いい景色を画面に切り取る。
 あの穏やかな風景……ルーシーと向き合ったときの蛍光色とは違うアースカラーの色彩は、レベッカとデイビッドの穏やかな友情と、それを越えて繋がりたかった少女の恋を豊かに語っている。
 別れを切り出したデイビッドが身を置いてる場所のエッジの立ち方、その特別さを思えば、彼がレベッカを選ぶことはないだろう。
 しかし兄を最悪のサイバーサイコに奪われ、今愛する男も”そっち”に行こうとしていう運命の只中で、マジな思いを真っ直ぐ伝えてきた凶暴なパンクスを、僕は愛さずにはいられない。
 愛を残酷に引きちぎられた時、『あいつを殺せして良いのはアタシだけなんだ!』と吠えることしか許されない、銃弾の哺乳瓶で育英されてきた悲しい子どもたち。
 その粗暴な凶暴の奥には、魂を侵食するクロームの中には、やっぱ普通の暖かさが眠っていて、暴力とテクノロジーと巨大経済はそれを侵食していく。
 デイビッドもルーシーもその崖っぷち(エッジ)に立たされる中で、レベッカの愛はどんな咲き方をするか。
 これもまた、見届けなければいけない終わりなのだろう。
 マジみんな死んでほしくね~~~~~。

 

 

第9話:『Humanity/人間らしさ』

  The last case of my boy。
 ハメられていると知らぬまま、デイビッドは最後の仕事に加速した弾体を叩き込んでいく。
 怪物めいた力を宿すサイバースケルトンは、少年が受け継いだ母のジャケットと父の拳を引っ剥がし、人間性を燃料にエッジの向こう側までぶっ飛ばしていく。
 押し付けられ、捨てられなかった誰かの夢の向こう側で、デイビッドは彼の恋人を取り戻せるのか……というエピソード。
 舞台がナイトシティの外側、メインを捕らえ離さなかった荒野舞台で進行するのが、ヴィジュアル的に新鮮であるし、自分を一端にしてくれた男が突破できなかった場所を超えて更に一歩進む、主人公最後の輝きを照らして眩しい。
 人より早いその脚で、運命の重力を引っ剥がして月まで進む。
 そのためのロケットすら、アラサカの技術と謀略が生み出した借り物ってのが、エッジランナーを閉じ込める檻の堅牢さを語って哀しい。

 囮部隊のションベン玉を跳ね除け、クールに驚異を排除するアラサカ警備部隊……を爆煙でふっとばし、命がけの急制動で仕事をこなすエッジランナーズ……を、圧倒的な装備と兵数で包囲するミリテク正規軍……を、神話の英雄めいた超技術と火力で粉砕する鋼鉄の外骨格。
 暴力のスケールはインフレし、力はそれを上回る力で蹂躙されていく。
 ファラデーのド汚ぇ陰謀を粉砕し仲間を……愛する人を取り戻すリベンジの気運はど派手な花火に照らされて上がり調子だが、ここまで描かれた因果応報、銃を取り鋼鉄を体に入れた男たちの末路を思うと、圧倒的な殺戮を見せつけたサイバースケルトンは、デイビッドが生き残る助けにはならないだろう。
 乱高下する人間性スコア、気楽に注入される抑制剤。
 ”サンディヴィスタン”を使うか使わないかで揉めてた時代が嘘のように、魂がすり減る速度も、他人の命を削り取るスピードも、加速に加速を重ねていく。
 クライマックスに相応しい血と銃弾と爆発の大盤振る舞いだが、サイコシスのBDに溺れていたデイビッド少年のようには、僕はもうこの死の舞踏でぶち上がれない。

 破滅が約束された、最後の花火。
 ただ、寂しくて哀しい。
 もともとこの作品で刻まれていた暴力にはそういう匂いが濃くて、我らが主役が犠牲になるだろう残り一話、今更の人道主義と悔恨に痺れているだけなのかもしれないが、第6話でメインを見送ったときと同じ寂しさが、画面にみっしり滲んでいる。
 そういう気持ちでこの、サイバーパンク最後の叫びを見れるのは良いことだな、と思う。

 そんな中、サイバースケルトンをインストールし、膨れ上がるデイビッドの狂気を抑え込むのが、レベッカの大きな手なのは微かな救いだ。
 デイビッドは常に連絡がつかないルーシーを気にかけ、一緒に死線を潜る相棒の愛には気づかない。
 それでも確かに荒くれた少女の優しさは崖っぷちの命綱として、彼女の少年が現世にもどってくることを……彼唯一の女を取り戻すための不帰の旅に飛び込んでいくことを、しっかり繋ぎ止める。
 その切なさをずっと味わいながら、暴力稼業に身を投げ続けてきたレベッカの献身は、新技術のタフな実験台として選ばれたデイビッドの”特別さ”を隠すべく、敵のみならず味方の血も捧げてきたルーシーのそれと、残酷で切ない共鳴を見せる。
 誰かを思い守るのなら、博愛主義者ではいられない。
 ナイトシティのルールに即した恋が、女達を安全圏に置き去りにしていないのは、サイバーパンクの物語としても、”今”の話としても大事なところだと思う。
 ルーシーがずっと気絶しているわけではなく、モノフィラメントウィップをブン回して死地を切り抜け、恋人に危機を伝える逞しさをしっかり持ってると示して最終話に繋いでくれるのは、強くて優しい彼女に魅入られた自分としては嬉しい。

 でもまぁ、そんな風にカッコよくあってくれるより、ただただ彼女の少年と一緒に幸せになってほしかった。
 多分ナイトシティでは、それこそが一番の贅沢で、宇宙の果てに浮かぶ月のように手が届かないものなのだろう。
 だからこそ、母を喪った少年と過去に追われる少女は出会い、抗い、ここまでたどり着いてしまった。
 さて、残り一話。
 何を描くのか、見届けるしか僕には許されていない。

 

 

第10話:『My Moon My Man/私の月、私の恋』

 かくして少年は、彼の人生を駆け抜けた。
 圧巻の最終話であり、こうなるしかない寂寥と無常に満ちつつ、クロームと銃弾に翻弄され続け、それがあったからこそかすかに爪痕を街に刻む権利を得た一人のサイバーパンクが、最後に守り掴み得たものを書ききっている。
 『OPでデイヴビッドを殺すのは、街そのものだ』と、僕の信頼する友人が語ってくれたのだけども、結局デイビッドはアラサカタワーの発着ポートにしか足を踏み入れることが出来ず、その駄賃は命そのものだ。
 街は殺せず、真の伝説であり真の特別であるアダム・スマッシャーを相手に、アレだけ無敵を誇ったサイバースケルトンは一方的に蹂躙される。
 ちょっとだけ人より優しくて、だからこそクロームの侵食に人より耐えられ、それ故エッジに向かって突っ走る一方通行から降りられなかった少年は、街のルールすべてを変えてしまえる選ばれた主人公ではなかった。
 彼を特別な主役にしてきた”サンディヴィスタン”は遂に、同等以上の使い手を彼の前に立つ塞がらせ、サイバースケルトンもそれと同じく、コーポの目を盗んで借り受けた脆弱な力でしかない。
 反重力装置というモノを壊されれば、自分の体重すら支えきれない脆弱さはそのまま、特別でも普通でもなかった、だからこそ誰かから借受け盗むことでしか己を立たせられなかった、デイビッドの死に装束になっていく。

 だがその土壇場で小さくて悲しくて眩しい彼だけの夢をつかみ取り、ちゃんと月まで届けることはできた。
 爆炎と血に彩られ続けたこのお話が、そういうコンパクトな結末に収まっていくのはむしろ納得であるし、ここまで描いたものに素直な終わり方だとも感じた。
 人間性を侵食するクローム、どれだけ上を目指しても檻の中な街の構造、人の尊厳をモノ化する各種技術。
 現代社会が加速していった先にあるグロテスクなテーマパークで、幾度も蹂躙される人のあり方を描いてきたからこそ、それを最後の最後につかみ取り貫いた、シャイでナイーブな男の子最後のビズには、微塵に砕かれてなお消えないこだまが満ちている。
 確かに、デイビッド・マルティネスはこの街にいた。
 惨劇の果て、無常の極みにそう思えるのは、ありがたい限りだ。
 そして何よりも、やっぱり悲しい。

 デイビッドとルーシーの特別な愛は、どんな抑制剤よりも強烈に正気を取り戻させた落下中のキスで……それを信じて命を張り切ったレベッカのさっそうと併せて、鮮烈な印象を残す。
 同時に様々な恋人たちの思いが主役二人のロマンスに重なるのも巧い作りで、『俺を越えていけ』とメインに託されたデイビッドは、彼が成し遂げ得なかった恋人の守護を命がけで完遂し、確かに半歩、運命をマシな方へと進めていく。
 多くは語られないがメチャクチャ色んなことがあっただろう、キーウィとファラデーの因縁も最後に発火し、非情なプロに徹しきれない凄腕最後の情が、お話に暖かな湿り気を足す。
 自体がここまで加速したのは、ファラデーが欲かいてルーシーを連れ去ったからであり、クソガキが彼のお姫様を追うためにどんだけの根性を出し、人生全部を担保に怪物的な偉業を成し遂げうるか、見誤った結果だ。
 ファラデーの4つの目は結局非情なる現実も、愛の力も見通せず、高みから叩き落されて無惨に砕け散る。
 その愚かさを思い知りつつも、仲間を売り”どこか”に生きたかったキーウィの過去と内面を、そこまで多く語らない筆先が奥ゆかしくて、僕は結構好きである。

 愛の話をするのならば、レベッカについて語らないのは嘘だろう。
 末期の一瞬前、愛した男の瞳が誰に向いていて、誰が彼を正気に……自分が大好きだった優しい少年に戻してやれるかしっかり飲み込んだ上で、恋敵であり仲間でもあるルーシーに向けた視線が、僕は好きだ。
 ルーシーがその不在故にクライマックスを牽引するヒロインだとしたら、レベッカは命を燃やして夢をつかむための燃料を託され、惑乱する思い出を現実に繋ぎ止める実在のヒロインである。
 ロマンティックなこのお話で、不在/精神は実在/物質より強くあるべきで、それゆえレベッカの恋は実らない。
 しかしそんな現実をデカいショットガンでぶっ飛ばしながら、彼女は常にデイビッドの側にあり続け、血路を切り開き景気の良い悪罵を垂れ流し、最後まで戦った。
 そんなメロウな感慨を真正面からすりつぶす、アダム・スマッシャーの非情な圧倒の犠牲になること含め、とても印象的なキャラクターだった。
 大好きな、絶対そんな終わり方をしてほしくはないあの子が肉とクロームの合い挽きになってしまう展開こそが、エッジランナーズが因縁や感情や経済や暴力が放つ巨大な引力の重たさをもう一度突きつけ、仲間たちの助けで、託された遺志で微かに、月に手を届かせたデイビッドの偉業を、浮かび上がらせもする。

 サイバースケルトンにより反重力を手に入れたデイビッドは、母が望んでいたアラサカタワーのてっぺんまで登り、後はそこから降りていく。
 少年時代、エッジから踏み出して現世に戻してくれていたごみ溜はもう足元にはなく、彼の魂は強く燃えて、その肉体は撃ち抜かれ引きちぎられていく。
 しかし憂鬱に視界を塞いでいたゴミを取り除き、自分の夢がどこにあるのかはっきり見える場所まで彼を連れてきたのは、決意を込めてヤバいウェアを背骨にブチ込んだデイビッドの決意そのものだ。
 前に進めば落ちるしかない、受け止めるものは誰もいない場所に突き進んだからこそ見えたもの……クロームと銃弾に全霊を注ぎ込んだからこそ、微かに突破できたもの。
 ファラデーが愚かしく望んだアラサカの高みよりも、地に落とされてなお彼の夢を続ける道を選んだ……選べた終わりは、残酷で現実的ながら極めてロマンチックで、馥郁と香る。

 デイビッドは夢のない自分の虚無を、ルーシーの夢に捧げて夢としたが、今までの惨劇が夢のようにのどかな月面ツアーに”私の恋”がいないことを突きつけられて、それでもルーシーは夢を見れるのだろうか?
 その先は描かれない。
 少年は死に、少女は生き残った。
 デイビッドが死と虚無の視線に常時つきまとわれながら、それを振り千切り、母とメインの夢を燃料に自分だけの夢を掴み、ルーシーに託した先の物語を、ルーシーは否応なく生きて行くしかない。
 物語が終わった後も、愛する人に先立たれた後も、人生は続いていく。
 それはとても残酷な詩であるし、デイビッドが……彼とともに戦ったあらゆるサイバーパンク達が出口なき宿命の中、必死に加速してこじ開けた先で待っているちっぽけな救いでもあるように感じる。
 出会いの時たしかに紡がれた思い出の幻が消えて、孤独に月面に立つ……ここまでの物語の全てがそこに自分を立たせてくれた瞬間と出会う時、ルーシーはどんな顔をしているのか。
 それをダイレクトに描かないのが、この作品の美学だなと思う。

 ルーシーと口づけする時、真実大事なものを見つけ伝えるときの緑と紫は、アダム・スマッシャーの残酷な追撃を受けて砕かれ、青と赤……最もサイバーパンク的な二色に塗り上げられていく。
 その激突を越えてたどり着いた月面は、日光を遮る大気がなく、陰影がくっきりした特別な美しさを宿している。
 死の世界、静寂の世界、天上、”あがり”。
 ずっと窓の向こう見るばかりだったロケットの行き先に、自分が生きて乗り込むのではなく、自分の愛と夢を送り届けることが、この物語の主人公の夢になった。
 それが叶ったのか、叶い続けるのか。
 極彩色の残照を眩くまぶたの奥に抱きしめつつ、今はその甘やかな酩酊に浸りたい。
 いいアニメだった。

追記 ”見る”という営為の暴力性と優しさ、その両面をよく考え表現したアニメでもあったと思う。


終わりに

 終わってみると全世界的に話題になるのも納得の、先鋭的で刺激的な表現と古典的で普遍的な物語が山盛り詰め込まれ、常時加速しながら叩きつけられる、とても良いアニメだった。
 見てよかったと思う。
 正直な話、自分が向き合い方を常に迷ってるクリエーター集団であるTRIGGERの現在地を確認したい気持ちが大きくあった視聴であるが、彼らが今立っているエッジをこれ以上ない強さと鋭さで、しっかり確認できたと思う。
 最初はとにかく絵の強さに惹かれたが、それをブースターにして各キャラクターの人間性(あるいは人間性の不在)、ナイトシティの出口なきルール、サイバーパンク世界の荒廃がしっかりと伝わり、モニタの外側に僕が足を置いている現実と地続きになりうる、最悪ながら確かにそこに人が生きている可能性として、物語を受け取ることができた。

 海外のプロダクトをアニメ化する上で、どのような制作過程が作り上げられどのような意思と熱情がぶつかりあったか、いち視聴者である僕には解りきれないが、年齢制限をしっかり付けて性と暴力に堂々踏み入ったこともあってか、少年が殺しとセックスを通過し、男となり大人となった後の地続きな物語にまで、しっかり踏み込めていたのは結構レアな質感で、見ていて楽しかった。
 そこにはどっしりと膨れ上がった頼りがいある肉体と、その奥でひっそり脈を打つ衰えと限界と、夢のような恋が現実となってなお続いていく摩擦と、それでもなお何かを突破しうる運命の出会いが、確かに生きている。
 ナイーブな少年だったデイビッドがその』魅力と切なさを、エッジランナーとして……家族を世界の理不尽なルールに奪われた喪失者として、苛烈な経験を通してしっかり成長しつつ、魂の核に残りつづける残響に呪われ愛されつつ突き進んでいく、加速した先にある場所。
 ナイトシティの有り様を細やかに活写しつつ、センス溢れるヴィジュアルと色彩で画面を埋め尽くしつつ、とても当たり前で大切な……だからこそあの街では誰も守り届くことができない夢の行く末を、しっかり描いてくれるアニメだった。
 こういう腰の強さが、TRIGGERの先鋭的な表現力(そこには古く懐かしき”アニメ”の精髄を、今リバイバルする強い意志があるわけだが)としっかり絡み合って、一人のサイバーパンクが奪われ、出会い、走り抜け、砕け散るまでの物語を、真摯に届けてくれた。

 大変面白かったです。
 TRIGGER作品を見る時、その当事者としてくすぐられつつどこか居心地の悪さも感じる、照れと矜持が入り混じったオタク向けのウィンクから水気が絞られ、物語のオーソドックスにしっかり注力した形を受け取れたのは、ある種の違和感をあるべき場所にハメる体験として、大事だしありがたいと感じた。
 今これを見れてよかったなと、つくづく思います。

 

補記

 傑作まみれのアニメ的特異点だった22年10月期の中でも、僕はいっとう”Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-”が好きなのだけども、明と暗、平和と暴力、真逆ながらこのお話を見終わって、一番最初に考えたのはあのアニメのことだった。
 あの作品において、DIYというものづくりの営為はただの物質を越えて、絆や思いをモノに込め、薄れがちな記憶を現実に留めるための”精神化された物質”として扱われている。
 せるふが忘却しがちなぷりんとの大事な思い出は、ウィンドチャイムやブランコとして大事に保管され、あるいは新たに作り直されて、けして消えない大事な思いを形に出来る、とても意義ある物神として物語に輝き続ける。
 それは技術が進歩し、さまざまに見慣れぬテクノロジーが世界を加速させてなお続く、人の善き部分を保つための大事な夢だ。

 他方このお話で描かれる未来はあらゆるモノに値札が付き、尊厳も夢も命も金次第の、資本主義最悪の帰結である。
 死体からこそぎ取られるDBやウェアは、”生きて、死ぬ”という最も根源的な尊厳をマーケットに横流しするし、身体に埋め込んだクローム人間性を削り取り、最も大切で守りたいものを自分の手で壊す最悪へと、パンクスたちを追い込んでいく。
 ”物質化された精神”に満ち溢れたナイトシティは、テクノロジーが生み出す悪夢にどっぷり浸り、未来のもう一つの顔を鮮烈に写し取る。
 そしてそのドブの中でも、人は人であり続け、恋をし大事なものを捨てられず受け継いで、夢を追って月まで行く。

 未来にありうる可能性を追いかけるこの2つの作品は、モノとそれを扱うテクノロジーが生み出しうる可能性を両極に見据えつつ、共に自分たちが選んだ画角に相応しい筆致やキャラクター、物語、表現をしっかり選んで、テーマをしっかり彫りきったという意味で、自分の中で大事な天秤の両方を占める。
 三条市のあまりに温かい日差しも、ナイトシティの残酷なネオンも、モノとヒトの複雑な関係性、それが生み出しうる夢と悪夢を追いかけているのは同じで、しかしその明暗どちらに目を向けるかで、真逆に見える物語を紡いでいる。
 その繋がりと個別の差異が、自分の中で複雑で面白い照応を成したというのも、このアニメを見てとても面白かった経験の一つだ。