新年明けまして、デパプリはまさにクライマックス!
力の意味を問う最終決戦、超気合の入った作画でスーパー男祭りが展開され、憎悪の闇に飲み込まれかけた拓海の震えをしっかり切り取る、緊迫のバトル回でした。
プリキュアチームの必殺技連携の所とか、メチャクチャ気合入ってたなー……。
アクションだけでなく、剥き出しの暴力と憎悪に触れて心が揺れる拓海少年の表情も細やかに描かれてて、作画がドラマを後押しする回になってたと思います。
最終ラップでゆいちゃんに色々背負わせ追い込んでいくエンジンが元気になったデパプリ。
優しさと夢で色んな人を助けてきたそのスタイルが通じない相手が敵に回ったとき、はたしてそれでも信念を貫けるか……って問いただしを最後に叩き込むための、今回は助走でもある。
焦げ付いた逆恨みと、愛が反転した憎悪で視野を狭めているゴーダッツは、悪辣ながら身近にいそうなネジレ方してて、だからこそゆいちゃんの綺麗な夢では現状止めきれない。
一緒に御飯を食べたなら、ずっと仲良し。
そんな夢が夢でしかない現実を叩きつけられ、愛する人が傷ついてなお、癒やし守るための力という題目にすがれるのか。
大事な幼なじみを体を張って止めたその優しさを、拓海を傷つけられてなお保てるのか。
主役の地金を最後の最後に試すには、なかなかいいシチュエーションになってきた。
フェンネル=ゴーダッツの狭苦しいエゴは、真っ当に正しいかつての仲間たちの手を跳ね除けさせ、暴力と憎悪と独占だけが世界の全てなのだという思い込みを加速させていく。
”共有”を大きなテーマとして話を勧めてきたデパプリが、最後に対峙するのが他人を見ず聞かず、コミュニケーションを拒んで全てを独占する歪な男なのは、結構良い座組だと思う。
最終盤で一気にその存在感を跳ね上げたセクレトルーが、ゴーダッツにすがる瞳の描き方が大変冴えていて、”完璧な自分”という夢を叶えてくれる悪のカリスマにすがる哀れみが、苛烈な自爆特攻からも香る。
デパの敵役は悪く言えばみみっちく、良く言えば等身大の描かれ方をしてる感じがあって、”完璧”に呪われて瞳を塞ぎゴーダッツだけを見ることでしか前に進めなかった、セクレトルーの傷には奇妙な共感が宿る。
はた迷惑な大間違いであっても、確かにそこにすがるしかなかった。
そんな……かつてフェンネル自身がジンジャーに見出しただろう救済の祈りを、野望に向けて猛進するゴーダッツは顧みない。
同じ立場で、同じ痛みと過ちを抱え、しかしそれを共有できない狭さ、寂しさ、悲しさ。
セクレトルーがゴーダッツに向ける視線を通じて、それがしっかり描かれているのはとてもいいと思う。
仮面を外し髪を下ろし、頑なな”完璧さ”をひと足早く脱ぎ捨てたセクレトルーさんが、自暴自棄に終わりを願うとき、休息と癒やしを与えるのはあまねである。
天使以外の自分があってはならないと、一度自分を追い込んだ彼女……あるいは自身望まぬ悪の走狗に変えられ、そのショックでしばらく寝込んでいた(だからこそ再び立ち上がれた)だからこそ、元同僚の苦しさに目を向けることも出来る。
ゴーダッツとの闘い、そこで発火するお互いの信条がどういう決着を迎えるか、それがどんな正しさを描くかは最終盤の核心だと思うが、悪の首魁がそこにこそ救いを求めた幹部を置き去りにし、正義の味方がその傷に包帯を巻く描写は、狭苦しい独善が取りこぼしてしまうものを、大上段な振りかぶりではなく親身な語りかけとして、上手く伝えてくれた感じがある。
ここら辺、完璧に思えて結構隙も迷いもあったあまね会長が、一少女として色々悩んで自分を作っていった積み重ねが、最後の最後で効いてきてる感じでもある。
一方まさかまさかの男×男、異能中年男性限界バトル会場と化したゴーダッツ初戦であるが、父シナモンへの思いをドス黒く燃やし、たっくんが闘いの闇に飲み込まれかけていた。
彼の優しさと強さをずっと見せてもらってきた立場だけに、それが反転してゴーダッツと同じ陰りに飲み込まれそうになる展開は心が痛かったが、しかし既に道を決めてしまった頑なな大人に比べ、たっくんは凄く苦しそうに、憎悪の道を走る。
なにかに怒り、握りしめた拳で誰かを殴りつける行為はそんな風に、自分自身をも傷つるものなんだと思う。
そこから流れ落ちた魂の血を、誰にも抱きとめられず固めてしまった結果、ゴーダッツは狭く閉ざされた視界で自分と世界を見るようになって、孤独な独占こそが自分を救うのだと思いこんでしまう。
父を傷つけられ、踏みにじられた怒りに任せてゴーダッツにとどめを刺していたら、たっくんもまた同じ存在に堕ちていた。
それは正義が悪に勝つ代価としては、あんまりにも重たく、救いがなさすぎる。
たっくんはシナモンから特別な血筋と高貴な思いを引き継ぎ、それが嘘ではないからこそ憎悪に燃える。
ここら辺の当事者性がプリキュアサイドにほぼなくて、ある意味他人事な距離感から因縁の炸裂を見ている(だからこそ、”正しいこと”も言える)のは、ローカルでハンディな手触りを中心に据えて話を転がしてきた、このお話に率直な展開だと思う。
血を分けた親父、尊敬できる身内が因縁に巻き込まれ、薄汚い思い込みで身勝手に傷つけられた。
たっくんの血を沸騰させる怒りは、そういう身近な熱あってこそ燃え上がるものだ。
そしてゆいちゃんが今まで積み上げてきた言葉は、今回たっくんを暴力の瀬戸際で止め、苦しそうな怒りの疾駆を止めた信念は、ゴーダッツが恥じらいなくぶん回す剥き出しのエゴに、無力に思える。
薄汚い大人は大事なことを忘れるし、自分を棚に上げて狭独善に浸るし、騙し討ちも逆恨みも恥じない。
そんな、あって欲しくないしあってはいけないけども、実際良くある経年劣化の悪徳を前に、若く美しいプレシャスの祈りは、無惨なまでに脆い。
あの不意打ちは物語の構造上、ラスボスが振り回すありふれたエゴが自分ごとから遠い主人公が、フェンネルを飲み込んだドス黒い闇に飲み込まれるほど接近し、しっかりした手応えで向き合うために、絶対必要な一撃なのだろう。
あそこでプレシャスの優しさと正しさが仲間を死地に追い込み、聖女めいた主人公をドス黒い人間の泥に引っ張り込むからこそ、”プリキュア”の外側で展開してきた最終決戦は一気に、少女たちの側に寄る。
最後の最後、かなりの物語的綱渡りを走る妙手だったなと、自分はすごく感心している。
自分が綺麗ごとでその拳を止めたから、拓海は深く傷ついた。
自分が弱くて甘っちょろいから、コメコメは死力を振り絞って倒れた。
『あの幼児マスコット、先代と同レベルで命貼りすぎだろ……』とブルブル震えているが、ヒーロー気取りの理想主義者をどん底に叩き落すには、十分な試練だと言える。
この展開は、デパプリがこの局面まで棚上げしてきた暴力の本質……少なくともその一側面を嘘なく主役に叩きつけ、その意義を問う強さがある。
ファンシーな色合いで糊塗され、綺麗な夢でなんとか問題をいい方向に転がしてきた特別な力が、逆手に握られ現実を突き刺したとき流れる赤い血。
それを間近に浴びてなお、ゆいちゃんは綺麗なままでいられるのか。
たっくんが怒りに駆られ闇に落ちかけた今回の流れを、さかしまに主役に問いかける話運びだと言える。
これでようやく、ゴーダッツが身を置きかつての仲間と世界を巻き込んで暴れさせている身勝手なエゴ、そこから溢れる暴力は、和実ゆいから遠い他人事ではなくなった。
弱さに震え、怒りに燃え、憎悪に逸る。
人間のドス黒い部分が幼い心に押し寄せたとき、人間がどういう表情をするのか。
今回拓海をキャンバスに描かれたもの、ゆいちゃん自身が理想を信じてせき止めたものが、今まさに主役を襲っている。
その侵犯/審判は、愛と正義を語り未来と夢を信じる戦士が、必ず向き合わなければいけない濁流だろう。
このまま否定し難い闇に溺れ、戦い守る力(だと、ゆいちゃん自身が言い切って幼なじみを救ったもの)を手放すのか。
それともその暖かな正しさで、色んな人を助けてきた少女が今度は導かれる側に回り、友の手を取って新たに立ち上がるのか。
なかなかいい感じに、デパプリ最終決戦が赤い血を流してきている。
そこに決戦の炎を燃やし、憎悪と独善に満ちる世知辛い世界にそれでも、”ごはんは笑顔”と吠えれる死角を作品が手に入れるか、否か。
次回ゆいちゃんの精神闘争をどう描ききるかが、とても大事な答えとなるでしょう。
大変楽しみです。