イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

テクノロイドオーバーマインド:第3話感想

 破滅世界のピノキオたちが突き進む、人の心を歌で探す旅路。
 第3話の今回は、バベルを離れて病院で人助け、機械嫌いのトップアーティスト・カイトと邂逅するエピソードである。
 あえて物語のメインステージからカメラを引っ剥がすことで、その総体が良く見える話となり、ぶっちゃけ音楽ネタなのになんで”音楽”やってんのかイマイチわかりにくかったお話に、しっかり芯が入った。
 急に投擲されるシビアな社会情勢といい、シリアスとコメディのバランス、それを叩きつけてくる呼吸が独特なお話であるが、根っこにある視線は暖かくも真っ直ぐで、人と機械の在り方をしっかり見据えているように思う。
 KNoCCの四人だけが特別に持つ、”Kokoro”というプログラム
 機械が隣人とも加害者ともなりうる世界はけして楽園ではなく、もがきながら答えを探す最中であるけども、さてそんな現実に歌は何をなしうるか。
 お話が追い求めるべき星が、一つ鮮烈になった回だった。

 

 お話としてはロボット人情噺の芯はブレず、病院にてバベルを夢見るナギちゃんに俺たちKNoCCがご奉仕するぜッ! という内容。
 これまでの描写から勝手に、『バベルではアンドロイドだけが演奏してる』って思いこんでたけども、むしろKNoCCがイレギュラーなのね……まぁ主役だしな!
 なんとなく『飯食える手段』として選んだバベルに、人間様の全霊を賭けて挑んでいるからこそてっぺん取ったカイトは、アンドロイドには魂がないと叫ぶ。
 それが事実なのか、自分を傷つけた機械が奇跡を生み出すと信じたくないからなのかは、今後KNoCCがどんなバベル活動するかによるだろう。
 歪むのも当然な事情を抱えたカイトに主役を否定させることで、極めてのんびりしてたお話に一本筋が通ったのは、たいへんいい感じだ。

 環境破壊と人口減少を補うべく、人に似たものを社会に混ぜ込んで持続可能性を確保している社会は、未だ未成熟だ。
 人生捻じ曲げるような致命的な事故も起きるし、それを完全にケアできる社会体制・技術的サポートは未だ得られていない。
 だからこそカイトはアンドロイドを恨み、『真の人間』を標榜するヤバそうな団体から接触も受ける。
 KNoCCとエソラのほんわか生活を透かして、相当良くない感じのネオ・ラッダイト荒れ狂ってる社会が滲んできて、かなり独特の味がしてきたな……。

 主なく、しかし目的を他者から分け与えられないと何も出来ない道具的存在。
 KNoCCが音楽を通じて”Kokoro”を育んでいる様子と、意思持つ隣人というよりは便利でやさしい道具という扱いが濃いアンドロイドの現状は、どう絡み合っていくのか。
 彼らがアンドロイドという種の命運を背負った特別性であるのは間違いないが、差別や排他や死や困難や……人間なら当たり前に直面する暗い難しさに向き合うだけの”Kokoro”は、まだまだ育っていないようにも思う。
 あのな~んも知らねぇバブちゃんな感じが可愛くもあるし、人間社会のキッツい所をいきなりぶつけて、ハードコアに育って欲しいわけではないけども、人型機械がいなければもはや成り立たない黄昏の社会で生きるなら、ちったぁ人生ってのを学ぶ必要もあろう。

 

 その初級編として、病院での手作りライブはなかなかいい感じだった。
 ぶっちゃけ主役四人、現状塊で描かれて個性が見えないわけだが、”芸術”にパラメーター振られたネオンくんが彼なりのこだわりを出して、美術監督として奮戦していたのは凄く良かった。
 外見以上の差異はやっぱり、こだわりに導かれた行いにこそ宿ると思うので、ネオンくん以外が何に夢中になって、何に頑張れるかを作中でどんどん見せてくれると、主役とお話を好きになれて有り難い。

 このアニメは父を喪ったエソラくんの成長物語でもあるから、彼が超胡散臭い導き手に誘導されて、KNoCCのプロデューサーとして一歩を踏み出す展開もいい。
 なんなんだろうな、あの胡散臭いの……本当に胡散臭い……。
 彼とKNoCCが出会ったのも偶然ではないだろうし、バベルを登るアンドロイドがこの不自然な世界にどんな変化をもたらすか、今後もサスペンスは踊りそうだ。
 そういう社会全体を見据えたでけー話を横において、機械と人間の奇妙な疑似家族はほんわか終わってる世界を歩いていって、彼らなりの小さな善行を積み上げ、ちょっとだけ成長もする。
 そういうコンパクトな手触りがけして間違っていないと描く上で、病院に閉じ込められた弱者の夢を叶えてあげる今回のライブ、凄く大事だったと思う。
 絶対に間違いなく善行だからな、アレ。

 あんだけ妹大事なカイトさんは、真のバベルを(その頂点に君臨するからこそ)見せてあげられなかったわけで、な~んも知らない無邪気な機械だけが、成し得る奇跡というのもある。
 しかし未だ新たな社会の形が見えない”人間様”は、機械のあるべき形を見つけられていないし、あまつさえ殴ったり排斥しようとしたりする。
 そして機械の側も、人が目的を指し示してくれなければそのポテンシャルを発揮できない、道具存在の限界点に囚われている。
 世界が残酷に姿を変え、それに合わせて人も社会も機械も、在り方を革新する前の……人類黄昏と機械黎明の時代。
 やっぱアンドロイドSFとして、イイ所にしっかり光当ててんな……と思いつつ、次回を楽しみに待つ。


 余談。

 俺は上松っぁんの音楽信奉が凄く好きで、Kissよりすごい音楽がなにもかも書き換えてしまえる特権を疑わない、ある種の狂気みたいのを信頼している。
 このお話でもわざわざ、主役をバベルの音楽闘士に位置づけた以上、歌は人の心とあり方をえぐる特別な資格を持っているはずで、持っているべきだ。
 そこをどう見てる側に届けるかは、ドラマとステージの圧倒的なパワー勝負って部分があり、『良く分かんねぇけど、アンタが狂ってる”音楽”ってのが人生変えちまうモンだってのは理解った!』ていう熱量が、どっかで欲しくもある。
 とにかく主役がのんびりピュアなので、音に狂って壁を突破していく切実さみたいなもんがまだ発火していないわけだが、今後想定よりもネオラッダイトな世界にコスられる中で、歌に全霊突っ込まないと乗り越えられない壁にぶち当たって、何かを変えていく転換点が来るのか。
 そこにも注目していきたい。