イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

鬼滅の刃 刀鍛冶の里編:第9話『霞柱・時透無一郎』感想

 激闘決着! さらば玉壺さん、アンタの勇姿は忘れない……。
 そんな感じのサクッと終了ほとんどレスバ、覚醒を果たした霞柱の実力が喋りすぎクソ雑魚上弦をぶっ潰す、鬼滅アニメ三期第9話である。
 『エモいことは、先週たっぷりやったからいーだろ!』とばかりに、無味乾燥な嫌味マンだった時代から記憶を取り戻し、舌鋒鋭く鍛え上げられた無一郎の好き勝手絶頂を、ハイテンションな思い上がりを最後まで貫く玉壺さんが身をもって芸術にまで昇華する回だった。
 鳥海さんの熱演がフィナーレまでメラメラ燃え続け、ぶっ殺し合いの最中なのにギャグ描写入っちゃう、クズ人間時代の回想をすっ飛ばされる不遇もなんのその、玉壺さんは玉壺さんを貫いて死んでいった。
 いやまぁ極めてクズカスなんで死んでくれて良かったが、おぞましさと滑稽が同居する独自の存在感をアニメは良く際立たせてくれて、総じて『見れて良かったなぁ……』と思える仕上がりだった。
 無一郎以外だったら苦戦するか死んでただろう、グロテスクな殺人絶技の数々もなんだかんだ、おぞましさと迫力があったしね。
 緩んだ展開やりつつ、こういう所で強制的に〆れるのは、作画火力の正しい活用だなぁ……。

 同じ水属性の殺し技でも、なんか良くわかんねぇ魚召喚して毒で殺す玉壺さんと、捉えられぬ闊達自在に殺意を秘めて、華麗に殺す霧柱とは格が違う。
 あんだけアーティストであることに拘っていた玉壺さんが、異形の美学を投げ捨ててフツーにマッチョな怪物となり、直線的に殺してくるのに反して、無一郎の刃は舌戦でも実戦でも死地に近づくほど冴えて、なんとも美しい。
 この残酷な美麗をしっかり作画したのは、自称・芸術家がどこにたどり着けなかったのか、だからこそ負けるしっかりしたオチにも繋がっていて、大変良かった。
 物静かな霞の刀法をしっかり書いておくことで、炭治郎のピンチにさっそうと舞い降りた恋柱の可憐が、良い対比にもなってたしね。

 遊郭編であんだけ濃厚に描かれた、鬼サイドの事情が今回は一切なく、玉壺さんは生まれ変わる価値もない生粋の鬼畜に相応しく、惨殺処刑されていく。
 僕はこれ凄く好きで、『同情するべき事情がないやつだって鬼になって、圧倒的な力で他人を踏みつけにして悦に入るし、その報いは受ける』つうルールが、玉壺さんと半天狗を題材に描かれたと感じた。
 どこまで行っても人間の業、その成り果てである鬼には人間の多様性が、割と最悪の形で反射する。
 人を食わなきゃ生きていけないカルマが、善から生まれそこなうのか、悪から生まれるのかは場合場合で、統一したルールがあるわけではない。
 心底しょーもない事情からも鬼は生まれるし、残酷と無常を塗り固めた地獄から這い出してくることもある。
 人間色々、鬼も色々である。

 

 そんなクズクズカスカスの事情、もう半分を担う半天狗戦はまさに激闘、最終覚醒モードがマージで強くて大苦戦である。
 憎珀天が生み出す樹の龍が、切られて血を流すのが異形の美しさで良いなぁ、と思う。
 鬼が生み出すものはどこか歪んでいて、自然の摂理から大きくハズレている。
 そこに自分なりのアートを見出し、十分逸脱できなかった結果人間の規格外にぶっ殺されちゃったのが玉壺さんであるけども、彼らの暴力を描くときにはグロテスクな想像力が必要になる。
 ゴアな血しぶきが過去一飛び交う刀鍛冶の里、そういう表現力は今期大変冴えていて、フリーキーな血だるま闘争が手を変え品を変え元気なのは、大変良い。

 そしてその歪さを切り裂き、颯爽登場恋柱。
 新体操のリボンめいた異形の刀身が、華やかな桜色で闇を切り裂く様子は、鬼とはまた別種の異質さを宿しながらも美しく、力強い。
 柱ごと、呼吸ごとのスタイルの違いを鮮烈にアニメに出来てるのはこのお話の良いところだけど、蜜璃ちゃんの戦いも独自の強さと美しさを、しっかり宿してくれて大変良かった。

 

 つーわけでひと足お先に一閃決着、霧柱の見せ場を描き切る回でした。
 前回の回想と合わせて、彼の魅力をグググッと引き出す描き方をやり切っていて、大変良かったです。
 この調子だと残りのバトルも素晴らしい仕上がりになると思うので、終盤戦も大変楽しみですね!!