鬼滅の刃 柱稽古編 第2話を見る。
いざ最終決戦に向けてのファイナル特訓~~…の、その前に。
辛い人生送りすぎたせいでコミュニケーション能力ぶっ壊れちゃった残骸男に、花江声の甲斐甲斐しい幼妻を送り込んで心の扉を開けるッ! という回である。
お館様の遺言を受け取って、ストーカー寸前まで富岡を追い込んだ炭治郎の人間力がガッチリ染み込み、追い込まれた凶相だけで生き延びてきた人の地金が、微かに微笑む回となった。
姉の位牌の前で心を鎮めようとして、少女の声が出ているしのぶさんもそうだが、殺しに向いてない人たちが殺し頑張りすぎて、壊れた連中が多すぎる鬼殺隊。
大正時代にPTSDの概念……無しッ!
打ち解けられなさそうな激ヤバ人間集団として、最悪初対面を果たした柱たちも、炭治郎が戦いの中強くなるにしたがって肩を並べて修羅場をくぐり、弱っちい普通の人間が必死こいて抗っているだけだと、だんだん解ってきた。
一番最初に接触したのに、ずーっと過去も心の内側も分かんなかった水柱も、今回その内側を切開されていく。
泣き虫で臆病な12歳の子どもを、姉と友達、二重のサバイバーズ・ギルトに引き裂かれたまま置き去りにして、極めて歪な強さで自分を鎧った、”水柱”冨岡義勇。
その精神性は、涙も怒りも笑顔も隠さない炭治郎に、あっという間に追い抜かされている。
頑是ないように見えて、炭治郎の方が”大人”だ。
しかし炭治郎が修行や戦いを通じ、人が生きて戦って死ぬことの悲しさと意味をその身に刻めたのも、最初の惨劇に駆けつけたのが厳しい優しさと激しい強さを併せ持つ、”水柱”冨岡義勇であればこそ。
己の腹賭けて、袖擦りあっただけの子どもの未来を守ろうとした思いを表には出さない、不格好な激情を秘めていた男が、劣等感や罪悪感を抱え込んだまま誤解まみれ、鬱屈した殺しの日々に身を置いている。
こうして不器用の裏側を覗き込んでみると、壊れるのもまぁ当然の厳しさを彼も背負っており、生き延びた己が許せぬからこそ鬼を殺す、泣きじゃくる子どもがその内側にいるのだと解る。
…だから”水”か。
義勇さんは姉が死んだ時、錆兎に庇われ生き延びた時、二回の衝撃で時を止めてしまっている。
鬼を斬り殺す腕前だけは上がったが、辛いことが多すぎる世界、そこで生きるに値しない自分と向き合う強さを、手を差し伸べてくれる誰かと育むことが出来なくて、子どものまんまな情緒を抱えて”柱”という立場になってしまった。
そこで立場に相応しい人間になるという、社会のスタンダードに寄っていかないのは、異常鬼斬部隊である鬼殺隊の特殊性と、義勇さん個人の生真面目さが理由なのだろう。
仇を取るべく強くなって、でも強いことは自分を許す理由にならない。
強くなるほど、弱虫な自分が生き延びた罪を思い知らされる。
炭治郎たちが煉獄さんに守られ託され生き延びて、その不甲斐なさを苦く飲み干して心を強くしていったのと、真逆の方向に富岡少年は走るしかなかった。
ここら辺、ワーワー騒がしい三人が一緒にいれた意味を改めて感じる部分ではある。
錆兎とともに闘えたのなら未来も変わったのだろうが、義勇さんは一人でただ強くなり、ただ強いことは悲しみを救わない。
その孤独を良しとしてしまうのなら、戦士は鬼と変わらなくなってしまうのだろう。
柔らかい心を持ったまま鬼殺しの修羅となる道は、メチャクチャ簡単に人間ぶっ壊すので、やっぱ鬼殺隊あんま良くないと思う。
『良くないねー』と作品自体が告げてるのは、結構誠実。
このまんま周囲と心も通わせず、自分も許せず折れるまで摩耗していく道を、産屋敷と炭治郎のおせっかいがひょいと捻じ曲げる。
炭治郎の一言が、生き延びたのではなく守られたのだと、奪ったのではなく託されたのだと、義勇さんに思い出させたことで彼の呪いは軽くなるが、そもそもお館様に見出され鬼殺しの組織に身を置いている事自体が、人と人が繋がり託し合う網目に、ギリギリ引っかかる奇跡でもあった。
それは自身が死に瀕し、炭治郎に委ねる形で救済を手渡した、産屋敷が歴代継いできた使命の、なんてことない遂行だ。
産屋敷は長として人を救い、死地に追いやり、見守り愛しつつ殺す。
お館様が”遺言”として、冨岡義勇の救済を希ったのは、個人としての慈愛と長としての怜悧が、矛盾しながら組み合った…極めて鬼殺隊らしい行動だと思う。
もともと人殺しに向いていない自分を、鬼を殺せる方に歪めてギリギリ生き延びている水柱は、そのうち無理がたたってへし折れる。
それは隊の損失であるし、シンプルに悲しい出来事でもある。
この実利と情、人間らしさと鬼の冷たさを切り離して考えられないのが、鬼殺隊の危うい矛盾であり、産屋敷の歪な在り方なのだろうと思う。
ここら辺、ツッコむと作品自体が内破するので、最後まで作品内批評がなかったな…俺はここ、鬼滅最大のウィークポイントだと思ってる。
とまれ、鬼すら憐れむ作中最強の”人間”だからこそ、そんな話の主役をやれている炭治郎は、一足先に生存者の罪悪感を超えて、受け継ぎ生きて手渡す在り方を見つけている。
それが誰から受け取った荷物かを思えば、今回義勇さんが過去の自分を少し許し、ただただ守られただけと思っていた錆兎や姉への愛、確かにあった穏やかな日々をビンタの痛みと一緒に思い出せたのは、死してなお響く”炎柱”の大恩…といったところか。
結構前に死んでなお影響力がデカすぎる煉獄さんは、死んで終わりじゃない人間の強さ…”継ぐ”ということの意味を、ずっと体現し続けてるキャラだなぁ。
彼がいるから、炭治郎が手渡す救いに説得力も出る。
ここで心に抱えた荷物を降ろして、炭治郎に半分持ってもらえる様になったことで、義勇さんが全部救われるわけではない。
まだまだ殺さなきゃいけない鬼はいるし、死んだ人も帰ってはこない。
しかし罪を抱えて自分を縛っていた男が、戦う理由が贖罪だけじゃなかったと思い出すことで、水柱の剣はより冴え、それで守れる相手も増える。
”柱稽古”は柱に稽古してもらうだけでなく、柱がより強い主柱であれるように、人生の稽古をつけてもらうという意味もあったのだと、思えるような回だった。
年下で弟子な炭治郎に諭される形なのも、殺しの技術だけが人間の強さ、生きる意味じゃないと思えて好きなんだよな…。
義勇さんの張り詰めた脆さは、姉の振る舞いを借りて”蟲柱”でいられているしのぶさんにも通じるもので、みんな何かを封じ何かを演じてギリギリ、鬼を殺せる己を保っている。
声の芝居が乗っかるアニメは、怒りっぽくて幼い”妹”がしのぶさんの中にまだ残っていること…姉の死で時間が止まってしまっていることを、改めて鮮明に教えてくれた。
謎めいて包容力のある”姉”の仕草が、もう二度と抱きしめてもらえなくなった寂しさを嘘っぱちで埋めてる、自己愛撫の色を持っているのが、胡蝶しのぶの哀しみであり美しさでもあるなと、僕は思う。
剣士は皆、哀しみに止まった時の中、泣きじゃくる赤子だ。
心を凍らせているからこそ強いという、静止した理論を激情で燃やし、無常な時の流れの中、継いで変わっていけるから…生きてるからこそ強いのだと生き様で示す炭治郎は、死んでなお動き、自分の原点すら忘れている鬼の、対極に位置している。
その太陽の如き温もりが、かつて自分を救ってくれた不器用な男に届いたのが、とても嬉しい回でした。
鬼の首を切るだけじゃなく、心のない鬼になりかける剣を人間に引き戻す強さがあるのが、炭治郎の主役力だよなー。
そんな彼最後の修行時代が、ゆったりと終局に向けて進んでいく。
次回も楽しみ。