うる星やつら 第43話を見る。
遂に始まったファイナルエピソード、じっくり時間を使って山盛りトボケを挟みつつ、謎めいた許嫁がラムを攫っていくところまで。
残り四話残しての最終章突入で、どういう感じに時間を使っていくのか気になっていたが、なるほど一つ一つの場面を分厚く造って、『”うる星やつら”って、どういう味のするお話だって?』てのを、最後に噛み締めさせてくれる感じの作りになった。
ここ最近ドラマ要素の強いキャラエピが多くて、とらえどころがないけど魅力的な、ヌボーッとした面白さがやや弱かった部分を、久々に堪能できるエピソードだったと思う。
やっぱああいう味、俺は好きだ。
話としては非常に丁寧に、ルパが出てくるまでの期待と不安をサクラ先生の占い漫才やら、実家に押しかけてくるウパと曾祖父ちゃんのボケボケやらで高めて、満を持して登場したルパも小ボケ挟みつつあたるとラムの煮えきらない関係に答えを出させる起爆剤の仕事を、しっかり果たすの転がし方。
一個一個の場面を長く取れるので、やり取りがなかなか真芯を捉えないことで生まれていくおかしみとか、騒がしい日常に見え隠れする詩情とか、色んなモノがリッチだった。
序盤の名エピソード、第10話『君去りし後』で印象的だった紅葉の街角が、こっからの物語を暗示するようにときおり顔を出すのが効果的。
プレイボーイのあたるが軽薄に女の子に声をかけて、ラムがバチ切れて追いかけながら電撃ブチ込む。
今回冒頭でも再演されていた”いつものうる星”は、降って湧いた許嫁話をテコに反転していく。
自分の不貞を横に置いて、『浮気者』とラムをなじるあたるは既に追いかける側に回っていて、しかしその構図は”いつものうる星”に隠れて、これまで幾度か顔を出してもいる。
第5話、第10話、あるいは第29話。
極めて純粋で真っ直ぐな、プレイボーイ(未満)の中にいる少年が顔を出す、エモーショナルな名エピソードにおいて、諸星あたるはいつでもラムを追いかけ、あるいは待ち、彼女への純情を表に出してきた。
あたるのラムへの気持ちが顕になってしまえば、”うる星”を駆動させてきた最大のエンジンは止まる。
しかしそうしなければ、永遠の思春期に浮かれる少年は自分を見つけられないまま、本当は何が大事なのかに気付けない。
そういう構造に主役として組み込まれてきたあたるが、浮かれて他人を傷つける子ども時代を終わらせられる、最後の決定的なチャンス。
それがこの許嫁襲来になる。
あたるはガールハントの過程で必要な、眼の前の女の子一人をちゃんと見て大事にすること(第41話で因幡くんがしのぶにやったこと)も出来ないし、その先にあるオトナの証たるセックスにも、向き合うだけの人間的足腰がない。
ノリと雰囲気だけで自分の在り方を決めてしまう、極めて”あの時代”なヤバさに押し流されてきた彼が、シリアスな表情で遠ざかっていくラムと、彼女に反射する自分に向き合う時、”いつものうる星”は少し様相を生真面目に変えつつも、やっぱりヌケたやり取りに満ちて楽しく、なかなか暴力的で騒々しい。
何もかもが完全に反転してしまうわけではない、幕引きを前にした作品世界のスケッチが、逆に『ああ、終わるのだな…』と告げてくる感じで、長い一年間を感じられて寂しくも心地良い。
諸星あたるの青春がどう転がるにしろ、このセカイはあんな感じでオカルトも宇宙人もなんでもあり、ボケボケまみれの騒がしい場所でありつづける。
そんな証明が、水晶玉のくせにジョークセンスがある占いとか、かーなり恍惚入ってる曾祖父ちゃんとのやり取りなんかに、なかなか眩しかった。
あたるはこの後離れていくラムを追う中で、『これが自分だ!』と思いこんでいた軽薄をぶん殴り、あるいはプライドを持って真実やり切るための旅を駆けることになる。
その自己否定/自己刷新は第32話で、理想のハーレム造っちゃった自分をぶん殴った時に、既に出ている答えでもある。
『諸星あたるはラムちゃんを置いてけぼり、女の尻を追いかけるやつだ』という記号論を、揺らしつつも崩さないことで安定してきたこのお話が、主役に真の自分らしさを見つけさせるまでの旅。
その一歩目として、ラムは電撃という暴力を奪われ、花嫁衣装の先取りとして『角を隠され』る。
ラムもまた、『宇宙から来たビリビリ電撃鬼娘』という記号を剥ぎ取られて、無力で健気なヒロインでいてもいいポジションへとスライドしていく。
ラムから電撃を奪うことで、男たちの身勝手な欲望を弾き飛ばす強さから遠ざけ、あたるの介入を加速させていく構図は、第26話とも共通だなぁ…。
凄い数のキャラと関係性が絡み合う、追いつ追われつのラブコメをドタバタ成立させるための道具として、ラムの意思を貫くための電撃は結構大事で、だからこそこの最終局面で真っ先に奪う…つう話なんだろうな。
電撃が使えず、ダーリンとも会えない場所での”ラムらしさ”とは、一体何なのか。
問われると結構難しく、だからこそこの最終エピソードはかなり長い尺を使って、少年と少女をもう一度出会わせ直すのだろう。
例えば竜之介が渚に、しのぶが因幡くんによって照らされた、長く続く物語に踊り狂った結果張り付いてきた”らしさ”を引っ剥がした素顔。
一番長く、激しく踊ってきたラムとあたるの素顔を最後に描くためには、『”うる星やつら”とは何だったのか?』という内省がどうしても必要で、それをセリフにせず描写の中で、ゆっくり積み上げていく感じの作りでもあった。
ドタバタとトボケとエモの同居…何でもありの愉快な狂騒。
芳醇なる混沌をあいも変わらず元気に踊らせながら、永遠に続くと思われていたダーリンとウチの関係が、離れることで再構築されていく。
女の子を追いかけない諸星あたるは、どんな人間なのか。
ダーリンと向き合わないラムは、どんな宇宙人なのか。
二人のあるべき結末を探っていく物語は、長く物語を背負ってくれた子どもたちの”自分らしさ”を問う、SFジュブナイルとしての味わいを濃く孕む。
そこが最後に来るのが、やっぱり僕は好きだ。
分厚く積み重なってなかなか崩せない”うる星やつら”を、問いただし答え終わらせるための使者が、花嫁を攫っていった後の物語。
あたるの迷妄と決意をどう書くか、次回も楽しみ!