僕の妻には感情がない 第3話を見る。
家電を妻にする変態行為が身内にバレた!
大ピンチだと思ったら本人よりヤバかったので問題なし!
…という、怒涛の展開を見せる家電ラブコメSF第3話。
ようやっと主人公とヒロインの狭いバブルが外部と接触し、ちったぁ世間が広がるのかと思っていたが、構成員以上に四畳半のアパートに詰まった空気を肯定してくれる人だったので、程よく温まったい雰囲気はより加速した。
あかりが色々聞いてくれたお陰で、ミーナちゃんの家電な部分と機械知性な部分が色分けできたのは、キャラへの理解が深まって大変良かった。
やっぱ創作物、必要な問いかけするキャラ大事だな。
あかりが押しかけないとミーナちゃんの過去やら内面やらが見えてこないということは、タクマはミーナちゃんとの”今”以外、何も欲さないほど満たされている…ということだ。
酒の勢いでウッカリ囁いた『好きだよ』が、母屋を乗っ取って異常繁殖したみたいな情勢であるが、タクマは間違いなく幸せである。
後も先も見ない時制のない幸せは、愚者…あるいは動物の幸福であったとしても間違いなく幸せではあって、ミーナちゃんの自己認識としても『幸せ』が出力されている以上、理性だの正統性だの外側から持ち出して、四畳半をがたがた揺らす理由はない…はずだ。
幸せなんだから、それでいいじゃん。
それでいいのだ。
…と思いきれない座りの悪さがあるから、この自己充足し自己完結し極めて幸せな物語を、『キモいなぁ…面白いなぁ…』と呟きつつ視てもいるのだ。
根掘り葉掘り色々ぶっ放すあかりが踏み込まない、実在の薄暗い陰。
ミーナちゃんが幸福を感じる、形のない名前もつかない”なにか”が果たして、本当なのか。
そういう余計なことを考えてしまう自分は、果たしてこの物語を視るのに相応しい観客なのか色々疑いつつも、兄妹揃ってのキモさを愛しく感じながら、彼らの弥栄を祈ってもいる。
本当のことからズレたり逃げたりして生まれたものは、いつか破綻する。
だからこそ偽なるものを、人間も社会も肯定しきれない。
真偽は善悪というより実用性の問題から実社会においては問われるわけで、ミーナちゃんという家電を人間に見立てて生まれる関係が、真実の厳しい糾弾に耐えられない脆いものだった時、皆が悲しい目に遭う未来を勝手に僕は想像する。
それは時制のない幸せを手に入れてしまったタクマには、見えない世界なのだろう。
なにかにつけて心配性な人類の性根を、ぶん殴って黙らせるくらいの破壊力がミーナちゃんにはあって、それが出会う人(現状二名)軒並み狂わせている様子は、ポップな狂人観察日記という趣もあって良い。
狂っていても、幸せになることは出来る。
そもそもあの四畳半に、『狂っている』という判断を持ち込む是非もある。
だって間違いなく、ミーナちゃんとタクマは幸せだからなぁ……。
タクマが問わない内面や過去を、あかりの質問が問いただす度に、ミーナちゃんが”人間”からズレた機械存在でしかない事実と、そういう冷たい実在性を飛び越えた柔らかくファジーな”何か”を持っている…はずだという期待が、同時に飛び出してくる。
未来や可能性を問う想像力があって初めて、世界の実装を改める機構として機能するトロッコ問題は、現実しか見ないミーナちゃんには接合しないパーツだ。
ミーナちゃんには人間的なファンタジーとイマジネーションが、立ち入る余地がない…と思いきや、約束の証、出会いの奇跡を大切で特別なものとして、他の有象無象から切り分けるロマンティシズムは有している。
秘密を持ったりときめいたり、量産型家電の範疇を大きく越えてるように見えるミーナちゃんの、応対プログラムを全部洗い出せば、誰かを特別に好きになり、それに満たされて幸せを感じる”何か”を、可視化し物質化し量産できるのだろうか?
それともそれは形にならない不思議な魔法であり、魂の外側に暴き出せば消えてしまうものなのだろうか?
ここら辺のブラックボックスへの問いかけは、真逆のトーンで”NieR:Automata Ver1.1a”が投げかけているものでもあり、知性化アンドロイドのお話が同じクールに乗っかっている妙味を感じたりもするが…まぁ余談だね。
責任やら偏見やら契約やら、”社会”なるものの極めて厄介な鎖が顔を出しかねない結婚関係を、己のフェティシズム一本で全肯定してしまえるあかりの怪物性が、キモくも面白い回ではあるが。
ミーナちゃんとタクマが生活を営み、二人だけの特別を積み上げる四畳半は、狭いからこそ破綻なく満たされた場所だ。
そこが永遠に、余計な正しさをこちらに押し付けてくる社会と無塩の楽園でい続けられるのか…そういう場所として書き続けるのかは、なかなか気になる。
ストレス無用欲望充填な作風なのは間違いないし、イヤで辛い展開を遠ざけるからこそ生まれる幸せで、作中人物と視聴者の脳髄殴りつけて機能する話でもあろう。
そんなお話に初めて踏み入った”他者”が、秘密は共有するわ服は送りつけてくるわ、四畳半の幸せなバブルを超肯定する”身内”だったことで、充足され自閉した幸福を描く筆は、より確かなモノになったと思う。
関係性を壊しかねない都合の悪い問いかけは留保し、気になるポイントだけをくすぐる適切な質問者、優しい助力者の存在は、四畳半の外側に触れ合っても幸福が壊れない、見せかけの風通しを生む。
それが社会全体に適応されるほど、物語内部に拡大していくのか…それともどっかでイカれた幸せを『イカれてるな』と指摘する正しさが、泡をパチンと弾かせるのか。
幸せを積み上げていく中で、針に耐えうるほど泡が強くなるか。
どう転がしていくのか、全然読めなくて面白い第3話だった。
ミーナちゃんの可憐な可愛さは、作品世界全てを飲み込んでしまってもおかしくないくらい力強く描けていて、その腕力は大変良い。
タクマの脳髄を満たす時制がない幸せを、猛烈に生み出す力強さがそこには確かにある。
それが彼らの小さなお城から出てなお、通用するより靭やかな武器なのか。
問いただすつもりがお話にあるのか、ないのか。
そこら辺を楽しく見定めながら、二人の日々をまだまだ追いかけていきたい。
こんだけ正気になっちゃう要素を排除して、甘い夢を紡ぐお話も珍しいので、どこまで行くかはみたいんだよなー…。
次回も楽しみ!