イマワノキワ

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NieR:Automata Ver1.1a:第15話『no [I] in team』感想ツイートまとめ

 NieR:Automata Ver1.1a 第15話を見る。

 赫々たる狂気は天上に及び、白い棺が砕け散る。
 地上部隊全滅、バンカー破壊の大敗北に悲愴が燃える、ニーアアニメ第15話である。
 開幕2Eの人類虚無真実暴露から始まり、前回9S視点で描かれた地獄の地上戦の裏側、空に逃げてもまた地獄という、どこまで行っても詰んでるアンドロイドの様子が描かれた。
 つーかエイリアン襲撃前から人類終わってて、その真実も知らされないまま終わりのない戦争の道具として、虚しい時間を繰り返し続けたアンドロイドにとって、必然の結末がようやくやってきた感じもある。
 人形遊びの時間が、ようやく終わるのだ。

 

 ただ操られるだけど道具であれば、繰り返す時間に虚しさなど感じないし、仲間を殺す痛みもないだろう。
 しかしアンドロイドにも機械生命体にも心があってしまったし、その柔らかなブラックボックスをどう扱えば良いのか、”人間”が去った地上に知るものはいなかった。
 最初にプログラムされていた、戦争の道具としてのアイデンティティを後生大事に守り、複製し、拡大し、再生産し続ける、目的無き巨大な工場。
 ”何故?”を問わないことで成立していた永遠の戦時体制が終わり、モノクロの世界に色が宿るのは、確かにあった心をウイルスに侵され、紅蓮の炎にバンカーが砕かれる時だってのは、全く皮肉である。

 色と命に満ちた美しい地上の廃墟と、灰色の静謐に全てを隠してきたバンカーは、明確な対比で描かれてきた。
 レジスタンスが上がれない天への階段を、ヨルハ部隊は記憶のアップロード/地上への作戦展開という形で行き来して、生死を超越した永遠の戦士として君臨する。
 しかしその勇姿も、人類不在の虚無を覆い隠す巨大な嘘の一部でしかなく、何もかもが大嘘な戦いの果てに、全てが赤く塗られて終わっていく。
 その必然に哀しさが滲むのは、永遠を繰り返す人形に心があってしまうからこそだ。
 機械人形たちが永遠の時間を使って向き合うべきだったのは、誰かに焼きつけられた戦争の定めではなく、確かに胸の中にある愛。

 モニタの向こう側から観察してりゃ、そういう感想も出てくるが、プログラムの外側に出れない永続性こそがモノの哀しさだ。
 怒りや疑問や切なさや、色んな感情を眼帯の奥に押し殺して、殺戮任務をこなしながら終わりを待ってた2Eは、宿命を逸脱しうる特異性を宿しながらも、システムに飲み込まれ滅んでいく未来を覆し得ない…のか?
 こっから全てを奪われた主役コンビが、愛と奇跡の大逆転ぶちかます話には正直思えないわけだが、ではどういうオチが、数多の理不尽と無情を積み重ねてきた物語には相応しいのか。
 先はまったく見えず、だからこそ見たくなる。
 マジおもしれーなニーアアニメ…。

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第15話より引用

 サラッと月面人類真実をぶっ放し、愛する人を永遠に殺し続ける苦役から、抜け出る日を夢見て剣を握る2Eの独白から、物語は開始する。
 前回9S視点で描かれた地獄の最終決戦は、黒い甲冑で心と体を覆い、見る/見られる自分をより強く隠したヨルハの戦士にとっても、悲愴極まる最後の戦場となる。
 どんだけ9Eの剣戟が颯爽としてても、お尻がセクシーでも、振るう相手は同じ顔をした同士であり、虚しさだけが積み重なる滅亡演劇なんだよなぁ…。
 最終的に自爆オチだしねッ!
 …ここで第1話のリフレイン仕掛けてくるの、ほんとエグいわ。

 

 9Eの独白と苦闘は、心ある機械は虚しい戦いの繰り返しに、愛する人を殺し続ける宿命に、とても耐えられない事実を示す。
 それは第1クールで”敵”としてぶっ殺しまくってた、狂った機械生命体と同じ心の在り方であり、延々殺した相手が自分の鏡でしかなかった事実と、人形たちは向き合いきれない。
 『己の在り方を疑い、より真実に近い場所へと進んでいけ』という、自意識改善プログラムを人間様はアンドロイド達に残してくれなかったわけで、理不尽な現実と摩擦して生まれるバグは、システムエラーとして排除されてしまう。
 しかしそのシステムにまくりこまれない異物であることが、主役の正気と命を保ちもする。

 バンカーのバックアップシステムに走るノイズを疑い、全てを赤く染め上げる狂気に身を浸さなかったことで、2Eと9Sは最後のヨルハとして生き延びる、特権と残酷を背負う。
 一様にして永遠であるはずのシステムを疑い、逸脱し、プログラムから外れた個別の心に従う”人間らしさ”こそが、機械を管理するシステム全体を犯して生まれた、赤い滅びへのワクチンだ。

 

 個性、多様性、他者尊重。
 血みどろの闘争の中、それにこそ価値があると人間が見出した記憶は遥か彼方消え去ってしまって、アンドロイドは闘争の機械である自分たちを、疑わない。
 疑えないように作られているし、疑わないことでしか彼らは存続できない。

 人類不在の真実を皆に公表し、絶望と自由を新たにプログラムしていたら、今回荒れ狂う破滅派回避できていたのだろうか?
 何しろシビアな世界観なので、危惧した通りの戦意低下が世界を覆い尽くして、機械生命体が勝者となるバッドエンドが訪れていたとは思うけど、誰も自分をプログラムしてくれない自由な荒野へと、己を擲っていたらまた、別の結末があった気はする。
 しかしまぁ…永遠に嘘を繰り返すと決めたときのアンドロイドたちも、神様がいなくて怖かったんだろうよ。
 勝手に在り方を定めたくせに、勝手に消え去って、ホント勝手だよなぁ人間…よくもまぁ、創造主を呪う方向に行かなかったよアンドロイド達。

 愛ゆえに狂ったアダムを滅ぼした先に待っていた、狂気と破滅が全てを薙ぎ払っていく結末。
 因果応報…て理屈を押し付けるには、アンドロイドたちにはあまりに自意識も自由意志もなく、ヒューマニティ溢れる人間様の理屈で裁ききれない異質性が、ゴリゴリ切なく踊る。
 ヨルハや機械生命体たちを、人間に似ているけども人間じゃなく、人間じゃないけど人間でありたかった存在として、異質性と共感性を両立させながら描いてきたのは、凄く良いことだと思う。
 そこにこそ、我々が我々であるための理由をブラックボックスから組み上げる鍵が、多分あるのだ。
 だから人形の物語を、人間は繰り返し語る。
 このアニメはその最新型だ。

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第15話より引用

 最後の再生を終えて、二人は天へと帰還を果たす。
 そこも赤い狂気に侵され尽くして、確かにそこにあった個性と尊厳をハッキングして、バンカーが終わっていく。
 人形は所詮、操り糸から逃れられないもの。
 第1クールにおいては機械生命体を操る武器であり、自分たちには無縁の悲願の地獄だった自我侵食が、非常にグロテスクな形でバンカーを滅ぼしていくのは、公平な残酷でむしろ心地良い。
 アンドロイドと機械生命体は背中合わせの双子だから、滅び方もまた相似形を描くのだ。
 いやー…なんとか理解し合うルート、無かったスカね!?(無い)

 

 アンドロイド全ハッキングを仕掛けた、ジョージ声の何者かが行動理念としているのが、嘲弄と娯楽なのが大変ムカつく。
 …のだが、6Oの悲惨な末路、司令官の哀しき悲愴に心が動くのは、哀れな人形たちを人間…つまりは僕の延長としてみてしまう、ヒューマニティの身勝手な敷衍によるものだ。
 よくよく考えてみれば、彼らは僕とは大きく異なる。
 死の定めを精神のプログラム化によって超越し、定められた生き方以外を見つけ得ず、延々繰り返す定めからの逸脱を求めて、どこにも行けずに戦い続ける。
 この破局は多様性を獲得できなかった単質生命体の、必然的な結末であって、悲しむべきところなどこにもない。

 はずなのに、何もかもが終わっていく様はあまりに無惨で、終わりきった灰色を染める赤い狂気に痛ましさを、終局に瞬く心の光に切なさを、どうしても感じてしまう。
 多分それが、作中2Eたちが自覚のないまま手に入れた逸脱の特権…主人公たる理由に繋がった、心というブラックボックスから溢れる出力なのだろう。
 勝手に想像し、共鳴し、憎んだり愛したり、制御できない何かに押し流されて、後戻りできず狂っていく。
 均質になりきれない定めと、均質になろうとする習性を同時に兼ね備えて、救いのない場所で延々身悶えしている愚者たちの、花のような瞬き。
 永遠の戦場においてそれは、死という形でしか開かない。

 

 爆裂するヨルハ心中の起爆剤として、”ブラックボックス”を選んでいる美学の意味が、第2クールOPのタイトルに更に鮮烈にもなってくる。
 中身を見通せず、大きな力を秘めて、胸の奥に秘められたもの。
 それがとても大事な、あなただけの宝物だと教えられぬまま、戦争の道具に使ってしまう人形たち、最後の聖域。
 それが取り返しのつかない形で終わっていくときに、僕らは普段なかなか輪郭を掴むことが出来ない、人間が人間であるために大事にしなければいけない不定形の顔を、あらためて見ることが出来る。
 そこから滅びを楽しむ愉悦を取り除くために、ラスボスを嘲笑う殺戮者にしたんだろうなぁ…アイツ、マジ許せん。

 楽しみのためだけに何もかもを終わらせてしまう、おぞましいほどの浅ましさも多分”人間性”の一部で、感染する赤い狂気は自律してああなったというより、そういう風にプログロムされた、ヨルハたちのグロテスクな鏡なのだろう。
 あるいは永遠に繰り返すコードの中自然発生的に生まれた、滅びを楽しむバグなのかもしれないが、その逸脱もまた、主役たちの属性の反射だ。
 ここら辺、延々似た者同士が殺し合い続けてきたお話に最後まで忠実で、鏡合わせのグロテスク・リアリズムを徹底する気概が元気なのは、大変喜ばしい。
 お陰で心の奥にぶっ刺さる悲惨と皮肉を、延々浴びることにもなるが…しょーがねーな望んだ地獄だもんな!

 ここに来て、ヨルハたちが愚かしく繰り返し、でも確かに心の輝きが皆にあった戦いを全部嘲笑う巨大な存在を出してきたのは、良い描き方だなぁと思う。
 壮大なスケールで何かが滅ぶ、亡滅のポルノとしてこの物語を消費することも出来るわけだが、そうなれば僕ら視聴者は2Eたちが戦うべき真実の”敵”と、同じ存在になってしまう。
 この結末にたどり着くとしても、そこに至るまでの物語と思いは嘘でも無駄でもないからこそ、一個一個描写を積み上げ、物語を描いてきた。
 だからそれが全て、心地よい破滅を高い場所から味わう悪趣味に奉仕するためだったとは、誰にも言わせない。
 そういう類の”敵”だと思う。

 

 

 

 

画像は”NieR:Automata Ver1.1a”第15話より引用

 命と矛盾と狂気に満ちた地上の色彩を、遠ざけ続けたバンカーのグリザイユ。
 そこに一滴赤が交じるのが、爆炎と狂気の終局だけだというのが、美しすぎる皮肉でなんともやりきれない。
 終わらない戦いをヨルハに強いてきた司令官も、また闘争に倦み同士を愛していた。
 繰り返す虚構だと分かりつつ、戦士たちの長である己を誇り、それを踏みつけにされない終わりを望んだ。
 狂った機械生命体たちと戦う中にも瞬いていた、心と命の物語がまた一つ、終端にたどり着く。
 それでも、9Eたちの戦いは続く。
 続いてしまう。

 個性を殺し、逸脱を処刑するヨルハのシステムは、均質だからこそ逆ハックに狂わされ、全てが絶たれた。
 ならば一匹狼としてシステムに食われず、バグった逸脱個体であることが、生存への道なのか。
 崩落する天を地上から見上げる、A2が秘めている個別の物語が何なのかも、終わってなお続く戦いの中で描かれるのだろう。
 見たい気もするし、もう見たくない気もする。

 

 解かり合うべき相手と、殺し合うしかなかった哀しき人形たちの旅は、まだまだ続く。
 終わることなく、続いてしまう。
 次回も楽しみだ。