イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

【推しの子】:第19話『トリガー』感想

 舞台の片端で太陽が再び輝くのを助け、もう一方で漆黒の苦悩を鈍く光らす。
 星野アクアという人間の二面性が、クライマックスを前に改めて照らされるアニメ【推しの子】第19話である。

 

 前回あかねの内面と過去に深く潜り、かなちゃんが芸能界生存戦略として身につけた物わかりのいい演技を、どうしても打ち破れない難しさを描いたこのアニメ。
 暗い孤独に颯爽と助太刀し、自身が引き立て役を買って出ることで二人の望みを解放したアクアであるが、自身は演技に喜びを感じることを封じ、復讐の道具として冷たい憎悪で振り回す道を選んだ。
 アイを救えなかった罪悪感ゆえに、その真相にたどり着き宿願を果たすためには、芸能界にしがみつかなければいけないアクアは、本当は無心に打ち込むべき天職を楽しまず、遠くから復讐の道具にする。
 舞台”東京ブレイド”を通じ、演技に人生をかける若い役者たちの情熱や夢を間近に感じた……どころか、メルトくんもあかねちゃんもかなちゃんも、皆におせっかい焼いて望む場所へ飛び立つ助けをしてやった男は、自分にだけ生来の優しさを向けない。

 

周りに出生を告げられない複雑な事情と、転生者としての歪なあり方が噛み合って、アクアはアイの死に責任を追うべき大人と、どうしようも打つ手がなかった子どもの間に立って、潰されそうに生きている。
 その軋みがパニック障害となって表に出るわけだが、彼を愛し気遣う多くの人の手を振り払って、彼は好きなものを呪いに変えて復讐にしがみつく道を選ぶ。
 根本的に向いてないやつが、凄くキツイことに挑み続ける痛ましさがさらに加速しているわけだが、その軋みは幸せになったり幸せにしたりする未来を諦めきれない、青く若い希望ゆえに生まれている。
 それを捨てれない青年だからこそ、スレた態度の奥から差し出す情熱を周りもちゃんと受け取って、幸せになってほしいと思ったりするのだろう。

 鞘姫が倒れて、舞台は終局まであと少しだが、アクアが天才役者たちに勝つ(あるいは負けない)ために選んだ道は彼のあり方に深く食い込みすぎていて、舞台の幕が降りたとしても長く長く、影を伸ばし続ける。
 色んな人のエゴと祈りが絡み合って、なんとか形になった最高の舞台を踏み台にして、真実までの長い階段を歩き続ける苦行者の歩みを、競い合い誘い合う戦友たちは、どう受け止めるのか。
 未だ底を見せきらない相手役……舞台”東京ブレイド”主演・姫川大輝が本領を隠す中で、突きつけられた暗黒星の輝き。
 それすらも飲み込んでしまう舞台の熱狂を、このアニメがどう描ききるのか、とても楽しみになるエピソードだった。
 本気で嘘っぱちを輝かせる舞台の中に、役者個人の人生が入り混じって幾つもの炎が上がっていくの、嘘と本当の境目にこそ真実を見出していく作品そのもので、このメインテーマとのシンクロ率の高さが、2.5次元舞台編を傑作にしてんだろうなぁ、と感じるね。

 

 

 

画像は”【推しの子】”第19話より引用

 筋書きの進行とともに舞台は熱を帯び始め、役者たちは化けていく。
 誰の芝居が一番すごいのか、エゴの刃を振り回すと同時に彼らは同じ舞台を作り上げる仲間で、皆がより良い芝居を、それによってもっと自分らしく輝ける幸せを、掴み取ることを望んでいる。
 役柄と役者、役者の中にある素の人間が重なり合いながら進行する、2.5次元な現場において、状況は演目通りのせめぎ合いに見えて、稽古場で苦楽を共にしたからこその思いやりが、随所に柔らかく光っている。
 明朗快活な役柄に反して、ぬぼーっとした変人を素顔とする姫川も、かなちゃんの力量を信じて必勝のアドリブを期し、それをアクアに横から掻っ攫わられる。

 生き馬の目を抜く芝居の修羅場、油断すれば見せ場を盗まれるギスギス……と思いきや、それはアクアなりの優しさであり、子供時代に出会ってからずーっと強火の有馬かな信者である彼は、あかねちゃん以上に有馬かなの可能性を信じている。
 どっかから盗ってきた芝居を繋ぎ合わせ小器用に、俯瞰で演技することでしか天才に追いつけない(と信じ込んでる)凡人だからこそ、引き立て役の苦労がよく解るし、ビカビカと己の才能とエゴを輝かせる以外のやり方を、自然滑り込ませることも出来る。
 ここら辺、かなちゃんがコンプレックス抱えるくらい堂々”私の演技”が出来てしまう……そうすることしか出来ない、太陽系の役者であるあかねちゃんでは差し出せない助け舟で、つくづく個性というのはハマりどころ次第だなぁと感じる。
 無感情演技で受け流そうとしても、溢れる個性で飲み込みに来る姫川との咬み合わせが、一体アクアをどこに連れて行くかは、次週以降描かれる物語だ。

 

 あかねの誘いに魅力を感じつつも、足を止めて暗い月に身を引いたかなちゃんが、アクアの誘い水には載った理由。
 自分がやらなきゃ何もかもが破綻しただろう”今日あま”とは違い、尖ったエゴを受け止める引き立て役を背負ってくれる仲間が、確かに頼もしく隣に立つこの舞台で、言葉を交わすより表情を見るより雄弁に、身体が生み出す動きが伝える思い。
 アクアのアドリブからそれを受け取った……てのもあるけど、そこには役柄を演じる役者の奥にある、制服姿のプライベートが甘く息づいてもいる。

 自分を何度も助けてくれた、信頼と親愛を預けられる特別な男の子のメッセージだからこそ、コンプレックスまみれの捻くれ者が素直に受け取ったという、なんともロマンティックな構造。
 そこは生身の役者と嘘っぱちの役柄が、仕事としての演技と人生の瑞々しい熱量が、重なり合ったときにだけ生まれる特別な光に満ちている。
 あかねちゃんが燃え盛るような情熱でもって、かなちゃんの背中を追い手を伸ばし、どうにか燦然と輝く彼女の太陽に戻そうとあがいたのも、メルトくんが全霊を込めた極所戦で生まれ変わった自分を示そうとしたのも、役柄を離れた個人的な感情だ。
 それを燃やして初めて、虚構の背骨が現実に突き刺さり、作り物に血が通う。

 特異なやり方、勝てる戦い方はそれぞれの才能や生き方によって違うし、あかねちゃんの太陽戦術のように上手く噛み合わないときだってあるけど、そこには私人としての役者が誰かを思い、思うがゆえに執着し、歯を食いしばって手を伸ばす。
 クールな顔を保ちつつ、アクアはかなちゃんに柔らかな春の色合いでそういう関係性と感情を手渡して、かなちゃんはそれを受け取った。
 そんな制服姿の純情が、立ち止まることなく芝居を積み重ねていく舞台と重なった時に、かなちゃんはずっと躊躇っていた一歩を踏み出して、いつの間にか殺していた自分らしさを取り戻していく。
 星野アクアという男は、そういう当たり前で大事な人間の幸せを、無下には出来ない人間である。

 

 

 

画像は”【推しの子】”第19話より引用

 高い場所から失墜しつつも、有馬かなが芸能界にしがみついた理由。
 憧れるばかりの狂信者だったあかねちゃんが、どんだけ心理学の本を読んでも見えなかった月の裏側には、アクアと同じく母の影がある。
 壊れていく家庭の中で、愛する母を……あるいは母に愛される自分を保ち続けるためには、どんな形でも芸能界にしがみつく必要があった。
 ゴミにまみれていく輝きは幼い心を傷つけ、歪な形に作り変えていくけども、その奥にはけして消えない輝きがあって、自分以外の誰かが見つけ直してくれたら、もう一度信じて飛び込むことも出来る。
 有馬かなにとって、星野アクアという人間は毎回、そういう掛け替えのない助けを手渡してくれる人間だ。

 まばゆく輝く主役たちを前に、ライトを持って自分には陽が当たらない立場を、居場所だと受け入れている物わかりの良さ。
 そんな控えめもお前の良さだけど、そこは俺が背負ってやるから前に出ろよと、ただ怯えて後ろに引っ込んでいたわけじゃない優しさを理解し、仕事を引き受けてくれる信頼感を、アクアはしっかり持っている。
 これは同タイプの影の役者だからこそ生まれる共鳴で、押して押して押しまくって、””嘘のかなちゃん”を追い出して理想を取り戻そうとした黒川あかねのアプローチだと、どうしても開かなかった扉なんだと思う。
 ……北風と太陽だな、この三人の関係。

 

 かなちゃんが引き立て役になろうとしたのは、監督の忠言を胸に刻み、どんだけ干されても諦められない演技への愛が、ずっと胸の中にあるからだ。
 母の呪いも嘘じゃないし、そこしか居場所がなかったのもある。
 でもズタボロな”今日あま”の現場でたった一人、本気の芝居を刻み続けたときのように、かなちゃんはずっと本気の嘘をつくる場所のことが、そこで頑張る人たちのことが、心の底から好きなのだ。
 だからこそライトを持って影に入る役を引き受ける気高さに、アクアは魂を震わせて役者を続けている。
 その思いが伝わればこそ、かなちゃんは眩い光を瞳の奥に蘇らせて、堂々と輝く太陽へと(あかねちゃんの望み通り)帰還していく。

 非常に鮮烈な表現でもって、かなちゃんの芝居に光が宿っていく表現が終盤、アクアにおいては暗い光が滲み出る残酷として反転していくのが、面白い構成だなと思う。
 こうして大事な大事なかなちゃんを蘇らせたアクアの誠実が、彼自身には暗い呪いになって彼を縛り付け、苦しい泥の中に引きずり込んでいく。
 救済と地獄は思いの外近いところにあって、誰かにとっては眩しい光になるものが、当人に投げかけられると出口のない闇になってしまう、人生の不可思議。
 これも噛み締めて芝居の肥やしに出来るほど、役者馬鹿になることがアクアに許されているのなら、「人生いろいろだね」で笑えもするんだがな……。

 この後待ち構える反転はどうあれ、かなちゃんはアクアによって救われ、あるいはアクアによってしか救われない。
 乗り越えたと思ったコンプレックスは再び顔を出して、致命的に彼女の人生に影を落とし、彼女が愛する人達を傷つけてもいくだろう。
 それでもここに瞬いた星の光は嘘ではなく、それを手渡せた青年の優しさも、無意味でも無価値でもない。
 色んなモノが絡まりながら燃え上がって、青く黒く赤く白く、万色を宿した美しい混沌が、舞台を照らしていく。
 そろそろ、クライマックスが近い。

 

 

 

画像は”【推しの子】”第19話より引用

 一瞬で泣ける月の演技ではなく、圧倒的な存在感とエゴで周囲を威圧し飲み込む、太陽の演技。
 待ちに待った再生を目の当たりにして、有馬かな超絶強火担第二号・黒川あかねのドキドキも限界である。
 アクアがかなちゃんの心と触れ合う時は、現在進行系の制服姿なのに、あかねちゃんがかなちゃんの輝きに射抜かれる時は、自分が理想と追いかけた子役時代のかなちゃんばっかなの、ホンットこの女……って感じがする。
 もしかすると作中一番、弱さや脆さをひっくるめた生身ではなくあるべき理想の偶像(アイドル)を、追い求め続けているキャラかも知れねぇ。

 この偶像崇拝が、あかねちゃんのアプローチに惹かれつつかなちゃんが踏み込めなかった理由の一つだと思うんだけども、アクアはあくまで生身の有馬かなと、その先にある理想の有馬かな、両方をよく見ている。
 目の前にいる誰かが過去を振り捨てて変わっていったり、呪いに縛られて変わられなかったり、相矛盾する人間のあるがままってのを、アクアは全部肯定的に見て、見捨てられず手を差し伸べる人間だ。
 ここら辺、かつて自分が芝居で殴ってクズじゃなくしたメルトくんに、決定的な手助けを差し伸べておいて謙遜するのと、良く響き合うあり方だけども。
 そういう静かで優しい光に照らされることで、かなちゃんはずっと成りたくて諦めていた、黄金期の自分を改めてやり直す。
 あの時は傲慢な金ピカだった光を、相手の顔を見てあえて強く照らす(このやり口があかねちゃんのアプローチと同じなの、ホントウケるけども)優しい輝きに変えて、かなちゃんは共演者の限界を更に引き上げる舞台の太陽へと、再生し新生していく。

 

 

 

 

画像は”【推しの子】”第19話より引用

 定められた筋書きに則って舞台上に撒き散らされる、虚構の赤い血。
 それは否応なくアクアに刻まれた傷を思い出させ、パニックが全てを引き裂く。
 「楽しい」と思える、今さっき彼自身がかなちゃんに差し出したような喜ばしい幸せこそが、引き金となって彼のキャリアを……その先にあるはずの復讐の成就を引き裂いていく。
 アイを救えなかった自分が「楽しい」なんて感じていいはず無いだろと、己を追い込む黒い影に追い立てられて、アクアは立ち止まって傷を癒やすことも、真正面から幸せを味合うことも出来ない。
 ジレンマの突破口は、さらなる苦悩にしかないのだ。

 五反田おじさんがアクアの弱さや影に寄り添う距離感が、他の誰とも尖った表現をサれていて好きだ。
 親でも他人でも友達でも、あかねやかなちゃんのように切ない思いを寄せる想い人でもない。
 ドライでクールで実務優先、そのはずなのに切れない縁と湿った感情が長く長く響いている、名前をつけられない関係。
 そんなおじさんだからこそ、転生者が内側に抱え込んだ影の重たさと、どうやっても譲れないし止まれない衝動の強さ……その源泉たる母への思いは、誰より良く分かる。
 解るからこそ近づけず、窓越し背中合わせの遠くて近い距離を保ち、そっと頭に手を触れて優しくすれば、それを跳ね除け暗い星を瞳に宿す。

 こういうドス黒さをアクアは、例えばかなちゃんには全然見せないわけで、こうして自分の素顔……の一つを見せて、ジレンマに縛られた人生の突破口を希う相手に選んでいるくらいには、おじさんに甘えてもいる。
 他人に愛されるに足りるだけの優しさを、押しつけがましさ抜きの無心で幾度も差し出しているのに、当の本人が一番、愛され幸せになる資格がないと己を縛っている。
 作り物の嘘っぱちに情熱を傾け、世界と自分を書き換えていける芝居を心から好きだと、楽しいと思える瞬間は確かにあるのに、眩しい光に浸れば動けなくなり、あるいは自分を許せなくなる。
 そういう難儀な場所にはまり込んでいる愛弟子の、面倒くさくてどうしようもない部分も五反田おじさんは愛していて、でもそれはあまり素直な形にならない。
  器用に幸福を抱きしめられない、陰気な男たちだからこそ生まれる不思議な共鳴がこの回想には確かにあって、そこが僕はとても好きだ。

 

 

 

画像は”【推しの子】”第19話より引用

 己を少し目端が利くだけの凡才と定義し、それでもなお大それた復讐計画を諦めきれないアクアは、感情演技の極限を要求された今回の芝居で、演技を楽しむことを諦める。
 かなちゃんには「お前はもっと楽しめよ。楽しんでるお前が見たいよ」と告げて、瞳の中に輝く星を幾つも手渡したのに、自分が天才たちに噛みつく時に集めるのは、漆黒の暗い闇だ。
 誰よりも優しい男が、誰よりも暗いものを己の中から引っ張り出して、刀が折れても剥き出しの牙で噛みつき、挑む矛盾の塊。
 「こんなもんに必死になるのは、しょせんこの芝居で売れて芸能界の高みに登って、そこで失われたアイの埋め合わせをするためだ」と、ニヒルを気取って虚無に包まれてみても、15分前にこの男がかなちゃんに何を手渡したか、僕らはもう見てしまっている。

 今回のエピソードは前回、あかねちゃんがどうやっても届かなかった太陽を取り戻す話であると同時に、その優しい引力がアクア自身は救わない矛盾を、改めて描く話数だ。
 とても優しくて報われて欲しい男こそ、心の底から「楽しい」と思える天職を暗い色で染めて、苦痛を迫力に変えて進み続けなければいけない。
 このガムシャラを間近に浴びて、稽古場から既に目の前の相手を、己の色に染めてきた演技の天才は、一体何を成し遂げるのか。

 他の連中が私情バリバリ情熱爆裂、役者の表も裏もさらけ出しながら舞台に挑む中で、作り込んだ”表”だけでここまで場を制圧してきた主演も、そろそろもう一枚ベロっとめくれてみる頃合いかと思います。
 つーかあかねちゃんもかなちゃんもメルトくんも、軒並みアクアに救われちゃってる立場なんで、姫川さんくらいしか彼の悲壮に真っ向から対峙し、ぶん殴れるキャラがいねーんだよな……。

 

 自分の”楽しい”にすらウソを付くことでしか、自分の中に燃える暗い真実と向き合えない男を前に、舞台”東京ブレイド”はどんな一刀を振り下ろし、幕を引いていくのか。
 長かった2.5次元舞台編もクライマックス、バリバリに力んだエピソードが続いております。
 次回も、とても楽しみです。