イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

デリコズ・ナーサリー:第4話『愛という名の呪い』感想ツイートまとめ

 社会全体を揺るがす謀略と、個人の人生を左右する生育。
 その両立を託され背負い、歪んで軋んだ成れの果て。
 子どもたちを健やかに育て上げるには、託児場の中も外も未熟で血生臭すぎる、失楽園の育児記録。
 ”デリコズ・ナーサリー”第4話である。

 ここまでもずいぶん劣悪な育成環境であったが、ペンデュラムの異常者共が本格的に動き出したことで、物語網もう一本の柱…”事件”の方の解像度が上がり、最悪度合いがどんどん更新されていった。
 TRUMPという存在、イニシアティブの枷。
 吸血種が超越存在などではなく、人間よりもさらに不自由な生来の奴隷であると暴かれていくと、華やかな貴族モチーフが猛烈な皮肉となって、別の顔で立ち上がっても来る。

 庶民が何億人死のうが気にしない、ヴラド機関の傲慢も大概であるが、TRUMP様のご機嫌一つで大規模集団自殺を強制されたり、一回噛まれたら尊厳も意思も微塵に砕けるイニシアチブの絶対性であったり、吸血種の基本設定自体が暗い引力に惹かれてて、腐っていくしかないヤバさが濃い。
 コレに加えて、どう考えてもロクでもないことにしかならない”繭期”の設定まであんだから、「新米パパのハッピー子育て!」みたいなファーストルックが、どんだけフェイクだったかを今更、ジクジク痛む腹の底から思い知らされている。
 うんまぁ、解ってはいたけどさ…。

 

 コラプスとイニシアチブ、TRUMPの設定を、哀れなるモーリス卿を生贄にして解説する回でもあったが、明かされるほどに吸血種の不自由が顕になり、それを統率する貴族社会も歪むよなぁ…と思った。
 真実の愛も不朽の理想も、イニシアチブを奪われれば簡単に弄ばれ、打ち砕かれてしまう脆さが、吸血種にはある。
 それはどれだけ気高い精神を持っていようが乗り越えられない絶対の鎖であり、どれだけ子どもを愛し豊かに育もうが、社会を維持し貴族の務めを果たそうが、吸血種に生まれた以上一生奴隷的存在であることを意味している…ように、僕には思える。
 そういう社会で、曲りなりとも”人間的”な家族や社会を形作れている、主役たちのほうがペンデュラムの狂人たちより、狂ってねぇかなぁ…みたいなね。

 あるいはそういう、レースで飾られた煉獄にあるからこそ、正気であろうと足掻く貴族たちの気高さには意味がある…って話かもしれないが、どこに出しても恥ずかしくない瑕疵なき正しさというには、ダメ親父共は極めて個性的で”人間的”な弱さをたくさん抱えていて、親が為すべきことを果たせていない。
 「貴族ではなく、親が子に向き合うのです」と乳母が告げる真実は、貴族の責務が何より前に立つ社会構造の中では虚しく響き、ただただ心ひとつに従って生きていく自由も、イニシアチブに縛られた奴隷には存在しない。

 

 だってまー、どんだけ「パパはお前たちを愛しているよ!」って口で言って、人生捧げて育てた所で、ゴミに噛まれて「子どもを殺せ」と命じられたら、必ず殺す存在だもんなぁ吸血種…。
 数多の精神的、そして政治的闘争を経て”心だけは自由である私”の価値を確保し、それを個人と社会の根本において世界を成り立たせている我々と異なり、ダリくん達はどうあがいても抜け出せない、種族的、あるいは身体的束縛を存在の根っこに打ち込まれている。

 あるいはだからこそ、自分の意志で愛した妻の遺言を呪いに変えて、ダリくんは育児に執着してんのかも知れないけど。
 困難にめげず我が子を育てる限り、私の意思はそこにある…か。

 

 あらゆるモノを理性的に腑分けし、適切に混迷の奥にある真実を見抜けてしまう”名探偵”としての役割と責務を、僕は彼に見出しているわけだが。
 ”名探偵”を理性の神たらしめている、近代的理性信奉の根っこが、「吸血種である」という不可避の事実によって揺るがされているの、なかなか複雑な状況だよなぁと思う。
 どんだけ我が子の気持ちが解らなくても、世界を振り回しても、無秩序な混乱を見通す神の眼であることで存在を許されている”名探偵”が、血の口づけ一つで踊り狂う奴隷に堕ちてしまう脆さ。
 尊厳のリセットスイッチが身近にありすぎる場所で、理性と秩序の信頼に基づいて「当たり前の社会」を作っていく根本的困難。

 世界設定が顕になるほどに、物語開始時に提示されていた「子育てと捜査の両立」という座組がどれだけ完遂困難なのかが、ジワジワ解ってきた。
 こんな狂って不安定な世界なら、そらー人間の感情を廃した貴族システム自体に統治を任せるだろうし、それを駆動させるためにどんだけ個人の魂がすり潰されても、必死こいて維持もするよ。
 そういう場所である以上、「貴族でなく親」として人間一人に向き合うのは困難極まるし、かといって仮初の社会秩序を切り崩しうるプロパガンダ殺人も放置はできない。
 そして事件解決・秩序維持の中核に位置する”名探偵”は、妻を愛した自分を証明するためにも、育児からは退けない…と。
 詰んどるな!

 

 吸血種社会の根本的不安は、全ての存在に繋がった神の力を持ちつつ、脆弱な人間的精神しか持ってない(らしい)TRUMP様の、存在の歪みに乗っかってもいる。
 全吸血種の精神的自由を束縛する力を持っちゃってんだから、精神の方も些事に揺るがず正しきを成す神のスケールで安定して欲しいのに、希死念慮が溢れりゃ下位種族山盛り心中させ、表舞台に立つことはないクソガキだってんだから、そらー文句も言いたくなる。
 そのくせ寿命だけは永遠で、ぶっ殺して社会システムを根本的に書き換える自由すらもないと来ているのだから、吸血種社会、何重にも詰んでて面白いね。
 やっぱペンデュラムくらい狂ってたほうが、世界設定に素直だろコレ!

 そもそもペンデュラムの連続殺人も、有象無象の死を捧げられて本当にTRUMP様の心が慰められるのか解んねぇし、むしろストレス増えそうなモンで。
 直接顔を見ることは出来ず、しかし絶大な影響力だけは不安定に世界を揺るがしている、不在にして人間的な神様。
 そんな残酷な存在が支配する、終わりきって華やかなの人生舞台。
 そこで吸血種たちは勝手に主のお心を推察し、死ねないのに死にたくなった気持ちが溢れて世界を壊さないよう祈ったり、死を捧げて不死に近づこうとする。

 親の心子知らず、子の心親知らず。
 ナーサリーに溢れているディスコミュニケーションは、神様と人間の間でも…というか社会全体に増幅されて、鏡合わせに健在である。

 

 

 そして今回、ダリたちのダメ親っぷりが、吸血種全ての父たるTRUMPの在り方に重なっているのが、鮮明に可視化されるエピソードでもあった。
 愛とか真実とか、人間と世界を支える揺るがぬ価値だと思いたいものが、イニシアチブの存在によって根本的に揺るがされている、ふざけた世界。

 それを生み出してしまった責任も果たさず、隠者のように逃げ隠れしながら、強大過ぎる力を適切に使ってくれない、神様の仕事をしてくれない神様。
 その在り方は、親としての、人間としての在り方を完遂できず、極めて悲惨な形で子どもという弱者を傷つけている、ナーサリーの保父たちに重なっていく。

 愛…だと親父どもが思っているものが、愛する誰かに投げかけられた呪いの残滓だったり、貴族社会というシステムへの過適応だったりする惨状が、どんどん暴かれているわけだが。
 このダメっぷりは、神にして父たるTRUMPの脆弱が、吸血種全体に残響し、呪っているからこそ…と見ることも出来る。

 

 ナーサリーに集った子どもたちがどう育つか、未来は未だ不確か。
 …と言いたいところなんだが、どう考えても超ロクでもない成長する気配ばっかがビンビン立ち上がってきて、可愛い子どもたちが天使のまま大人になれるヴィジョンは、どんどん叩き潰されている。
 ダメ親に育てられ(あるいは、適切に育てられず)、親の歪さをそのまま引き継ぎ、あるいは反転して別種の歪さに膨らませて”自分”を形作ってしまう未来が、あの子たちに待っているのだとしたら、その再演は家族の檻であるなーサリーを越えて、TRUPMを頼れぬ家長とする吸血種社会全体に、広く敷衍している感じもあるね。
 家庭というミクロな檻と、社会というマクロな檻。
 「事件と育児」をテーマにすることで、両方が照応されてる構造なのだな。

 ちゃんと親やってくれない親に育てられて、立派な大人…あるいは”人間”に為りきれず、未熟な過ちを世代を超えて延々繰り返す、保育場の悲劇。
 それは「立派なお貴族でござい」と衣装を整え、秩序の守護者ッ面をしている連中がその実、世界の頂点と根本に在るTRUMPに支配され、イニシアチブに縛られ、抜け出せない繰り返しに囚われている運命を、凝集して再演する。

 愛情たっぷり幸せいっぱいな外装だけを整えて、その中身には根本的な歪を抱えているナーサリーから巣立った子どもたちが、どういう物語を背負うか。
 繰り返す停滞と退廃から抜け出せるかによって、長大な絵巻の一部分であるこのアニメの意味も、また定まってくるんだろう。
 あるいは繰り返し出口がない停滞感、何かに縛られ抗うことが出来ない貴族奴隷の憂鬱という、極めてヴァンパイア的な主題を効果的に可視化するために、”保育所”という舞台が選ばれたのか。
 極めて適切な作劇だとは思うんだが、同時に子どもは子どもであって、レースで飾った最悪の檻で極悪育成されてるのを見るのは、あんまりにも辛いよ…。

 

 

 ていうか亡き妻への愛だったり貴族の定めだったり、色んなものから抜け出せぬまま繰り返しているボケ親自体が、最悪な託児所を抜け出せない神様の子どもなんだろう。
 やっぱ”ナーサリー”で心の力を養い、自分たちを縛り付ける不可視の鎖を引きちぎって”大人”になるべきなのは、親世代の方なんだろうなぁ…。

 イニシアチブとTRUPMの鎖がどんだけ吸血種を奴隷に貶めてるか見えてきたことで、それが可能なのかも怪しくなってきたが、一応は自由意志がありそれを尊重する世界を形作ってんだから、奴隷の足掻きに意味はある…はずだ。
 いや解んないけどね…「どんだけ足掻いても、出口なんかなかったです!」で終わっても超納得。

 

 無邪気で騒がしい子どもたちが体現する、思うままに振る舞う自由な子どもらしさ…あるいは人間らしさ。
 それをTRUPMに連なる生来の貴族の責務で押しつぶし、何かを成し遂げたかったり、あるいは何かが嫌だったり、そういう人間当たり前の身じろぎを許さない窮屈さが、託児所を支配しつつある。

 歴史に紐付いた家格がそのまま権力の大きさに繋がり、面々と繋がった血こそが支配の基盤である、反近代的支配構造。
 それが作品のベースにあることが、この檻から子どもも親も出れない、どん詰まりに硬めの鍵かけてる感じがある。
 何がどうなろうと、世代を継ぎ家名を残す莫大なプレッシャーに、ヴラドの貴族たちは晒され続けている。

 ”立派な貴族”に育たなかろうと、我が子がただ我が子でいてくれれば良いという、現代の甘っちょろい人権的教育。
 それは彼らには許されず、過酷な権力闘争を生き延びるに足りる”製品”を出荷する責務を、当主として背負うことになる。
 ここら辺、男子限定で女性排除して成立してるっぽい匂いが、ロルカ家の双子の描写からうっすら感じられるのも、いい感じに最悪だった。
 階級差別に加えて性差別かよ…ずいぶんご立派だな貴族社会。(それはまぁ、僕らの歴史も現代も全く同じだが)
 子どもが背負う必要がない、社会の重たい歪みが全部、フィルター無しでナーサリーに押し寄せてる感じなんだよなぁ…。

 

 

 託児所の責任者たるダリくんは、亡妻の遺言を果たして「子を育てる」ことそれ自体が目的化していて、「どう育てる」かに頭がいかない。

 子供の目の前で殺人の話をするのが、果たして適切なのか。
 泣きじゃくる子供の声を聞かず、上から”べき”を押し付けるのが正しい子育てか。
 大人びて手がかからないように見える”いい子”が、どんだけの歪みを抱えているか歩み寄らないことが、どれだけの惨劇を呼び込むのか。

 彼の卓越した知性は、そういう人間のいちばん大事な問題を解きほぐすには全く役に立たない…というか、そこに知恵を使うことにモチベーションが一切ない。
 大事なのは、託された愛を真実にすることだけだからだ。

 

 歯車に挟まれた魂がどんだけズタボロになろうが、大きな装置を回し切り結果を出す。
 貴族社会のスタンダードから逸脱しているように見えて、ダリくんがそこに適応しきった”貴族”なこともだんだん見えてきて、そういうイカレ人間に子どもを預けるヤバさに、改めて震えるが。

 こういう生き方を改めて、過程にこそ目を向けて結果を軽視するようになると、彼の卓越性、社会的地位を支えている”名探偵”としての理性が曇ってくるってのが、また意地の悪い構図だな…。
 真実良き親であることは、彼が物語に存在する意義、主役であることを許す”名探偵”の資質を傷つけ、”ダリ・デリコ”という装置であることを致命的に壊す…のかな?

 

 今は亡きフリーダさんを間に挟んで、ダリくんとゲルハルト卿が愛に呪われている様子もスケッチされていたが、現状イニシアチブを乗り越える描写が”死”にしかないのが、どん詰まり感を強めてもいる。
 ゲルハルト卿がフリーダさんを殺して止めることで、イニシアチブという呪いを奴隷が超越する可能性も示されたわけだけど、その死は子供の顔を見ない育児をダリくんに刻みつけ、実行犯になったゲルハルト卿に猛烈な後悔を突き刺している。
 モーリス卿の忠義も尊厳も、結局”死”でぶち壊しにされる形で決着したしなぁ…あの人、本当に可愛そうね。
 すくすく育つ命と愛で満ちるべきナーサリーは、一皮むけば常に、悲惨な死の影に覆われているのだ。

 世界設定の根っこレベルで詰み感が凄いので、個人レベルのクズがどんだけどうしようもなかろうが、可哀想な子どもたちをひどい未来に引っ張っていこうが、「まーしょうがないよねハハハ…」みたいな顔する準備も、どんどん整っているが。
 しかしそういうロクでもなさの奥で、社会としても個人としても意地を見せて、なんとか正しく生きようと足掻いている様子も鮮明なので、なんか良い結果が生まれると嬉しいなぁと思う。
 親世代だけの話ならまだ飲めるんだが、無邪気で快活な子どもたちの未来がどんっどんすり潰されていって、笑顔が消えていく様子を見ているのは辛いぜ…。
 どうにかならないんすかッ!(多分ならない)

 

 

 

 

 

 

画像は”デリコズ・ナーサリー”第4話より引用



 話の舵取りを担っているダリくんが、状況を俯瞰で見下ろす知性には優れつつ、それで割り切れない尊厳を真っ直ぐ見る視力にかけている様子が、今回は良く可視化されていた。

 塔の上の無惨な死骸を、名探偵は眩しく見上げるだけで現場には足を運ばず、我が子に膝を曲げていてもその瞳は暗い影の奥、感情を見せてはくれない。
 数多ある理性の死角に置き去りにされた、”良い子”の絶望はグランギニョルの気配を宿し、不気味に暗い。
 テオドールくん、マジでドンッドンヤバくなってくな…パパはそういう影を見落としてるのに、大人びた我が子に自慢げドヤ顔だし。

 

 尻尾がつかめない犯罪結社の足取りを探るために、彼らが生み出す数多の死体、踏みにじられる命の価値には目を瞑る。
 手のかかる弟に父の愛を独占されたと、「イヤ」しかしらないラファエロくんの思いを受け止める仕草だけ整えて、しかし幼子に己の気持ちを表現する言葉を、愛を、手渡しはしない。
 人形遊びをしたこともない、父への愛に呪われた”いい子”の繭が、影絵の人形遊びでその魂を狙っていることに、誰も気付いていない。

 一見見えていたり、整っている風でいて、その実最悪な見落としがそこかしこにある歪さを、このアニメは随所に可視化する。
 誰もが足元の奈落に気づかぬまま、正気のふりを続けている。

 

 こういう構図が可視化されてくると、やっぱ作品に出会った時のファーストインプレッション…それを引きずったハッピー託児所コメディの味は偽装であって、その奥に漂う腐臭とヤバさを警戒もしたくなる。
 何しろ託児所の話なんで、そういう歪みに噛み砕かれるのは世界で一番弱く、愛されるべき存在だからなぁ…。

 立派な大人だ貴族だ探偵だと、自分たちの未熟を疑うこともない愚者たちの足元で、色んなモノが崩れかけている現状を、改めて確認するエピソードでした。
 致命的に何かを奪われて危うさに気づくんならまだしも、ダリくん奥さん死んだからこそ目を塞いでる訳でなぁ…。
 愚者たちの家族劇は、華々しい微笑みに包まれたまま続く。
 次回も楽しみ!