イマワノキワ

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天穂のサクナヒメ:第10話『再起』感想ツイートまとめ

 思いを裏切られても、灰に故郷が沈んでも、人は逞しく生き大地は再び蘇る。
 ”再起”の二文字がシンプルに力強く、エピソードが描くものを輝かせるサクナアニメ第10話である。
 


 前回村壊滅のショックで殴りつけた後、倒れ伏し諦めるばかりではない逞しさ、その不屈が主役一人ではなく仲間全部に広がっている成長、ココロワという新たな力が加わった頼もしさが、一まとまりに心地よく襲いかかってきた。
 農業とバトル、武神と豊穣神という二本柱をしっかりエピソードに織り込んで描写できていたことで、灰に沈んだ畑、焼け落ちた家々が生み出す絶望は深い。
 だからこそ、そこから立ち上がるカタルシスも強い。

 追放された貴種が鬼の形に凝固した陰の気を、刃で祓い穢れた地を浄化していく超常の戦い。
 それは手を泥に汚して稲を作り、仲間とともに苦労する…っていうかサクナが厄介なボンクラのメンタルケアを一身に背負う日常と、ずっと背中合わせだった。
 そんな日常を壊す大噴火が、ラスボスたるオオミズチが引き起こす災害である以上、日常の再生は非日常の戦いの中にこそある。
 ここら辺の連動とバランスが上手く行っていたことが、作品の大きな魅力であったと改めて感じることが出来る、灰色の絶望と再生の希望を刻み込むエピソードだ。
 やっぱ第2話で、村の連中のマージ何も出来ないクズカスっぷりを描いてたことが、今回の感慨に効いてるなぁ…。

 

 

画像は”天穂のサクナヒメ”第10話より引用

 噴煙も濃い暗がりの絶望から、熱い抱擁を経て青空が見えてきて、一度死んだはずの村に緑と希望が戻ってくる。
 作品の足腰をどっしり落とし、ベタ足で真っ直ぐな演出を叩き込んでくるスタンダードさがこの作品の強さであるが、”再起”を描く今回は特に、そのストレートな表現が良く効いた。
 大地に根を下ろし、幾度も繰り返し粘り強く作物を作っていく様子。
 雄大な自然と隣り合って、その実りを受け取りつつ生活を営む日々の描写。
 そこら辺ちゃんと作り込んできたからこそ、灰まみれの村の様子はとても悲しいし、絶望を越えて未来へ進む青空は眩しい。

 キャラクターの心理と彼らが生きる世界が連動している、ストレートな合致が気持ちいい作品であるが、人間の生存に適した環境を適切に作り上げ、日々の糧を得る”農業”というテーマ性が、ここら辺のシンクロを一段高い所に押し上げている感じもある。
 自然は優しいだけではない。
 時に無慈悲に生活を押しつぶす理不尽もひっくるめて、人間は自然の隣で生きているのであり、それに翻弄されるだけでなく、家を作り作物を育てて、自分に都合のいい世界を作り上げていけるしぶとさにこそ、種の特徴もある。
 最終決戦を前に主役と仲間たちの成長を描き、穏やかな日々を取り戻す戦いを描く今回、そういう逞しさが色濃かった。

 

 ラストバトルを前に適切に迷い、物語が始まったときとは大きく変わったキャラの内面を描くのは、とても大事なことだ。
 村の惨状とココロワ不在に心がへし折れかけ、かつてそうしたように泣きじゃくりながら逃げ出そうとしたサクナは、今度は自分の意志で櫂をへし折り、しぶとく生き続けることを選ぶ。
 自分が守り神として、村の一員として共に過ごした場所を諦めず、たかが天災一つ不屈のど根性で跳ね返す気概を見せる。
 その決断は親を失った哀しみに溺れかけていたクソガキが、追放先の荒れ地で積み上げた日々を砥石に、その心を立派な大人へと磨き上げた、ここまでの物語を輝かせる。

 「三話の段階で、おひい様は既にご立派だっただろッ!」とは思うのだが、剣と鍬両方を握る、武神と豊穣神両方の継承者として堂々、困難に立ち向かえる自分をサクナがここで鮮明に認めたのが、かなり大きいなと思う。
 サクナの自認はかなりダメダメゴッドであり、そうあることで父母から離れられない子どもとしての自分、そうして自分を守ってくれる父母との縁を、必死こいて守ってきた部分もあると思う。
 しかし9話分村長の仕事を頑張ってきた経験、そこで繋がった色んな人との絆が、不在の父母を求め泣きじゃくるクソガキではなく、他人の苦境に手を差し伸べ、不屈の闘志を宿す大人としての自分を、サクナに認めさせた。

 逃げたい気持ちを噛み殺して、クッソ辛い農作業とクズカスどものメンタルケアを頑張った事実が、父母に別れを告げても立っていられる、自立したサクナ像を支えている。
 ここら辺村の連中と相補的で、手前のことしか考えねえクソガキだったきんたが「オラの責任だ…」と、村のこと考えてガン凹みしてる様子とか、無茶苦茶胸に迫った。
 そう思えるようになったきんたは、やっぱサクナが体と心でガムシャラぶつかっていったからこそ鍛造された、人間という鋼なのだ。
 サクナが自力一つで立ち上がったわけではないように、村の人間たちもサクナと共にあったからこそ、絶望に食われず希望を見出す。

 

 ここら辺、物語が始まった当初は周囲を包囲する絶望と理不尽に同化して、全てを諦めることで最後の一線を守っていた様子と、面白い対称をなしている。
 切り剥ぎ当然、飢饉上等。
 神の恩寵を失った下界はまさに乱世であり、きんたを筆頭にそういう世界に自分を委ね諦めることで、真実何もかもに絶望するのを避けて命を繋いできた。
 しかし鬼を平らげ稲を作り、人を変えて村を豊かにする戦いの中、それだけが自分たちの全てではないという実感を、村人全てが得てきた。
 理不尽な世界を相手取って負けなかったここまでの不屈が、今回の”再起”を下支えしているのは、骨が太い展開で大変良い。

 これは山賊に家族を殺され、自身極悪非道の山賊となることで自分を傷つけたものに勝とうとした、石丸の生き方とも対照をなす。
 一見他人を踏みにじり”強い”ように思える彼の在り方は、悲劇を再生産することで自分を弱者でないと思い込む、理不尽に抗えない弱虫の生き方だ。
 これを”哀れ”と思えてしまう心性がサクナに芽生えていたことが、かいまるの父母を奪った悪鬼…これから再戦する石丸と同じ、理不尽と同化することで理不尽に耐える道から、彼女を遠ざけていく。
 収奪だけを延々繰り返す悲惨な現実を断ち切り、前向きなベクトルへと世界を塗り替えていくために必要な、許しの決意。

 

 情に流されるままウサギ鬼を庇った決断は、能動的に相手を許し繰り返す運命を書き換える決意へと、今回その在り方を前進させていく。
 かいまる以外に声を聞けないウサギ鬼が、はたして嫌疑の通り内通していたのかが見えないのがミソで、ここで湧き上がる黒い感情に流されるまま”ケジメ”をつけていたら、無実の罪で他人を傷つける怪物へ、サクナも堕していたかも知れない。
 「殺すのはかわいそう」という、これも間違いではない情の部分だけでなく、不実と理不尽に抗う為政者に必要な公平さを実現する意味でも、サクナが見せた能動的な許しへの決意は、極めて重要だ。

 飢饉や戦乱が溢れる理不尽な世界に、満ちた恨みや憎しみ。
 これに同化することで生き延びていく石丸の道がまぁ、あの世界では多分””現実的”だ。
 しかしサクナは今回明確に、災害という理不尽の塊から逃げるのをやめ、憎悪にかられて殺戮を繰り返す道から降りる。
 灰色の現実が自分を包囲している時に、自分自身灰色に染まって堕ちていくのではなく、明るい空へと上向きに飛び立つ道へと、決意を込めて踏み出すのだ。
 この決断が、ラストバトルを前にしっかり描かれていたのが、めちゃくちゃ良かった。
 アクションやってる時にこういう内面的冒険に逸れると、ラストバトルの熱が逃げるからな…。

 稲作をバトルと並ぶ作品の柱に据えたのが、悲しい定めを繰り返すだけでなく、力強く光の方へと進んでいく決断を支えているなぁ、とも思う。
 色々思いのとおりにならないことはあっても、必死にあがいて無様に汚れながら作った稲は、確かに実った。
 生命にはそういう、死んだり殺したりする以外の方向へと転がっていく性質が確かにあって、サクナが今回理不尽な重力に抗えたのも、そんな光に目を向けれたからだ。
 この死を跳ね除け生へ向かう視線が、遠く離れた父母と再会する未来をほのかに照らしてるのが、ずっと孤児の物語だったこのアニメにふさわしくて好きだ。
 決意は時に、死すら乗り越えていける。

 

 

 これが今までのお話の繰り返し、積み上げたものの再確認だけで終わらず、どっかに新しい空気を宿していたのは、女女大感情祭りを経て仲間となった、ココロワの存在が大きかった。
 対等なカミとして、サクナに足りない知恵を補う彼女のお陰で、村は今までとはちょっと次元の違う解決策をいくつも得て、驚異的な速度で復興を成し遂げていく。
 嫉妬や劣等感という暗い引力を引きちぎって、明るい場所へとココロワを引っ張り上げたサクナの奮戦が、今まで以上の力強さで日常を蘇らせる結果を生んでいくのは、善因善果の心地よさがあった。
 バトルでも過剰火力ぶっこんでたが、日常パートでもむっちゃ頼りになるなぁ車輪の神…。

 どんだけ心の深い所で繋がっていても、やっぱ超常の力を宿す貴種たるカミと、泥まみれの人生を必死に足掻くヒトの間には溝があって、これを唯一乗り越えられる対等な存在として、ココロワの唯一性が分厚かった。
 灰色の惨劇を前にしても、割と気丈に頑張ってたサクナ様が、ココロワ死亡の可能性を目の当たりにして武器を取り落とし、ガキに戻って逃げようとする描写とか、どんだけ深い部分にマブダチが突き刺さっていたのか見えて、良かったな…。
 ココロワの活躍のさせ方は、キャラが強い大駒をアニメでどう活かすか、しっかり見据えて演出してる感じがあって好きだ。
 ”確信”を感じる。

 

 ここまでサクナは追放された土地で土にまみれ、徹底してヒトに混じって戦うことで、自分を鍛えてきた。
 そういう一生懸命があってこそ、今回ココロワが天上との交渉を上手いこと運んで、時間すっ飛ばすチートアイテムを正式に獲得する政治的行動が、新たなオプションとして生きてもくる。
 サクナ一人ではなかなか見つけられない、より良い解決策をココロワはちゃんと連れてきてくれる。
 太陽の女に欠けている部分をしっかり、月の女が補っているニコイチ感が奮闘の中にしっとり匂っていて、関係性の描写としても相当良かった。
 この知恵が悪い方向に行きかけたのを、サクナの一本気が掬い上げた上でのハマリ方ってのが、またいい。

 超常的な力を持つ行政府でもある天上に、ココロワを仲立ちにして繋がることで、サクナは貴種本来の気高さ、カミが果たすべき使命により強く、向き直せている感じもある。
 追放者として故郷に見捨てられていた存在が、正式な手続きを踏み働きを認められて帰還を果たすことで、武神と豊穣神を継ぐ御子としての自分を、取り戻していく道が開けてきた。
 ここら辺、毎回じいが「それには力が足りませぬ」「本気の覚悟はありますか?」と、サクナの本心を試すトスをしっかり上げていることで鮮明にもなってて、メチャクチャ良いNPCだとなぁと思う。(TRPG的思考)
 やっぱ問いただされることで初めて、思いに芯が入るからさぁ!

 

 生きるために仕方なくでも、上から命じられての使命でもなく、サクナは故郷を揺るがし父母を奪った大悪霊へと、心からの決意で向き合う気持ちを今回見せた。
 それはカミとして、武神と豊穣神の後継者として『やらなければいけないこと』であると同時に、父母の意思を継ぎヒトを守るカミとして、サクナが『やりたいこと』でもある。
 この社会的役割と個人的決意が重なった時、物語は圧倒的なパワーを宿してクライマックスへとなだれ込んでいく。
 そういう状況でもって、オオミズチとの決戦、その悪意に取り込まれた石丸との決着へと物語が突き進むのだと、しっかり告げてくれる最終章第二話でした。

 ただのウサギを鬼に変えてしまう陰の気を、サクナが見せた許しの決意で祓った直後に、主役たちの歪な鏡である石丸が命を奪い、憎悪を携え顔を出すのがまた良いんだよな…。
 繰り返す理不尽に身を委ねた弱者であり、けして奪われてはいけないものを踏みつけにする悪でもある。
 村の連中がけして描かなかった、もう一つの人間の肖像を前にして、サクナと田右衛門がどのような決断を果たすかってのは、かなり大事な描写になると思います。

 

 奪い奪われるだけが世の習いではないと、悲しすぎるどん詰まりから這い上がって、諦めを踏破する不屈の決意。
 今回示した”再起”の光は、鬼を祓い世界を救い得るのか。
 次回も楽しみ!