イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ぷにるはかわいいスライム:第3話『かわいいぷにるはスライム』感想ツイートまとめ

 流れ行く時の中、ずっと変わらず楽しく可愛く騒々しく。
 キミは永遠であり続ける。
 では周りの目を気にするようになって、スライムに命が宿るような奇跡から遠ざかっていく”普通の中学生”は、一体今どこにいるのか。
 ぷにコタの現在地をドタバタな日々の中にスケッチする、ぷにるアニメ第3話である。

 

 怒涛の勢いで突っ走ってきた物語が少し落ち着き、ペンギン時代の思い出なんぞも語られることで、コタローが囚われている檻の堅牢さが改めて見えてくる回だった。
 体を張ったスライム粉砕ギャグをワイワイ騒がしく展開しつつ、可愛いものが好きな自分を隠さなければいけないと、思い込んで己を縛るコタローの横顔は、結構シリアスな陰影を帯びて、慎重に切り取られてもいる。

 人間の子どもであるコタローが当たり前に囚われている、社会性の重力、成長の引力。
 それに縛られ適応すればこそ”人間”になっていく、自分と社会の難しさから、年を取らず性別もない…人間の形にすらとらわれないぷにるは、軽やかに無縁だ。
 コタローが抱え込む悩ましさに、真の意味での共感で寄り添えない人造生物・ぷにるとのズレよりも、形や距離感は変われども結局クリームソーダと夕焼けで繋がれてしまう、ぷにるとコタローの間にある永遠にクローズアップする話運びは、湿ったところが少なくて良い。
 同時にその輝きが宿す、確かな陰りも見落としはしていない。

 

 

画像は”ぷにるはかわいいスライム”第3話より引用

 小学生時代で既に、コタローが可愛い可愛いキュティちゃんを愛でるのは私室の中の秘事であり、人目をはばかる恥ずかしいことと位置づけられている。
 コタローがそう受け取ってしまったことと、実際にそうであることの間には大きな差があり、同時に児童の心に深く刻まれた”べき”の傷が、大人に近づきつつあるコタローの現在まで強く残響している様子も、そこには確かにある。

 カップルを演じなければ手に入らない、コタローの”好き”に上手く利用される形で、ぷにるは大人びてセクシーな自分を製造し、その外装は過去と同じように簡単に破綻する。
 女性ばかりの店内で一人きり、キュティちゃんを愛でる自分がどう思われているのか。
 考えないようにしていた気恥ずかしさが、真っ二つになった不定形の嘘で発火して、コタローは特別メニューを味わう暇もなく腹に詰め込み、赤面しながら逃げ帰る。

 そこには自分が感じ取ったもの、誰かがそうある”べき”だと告げた(ように思い込んだ)ものを、世界の全部だと思い込んでしまう、ありふれた自意識の乱反射がある。
 自分が愛されるべき存在だと一切疑わず、その場その場に合わせた最適の”かわいい”へと自分を作り変えれるぷにるの自由さと、コタローの惨めな(だからこそ愛すべき)青春は好対照を成している。

 

 可愛いものが好きな自分を、素直に出したら嗤われ殺される。
 そう思い込んでぷにるへの素直な感情表現を折り曲げ、世間が求める”中学男子”になろうとするコタローの自己防衛は、ぷにるが爆裂させる自己肯定感と自由さを前にすると、ショボクレて正しくなくも思える。
 でも世の中の大半の人間は奇跡のスライム生命体などではなく、ありきたりな時の刻みに背中を押されて、何でも願う通りに進んではくれない自分の限界とか、自分の”好き”を嘲笑う残酷な世界とかに、直面しながら前へと進んでいくしかない。

 どんな障害にも傷を負わず、不定形の逞しさでギャグに帰れてしまうぷにるの特別さと、そんな特別なぷにるを相棒に持ちつつ、ありふれた難しさに足を取られ小さな所でもがいているコタローの対比は、不思議とどちらかが正しいと断定する筆から自由だ。
 それは取り返しのつかないシリアスさを上手く遠ざける、優しいギャグ時空の空気が生み出すものであり、自意識と世間の眼にがんじがらめに囚われつつ、なんとか自分の”好き”を諦めないためにもがいてるコタローの奮戦を、この物語が愛しく描き続けているからでもある。

 

 ぷにるが闊達自在に飛び跳ねる(から破天荒なギャグにもなってる)場所に、コタローはなかなかたどり着けない。
 しかしどんだけ時が過ぎようが、自分を置き去りにコタローが”成長”しようが、ぷにるの核には「コタロー大好き」があり続けている。
 不定形に形を変えれるぷにるが、”ぷにる”という自分を保てるいちばん大事な楔はコタローに愛されていることであり、それ故キュティちゃんに嫉妬もする。

 ここら辺人造生命ゆえの一途と無垢があって、関係性SFとしての旨味がギュギュッと濃縮されているポイントでもあるのだが。
 キュティちゃんより女の子に夢中な(自分を作らないと、世界に殺されかねない)中学二年生に、それでも好きと言ってもらえるために、ぷにるは自分の形を自在に変え…ることで、自分の核を保ち続ける。

 

 

画像は”ぷにるはかわいいスライム”第3話より引用

 「コタローに愛されうる、可愛い自分で在り続ける」という存在義に対して、ぷにるがただ周囲の欲望を反射するだけでなく、独自のクリエイティビティを保持しているのは、なかなかに面白い。
 ペンギンのぼくも、成熟した男女を演じるぼくも、男らしさと世に称されるものを拒絶してアレンジした王子様なぼくも、ぷにるは全て自信に満ち溢れて可愛いと言い切り、望む形へと自在に変化する。
 それはキュティちゃんの可愛さを世間の眼から隠れつつ、ひっそり摂取することしか出来ない、ありふれた消費者としてのコタローの惨めさと、ここでも対比をなす。

 世界で唯一のスライム生命体として、他人と自分を比べる必要がないぷにるは、だからこそ逆説的に唯一無二のオリジナリティを暴れさせ、毎回魅力的な姿を創造していく。
 その整った形だけがぷにるの全てではないと、ズロンと両断し分割し再統合する容赦のなさも、見ていて気持ちがいい描写だ。
 他人が認めるいい感じのぷにるで固定されず、思うがままはしゃいで、その結果砕けて、しぶとく繋がり直して再生できる、自由自在なスライム生命体。
 その野放図な生き方に翻弄されつつも、コタローはぷにると一緒にいる日々を捨てず、ぶつくさ言いつつも隣に立ち続ける。
 それが実は、全く普通の中学生らしくない特別だと気づかぬまま。

 あんまりにも一緒にいすぎて生まれてるこの盲点は、ぷにるを足がかりに自分を特別な存在にしようとする邪心を、コタローから遠ざけていて好きだ。
 『スライム生命体がトモダチな自分』をアイデンティティに選んでしまったら、ぷにるはコタローの魂を彩る/根本から規定するアクセサリーになってしまって、二人はもうトモダチではなくなっていくだろう。
 それもまた、”ふたりがトモダチでなくなるまでの物語”としてあり得る終わりなんだろうけども、コタローの中に未だ燃えている愛は、そういう面白くもない決着を上手く拒絶うする。
 何もかもが変わっていっても、変わらないものが確かにあるはずで、でもそれがなにかは見えない。

 

 

 

画像は”ぷにるはかわいいスライム”第3話より引用

 そんな距離感を、思い出の中と今日を繋いでいる、夕日とクリームソーダに反射して描くまとめ方は大変良かった。
 バラバラに引き裂かれて自分の形を保てなくなったぷにるを、繋げてくれるのは「コタローがくれた」クリームソーダであり、あの時とは違っているはずなのに何が違うか見えない微炭酸が、ぷにるをぷにる足らしめている。
 ペンギンになっても王子様になっても、ぷにるはぷにるだとコタローが思ってくれているからこそ、不定形のスライム生命体は同一性を保っているのだ。

 コタローが応対に苦しむ社会性から自由なようでいて、ぷにるも他者との反射の中に自己像を確立している。
 当たり前の思春期を生きるコタローが手渡してくれるものを、ふざけ合いつつも大事に受け止め受け入れることで、本来成長しないはずのぷにるは、色んな形を手に入れるのだ。
 そういう特別な存在…ぷにるにクリームソーダを手渡せる自分であることの意味を、コタローが自覚すれば、多分この物語は終わってしまう。
 素直な自分に出会うまでの、騒々しくチャーミングな回り道に向き合うこのお話は、やっぱラブコメの王道を力強く走っているのだろう。

 

 ここらへんの複雑な反射をコミカルに切り取る今回、小学生ムーヴ全開の大声で「あーそーぼー!」するのを躊躇わず、児童館の子どもにも対等なダチとしてバトエン手渡されてる、南波くんの姿も印象的だった。
 コタローと同じ立場にありつつ、南波くんは自分の”好き”を一切隠さず、躊躇わず、堂々吠える。

 そう出来ない屈折こそがコタローをこの話の主人公に据えてもいるし、ぷにるが特別自由なスライムだから”好き”を貫く特権持ってるわけじゃないと見せてるのは、僕は凄く良いことだなと思う。
 自分の”好き”を譲らず、世界に殺されもしないのは思いの外難しく、挑むだけの意味があることなのだと、色んな角度から色んなキャラで書いてくれているのは、このお話を好きになる沢山の理由の一つだ。

 ぷにるや南波くんみたいに堂々”好き”を貫けないコタローが、過ぎ去った思い出の中でも、今目の前にある現実でも、クリームソーダを手渡してあげてるのが、俺は本当に好きなんです。
 その優しさと繋がりが、どんなコタローでもコタローであるための”核”なんだなという気持ちになる。

 

 そうやって、奇跡の創造主からありふれた中学生になっていってしまう少年と、特別で無敵なかわいいスライムの日々は続いていく。
 次回はコタローとはまた別の形で、特別であり続けれた時代を終えつつある少女が登場します。
 アニメがアリスちゃんをどう書くか、とても楽しみです。

 …え、声ゆみり!?
 ”勝ち”じゃんマジかよ!!