イマワノキワ

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ぷにるはかわいいスライム:第4話『かわいい国(キュティランド)のアリス』感想ツイートまとめ

 ぷにるはかわいいスライム 第4話を見る。

 ローション相撲に巨女スライム!
 パン地強い要素を流し込みつつ、一見いかにもホビアニお嬢様な御金賀アリスちゃんと、彼女のともだち・ルンルを巡る深いところへ切り込んでいく、ルンルーンサーガ前編である。
 恋と性を巡るジュブナイル、被造物SF、ドタバタ日常コメディと、色んな要素を贅沢に盛り込んでいるこの作品。
 コロコロ掲載作品らしく、ホビーと人間の関わりについても相当ガチった踏み込みを見せているわけだが、アリスちゃんとルンルとルンルーンは、ここに切り込む大きな橋頭堡である。

 銭はありつつ自分だけの特別な夢に命が宿らなかったアリスちゃんは、「ぷにるが動き出さなかったコタロー」であり、自由な意思とクリエイティビティを持たないルンルーンは「コタローと対等に並ぶ奇跡が手に入らなかったぷにる」だ。
 主役たちが手に入れた特別を手渡されなかった誰かを鏡にすることで、主役の特別さが際立ってくる構図なわけだが、あくまで”意思持つホビー”を自認するぷにると、時の流れの導くままに女の子にドキドキする自分になった(そうなるべきだと背中を押された)コタローの、認識の差も削り出していく回である。
 あときらら先輩と宝代という、歪な母性の照らし合いな!
 ふたりとも、愛に溢れて立派は立派、なんだがなぁ…。

 

 

画像は”ぷにるはかわいいスライム”第4話より引用

 アリスちゃん初お目見えとなるAパートは、比較的咀嚼しやすいわかり易さで彼女のキャラが描かれ、ドタバタ騒がしい意地の張り合いの中、平和なコロコロホビアニ時空の住人としての顔を見せてくれる。
 相変わらず廊下の暗い所でひっそり、自分をバカにするだろう誰かの視線から逃れつつキュティちゃんを愛でるコタローと、”かわいい”の創造者に連なるアリスちゃんはビシバシぶつかる…ようでいて、ルンルの可愛さへの共鳴を足がかりにいい感じに繋がる。
 寂しさややるせなさを一緒に受け止めてもらえる、特別なともだちとしてのホビーを大事に思う気持ちは、二人とも同じだ。

 アリスちゃんのアンバランスな世界認識、幼さと尖りっぷりが両立するヤバ感は、宝代という存在によってブーストされ、批判を免れている。
 寂しい幼年期を送るお嬢様を守るために、ガキの思いつきであるルンルを世界最高のマスコットであるかのように盛り立てるのは、まぁイカれてはいるが愛ゆえの行動だ。
 なまじっかアホみたいに金があるので、フツーの家庭ならどっかで醒める幼い夢が、中学生に上がるまでツッコミ無しで保全されちゃった結果、いい塩梅に発酵した感じでもある。
 ここら辺、時折暴走はするけど基本子どもがちゃんと育つよう、「良い保護者」してるきらら先輩と、結構対照的なんだよな…。

 

 かなり気合を入れて描かれるアリスちゃんの涙が、彼女がルンルによせる思いの強さを語る。
 その原点が結構普遍的な寂しさに繋がっている所が、彼女をただのホビアニお嬢として消費させない、記号を越えた面白さの源泉である。
 超絶高飛車オーッホッホで主役に意地悪すると思いきや、自社製品を愛でてくれる顧客には礼儀正しく挨拶もしてしまう、憎みきれないロクデナシ。
 そんなアリスちゃんが何を思って大暴走しているのか、とっとと”人間”だからこそ流れる涙を明かして、ただのドタバタを越えたテーマとの取っ組み合いに切り込んでいく手つきは、中々にスピーディーで鋭い。

 まぁ言うたかて、いかにもコロコロ的なドタバタコメディをただの前フリや飾りに貶めることなく、全力でやりきってちゃんと面白いのが、スゲー偉い作品でもあるんだけど。
 アリスちゃんのお嬢様仕草や、いかにもマンガ金持ちな大盤振る舞いを見てると、しっかり荒唐無稽をやり切ることでしか生まれない面白さって確かにあって、自分がそれを求めていた事実を、改めて教えられる。
 ワーワー騒いでツッコミ入れて、ボケに回って大惨事。
 そういうの見届けられるの、やっぱメチャクチャいい気分だもんな…。
 そしてこの騒々しくも楽しい感じが、コロコロ初の”日常”ラブコメとしての、力強い足場でもあるのだ。

 

 

画像は”ぷにるはかわいいスライム”第4話より引用

 なまじっか優しい嘘で成功体験を得てしまった宝代は、アリスちゃんの幼い夢を軟着陸させるのではなく、加速させた挙げ句激しく現実に叩きつけるような、大暴走コースへと突き進んでいく。
 大好きなルンルに命が宿ったのだと、自分もコタローと同じ”特別”を得たのだと、歓喜する心はそのまま反転し、心なきホビーでしかないルンルーンの存在を否定し、涙ながらに拒絶する方向へと突っ走る。
 傍から見てりゃ笑える大惨事ではあるのだが、当事者にとっては洒落にならない痛みを伴う一大事であり、ホビーと成長を巡る物語はこのように、思いの外難しい。

 読者たちの小さなプライドを尊重し、”おもちゃ”という言葉を選ばないコロコロイズムの延長線上に、アリスちゃんの涙がある。
 子どもたちにとって身近なワクワクを生み出してくれる玩具は、使い捨てに出来る下らない消費物ではなく、本気で向き合うべき大事な半身であり、しかしその本気は必ずしも、大人に共有されるものではない。
 甘酸っぱいラブコメの主役として、恋と性に向き合うことで「大人になる、自分でいる」という難題に向き合っているコタローと、似ていて違う荷物をアリスちゃんも抱えているわけだ。
 そして徹底的に甘やかし倒し、世界の真実を愛で捻じ曲げる宝代は、このネジレを適切に解消する能力に欠けている。

 

 ”かわいい”で包まれた美しい夢の中で、自分を傷つけるものから遠ざけられ、優しい好きで守られたい。
 そんな願いを誰かに笑われたり、奪われたり、叶わなかったりする現実が襲いかかってきた時、子供らは当然泣く。
 泣きっぱなしの弱い存在ではない自分に気づいたり、ソウじゃないと教えてくれる大人がいるからこそ、キティちゃんは世界中の人に愛される一大コンテンツになり、この作品が世に出てもいるわけだが。
 しかし揺るがない何かを見つけるまでの道のりは、皆ありふれて大変で、涙あり笑いありの大騒動…演じている連中は全員必死で、だからこそ思わず笑って心を寄せる、面白いお話が生まれてもいく。

 宝代もお嬢様が幸せでいられる永遠を求めて、ルンルーンという嘘を作ったわけだが、アリスちゃんが願っていたのはアリモノ流用の精度の低い嘘ではなく、特別なともだちに命と意思が宿る奇跡だ。
 「そんなこと、起こるはずがないよ」という現実主義は、実際こしゃまっくれた喋るスライムがクラスに登校してくるリアルを前に、極めて無力である。

 なんでアホのコタローには特別な奇跡が舞い降りて、自分には起こらないのか。
 なぜ私のルンルは物言わぬモノのままで、ぷにるは自在に言葉や行動を作り上げられる生命なのか。
 アリスちゃんの抗議はまったく正当であるし、ぷにるとコタローがなぜこの物語の主役をやっているのか、改めて問い直す鋭い作品内批評でもある。

 

 

 

画像は”ぷにるはかわいいスライム”第4話より引用

 この問いかけに対し、ぷにるとコタローは横並びにルンルーンを見つめつつ、その立脚点はかなり異なる。
 心身の成長に引っ張られて、男女の別を人間の根本と考える(ようになっている/されてきている)コタローは、自分たちの関係をラブコメに引き寄せて考える。
 しかしぷにるの自認はそこにはなく、悩むこともなく「かわいく、愛されるべきであるホビー」という自己定義を、自意識なきモノでしかないルンルーンに伸延し、同族として同じくアリスに愛されるよう、手を差し伸べる。
 その無垢なる平等は、成長から切り離されているがゆえの無知か。

 それとも思春期特有の余計なノイズに悩まされている少年少女が、本来見つめるべき真実を捉えているのか。
 「健全な生育を果たしている、愛すべき子ども達」というフィルターで、アリスもぷにるもコタローも、ルンルーンすらも見つめているきらら先輩の微笑みが見守る中、ホビーと人間、男と女を巡る視界の交錯は思いの外複雑だ。
 アリスがショックを受けた「奇跡に選ばれたコタロー/選ばれなかった自分」という分断が、コタロー自身には自明すぎてあまり共感できず、ぷにるの問いかけによって顕在化するのが男/女に別れつつある(かもしれない)自分たちなのは、チャーミングだし残酷だなと思う。

 

 コタローにとって、大好きなスライムに命が宿る奇跡はある程度当然のものであり、形を変えてもぷにるが自分の隣で喋り、笑い、同じ時間を過ごしてくれるのは”日常”だ。
 しかしアリスにとって、モノでしかないルンルの限界をうっすら理解しつつも、魔法の時間が終わってしまった事実は受け入れがたい衝撃を伴う。
 宝代が(おバカな大暴走ではあるけど)愛を込めて守りたかった優しい嘘は、物語に選ばれた主役であるコタローには必要のない。
 当たり前の、疑う必要のない永遠の事実として、ぷにるには命と意思が宿り、ただのモノではない…はずだ。
 しかしそれは、当たり前でも当然でもない。

 周りの人間達が当然の事実として受け入れている、ルンルーンとぷにるの差異を、ぷにる自身は全く気にせず、人形ホビーの同族として…大事な誰かに愛されることを存在の根本に置く仲間として、アリスちゃんとの仲直りに奮起する所で、物語は次回に続く。
 色々ドタバタ騒がしく、結構根源的な差異をお互いの間に置きつつ、「ホビーは思いの外色んなことに傷ついている子ども達に隣り合い、愛される存在であるべき」という認識が、何の疑いもなくぷにるを突き動かしているのは温かい。
 なぜならばそれは、ぷにるの一番隣に当たり前にあり続けたコタローが、ずっと愛を手渡し続けたから生まれた”当然”だからだ。

 

 同じものをルンルに注ぎ、しかしアリスは自我確立の奇跡に選ばれなかった。
 神様の残酷な選別が、「モノは考えず、いつか子どもはホビーから離れる」という”当然”を頑なな事実と突きつけようとしているけど、果たして本当にそうなのか。
 恋ができるくらい大人になったはずのコタローは、男女である以前に命あるホビーとして己を認識するぷにると、どういう間合いで向き合うべきなのか。
 前回屋上から落ちるぷにるに、コタローがとっさに出した行動こそが答えなんだろうけども、当事者は自分の目の前に…あるいは内側にあるシンプルな真実にこそ、たどり着くのが難しい。
 それは素直に「かわいい」を言えないコタローも、大好きなホビーが動いて喋る幼い夢を砕かれて、何を人生の支えにすれば良いのか解らなくなったアリスちゃんも、皆同じなのだ。

 この悩める思春期っぷりから、シンプルな結論に一切迷いがないぷにるが遠ざけられているの、生物的成長から縁遠い人造生命体(モノ)の特性が色濃く出てて、大変いい。
 あとあんだけアリスを愛してる宝代が、依存先として選ばれないのもなッ!
 いやまぁ、あんな限界人間に人生預けるの、ヤバすぎて無理だし止めておいたほうが良いのではあるが…。

 

 モノとヒト、ホビーと奇跡の間で揺れる心が、行き着くべき場所はどこにあるのか。
 色んな存在のヘンテコな愛が、より善い未来へ繋がることを祈りつつ、次回も楽しみッ!