イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

らんま1/2:第5話『かわいくねえ』感想ツイートまとめ

 長く伸ばした未練と一緒に、さよなら、私の初恋。
 こっから長らく付き合うことになる、ショートのあかね初お披露目となる、令和のらんま第5話である。
 前半戦は冴えわたる情緒の触れ合いを色合い豊かに、後半戦はドタバタ三角関係のスタートを賑やかに、メリハリつけて描いていて、大変良かったです。

 前半と後半でメチャクチャテイスト変わっていて、温度差で風邪ひきそうなエピソード…と思いつつ、不意の断髪をキッカケに叶わぬ恋を思い切るあかねの健気、そこになんとか追いつこうとする乱馬の背伸びの甘酸っぱさが、新たに始まった奇妙な関係の騒がしさに良く響いて、中々面白い味がする回だった。

 

 前半に漂う(この表現が適切かどうかは、慎重に考えなきゃいけないとは思うが)”少女漫画的”な奥行ある心理描写、馥郁たる情緒の香りと、後半戦のポップで元気なドタバタラブコメの同居。
 時に落ち着いて心のすれ違いとふれあいを描き、時に激しく楽しいハチャメチャを暴れさせる、融通無碍の硬軟同居がやはり、何でもありに見えて確かに”らんま”な芯を宿す、名作の背骨なのだと思えるエピソードである。
 Pちゃんを舞台装置に鈍感無自覚ラブコメを加速させるあかねも、姉にして母たる女(ひと)との関係を独力で決着させる、美しい孤独に身を委ねるあかねは、別人に見えて同じ存在で、”らんま”という箱庭のなかで重なり合う。

 東風先生もかすみお姉ちゃんも、その真意に気づかぬまま終わっていく、長い髪に願いを託したあかねの初恋時代。
 その葬列の肩を抱くだけの成熟を、思春期真っ只中のらんまは当然有していないわけだが、しかしなんとかあかねを一人にしないために、いつもの塀歩きコースから降りたり戻ったり、適正距離を探そうとする。
 そのクリティカルではない不器用な優しさが、”らんま”の可愛さであることを改めて思い出す回でもある。
 気障なセリフで抱きとめて、泣きじゃくる女の子が一番欲しいものを的確に差し出せる、カッコよさとは全然違うが、乱馬は乱馬なり、等身大の優しさを許嫁に手渡そうと足掻いている。

 

 恋が破れる瞬間の、受け止めきれない難しさを持て余しつつも、あかねがなんとか飲み下したその甘さと苦さを共有できる所まで、頑張って背伸びして、無理してるからフラつく。
 そうして生まれた足元の危うさを、つんと突っつかれて水に落とされてしまう所まで含めて、乱馬とあかねの距離感を見事にスケッチし、今後長く続くドタバタな堂々巡りの足場を整える話数であった。

 やっぱあかねの髪が長い、アニメだと長い(クール約半分)けど”らんま”としては短いこの時間には、凄く独特で作品のコアを抉った空気が、濃く流れているなぁと思う。         
 後に近づいたり離れたりを延々繰り返す、ルールの定まった遊戯のようなラブコメの重力に、囚われることになる二人がどれだけ瑞々しく、思春期を生きているのか。
 それが活写されていて、非常に特別な味わいがあった。

 

 

 改めてアニメで見てみると、すぐ暴力に訴える短絡女に思えるあかねが、思いの外成熟した視線で自分と姉、姉のことを好きな人をしっかり見ていて、自分なりの決断を込めて何かを終わらせたのだと改めて分かる。
 母なき家で母を演じる姉への、思慕と羨望が入り混じった複雑な視線を、その当人にハサミを握らせて断ち切ってもらうことで、東風先生の出番は減り、かすみお姉ちゃんは「家庭的で温かい早乙女家」という楽園を維持する不変の管理人の位置へ、ピッタリとはめ込まれていく。

 ここまでの物語が持っていた複雑で芳醇な情緒を、ある意味置き去りに保留し続けることで38巻”らんま”は続くわけだが、身内と湿度高い屈折した関係を続けていく路線の葬式たる今回、未だ名付けられざる新たな恋の顔は、極めて若々しく美々しい。
 軽薄に軽妙に、高いところをフワフワ翔ぶことしか出来ない少年が、一瞬だけ地面に足を付けて、複雑怪奇な感情と関係を微笑みの中に飲み込み、一瞬の涙に決着させた女の子と同じ目線で、思いを届けようとする。

 

 その一瞬の交錯が、作品全体を貫通する永遠の真実だと思えるからこそ、決着がつかないままどんっどんキャラが増え、複雑怪奇に加速するラブコメを、祝福されしモラトリアムとして楽しむことも出来るのだろう。
 ここら辺、1クールのアニメを受け取る感覚と38巻の大作を読み終えている記憶が交錯して、なかなか複雑かつ面白い手応えだなぁ…。

 Aパートに見事に切り抜かれた、少女が子どもでいられた時代の終わり、少年が恋に向き合う一瞬の群像が響き続ければこそ、乱馬とあかねが決まり切った結末を前に延々同じ場所を回り続ける物語が、どこに行き着くべきなのかが示される。
 名作を名作たらしめる、燦然たる道標の星が、美しい夕焼けに高く高く掲げられるエピソードである。
 ”うる星”でもそうだったが、高橋留美子はとにもかくにも詩が巧いね…。

 

 

 

画像は”らんま1/2”第5話より引用

 というわけで、格闘バカの乱闘が切り落としたものが一体何なのか。
 その複雑さが理解らぬまま顔面を差し出すぼんくら共を殴り飛ばし、あかねは帰路につく。
 呆然と健気に、なんてことない風を装ってあるく少女を、乱馬はいつもどおり高いところから見守り、同じ地平にたどり着くことは出来ない。
 自分と良牙の戦いが、一体何を傷つけてしまったのか。
 自分は一体、何を守れなかったのか。
 これが解ってしまえば、格闘バカの青春ストーリーは即座に終わりなわけで、乱馬はあくまで日常から…あるいは年相応の成熟から乖離した、高い場所を進み続ける。

 女心の機微が理解らぬ鈍感バカなりに、乱馬は良牙よりもあかねの側に立ち、ずっとその歩みを見つめている。
 明瞭な答えは出ずとも、なんとなく自分が何を壊してしまったのか、それであかねがどう傷ついているのかを感じ取れてはいて、その優しい感性が、乱馬くんをチャーミングな少年にしている。
 同時にとても不器用で幼い子でもあって、茶化したり殴り合ったり、”男の子”のコミュニケーションツールでしか、複雑怪奇な恋模様にべったり足を付けて、自分の先を行くあかねと繋がれない。

 

 まぁまぁ強めの暴力をふるいつつ、押さえきれない感情むき出しで叩きつけるガキっぽさから距離を取り、なんでもない風を装うあかね。
 その強がりが、叶わぬ恋を自分で断ち切ることで守られる、小さく脆く大切なプライドに繋がっている切なさを、乱馬は当然知らない。
 しかし何かとても大事なものを、自分と違う場所を歩いている女の子が抱え込んでいるのは解っていて、だからどうにか地面に降りて、神を切りそろえた許嫁に目線を合わせ、もどかしく言葉を紡ごうとする。

 その歩み寄りは、騒々しい日常の中、思いやりがすれ違っていた時間とは違う手触りで、若い二人を包み込む。
 ここら辺の生硬で甘酸っぱい思春期っぽさが、あかねと乱馬のズレと共鳴を豊かに彩っていて、青春ラブコメとしての冴えが今回、本当に凄い。

 

 

画像は”らんま1/2”第5話より引用

 生傷が絶えず、短く刈った髪が”女の子らしさ”を遠ざけていた、かつての夕焼け。
 思い出の中で未だ鮮明な姉の後ろ姿より、長くなった髪の毛は乱雑に切り捨てられ、しかしそれは好機でもある。
 終わらせるべき何かを終わらせて、より好ましい場所へ進み出すための決意は、あかねの中にずっと眠っていて、バンダナで切開されることで世に飛び出した。
 未練を断ち切り格闘ラブコメを始める産婆役を、無自覚に復讐に駆られた良牙はやってのけたわけだが、物語の潮目が大きく変わるその一撃は、泣かない少女の健気に覆われて、いかさま切ない。

 あかねは憧れ焦がれた姉自身にハサミを預け、姉の背中を追って東風先生を好きだった自分を切り捨ててもらう。
 それはある意味あかねの独りよがりであり、片恋の連鎖から勝手に降りた本心が、家族に伝えられることはない。
 その重荷をぽやぽや母代わり、ずっと自分を守って”早乙女家”を維持してくれてきた姉に押し付けるよりも、何気ない気まぐれで髪を切ったのだと嘯いて、終わりにすることをあかねは選んだ。
 この勝手な始末がどれだけ寂しいことなのか、不器用に許嫁の周りを集会する乱馬だけが知っている。
 かすみお姉ちゃんも東風先生も、髪を短くしたあかねがなぜ泣くかを知らないのだ。
 知らせないことが、初恋を己の手で殺す少女の矜持だといえる。

 

 

 

画像は”らんま1/2”第5話より引用

 それを知る…少なくとも、知ろうと頑張って近づくことのみが、早乙女乱馬を多人数ラブコメの主役、あかねの許嫁に保つ。
 優しくも可愛くもない男の子を中心に回転する恋の鞘当てなんて、世界で一番面白くねぇからなッ!

 微笑みの奥に何かを抱え続けて、何かを終わらせようとしているあかねの無理を、乱馬は間近に目撃し続ける。
 しかし近づいてその革新に触れるだけの成熟…あるいは勇気ある素直さは、彼主演のラブコメディ・ジュブナイルを初めたばっかりの少年は、一番贅沢な強さである。
 髪が短く”戻った”あかねを、いつもと同じように恋の対象外として紳士的に扱う東風先生の言葉が、ずっと抱え込んでいた涙をようやく吐き出させるメスとなって、乙女の心を切開する。

 それを確かめるために姉に髪を短く整えて貰い、心を固め痛い足引きずって初恋の死刑台に身を投げたのに、自分は”女”と思われていない事実を、東風先生の中で時計は幼く男勝りな”あかねちゃん”のまま止まっていた現実を叩きつけられれば、耐え難く辛い。
 唐突に溢れ出した涙に寄り添いつつも、東風先生はあかねの肩を抱けない。
 それは彼の頭の中で静止した、髪の短い女の子が実は、簡単に触れることは出来ない年相応の少女へと変じていた事実を、今更ながら突きつけられているからだと思う。

 乱馬もまた、あかねの赤心を適切に抱きとめてあげれる成熟からは程遠く、茶化そうとするアホパンダを殴りつけるくらいしか優しさの使い方を知らない。
 自分が立ち入って良い領域なのか、戸惑い怯えるシャイな心。
 可愛らしい子供らしさであり、自分が可愛いだけの意気地のなさでもあるものは、もしかすると恋のライバルとなり得た東風先生と、彼を置き去りにして呪泉郷カンフーラブコメのど真ん中へと飛び込んでいく、話の主役で共通である。
 しかし乱馬は主役として、あるいは早乙女乱馬個人の気質として、おっかなびっくり許嫁の側へ近づき、彼なりの間合いでもってその涙を止めようと頑張る。
 そこがラブコメの主役と、ここで舞台から消え去るサブキャラの差である。

 

 

 

 

 

 

画像は”らんま1/2”第5話より引用

子どものように泣きじゃくり、スッキリしたと嘯くあかねの本意を、乱馬は背中越しチラチラ探って、視線が合いそうになると塀の上に逃げる。
 「かわいい…って、先生言ってた」と、屈折した言葉でなんとか失恋を慰めようとするけど、「良かったな!」に返事は帰ってこない。
 初恋ぶった切って良いコトあるわけないし、そこで本音を告げれるくらいなら、こんなに屈折した恋の葬式準備する必要もないのだ。
 この成熟と覚悟を携えて、あかねはすれ違ってぶつかり合ってばかりいた場所から少し進んで、乱馬が彼なり自分を慰めてくれようとしている事実を、素直に飲む。

 その優しい強がりになんとか追いつこうと、乱馬は塀をショートカットしてあかねの前に降り立ち、今度は自分の言葉で「かわいい」を告げる。
 ようやく対等な視線で、言うべき言葉を言えた主人公の告白は、ギャグ調のシラケで受け止められて、本物の恋にたどり着きはしないのだけども。
 しかしずーっと自分が守れなかった女の子、傷つけてしまった許嫁の顔を見つめ、軽薄に高い自分の居場所から降りられなかった少年が、勇気を振り絞って許嫁の前に降りてきたことは、微笑ましくも誇らしく、大いに意義があることだ。
 ツンツン言い合いばっかのように見えて、こういう素直さが共鳴する場面が要所にあるから、らんあかツエーわ…。

 

 

 

 

画像は”らんま1/2”第5話より引用

 自分の不器用な優しさを鷹揚に受け入れ、微笑みを返すあかねの視線を、対等な立場で受け止めれるほど、今の乱馬くんはオトナじゃない。
 照れくさく、あるいはちょっと怖くなって、いつもの高い場所に逃げたけども、高鳴る心臓はそんなことでは冷えてくれず、視線は微笑みに固定され動かない。

 ここのあかねを、揺るがぬラブコメド本命としてしっかり可愛く描き切り、今後の物語を支える説得力を宿したのは、大変いい気合の入れ方だと思う。
 やっぱあかねとタイマンし続けるこの序盤戦、メインヒロインの火力が高すぎる…一択でしょこんなんッ!!

 

 ここまで軽妙にひょいひょい、あかねの拳を交わし続けてきた乱馬は、改めて夕日の中惚れさせらることで隙が生まれ、始めて一本を取る。
 指一個で川に落とされ、あかねに見下される立場になって初めて、二人は対等になる。

 恋という戦いは、勝ったり負けたり、好きになったり好きにさせたり。
 白星黒星対等に押し付けあって、ドタバタ賑やかに、時に優しく進んでいくものだという事を、この微笑ましい夕焼け帰り道の攻防は告げている。
 目の前で展開される静かな修羅場の迫力に、完全ビビって足が止まっている乱馬と、自分なり初恋の終わりを見定めて、周りを巻き込まずキレイに終わらせていこうとするあかねの、人間力の差。

 ガキっぽい二人が素直になれないまま、延々恋の殴り合いを展開する物語において、一見大人びて軽妙に見える乱馬くんが幼く臆病で、彼に翻弄されているように見えるあかねが誰よりもどっしり構えて人生とド付き合える事実を、示す場面でもある。
 人格成熟度において、一足先に恋を知りその始末をつけたあかねが乱馬に大幅リードなんだが、どうにか対等に追いついてその顔を見ようとする必死さが、また可愛らしい。
 そして頑張って追いついてフラつく足元を、お姉さんに救われてドボンしてしまうという関係も、乱馬とあかねの真実である。
 この距離から新しく、本当の恋物語が始まるのだ。

 

 

 

画像は”らんま1/2”第5話より引用

 さてここに殴り込みをかける、方向音痴復讐鬼であるが…。
 呪泉郷という稀代の”発明”を、乱馬だけに独占させるはもったいねぇ! ということで、地面に足がつかないテキトー格闘青年の被害者第一号、水をかぶれば子豚さんになっちゃうフザケた体質、響良牙の復讐劇は思わず笑っちゃうコミカルな方向へと突っ走りだす。

 乳首描いてねぇから全裸でもいいだろ!
 乳揉みしだいて戦いを止めてもいいだろ!
 第1話冒頭で『80年代』と墨書した意味が、MAPPAが後退のネジを外して”らんま”やりきる気概であったことが、しみじみ腹に染みてくる良いドタバタである。

 

 切なく甘い夕焼けの色に統一され、しみじみと青い思いが触れ合う瞬間を積み重ねていたAパートに対し、わたせせいぞう風にハイビスカスを描く南国だとか、雷鳴がモノクロに染め上げる決闘場だとか、Bパートは表現の手数が多く、賑やかで楽しい。

 良牙でありPちゃんでもある青年が、らんまであり乱馬でもある青年を相手取り、相手になーんも気づかない無邪気ガールを挟んで丁々発止を繰り広げていく、この後長く続いていく物語。
  それがどういう元気さで暴れまわるのか、しっかり教える書き方で凄く良かった。
 いろんな表現に挑んで、それを活かすことで作品の豊かで楽しい雰囲気を強化していく作り方、やっぱ嬉しいな令和らんま…

 

 

 

画像は”らんま1/2”第5話より引用

 復讐に滾る硬派な青年は、そのまんまだとあかねの初恋は無自覚にたたっ斬るわ、それに寄り添う優しさにも築けないわで、なかなか厄介なキャラだ。
 しかしPちゃんという弱くてかわいい存在になることで、無防備に乙女の胸に抱かれ、ライバルの嫉妬心を燃え上がらせヤバ行動に走らせる、対等な好敵手へと変じても行く。
 子豚の非力に涙をのむばかりと思いきや、可愛さという最強の武器であかねの胸元に滑り込み、許嫁より早く乙女のKissを奪い去る速攻勝負。
 こういう角度で、前回真顔で殴り合っていた男たちが”戦う”面白さが、やはり”らんま”の妙味であろう。

 Pちゃんがあかねのゼロ距離に滑り込むことで、やれ寸胴だ色気がねぇだ、ガーガー吠えてプライドと貞操守ろうとしていた少年は、ダイレクトに寝所に忍び込みその胸元を狙うことになる。
 無論そこにはなんかいい空気吸ってる豚野郎に一発カマすという、乱馬なり正当な言い訳があったりはするわけだが、東風先生を遠くにおいている時には踏み込めなかった距離が、ドタバタ格闘と瞬時変身の面白さで持って一気に縮まり、元気にラブコメが暴れ出してもいる。

 

 乱馬が地面に足つけて、あかねと真っ向向かい合って自分の素直な気持ちを告げれば、この物語は終わりだ。
 少年は強がり戸惑い、自分が本当に大事にしたいものと対峙しない事で、長く続く恋の狂騒を維持し続ける。(ここら辺は諸星あたるの道化ぶり、SFラブコメの中で完結しない彼のジュブナイルと重なる)

 しかし一番大事なものが何なのか、当人は気づかずとも観客席の我々には明瞭に描かなければ、作品を支える軸は見えなくなってしまう。
 それを力強く示したからこそ、Pちゃん退治を言い訳にあかねの寝所に忍び込む、乱馬くんの滾る青春を微笑ましく、 「令和のコンプライアンスだと『元気があってよろしい』はヤベーだろ親父…」と見守ることも出来る。
 いや三十数年ぶりに聴くと、”おおらか”という言葉では包みきれないナニカが暴れている作品ではあるよなぁ…。

 そこら辺削りすぎれば”らんま”ではなくなってしまうわけで、センシティブ認定されようがらんまの肌はバリバリ出しまくり、ちょっとエッチなお色気コメディとしての魅力もぶん回しながら、騒々しく楽しい物語は続く。
 呪泉郷システムにより、男が女になったりブタになったり、小気味いい変身が生み出すテンポとリズムを導入出来るのが、ラブコメにとってどんだけ強いか。
 Pちゃんが良く教えてくれる回でもありました。

 あかねの初恋が終わり、こっからかなり作風が変わる”らんま”を、令和のアニメは一体どんな風に描いていくのか。
 後半戦も、とっても楽しみです!!