縁側で交わる闇と陽光が、暴力の嵐を前に微かに点る。
アニメ来世は他人がいい、最終回である。
吉乃の実家を揺るがすだろう内紛の予感を随所に孕みつつ、第4話の演出ラインをもう一度引っ張り出してきて、霧島との特別な絆を改めて確認して終わるエピソードであった。
吉乃という存在を楔にすることでギリギリ、人間らしい温もりと光に接続できる壊れた人間は、吉乃相手だからこそ自分の中の獣を制御しきれず、タガを外した欲望へと走る。
このアンビバレンツが、過激さを増していきそうな情勢の中でどう止揚され、あるいは擦れあって発火するのかは、多分見届けられない決着である。
主役たちが時折殴られ鼻血くらいは出すものの、暴力が持つ問答無用な理不尽、取り返しがつかない不可逆性に何かをもぎ取られることもなく、トーシロ相手にイキってる間に、物語の尺が付きてしまった感じは確かにある。
暴力を適切にディスプレイし、政治に使いこなす才能…あるいはそういう計算をふっとばす理不尽自体を脅威として状況を作っていく才能が、あの若者たちにどの程度あるのか。
僕が話の最初から興味を抱いていたものが、果たしてどのくらいこの物語において重要だったのか。
作品との適切な共鳴を成し遂げていたのか、確認するにはアニメの尺は短すぎ、前戯の域を出ぬまま終わる。
むしろそういう雰囲気だけ、危険な恋のアクセサリーとしてだけ扱われる暴力こそが、作品内部における役割であり意味であったのだと、確認して言い切るだけの材料もまたなく、何もかも中途半端な所で終わってしまうアニメ化ではある。
まぁ現在進行系で連載(あるいは連載休止)な作品であるし、こっから先の抗争に決着ついてないのにハンパに触れば、更に収まり悪いことになるだろうから扱いはなかなか難しいだろうけど、アニメ化で作品に出会うことが出来たにわかとしては、もうちょい手応えと確信のある決着であってくれたら…と正直思う。
同時に最終話は豊かな余韻と予感に満ちたエピソードであり、自分的に最も優れた演出をした第4話との呼応もあって、未だ定かならざる二人の未来に、微かな陽光の気配を感じ取ることが出来る終わりともなった。
見終わるからには気持ちよく収めたいわけで、大阪の事件で顕になった霧島の危うさ(と、それに首輪をつけきれない吉乃の危うさ)を確かに匂わせつつ、それでもなにか人間存在の本質に届くような、獣のようにしか生きられないからこそ渇望しているひだまりが、確かに二人にある可能性を、感じ信じられる最終回だったと思う。
この手触りと匂いで物語にサヨナラと言えるのは、自分的には悪くない。
暴力をひさぐとはいえ、組織の中で生きていく社会的動物であるヤクザに必要な、可愛げや常識や自己制御や政治適正。
これを軒並み持ち得ず、ヤクザ足り得ないと己を判断する霧島に対して、血それ自体がヤクザ色をしている吉乃は暴力と欲望をどうディスプレイし、他人を制御するかについての才能が高い。
自分を求めて争う、凶暴な幼子のような男たちへのコントロール意識もそうだし、自分なりに影響力を駆使して状況を図り、ちったぁマトモな解決策を暴力の渦にもたらそうとする、調停者としての意識の萌芽もそうだ。
人の道を外れた、制御不能な獣としてしか生きられない存在が、自分を含めて確かに在るこの世界。
「ナメられたら殺す」を信条として生きる吉乃は、彼女自身が思うよりイカれてて、ヤクザに向いてる未成年だ。
そんな彼女が、愛する家を揺るがす抗争の只中でどう試され、開花し、理不尽にへし折られ挫折し絶望するのか、見てみたかった気持ちは結構強い。
そのそばに寄り添う霧島も、過酷な現実を突きつけられたニヤケ面を引っ込め、神ならぬ己の未熟に歯噛みし、魂の奥底から絞り出したような本気の苦鳴をアクセサリーに、ヤクザモンとしての地金を輝かせてくれる瞬間を、是非見てみたかった。
暴力を話の真ん中にいれるのなら、そんぐらいの塩梅が個人的な好みなのだ。
しかし大阪の事件は彼らを人生の絶壁まで追い込み、その本性を炙り出すにはヌルかったわけで、それだけで筆が止まってしまうこの最終回は、やっぱりもったいないなぁ、と思う。
もっと苛烈で余裕のない状況に追い込まれ、絶対譲りたくないものを譲らなければ、屈辱と絶望と無様のカクテルを飲まなきゃ先にゃ進めないような限界に飛び込んでみたら、あのヤバい若造共はどんな顔をするのか。
話の初めから僕はそれがずっと見たかったし、アニメでは(もしかすると原作でも)それは見届けられない。
無念であるし、そう思わせてくれるだけの芳香を宿した作品であったなとも感じている。
そういう魅力が、滲む最終回だったのは嬉しい。




否定も注意もご褒美になってしまうマゾヒストを相手に、吉乃は絶対的な無視を唯一有効なコミュニケーション手段と見定め、首輪のつかない野獣を調教しようと目論む。
吉乃がいない世界は霧島にとって太陽の消えた闇であり、後に天照大神に例えて告げるように、その存在は絶対的だ。
暗闇に置き去りにされる苦しさを思い知らされて、野の獣のように雨に濡れた霧島を、光を背負って再登場した吉乃はタオルでケアし、途切れていたコミュニケーションを再開させる。
それは吉乃が女性的なケアを独占して上位に立つ関係に見えて、制御不能な危うさと情欲を、常に孕んでいる。
土むき出しの庭と、光に満ちた人間の領域…その境界線たる縁側を象徴として活用し、二人の性根と関係を暴いていく演出プランは第4話と同じだが、大阪での事件を通じてより関係が深まった二人は、一件落着地点のように思える温かな場所が、粘ついた欲望によってかき乱され壊される可能性を、もはや無視できない。
お互いの素性や過去、本当に望むものについて率直に開示し、共有して同じ場所を目指していく、極めて健全で人間的な足取りへ、確かに二人で踏み入りながらも、霧島は”人間”に収まったご褒美のように差し出されたハンドクリーム(これもケア用品だ)を掴み取り、べっとりと欲望の色で塗りたくる。
愛するほどに壊したくなってしまう、霧島の厄介なサガ。
吉乃の存在が世界に唯一の太陽であると自覚していても、あるいはすればこそ、彼の破壊的衝動と悦楽は取り返しがつかない方向へとたがを外しかねない、危うさに満ちている。
同時に暗い獣の領域から光あふれる人間の居場所へ、吉乃を通じて自分を引っ張り上げる可能性もそこにはあって、どちらの天秤に二人が転がっていくのか、未だ道は定まっていない。
その先の読めないスリルが、二人の関係を彩るアクセサリとして中々いい感じだと思う。
…「どーにもしようがない、終わりきった決着へと雪崩落ちていってくんねぇかなぁ」という、暗い希望が自分の中に結構あるな…。
前回公園で見せた繕いにしても、今回のタオルとハンドクリームにしても、吉乃が獣たちを制御する手段(あるいは特権、優越性)は壊れたものをケアする女性性(とされてしまっているもの)にあると、作品は最後まで描く。
「破滅的に後先考えず壊す男と、先を見据え手当し生み出す女」という古典的な構図に二人を収めてしまうのはなんともつまんねーなと正直思いつつ、ケアを必要とする自分を自覚していない粗雑さこそが、大人になりきれない破滅的な少年たちの魅力でもあるのだろう。
そして自分に本当に必要なものが見えていないからこそ、それを与えられる吉乃はガキどもの支配権を握った恋人、母、あるいは妻たり得る。
現状二人を繋いでいるこの構造を、吉乃自身が既に暴れさせている侠客の素質でぶっ壊して、もっと新しく面白く、この作品だけのハチャメチャを描いてくれたらおもしれーな、などと。
僕は気楽に願うわけだが、抗争の火種だけをパチパチ匂わせつつ、最悪な炸裂までは踏み込まない語りはもちろん、それが成るや成らざるやの結末を教えてはくれない。
やっぱ惹かれる物語に出会ってしまった以上、その作品が自分だけの答えとして何を選び取り、たどり着くかを見届けたい気持ちはあって、連載中の原作をアニメ化したときってどうしても、そこまでたどり着けないことが多いから難しいね…。




ともあれED後、アニメが最後に自分を描くチャンスで、霧島は擬似的に吉乃の死を体験し、それを回避した実感を脈打つ命に感じ取って、優しくその顔に触れる。
本来足蹴にするものではないテーブルに、身も世もなく踏み越えて吉乃のもとへ向かってしまう霧島の仕草が、どうやっても人間の世界に収まりきらない少年の獣性を語っていて、とても好きだ。
それは偽らざる、鎖をつけられざる彼の本性であり、同時に吉乃がいることで、傷つきやすい存在に優しく出来る自分を、彼は唯一掴める。
それが希望なのか絶望なのか、示す試練は未達の乱雲でしかないが、確かに未来に横たわる。
ここで鳥葦くんのコールが吉乃を醒まさず、霧島の指先が優しい微睡みに彼女を守り続けていることが、家族同然だからこそ選ばれない男の未来を活写していて、「まーそういうもんだよねぇ…」という気分になった。
ヤバい男たちに愛されすぎてる、吉乃の恋路は実はそこまで興味がなくて、つうか作中描写の傾斜からして結末が結構見えてしまっていて、自分的に重要なのはそこじゃあない。
霧島が最後にたどり着いたこのひだまりが、彼を捕らえる/守る人間性の鎖として仕事を果たしうるのか、それもと打ち砕かれふりちぎって、人でなしの本性のまま奔るのか。
結局、それを見届けたいのだ。
そう思わせるだけの魅力をしっかり、アニメスタッフは描いてくれたし、それが行き着くところを書ききれないのは、連載中原作の宿命であろう。
何を描くかかなり難しかっただろう最終話、自分がこの作品で一番気になり、好きな部分に注力して筆を運んでくれたのは、とても嬉しかった。
結局普通の枠には絶対に収まらない業を抱えた二人が、それでも人間らしくお互いを縛り合おうとあがいて、それが上手く行かないまま破滅する気配も香って、アンバランスなアンビバレントがゆらゆら、魅力的に揺れている姿が好きだった。
そこには諦観と希望が両方あって、だからこそ眩しい。
とても人間っぽい肖像画だ。
そういうのは荒くれた暴力を話の真ん中に据えないと扱いきれないモノではあり、同時にロマンスのアクセサリーとして清潔に消毒し、去勢して暴力を扱おうとする手つきも作品からは匂っていて。
そのどっちを答えとして選んで結末へたどり着くのか、アニメだけで見届ける術はない。
惜しいことだし、両方があり得るのだとしっかり示して終わる最終回だったのは、とても良かったと思います。
面白かったです、お疲れ様。
ありがとう。