胸を張って、前を向いて、みんなで叶えた夢の先へ。
三期に渡る物語を完結させる、ラブライブ! スーパースター!! 最終回である。
大変良かった。
ありがとうLiella!、ありがとう澁谷かのん。
本当に見事な物語でした。
言うべきことはきな子と恋ちゃんが送辞と答辞で全部言っちゃった感じもあるが、廃校ではなく創設をスタート地点とし、何もない場所からトキメキに導かれて進み出し、迷い間違えぶつかりあってたどり着いた終着点を、どっしりやり切る最終話となった。
余計なことに手を出さず、やるべきことを的確に探り当ててやりきる三期の筆を、最後まで貫いたフィナーレと言えるだろう。
Liella! の物語としては、最高のタイトル回収を成し遂げた前回で打ち立てている感じもあり、三年生達が立派に掴み取った高校卒業後の進路、残される者たちに手渡した輝きを、丁寧で現実的に時間を使って積み上げていく手つきは、何かとイマジナリーな勢いで押し切る”ラブライブ!”らしさを刷新する手応えがあり、大変スパスタらしかった。
読参企画としては14年、アニメ放送からは11年。
一過性の奇跡ではなく、数多のファンを巻き込み狂わせ、深く強く自分たちの物語を突き刺してきた現実を受けて、今どんなラブライブを描くのか。
脂っこい萌え仕草を抑えめに、取って付けた衝突と克服も、過剰な情感主義も表に出しすぎないようにして、三年間どっしり高校生活を送る少女たちの成長と変化を、隣人のような地道さで積み上げていく。
失敗も敗北も衝突も糧に出来る人間の強さを信じて、本気でスクールアイドルやりきったからこそたどり着けた高みから自分の道を見据え、それでも迷うのならば最高の舞台へと進み出して答えへたどり着かせて。
卒業を迎えた結ヶ丘最初の生徒たちは、旅立ちを前に泣かなかった。
ラブライブ連覇という、誰も文句を言えない青春の証に支えられ、真っ直ぐ背筋を伸ばし、自分たちの始原とアニメとしての幕引きを繋げた。
終わりは始まりであり、描いてきた奇跡は永遠である。
キャッチコピーにまとめてしまえば、もう何度も使われて新鮮味のない言葉が、確かに自分たちの真実なのだと、ここまでの物語に嘘がない少女たちの実感なのだと、堂々示すような卒業式であり、五人のラスト&ファーストライブであった。
あまりにも”スーパースター!!”が名曲なので、この最終話に何を持ってくれば決着できるのか全然解らなかったが、制作陣は盤上この一手の必然を見事に掴み取り、始まりにこそ終りがあり、終わってこそ始まる物語があるのだという、上昇する円環を描ききってくれた。
あの歌はこれから自分たちの物語へ踏み出す妹たちへの讃歌であり、一歩を踏み出せばこそたどり着けた自分たちへのエールなのだろう。
勝つか負けるかの盛り上がりに既に答えを出してしまったところから始まる三期は、何を燃料に翔べばいいのかかなり難しいシーズンだったと思う。
新たな”外部”を貼り付けるのではなく、二期全くコミュニケーション出来なかった強敵であるマルガレーテちゃんを、Liella!に取り込まれた”外部”として活用することで、改めて”ラブライブ!”を問う。
効率主義の冬毬をアクセントとして、青春をスクールアイドル活動に費やす意味、仲間と隣り合って必死に走る尊さを、改めて削り出していく。
そしてそんな若人の発見を、導き見守る頼もしさを澁谷かのんが得たのだと描くことで、3年分の成長を実感させる。
トマカノーテの三人が、馴れ合わずしかし妙に居心地良く、Liella!全肯定のヤダ味から上手く距離を取りつつ、自分たちなりのスクールアイドル活動に勤しむ様子を、丁寧に時間を使って追う。
三期が選んだ物語は、ぶっちゃけやることがないからこそ生まれた余裕を最大限活かし、ツンデレと効率ロボがクールな外装を取り繕いながら、澁谷かのんとLiella! を愛するようになっていく過程を、じっくり見せてくれた。
そんな時間が愛おしかったからこそ、今回最終話に飛び出した赤色の爆弾…冬毬のリボン懇願が深く刺さる。
思い返してみれば、全てが”それ”を示唆している必然の不意打ちで、まこと素晴らしかった。
バタバタ駆け足でメンバーを集め、それゆえ取りこぼした部分も多かった二年間を補うように、徹底してキャラクターの補強に努めた話運びも良かった。
控えめ過ぎて印象の薄い四季、どんだけスクールアイドル活動に救われたか見えにくかった夏美、”可愛い後輩”以上のキャラ性がないきな子。
ずっと匂わされつつその核心を描かれなかったクゥクゥ、母から受け継いだ学校への思いを描ききれていなかった恋、他人の手を過剰に取ってしまうかのん。
「まぁ”ラブライブ!”だし、この足りなさもしょうがねぇか…」と諦めていた部分に、全部筆が入って答えが出てきたのは、あまりにも嬉しいサプライズだった。
ラブライブ!を好きな俺が、一番"ラブライブ!"を諦めてる矛盾を、本家本元が物語の握りこぶしでもって殴りつけてぶっ壊してもらえるのは、本当に嬉しい体験だったのだ。
皆自分なりの欠落と痛みを抱え、それ故スクールアイドル活動に何かを見出し、だからこそ全霊をかけて必死に挑んだ。
そんな思いが響き合って、結ばれた先に新たな変化があって、その連なりが、故郷を離れてなお消えない約束と決意を支えている。
三年間学校を舞台にすればこそ紡げる、先輩がいて後輩がいて、ピリピリ尖ってた連中が部活を通じて何かを学び取り、立派になっていく歩み。
愛を率直に語り、後輩の手を離し背中を押す強さすら手に入れた三年生の姿を…あるいはまだそこには至れないけど、必死に辿り着こうと足掻く二年生の生っぽさを見ていると、一年でおしまいにしなかったLiella!だからこその物語を感じれた。
音楽留学、芸能事務所所属、プロダンサー、学校経営。
それぞれ別々の未来へ進み出し、あるいは隣り合ってまだまだ進む彼女たちの進路は、これまでにないほど具体的かつ建設的だ。
それは生身の身体を滅し、トレーニングウェア一つだけを残して伝説になったμ’sも、未だ描かれざる新たな可能性へと劇場版でギリギリたどり着けたAqoursにも、手に入れることができなかった生身の質感だと思う。
あの時伝説にするしか出来なかった物語が、人間が当たり前に迷い、成長し、期待に胸を膨らませてたどり着ける未来へと変化し…しかしそこには、スクールアイドルであればこその輝きが強く満ちている。
僕は二期の色んなところがキライなファンだが、特に澁谷かのんが物語の決定権を握り込みすぎ、何でもかんでも彼女で決まってしまう狭さが気に食わなかった。
それは話の幅を狭め、せっかくチャーミングな子たちが沢山いるのにその善さを活かせてないから…以上に、澁谷かのんという存在を万能の神様にしすぎてしまう感じがあったからだ。
挫折にやさぐれ傷つく、等身大の弱さや情けなさを胸の内から湧き上がる歌で必死に乗り越え、頑張って輝くかのんちゃんが一番好きだったからだ。
あの最悪のクリフハンガーから二年、「俺は絶対に、このアニメを好きにならない…」と内心呟きながら、僕は三期を見始めた。
12話見終えて、一番好きなラブライブ! はスーパースター!!三期である。
そうなったのは、ひとつ屋根の下親身に面倒を見ることになった”妹”に、情けなくすがりつき親しみを手渡し、彼女の抱える寂しさや惨めさを勝手に塗りつぶさないように最新の注意をはらいながら、自然な笑顔を作ってずっと一緒にいた、澁谷かのんを見ているからだ。
11人でLiella! になると決めてなお、集団に馴染めない/馴染むまいと己を固く縛っているマルガレーテちゃんに、心意気一つでぶつかってくれる後輩を見届けて、嬉しそうに寂しそうに、人間の顔で笑って「私はもう行かない」と告げた、澁谷かのんを見れたからだ。
「どーせ超音速で絆されデレてグズグズだろ!」とナメてたマルガレーテちゃんが、思いの外固く腕組みの奥に生来の優しさを隠し、ツンデレ頑張ってくれたおかげで、手のかかるLiella!の末っ子を大事に見守り、何でもかんでも自分で解決するのではなく、自力で運命の扉を開いていける場所まで見守る事ができるようになった、かのんちゃんの変化を見届けることも出来た。
マルグレーテちゃんがいちいち、「Liella!の善さってなに!? 私はそんなのに負けないわよ!!」と突っかかってくれるおかげで、俺の好きなLiella!のどこが強いのか、何を生み出せるのかを、改めて感じることも出来た。
その筆は未だ描かれざる既存メンバーの陰にもしっかり伸びて、ずっと知りたかった四季や夏美の弱さ、クゥクゥや恋の至らなさにカメラを向け、そんな陰影があればこそリアリティを増す、彼女たちの強さと決意の輝きを見つめることが出来た。
多様性を意味する虹を象徴色とするLiella!(というかスクールアイドル)は、メンバーそれぞれ形が違う痛みや戸惑い、だからこそ生まれる眩しさが隣り合い、入り交じるからこそ面白いということを、三期の個別エピソードは再確認させてくれた。
萌え萌え世界の歌姫たちにだって、個別の痛みと影があり、だからこそ人間として己を新たにし、前へ進むことが出来る。
その生っぽい手応えは、”ラブライブ!”としては新たな挑戦であり、11年の間に求められるトーンが結構変化したアニメ全体としては、適切なアジャストだったとも思う。
クゥクゥ以外の三年がどっしり腰を落とし、悩めるヒヨッコ共を見守り受け止められるだけの成長を示してくれたことで、いらないストレスを過剰に抱え込むのも避けれたしな…。
そしてクゥクゥの過去に踏み込み、Liella! の爆弾小娘がどんだけ暗い青春と劇しい夢を抱えていたのか暴いたことで、三年生も完璧な女神ではなく生身の人間として、頼りがいを演じてくれてる事実が強調もされた。
みんなそれぞれの在り方で、青春を頑張っていた。
その少し遠いから眩しくて、彼女たちの歌が確かに聞こえる近さを、身長に探り出し削り出してくれた結果、今回万感の卒業へと進み出すことが出来る。
過去二作続いた、最終回での劇場版告知が今回はない。
それだけ、TVシリーズでやりきった結果であろうし、ラブライブ! の”てっぺん”に至るという、これまでシリーズを牽引してきた強力な道しるべを乗り越えてしまった三期は、長い長い番外編だった…とも言えるだろう。
しかし12話たっぷり時間を使えばこそ、瑕疵を補い主題を勁くし、”今”描くべきライブライブ! とは何であるかを、堂々打ち立てる物語を乾燥することが出来たとも感じている。
今一期一話を見返すと、なんの迷いもなく人間として正しい未来へと飛び立っていく3年生達が、尖りまくったクソガキであることに驚く。
譲れない思いゆえの過剰で歪な人格を、ゴツゴツぶつけ合って一つになっていった少女たちが、先輩という立場を得、導くべき後輩と語り合いながら、自分たちのあるべき形を探っていった三年間。
その手応えが36話の物語の中に確かに結晶化していったからこそ、最後に示された始まりと終わりを繋ぐ螺旋は嘘ではないと、心から思える。
それは結ヶ丘から羽ばたいていく五人の物語であると同時に、10年を超えて続き、まだ続いていく”ラブライブ!”の、決意と夢のスケッチなのだと思う。
そしてそれは、なんだかんだラブライブ!が好きな…三期を見続けて好きだってことを思い出させられてしまった僕が、主役にならなければいけない物語でもある。
進路を定め、別れてなお永遠に続くものを心から信じ、生身のままで未だ続く夢へと進み出す、かのんちゃん達の勇姿。
それは極めて現実的な、だからこそ特別な輝きを宿す夢で、”今”描くべきラブライブの結末は、やっぱりそこにこそあるのだろう。
神話から伝説へ、そして終わってなお続く物語へ。
3つのラブライブ正伝が辿った変化はダウンスケールではなく、コンテンツ全体を覆う環境の変化、語るべき寓話の変化を鋭敏に反映した、3つの正解なのだと今は思う。
華やかな閃光のごとく駆け抜けていったμ’sのあと、アニメが終わってもAqoursはその故郷に根づきながら続き、なお続いていくために一つの幕を下ろそうとしている。
一瞬こっきりの青春だからこそ、眩しく燃える魂の閃き。
その全てを、高坂穂乃果が彼女の終末へと至るまでの最後のステップに込めなければならなかった劇場版から、九年が過ぎた。
Liella!を始めた五人の飛翔はあのときと同じように美しく、しかし終わりではなく叶えた夢のその先へと、力強く伸びている。
神様になって消えるのではなく、英雄になってなお続く人生を心から祝福し、まだまだ終わらない夢へと健全な野心を燃やす。
そんな決着に”ラブライブ!”がたどり着けたことが、9年前劇場でμ’sの終わりを浴びて、凄まじい衝撃を受けたアニヲタとしては、驚きであるし喜んでもいる。
あの終焉から9年、ラブライブ!は多彩なメディアに広がり、続いている。
Liella!の物語が一つの終りを迎えたこのあとも、まだまだ続いていくだろう。
続けていくために、終わってなお続く物語とはどういうものなのかを、三期全部を使って削り出した感じもある。
その試みは、間違いなく成功したと思う。
素晴らしい最終話であり、素晴らしいファイナルシーズンであり、素晴らしいスクールアイドル物語でした。
お疲れ様、ありがとう。




というわけで、連覇のあとの卒業に向けて、少女たちは穏やかに最後の日々を歩いていく。
この期に及んでワチャワチャモタつく”人間”澁谷かのんを描くのが、三期の筆であり最終回だなぁと思う。
それは彼女の素であり、トマカノーテの妹たちの前では意識してダシていた親しみやすさであり、既に通り過ぎた未熟でもある。
何も変わっていないし、何もかもを乗り越えて澁谷かのんが立ってる”今”は、物語が始まった場所をなぞることで強調されもする。
ここで一期一話のリフレインがあるのは、ベタ足ながら効きすぎる…。
やっぱやさぐれたりかっこよかったり、色んな顔を見せてくれる澁谷かのんが魅力的だったから、スパスタを楽しく見れた。
そんな多彩さが神様めいた万能性に覆い隠されかけてた二期から、よくもまぁ等身大の人間が立派に未来を選び、優しく強くあろうと頑張ってる姿へ立ち戻ったもんだと思うが、やっぱそれってマルガレーテちゃんがいてくれたおかげで。
あの手がかかる”妹”相手に、必死こいて気さくなお姉さん頑張ったおかげで、澁谷かのんの魅力を再発見できたのは三期最大のありがたポイントである。
そしてこの魅力を、最後の最後で別角度から回収していく、まさかまさかの”とまかの”である…。
あと最後のお土産を取り忘れず、前回のイチャコラランニングを回収するように、まだまだ続くクゥすみを最後の最後にぶっ込んできたの、火力高くて良かった。
あんだけ仲良くいがみ合い、気持ちを素直に伝えられなかった二人が、「すみれの良さは、クゥクゥが一番良く解ってるつもりです!」でゴールし新たにスタートしていくの、本当に感慨深い。
三期の三年生はみーんな、自分たちが育み支えてもらった愛に何のてらいも恥ずかしげもなく、サラリと言葉にして手渡す強さがあって、そこも大人になったなぁ…と感じる部分だった。
何しろLove Liveだからね…愛に活かしてもらっている事実を、隠す理由はなんもないのだ。




人間が人間である以上必ず生まれる、微かで大事な悩みを仲間に受け止めて貰いつつ、澁谷かのんは自分たちが駆け抜けていった青春の名残を、そこを”今”走っている後輩たちの姿を、眩しそうに見つめる。
そこに漂う美しい寂寥は、美術がとびきり良かったアニメの強みを最後に確認してくれていて、大変いい。
一度もセンターに立つことなく、しかし一番周りをよく見て、スクールアイドルを深く愛し、武のためみんなのために全力で走れる女が、三連覇を目指すチームの部長になるのも、納得と安心がある結末だ。
まぁ米女だよね…。
「今までの”ラブライブ!”だったら、弁明なしに体育館で鍋食ってたんだろうなぁ…」などとも感じる、大人になってしまった女の子たち最後の大はしゃぎは、五人最後のクリエイティブへと繋がっていく。
三期は曲作りを後輩に任せ、次代を担っていく責任と実力を培う描写が多かったので、ここで三年だけで曲を創る描写があったのは、とても嬉しかった。
やっぱ自分たちの手で曲を作り上げ、伝いたい思いを込めて詩を生み出し、勝負に挑む”部活”の描写が好きなので、連覇を成し遂げ勝負論を越えた所で、最後のエールとして”歌”を選ぶ五人が見れるのは嬉しい。
思いつきをすぐ形に出来るくらい、創作者としての実力が付いたのね…。




そして旅立ちの時がやってきて、桜小路後輩はワンワンと泣きじゃくる。
今後に及んで留年を望むコミカルな描写を、スパッと断ち切って堂々の送辞をやり切る姿に涙もでてくるが、二年生のきな子があくまで”先輩と私”という個人的な足場から言葉を紡ぐのに対し、三年生の恋がスクールアイドルに言及せず、”結ヶ丘と私”で全てを語りきったのが、凄く良かった。
三期第10話があったればこその描写でもあり、葉月恋というキャラクターがこの物語に居た意味を、ファイナルラップですくい上げた手応えもあった。
あくまで個人的な感慨を普遍へと繋げていくきな子が、幼いだの未熟だのという話ではなく。
彼女の偽らざる”今”には、スクールアイドルとして共に過ごした日々が、未だ消えざる熱が灯火として燃え続けていて、それがあればこそもっと広く、もっと大きく、別離の哀しみをギリギリ飲み込める…かな? つうところまで、自分を持っていける。
それが本当だからこそ、就任演説と同じようにきな子は原稿から目を切り、湧き上がってくる思い一つを真摯に言葉にして、手向けの花束として卒業生に示す。
後を託された自分が、どれだけしっかり”先輩”やれるか、一足早く強がって"結ヶ丘の生徒会長"を泣かずに頑張る。
その嘘が、とても健気で愛しかった。
母の遺影が見守る中、一期から三期、36話分の歩みを見事に総括して”ラブライブ! スーパースター!!”がどんな物語であったかをまとめあげる恋ちゃんの言葉は、葉月恋という個人を離れた”公”の凄みを、既に備えている。
母の遺してくれた結ヶ丘を想うあまり、イヤーな生徒会長のテンプレにハマってしまっていた過去をも、必要な歩みだったと微笑めるほどに強くなった彼女の視界には、三年間自分が積み上げ、自分たちが切り開き、その後へ進んでいく少女たちの道のりが、眩しく輝いている。
名もなき新興校に誇れる御旗を持ち帰り、思いを結び繋いでいく理想を、自分自身の青春で証明する偉業を、確かに彼女は成し遂げた。
そんな自分からの語らいを抑え、”結ヶ丘”という青春の聖域がどんな場所になり、この先なっていって欲しいかを、恋ちゃんは真っ直ぐに語り切る。
そんな”スクール”との強い繋がりは、恋ちゃんが『お母様の結ヶ丘』にめちゃくちゃ強い気持ちをもっていて、だからこそどっか他メンバーとの太い感情で繋がりきれなかったように見えてしまう、孤立を生んでもいたと思う。
しかし桜小路きな子という継承者を、ギリギリのタイミングでしっかり見つけたことによって、恋ちゃんの学校LOVEは報われ、花開いた。
Liella! に限定されない、Liella! が代表し誇りを担う、結ヶ丘の全てを、託し継いでくれる頼もしさ。
そんな開かれた可能性を、もっと確かなものにするために恋ちゃんは音楽ではなく経営を己の進路と定め、より頼もしくなって母校に戻ってくるだろう。
この高潔なる孤高は恋ちゃんの良さであって、足りないからこそ支えたく成るきな子イズムが、新たな結ヶ丘の顔になっていく。
それぞれ個性が違うんだから、”公”との向き合い方、繋がり方だって当然変わって、学舎に漂う風も変化していくわけだが、恋ちゃんが一番大事にしたかったもの、新しい学校に彼女自身が作り上げていったものは、間違いなく継承されていく。
そういう、愛と連帯と歌に満ちた”スクール”の姿がこの卒業に鮮明なのは、スパスタの大きな特徴だと思う。




そうして惜別の瞬間を前に、少女たちは大いに泣き笑う。
二年生の号泣は、もう日曜日にNHKつけてもLiella! に会えない俺達の涙であり、それに答える三年生の立派さは、作品からのメッセージなのだろう。
俺は画面の向こう側にいる視聴者の思いを、作中で代弁し代わりに泣いてくれる作品がスゲー好きなので、ここできな子達を号泣させてくれたのは偉いしありがたいなぁと思った。
そうして今まで作り上げてきたモノを振り返るだけでなく、最新の百合爆弾を最終回に投げ込むのが、ラブライブ! のスキャンダル主義よ!!
いやー…まさかまさかの”とまかの”なんですけども、マルガレーテちゃんと一緒にあんだけかのん先輩と一緒に走り、親身に面倒見てもらっておいて、自分が何に助けられ何を愛しているのか解ってしまえる冬毬が見落とすはずもなく。
あんだけ効率に呪われていた冬毬が、なんの実践的効果ももたらさないリボンを結んで貰うために、来なくてもいい卒業式へ足を運んだという成長も含めて、ヤラれてみたら納得以外なんもねぇ、最高の不意打ちでした。
思い返せばとにかく感情表現が不器用な子だったわけで、胸の奥マグマのように燃えていたかのんLOVEが、見えにくいのも納得になっちゃうの、強い話運びだよなぁ…。
三期は相当かのんとマルガレーテの話であり、そこに絞ったからこそ濃厚に二人の変化(あるいは不変)と繋がりを作品の柱として、ぶっとくおっ立てられたと思うわけですが。
ここでその添え物っぽくもなっていた冬毬が、トマカノーテだった時間を心の中どう開花させたのか、最高のアンサーを返してもらったのは、最後に足りない一点を満たしてもらった感じがあった。
姉者一辺倒にも思える冬毬が、色んな人やスクールアイドル活動を愛せるように自分を広げていってる様子も後半積み重なっていったので、その結末にして原点に”澁谷かのん”がいるのも、かのんちゃん好きな自分としては嬉しい。
存在質量がデケーんだよな、澁谷かのん…。




卒業が具体的に見えてきてから、三年生はほとんど涙を見せていない。
それは最後までやりきった充実感と、ここまでの迷いと発見があればこそ掴めた自分だけの未来が、弾むような夢が、眩しく輝いている確信があればこそだろう。
かつて歌うことへの恐怖に背を向け、クゥクゥの真摯な思いを受け止めるために向き直ったスタートラインを、ゴールラインに変えて明日へ飛翔していく姿は、晴れ晴れと眩しく美しい。
一度打ち捨てて取り戻した鬼塚姉妹の夢ノートが、強く抱きしめられてそれを見守っているのも、大変いい。
嘆くことも立ち止まることもない、卒業生の立派な姿は、クッソダメダメなあの子達の今までを、たっぷり見させてもらったからこそ眩しい。
最終回で明瞭に言葉にされ、幾度も振り返られたように、迷いや過ちや衝突や、青春につきまとう全部に意味があって、面白く可愛らしい物語として輝いているという事実を、ここまで見てきた僕は共有している。
画面の中の眩い青春と、画面の向こう側の煤けた現実が、しかし確かに響き合って、繋がる何かがあるのだという感慨は、クセの強い連中の入学から卒業までを見守り、尖って他人に突き刺さる様子も、それ故本気で胸の中を切開できる結びつきを、見届ければこそ生まれるものだ。




そういう風に、画面の外側に飛び出すくらい強く、物語が生み出すメッセージを紡ごうという気概は、やはり前回の”スーパースター!!”で頂点を迎えている感じがある。
この最終回で紡がれるメッセージも、無論Liella! 無き現実をここから始めていく僕らに届くよう力強いわけだが、11人になればこそ生まれ、十余年続けばこそ積み重なった文脈を一つに積み上げて炸裂させる眩さは、前回答えを出してしまったと僕は思う。
ではこの最終回、彼女たちがスクールアイドルとして歌うべき最後の歌に、スーパースター!! のアンコールに、何を選ぶのか。
盤上この一手、心血を”ラブライブ!”に注げばこそたどり着けた必然を、これ以上ないほどに燃やし尽くして、懐かしくも新しい”始まりは君の空”が流れ出す。
確実に何かが終わってしまうこの最終回、「終わればこそ始まれる」なんていう綺麗事を、作品のたどり着いた唯一の真実として突き刺すには結構な力技が必要だ。
自分たちの始まりたるこの曲に回帰することで、そこに自分たちを喪う者たちへのエールという意味合いを新たに付与することで、Liella! はそれを成し遂げた。
終わりと始まりが実際に繋がってしまう、3年分の文脈の結晶を持ち出せたのは、作品がたどり着くべき”正解”を形にした、最後の奇跡に相応しい。
それは目の前にいるたった六人おための歌であり、同時にかのん達が見届けることのない、かつての自分たちと同じように幼さとトキメキを胸の奥に抱えて音楽と出会う、未だ知らぬ誰かへの歌だ。
自分たちがいない校舎へと、期待と不安を胸に飛び込んでくる見知らぬ雛鳥たちに、未来は希望に満ちて、その主人公はあなた達なのだと告げる歌だ。
かつて上海のステージでクゥクゥが観客席に見出したように、夢に向かって走り出したかつての自分へ、やり遂げ成し遂げたフィナーレから紡ぐ恋歌でもあろう。
"スーパースター!!"が、先輩たちのような超人にはまだまだほど遠いと思い知らされている二年生が、それでも自分たちがたどり着いた”今”を全部込めて描いた曲だったように。
既に夢を翼に進み出し、どれだけの愛と連帯が自分を支えてくれたかを知っている卒業生たちが、夢が動き出す前の戸惑いと高揚を、可能性と不安を歌い上げる”始まりは君の空”を紡いだことに、僕は凄く大きな意味を見出している。
自分が今いる現実よりももっと大きく、もっと広く、もっと自分らしい何かを、歌は包み込み届けてくれる。
それが出来る自分を、笑って泣いて汗を流した日々に確かめ積み上げてきたからこそ、この歌が作れる。
”Bubble Rise"を仲間と歌いきって、「久しぶりに、歌うのが楽しいと思えた」と言っていたマルガレーテちゃんが、何かが始まる予感に瞳を輝かせる、澁谷かのんの得意技を継いでいる描写が、凄く良かった。
もうウィーン・マルグレーテは歌が大好きな自分を、そこに導いてくれた仲間の大切さを、忘れてしまうことはないのだ。
そう思えるところまであの捻くれ者を引っ張っていった、澁谷かのん最後の贈り物を、マルグレーテちゃんは目を見開いて見落とさない。
歌が大事だからこそ、好きだからこそ、作り上げてしまった暗い感情に押しつぶされそうになっている苦しさを、多分かのんちゃんはマルガレーテの中に見たんだと思う。
だからあんなに親身に寄り添って、自分が守られていることに気付かせないくらい自然を取り繕って、"妹"の面倒を見てきた。
その日々が、眼の前と胸の中に湧き上がる思いに嘘を付けない、澁谷かのん的生き方として継がれた証を、見れて良かった。
残された者たちが、結ケ丘に響く音楽の中に愛しい人達の名残を感じ取るように、旅立つものもまた思い出の中にこそ、未来へと自分を押し出してくれる輝きを見るだろう。
そうやって、常に新しく生まれていく音楽へと自分を駆り立てていくためには、いくつか必要なものがある。
愛に素直になる強さ、夢にかじりつく意地、変わっていく自分を認める心根。
そして共に隣に立ち、大好きを一緒に抱きしめてくれる仲間。
たった一人しかいない私のために、隣に立ち手を繋ぐ貴方のために、そうして生まれてくるすべての人のために。
Song for me ,Song for you, Song for all。
カノンちゃんがステージの前、決意を込めて吠えていた叫びが一体何を歌っていたのか、感慨と共に抱きしめられるラスト・アンコールでした。
この前口上はMeからYouへ、そしてAllへと段階を踏んでるのが好きだ。
誰も解ってくれないと自分(me)を閉ざしていたかのんちゃんが、自分にこそ可能性を見出してくれたクゥクゥ(you)との出会いによって歌を取り戻し、隣に立つ五人の、九人の、十一人の、観客席やそれを超えた全ての人(all)と、繋がるための歌をずっと求めてきた。
それは確かに成し遂げられたのだ。
そう感じられたから、前回ラストの描写は雨降りの中差し込む虹を、ようやく心から信じられるようになった澁谷かのんの到達点を、内省的に描いたのだと思う。
二度スクールアイドルの頂点に立ち、結ヶ丘の誇り、多くの人に笑顔をもたらす結果を出して、雨の中一人泣いている自分を取り戻せる。
そういうmeからallへ、allからmeへの連祷がLiella!の歌にはあって、それはずっと続いていく。
手を繋ぎ、手を離し、自由に羽ばたき、再び帰るべき宿り木へと戻ってこれる、終わらない物語を歌う鳥たちの物語は、始まればこそ終わり、終わればこそ続いていくのだ。
そこにはかけがえのない数多の"あなた"がいなければいけないし、繋がれはそれは”みんな”になれる。
甘っちょろくて聞き飽きた、キレイな題目だと思う。
しかしそれをこそ高らかに叫び、三年間必死に戦う少女たちの日々をチャーミングに描けばこそ、それはただのキャッチコピーであることを辞める。
人生と人間を揺り動かす力を掴み取って、心に届く物語になっていく。
色んな凸凹が物語の中でも、外でもありながら、"ラブライブ! スーパースター!!"はそんな旅路を走り抜けた。
最後までやりきったのだ。
だからこそこれからの十年、生まれ続き繋がれるものが、新たに描かれる神話と伝説と物語が、確かに在るだろう。
そう思わせてくれるフィナーレで、本当に素晴らしかったです。
ありがとう、ラブライブ!




そして、"リエラのうた"も最後の一曲である。
作中ではついぞ歌われなかった、ド直球の卒業ソングをここに持ってくる構成も憎いが、やはり無印劇場版ラスト、肉体を滅し神話となったμ'sを思わせる衣装達の残影が、猛烈に心を揺さぶる。
「μ's超え」は三期の裏テーマだと勝手に思ってきたわけだが、あの時は主なき衣装を写して終わっていた物語が、生身のかのんちゃん達を取り戻してサヨナラを告げてくる構成に、勝手に”文脈”を見出してグズグズになってしまった。
進路を選び、終わってなお続く現実をこそ、己の歌と寿ぐ。
そういう決着を選んだスーパースターに相応しい最後の一曲であり、見納めな音楽の妖精さんたちはあまりにも可愛らしく綺麗で、まさに万感であった。
放送局がNHKに代わり、G'sのギトついた萌えの引力圏から離れたことで生まれた、ファンシーで幻想的な魅力。
Liella! とラブライブの新たな強みを、"リエラのうた"は力強く形にしてくれていて、毎回とっても楽しみでした。
あまりにも美術がいいので、現代版妖精譚としてスパスタ見てたフシがある自分にとって、このちんまく可愛いLiella!ちゃんたちは、あまりにも"正解"過ぎたんだよなぁ…。
本当にありがとうございました!
かくして、ラブライブ! スーパースター!! 三期が終わった。
各話平均一万字超え、我がことながらイカれた文字量で感じたことを綴ってきたこの作品だが、自分の胸の中にあるものは全部吐き出せたようでもあるし、何も語り尽くせてはいない感じもある。
しかし二期までの描写に積み上げたものをなかったことにはせず、リセットではなく足りなかったものを徹底的に取り戻していく道を選んだ三期の歩みが、ここまで作品を見てきた僕に強く響けばこそ、今大きな満足感と寂寥を感じているのだろう。
エモーション第一主義を過激に加速させることで、一時代をもぎ取った"ラブライブ!"の強み…"ラブライブ!"らしさ。
その熱量を損なうことなく、やり過ぎて都合良すぎる感じになってたり、記号論に走りすぎてヤダ味が出てたり、もう"今"やるべきじゃない味わいになっている部分は、改めて新しい”らしさ”を探す。
そういうラブライブ・ルネサンスの試みでもあっただろうスーパースターは、極めて実際的に三年生卒業までの歩みを描き、三年間日々を積み重ねたからこその成長を積み上げて、すべてを描ききった。
最終話に描かれた、写実的な手応えのある卒業式の風景は、来のアニメがどういうバランスで夢を描き、終わってなお続くという矛盾に真実味を与えようとしてきたのか、なにより確かに証明しているように感じた。
"ラブライブ!"がこういう、不思議な落ち着きと実在感を掴み取りつつも、青春のうねりが生み出す熱と絆を打ち捨てることなく、むしろより確かな手触りで物語を終えることが出来たことに、僕は正直ちょっとビックリしている。
あの二期ラストからこんなことになるなんて、想像も期待もしていなかったわけだが、三期をこういう風に描かれきてってしまえば、もう認めざるを得ない。
ラブライブ! が、スーパースター!!が、心から好きです。
そう思える物語を、見事に語りきってくれたことに心からの感謝を。
ありがとう、お疲れ様。
本当に本当に、楽しかったです!!
