イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

BanG Dream! Ave Mujica:第7話『Post nubila Phoebus.』感想ツイートまとめ

 さようなら、私たちの春日影。
 My Go!!!!!第1話から20話、ようやく少女たちのCRYCHICが終わって始まる、Ave Mujica第7話である。

 

 5話以降のMy Go!!!!!介入で人間関係のドミノがパタパタ倒れ、拗れた関係性と想いがようやく繋がり合って、万感にして最後の春日影となった。
 思えばMy Go!!!!!第7話では、祥子号泣そよブチギレの原因となった曲が、散々迷って傷つけ合って、ちったぁ人間分厚くしていった女たちの”今”を照らす鏡になったのは、とても感慨深い。
 永遠で無敵だと思えた、ありふれた特別の意味をようやく涙ながら抱きしめられる自分に、たどり着いた少女たち。

 その群像はまだまだ続いていくが、とりあえずの到達点(そしてリスタートポイント)として、とても良い決着だったと思う。
 ブチギレ海鈴というノイズが、大団円にしっかり釘を差して次回以降に続いていること含めて、ね。
 まーCRYCHIC残党が涙涙の卒業やって、いい感じにお互いの大切さを思い出してBig Loveに包まれるのを、外野で見守れるほど人間できてねー様子で、逆に安心した。
 My Go!!!!! で一番成長した(というか、本来の自分をいち早く取り戻した)愛音が、一生を誓った仲間とバンドでいるために、苦笑い混じりに道を整えてくれたのとは、面白い対比だった。
 愛音はマジ育ったなぁ…。

 

 睦を生贄に、お互い顔が見えない心が通じないままバズだけが加速し、バンドの本質を置き去りに人間一つぶっ壊してバンドがぶっ壊れるまでを描いた前半四話。
 そこからMy Go!!!!!メンバーの介入を経て、複雑に絡んだ気持ち、自分の弱さを隠す仮面を解きほぐして、原点へ立ち戻ることで自分を取り戻していく歩みを進めた、この三話。
 祥子と睦が再起を果たし、さて蚊帳の外にいたAve Mujicaメンバーが一体何を巻き起こすのか、二度目の本番が待っている状況だ。

 なかなか過酷なことにはなりそうだが、一度きりの再結成と卒業式をこうもエモーショナルに描かれたら、なんとかなりそうな希望も眩しい。
 元CRYCHICだけが救われてしまう決着をこの折返しに据えたってことは、こっから本腰でAve Mujicaの懲りない面々と向き合う気概があるのだと、僕は受け取った。
 海鈴も初華もにゃむも、CRYCHICの連中と同じくなんも完璧ではない未熟な魂であり、未だ見えざる願いと欠落があるはずだと、クールな仮面を投げ捨ててきたティモリスの顔は語っている。
 長い長い道を経て、CRYCHICの青春にようやくさようならを告げられた少女たちと同じように、Ave Mujicaになってしまった彼女たちにもまた、思う存分自分たちの魂をぶつけ合わせ、生まれた火花で真実を探し出す旅を、用意してあげて欲しい。

 

 それは先の話として、睦にようやっと昔なじみが歩み寄り、壊れてしまった絆を涙で繕って、もう一度繋がり合えたのは良かった。
 過剰な庇護意識で主人格を捉えて離さなかったモーティスが、祥子の想いに応えて扉を開けてくれたこと含め、解られることが難しい睦を解ってもらえたことが嬉しい。
 睦自身、己の言葉を何もかもぶっ壊す凶器ではなく、謝意や喜びを素直に伝える言葉それ自体として使えるようになって、とても良かったと思う。
 あと長崎そよが、ワケのわからねぇ贈り物に込められた真心を受け止められる存在となり、ヘタクソキュウリを差し入れし返す本物の人情仕草を見せていたのに、マジ泣いてしまった…。

 あのキュウリはへにょへにょだからこそ良いもので、そういう惨めでワケ分かんねーモノの奥にある気持ちを、取り繕わず受け止め送り返せる存在に、あんだけ自分を取り繕っていた少女がなった証なのだと感じた。
 睦が丹精込めて造った良いキュウリではなくても、未熟な自分が手ずから育てた情ねぇ真心の塊を、そのまま叩きつけて大丈夫だと思えるくらいに、そよは誰かを思いやれる人になった。
 あるがままの自分でいて大丈夫だと思える絆を得たのは、散々ビビって間違えてきたからこそで、そういう迷子の足取りがどこにたどり着いたのか、ボケカス共を先導する姿から見えたのが良かった。
 そうさせたのは、間違いなく幼子モーティス…。

 モーティスも浅はかでバカタレで健気で優しいガキなので、睦が”戻って”ハッピーエンドというわけではなく、あの子にも報いる物語を紡いで欲しいなと思っている。
 睦が一番辛い時、眠りの中で守ってくれたのは間違いなくモーティスなわけで、巧く行かない部分があったから全部ダメってんなら、このアニメの女たち全員人生不正解だろッ!
 周りのマネをするしかない空虚な人形から、自分なりに決断して祥子の優しさに扉を開けようと選び取れた変化が、今回確かにあった。
 それをこの幸せな結末で終わらせずに、もっともっと豊かに響かせて欲しいなと、あの子が好きな自分は願う。

 

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第7話より引用

 というわけで、白昼堂々の校門キャットファイトから物語はスタート!
 My Go!!!!!前半で拙い策謀を巡らし、他人の人生背負う重たさも知らぬまま、時を巻き戻すべく祥子にすがっていた頃には、想像もつかないダイレクトアタックっぷりである。
 このなりふり構わない青春体当たりを、あの長崎そよが怒りのあまり叩きつけている様子は、長い物語一つの帰結として心地よかった。
 やっぱキレてる時のほうがこの子は馬力が出るし、それだけがこじ開けるどん詰りってのに、祥子もハマっちまってるのだ。
 かつての長崎そよのようになッ!

 周りを顧みない本気の体当たりで、そよは祥子の鎧に罅を入れる。
 相手の惨めな辛さを知り、それでもなおわざわざ関わりを持とうと手を伸ばしていることを伝えて、本音をそこから引っ張り出す。
 このダイレクトな挑み方は、どこかMy Go!!!!! の音楽スタイル、燈が吠える詩の味がして、不思議な嬉しさだった。
 あんだけ周囲から浮かび上がる燈の異質性を、遠巻きに響いてないフリしてた女が、いざ青春の大勝負に挑む時そのスタイルを継承しているの、つまりは”好き”って事じゃない…。
 ここら辺、現在連載中の外伝漫画で初代”人間になりたいうた”が、実は深くぶっ刺さっていた描写があったのと、呼応してて面白い。

 

 この猛チャージを受けて祥子も、己が殺してしまった睦の元へと引っ張られていくわけだが、その連行を愛音が見咎め、燈へと伝え一緒に修羅場を見届けるのが、お互いの顔良く見てて良いな、と思った。
 今回…というかMy Go!!!!!とAve Mujicaのアニメ全体において、少女たちが何を見つめてどう反応するかは、重要な演出として様々積み重なってきている。
 相手の顔を見れない不和が強調されればこそ、無関心な仮面の奥実は心を寄せていた真実が暴かれる一瞬は、鮮烈に刺さる。

 イギリスでの挫折に傷つけられ、都合よく他人を使いいい塩梅に人生渡っていく、実は全然自分に向いていない生き方を選ぼうとした愛音は、

ここで「なんかヒドくない!?」と憤慨してた祥子の姿を見落とさず、彼女を大事に思う燈に伝えれる自分を、既に取り戻している。
 ただ与えられたものを反復する、モーティスの幼い本質に愛音が気付いたことで、手ひどい拒絶の奥にある真実を皆が共有し、諦め去っていく結末を遠ざけられもした。
 見えない心の奥底に目を向け、分からない他人をそれでも分かろうと足掻く行為は、難しいからこそ尊く意味がある。
 そういう甘っちょろい青春の理想主義が、作品を貫通する背骨になっているのを感じる。

 

 そして燈もまた、己の心に突き刺さった歩道橋の笑顔を、忘れることは出来ない。
 愛音が器用に走れてしまう道を、転んでしまう人だと良く解ったからこそ、愛音はアンカーとして思いのバトンを親友から引き継ぎ、縁もゆかりも無い祥子の領域へと飛び込んでいった。

 CRYCHIC最後の再結成を許し、それで満足して終わってしまいそうなMy Go!!!!!を一生の居場所に戻す立ち回り含め、愛音が持つ現実適応能力が示される今回、燈は徹底的に己の内心へと沈み、深く深く自分たちのことを考え続ける。
 これが詩になってしまう才能があればこそ、伝わりにくい叫びに他人を共鳴させ、燈なりの方法で誰かと繋がりうる道が生まれてくる。
 つまり、「バンドをやる」ということだ。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第7話より引用

 誰かの顔を見つめる視線は、連祷のごとく連なっていく。
 そよの青春ぶつかり稽古で心をこじ開けられ、思いを押し殺した人形ではなく、不屈の真心を叫ぶ己を取り戻していく祥子。
 CRYCHIC解散の日に、自分を苛むまま涙に濡れていた彼女が、今回はちゃんと傘を刺し己を守っているのは、とても印象的だ。
 誰にも見せず泣きじゃくるだけ…あるいはそれを見守ってくれた親友の存在すら、見落としてしまうほどに傷ついていた過去から、祥子はなんとか這い上がり、本当に大事なものを掴み直そうとしている。
 その奮戦を、モーティスは見てしまう。

 CRYCHICをぶっ壊した睦の発言を、後にフォローする「言葉に表れるものだけが、本当ではない」は、モーティスにもまた適応できるのだと思う。
 睦を傷つけ焦れさせる、祥子への思いの複雑さを理解できぬまま、モーティスはひたすら”わるい魔女”を遠ざけ、睦を守ろうとする。
 しかし主人格の思いを封じ込め、祥子との対話を拒む行為は、真実睦を蘇らせなどしない。
 傷の内側にメスを入れ、痛みの本質へと潜り込む旅こそが、少女の魂を成長させ、壊れた絆を修復する。
 そういう裏腹で痛みに満ちた度は、子どもであるモーティスには極めて分かりにくい。
 それが自分で飲み込めるなら、借り物の言葉なんでいらないのだから。

 

 しかしそれでも、自分が傷つけてしまった睦にもう一度触れるのだと心を決め、必死にすがる祥子の体温を間近に感じてしまえば、否応なく解ってしまうものがある。
 ここでモーティスの心の扉が閉じず、愛というナの独善で自分と睦を閉じ込めなかったのは、本当に良かったと思う。
 主人格が復活し睦が”治った”から…てのもあるけど、愛が鎖になってしまうみどりちゃんイズムを克服して、母なる存在の真似事ではなく誰かを受け入れ、扉を開けて愛子を外に出す道を、モーティスが選べたことが。
 そういう成長が、不気味でやべー分裂人格にも許されているのは、僕には救いだと思えるのだ。

 不気味で場違いなものだって、真摯な思いを(他人に解られなくても)抱え、受け取ってもらいたいと願っている。
 燈にとってのダンゴムシ、睦にとってのキュウリで象徴化されている、不格好な生き方しか選べないいびつな存在たちの、必死の叫び。
 それを愛しく間違っていないと描くのならば、極めて病んだ状況で生み出され、しかし確かに誰かを愛し、同じく誰かを愛している誰かを認められるようになっていくモーティスのことも、「お前は何も間違ってない」と言ってあげて欲しい。
 …睦が周囲の理解を得れて、あの子への焦燥が少しは落ち着くと思ったら、今度はモーティス救済を希う気持ちがメラついてきたぜ!

 

 祥子の歩み寄りを必死に拒絶し、「睦ちゃんを守るワタシ」「そういう形で、母なる存在から手渡された愛」を再演するモーティスは、そこから離れて祥子の顔を見て、自分の現状に思い悩み、扉を開ける決断をする。
 そこにはやっぱり、三日三晩一緒にいて、キモいバレエ電話を受け取り、「みんなとギターを弾いてみよう」と提言した、長崎そよの存在が響いていると思う。
 「母の母」という、極めていびつなロールを背負うことでなんとか生き延びていたそよが、睦とモーティスに歩み寄るべく掴み取った、表層だけの母親の仮面との決別。

 本気で他人を背負う重さを知り、これまでの”長崎そよらしさ”に決別しなければ戦えない場所へ、勇気を持って踏み込んだからこそ、生まれた新しい鼓動。
 それがモーティスに響いていたからこそ、彼女は扉を閉ざし睦を守る”モーティスらしさ”を手放して、祥子を部屋に招き入れることが出来たのだと、僕は思う。
 そんな飛翔に至るためには、散々思い悩み考えなきゃいけないわけで、迷子なのはMy Go!!!!!メンバーだけじゃねぇって話よな…。

 しかしまぁ、本当に出口なく彷徨ってた前半戦に比べると、1クール使って自分たちなりの道を見つけたMy Go!!!!!が介入し、いい感じに転がりそうなこの足踏みは、微笑みながら見守れる。
 マジ苦しかったからな、Ave Mujica Episode睦…。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第7話より引用

 心を繋げた誰かが不幸せなら、自分も幸せにはなれない。
 大人びたエゴイストにはなりきれなかった少女たちは、砕かれたカケラを寄せ集めるように再び集い、触れ合う。
 前半は心配げに視線を向けるだけだった距離感が、お互いためらいを超えて前に進みだした後はより親密に、直接触れ合える間合いに踏み込んでいく…だけでなく、それでもどこかすれ違ったまま、わだかまりと痛みを残したまま側にいる姿が、CRYCHICの現状として印象深い。

 この決定的な局面に同席できず、ひたすら詩に向き合って己の内側に(それを通じて自分の外側にある誰かへ)切り込んでいった燈含め、皆完璧に賢く生きることなど出来ず、不器用にお互いの心をぶつけ合って、運命が行き着く場所へと流れ着いていく。
 燈と共に新たに進みだしたMy Go!!!!! だけが自分の居場所で、そこにいさえすれば幸せを掴めるのだと思い込もうとしても、立希ちゃんは終わったはずのCRYCHICから響く残響が、友達を揺すぶってる現状を見逃せない。
 そんな身じろぎに振り回されつつ、親身に相談に乗っている千早愛音の存在が、どれだけ物語を良い方向へと導いてきたのか。
 軽薄で皮相なミーハー女こそが、重たい引力に引きちぎられそうな少女たちの分岐点になってるの、面白いバランスだなぁと思う。

 祥子がどんだけお百度を踏んでも、モーティスが門番を務める睦の部屋へはたどり着けなかったわけだが、それぞれのわだかまりを超えて一つどころに集うことで、状況は前へと進んでいく。
 Ave Mujica崩壊の根本が、バンドとして成立し得ない繋がりの弱さ、お互いの顔を見ない孤独にあったことと合わせて、「やっぱ人間、一人じゃより善く生きられねぇよ…」という、スタンダードな倫理こそが作品の根本にはあるのだろう。
 立希が祥子とあのとき以来再開し、一度は跳ね除けた睦のきゅうりをそよなりのへにゃへにゃ加減で、共に差し入れに来てくれたおかげで、祥子は一人では超えられななかった壁を超えていく。

 この局面で、そよは誰よりも優しく誰よりも強く、状況を俯瞰で見つつ譲れない当事者性も有する、バランスの良い人格に思える。
 仲間が心の奥底に抱える重荷を引っ張り出すように、そよが問いを投げかけ手を引くことで、CRYCHICだった少女たちは真実言いたいことを言え、自分らしくいられる場所へと進み出すことが出来る。
 これまでMy Go!!!!! の物語において、そういう解決を手動する立場は燈と愛音が担ってきたわけだが、彼女たちに助けられて自分なり、痛みと難しさに満ちた旅を進んできた結果、そよも誰かの手を引ける存在になった。
 それは、複雑怪奇でチャーミングなあの子が好きな自分にとって、嬉しいことだ。

 

 極めて”長崎そよらしい”ブランド物のショッパーに、不似合いなへにゃへにゃのキュウリ。
 それをわざわざ今、睦の下へ持ってきたということは、あのとき睦が同じキュウリに乗せて届けたかった…しかしあのときのそよでは受け止められなかった思いの意味を、今は理解している、ということだ。

 頭で分かっているだけでなく、その赤心を目で見て手で取ってもらうために、そよブランドを傷つけそうなへにゃへにゃキュウリをここに持ってくる所に、そういう取り繕った充実から飛翔せんとする、彼女の変化(あるいは帰還)を僕は見て取る。
 その見栄の捨て方は、真実”長崎そよらしい”強さと優しさの再獲得なのだと、僕は思うのだ。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第7話より引用

 お互いねじれの位置を取り合う、混じり合わない階段の途中で、少女たちはあの時以来言葉を交わし、あのときも曝け出さなかった心を見せていく。
 立希が姉へのコンプレックスを言葉にした時、仲間たちが意外そうな…あるいは納得した視線を向けるのは、それを誰にも顕にしていなかったからだろう。
 硬い鎧に覆い、必死に隠すことでしか自分を自分として保てないような、捻じくれた己の本性。
 しかしそういう仮面を引っ剥がし、預けれる相手なしで、真実己を己として保つことはまた出来ない。

 そういう相手が複数いて、どれも見過ごせないからこそ自分たちがここにたどり着いたことを、少女たちはもう解っている。
 どれだけ傷ついても、どれだけ自分を許せなくても、己の中に響く叫びが届いてしまえば…あるいは心の奥底に踏み込んでくれる誰かの問いかけを聞けば、暴かれてしまう、誰かを思い求める身勝手な優しさ。
 それが捻じくれたコンプレックスと裏腹で、全員人生に思い悩む迷子だからこそ本当のことが見えてくる人間の不可思議を、少女たちは長い旅の果て、ようやく掴みつつある。
 だから祥子は、睦とモーティスの心を覆う壁に愛しく手を添えながら、本当のことだけを心から絞り出す。

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第7話より引用

 そこから伝わった温もりに、モーティスもまた嘘をつけない少女だ。
 ここで「祥子ちゃんは敵、睦ちゃんは私だけが守る」という、彼女が生み出された時から抱えていた世界観を書き換えれたのは、本当に偉いなと思う。
 それは自分ひとりでは一番大事な人を助けられないという、己の無力さを自覚することであり、あの時あのホテルでは帰ってこなかった答えを、ようやく捕まえた瞬間なのだろう。

 自分が演じさえすれば、全てが上手くいく。
 おためごかしの嘘っぱちが、全部本当に叶う。
 幼児特有の万能感を打ち砕かれ、無力な現実を認めることは、モーティスにとってかなり辛く、怖いことだったと思う。

 しかしモーティスは自分が生み出された役割を譲ってでも、睦が本当に幸せになって欲しいと思ったし、それを叶える資質が憎い祥子にあるのだと…自分が思い込んでいる「わるい魔女」ではないのだと、認めて扉を開けた。
 だからこそ祥子は睦の手を取り、自分が殺してしまった親友の魂を取り戻し、本当に言いたかった言葉を、仲間に言わせてあげられた。
 何もかも壊してしまう凶器ではなく、友達を守るための嘘でもなく、心に思うことと同じ気持ちを、素直に伝えられた。
 それは睦と祥子の幸せであると同時に、モーティスの勇気の証なのだと僕は感じた。

 

 あんだけピリピリ尖ってたのに、睦が戻ってきて思いの丈をとつとつと口にした途端、あっという間に決壊して許すモードに入る椎名立希が、僕は好きだ。
 燈だけがコンプレックスの地獄から自分を救ってくれて、燈だけがいれば良いのだと思い込もうとして、しかし生来広い人間関係の視野は、誰かの辛さや生きづらさを見過ごせない。
 睦を死に等しい眠りに追い込んだバズの嵐が、どんだけ友達を傷つけるのか、祥子すら置き去りにしてしまった理解を一番鋭く捕まえていたのは、やっぱり立希ちゃんなのだ。
 俺は自分の優しさの使い道がよく解ってない青二才が好きなので、My Go!!!!!とAve Mujicaの少女たちは皆好きだ。

 若葉邸での衝突と和解が終わった後、燈が友達に合流した時、彼女はひたすらに積み上げてきた詩を手渡す。
 徹頭徹尾、心の叫びを詩に刻むことが”高松燈らしさ”であり、それが取りこぼすものも多いわけだが、そんな詩が傷だらけの少女たちの心をうち繋げたからこそ、足りないものを仲間が補ってくれる。
 この物語はバンドのお話なので、演奏し歌うことでしか何かを終わらせ、始めることは出来ない。
 そんなルールを起爆させる火種は、やはり燈の詩才にこそあるのだから、ひたすらに言葉を探り思いを綴る”高松燈らしさ”が、同年代の少女たちに欠けたものを代弁し、埋め合わせるのは必然だろう。

 

 

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第7話より引用

 かくして愛音がギターを睦に手渡し、CRYCHICの卒業式が始まる。
 もう歌わなければどこにも行けない所まで、一度バラバラになった五人は…あるいはその後も続く道で、別の誰かの手を取った少女たちはたどり着いてしまった。

 上手くなんて生きられない、人間未満の私たち。
 だからこそ誰かの幸せが、自分の幸せになるようなより善い私たちに、ずっとなりたかった。
 燈の声は歌というには震え過ぎ、観客に背を向けて仲間の方を向いてしまう身勝手こそが、真実届けるべき相手に詩を届ける。
 氷の傭兵ベーシストは、そこに何を見るのか。

 

 前回立希に失望を叩きつけられ、「何が言いてぇんだ…」と心に火を付けた海鈴が、アマチュアテイスト全開の青臭い内輪演奏を、立ち上がらず見届けているのは意外だ。
 同時にそこにこそ仮面の奥の真実があるとも感じられ、超絶エモーションを炸裂寸前まで内圧上げて”閉じて”いくCRYCHICそ、外側の描写が印象深い。
 野良猫は理解の外に置くとして、勇者としての自分を取り戻した愛音がこの卒業式を、後のMy Go!!!!!に必要な一歩として認め、積極的に協力するのはよく分かる。
 そういう事が解ってしまえる人間に、千早愛音は既に戻っているからだ。

 ではAve Mujica時代、他人の心が曝け出される瞬間を積極的に回避していたようにすら思えた海鈴は、自分の方を全く向いていない馴れ合いを、どういう思いで見ているのか。
 演奏の体をなしていない所まで高まり崩れていく、CRYCHIC最後のセッションがその内部で自己完結(あるいは自己満足)せず、苛立ち込みの余波を海鈴に響かせている描写は、ここがまだ途中でしか無い物語として、必要で大事なものだったと思う。
 CRYCHIC卒業して終わっちゃうなら、My Go!!!!!もAve Mujicaもいらねーもんな…。
 終わらせるのは、いつでも始めるためだ。

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第7話より引用

 つまりはちゃんと終わっていたことを涙ながら確かめなければ、やっぱりCRYCHICの残党はしっかり終わることも出来ないわけで、最後の春日影は皆の思い出を燃やし尽くし、その熱は涙となって流れていく。
 そよが涼し気な微笑みのまま流した涙(My Go!!!!!第10話での号泣との対比ッ!)を目撃して、立希ちゃんの号泣スイッチが入る描写とか、”見る”者としての彼女を良く語っていて、とても好きだ。
 そういう子がツンツン尖った狂犬にならざるを得ないくらい、姉へのコンプレックスは棘まみれに痛くて、燈の詞はそれを救ってくれた。

 それだけが特別で永遠で、”一生”なのだと思いたかった思い出は、現実のままならなさ、人間の解りあえなさの前に砕けてしまった。
 しかしその欠片すら愛おしく、捨て去ることも出来ず胸の中に突き刺さり続ける事実を、少女たちは最後の春日影に照らして飲み干していく。
 「そら泣くわ…」という状況の中で、それでも泣けない若葉睦のままならなさと、そういう”若葉睦らしさ”を皆が解ってあげられるようになった現状が、切なく愛しい。
 他のメンバーが爆エモモノローグを折り重ねる中で、睦が内心を語らないのは、徹頭徹尾解られにくい彼女の個性を、そのまま尊重する描き方だと思った。

 

 立希ちゃんが代表して、CRYCHICが永遠でも特別でもない、ありふれた奇跡だったと認める場面は、僕にはモーティスが己の無力を認め、祥子を迎い入れた≒すがった描写と重なる。
 幼子は皆、完璧でも無敵でもない自分を受け入れ、誰かの存在がなければ一番大事な願いすら叶わない無力を、飲み干して前へ進んでいく。
 CRYCHICの崩壊が世界にひどくありふれた挫折であり、しかしだからこそ輝く思い出は永遠に消えない奇跡なのだと…それらが両立しうるのだと、実感を込めて涙で飲み干す体験は、少女たちが鎖を引きちぎるための通過儀礼として、絶対必要なものだろう。
 そこにたどり着くまでの、なんとも面倒な回り道。

 青春の万能感を、たった一人だけを特別に思う偏狭を、壊され捨て去ってなお、自分たちを愛しく特別な存在だと思える心持ち。
 何かと病んだ描写をされがちな燈たちが、極めて健全かつ正統なジュブナイルの本道へ立ち返るためには、20輪にわたる試練と迷妄が、やはり必要だったのだと思う。
 そして物語はまだまだ終わりではなく、ここは新たな始まりに過ぎない。
 そう言えるのは、ちゃんと終わらせたからだ。
 「私が終わらせてあげる」とドヤ顔でブチ上げておいて、メコメコにされてMy Go!!!!!を始めることになった女が、本当に自分の大事なものを終わらせられたのは、大変良かった。

 

 

 

 

 

画像は”BanG Dream! Ave Mujica”第7話より引用

 そよは決別の儀礼のように、自分たちがCRYCHICを棺に収めた瞬間を写真に収める。
 CRYCHIC残党は皆満足、睦も思わず素直に「うん」と言っちゃう元サヤっぷりだが、そこで満足されちゃあ納得行かねぇ連中がいるよなぁ!?
 Ave Mujica残党一番槍、ビジネスライクな関係性の奥に燃え盛る黒い炎を抱え込んだ八幡海鈴が、猛烈な勢いで祥子と睦にチャージ書けてきて、物語は次回に続く。
 この総決算で終わりにせず、意味深な不協和音をちゃんと差し込んで展開を継続していくの、見事な話運びだぜ…。

 超満足げにCRYCHICの葬列を終えた青春の残党に、「まだ終わってな~い!」とチャーミングに告げる愛音も良かったし、そんな彼女に手渡されたものの意味をちゃんとわかってお礼が言える睦も、そんな彼女を視界の端っこ、ちゃんと見てる野良猫の描写も良かった。
 今回は色んな桎梏が一気に整理され、少女たちが立ち戻るべき魂の故郷へと立ち戻る…そうしたからこそ未来へ進み出せる回である。
 当然心情を言葉で語る場面も冴えているのだが、細やかに視線の連鎖を切り取り、積み重ねてそれぞれの関係や積み上げてきたを示す無言の描写も、大変鋭かったと思う。
 ここら辺の圧縮率が高いので、爆速展開が成立してんだろうな。

 

 海鈴が燃やす漆黒の炎は、CRYCHICではなくAve Mujicaを再演するための長い旅の、口火を切る嚆矢だ。
 何しろアホほどバズっちゃったし、置き去りにしたままぶっ壊れてる連中も多いしで、先に待つ物語は大荒れに荒れるだろう。

 しかし睦がぶっ壊されてから再生するまで、祥子が生来の気高さを失い取り戻すまでの道のりを思えば、誰かを思うことでより強くなり、思われることでより優しくなれる、甘っちょろいキラキラが希望の星として、確かに瞬いている。
 My Go!!!!!最終話で祥子がたどり着いた(着かざるを得なかった)「信じられるのは我が身ひとつ」という真実は、必要な迷い道だったわけだ。

 そんな風に孤独とエゴを世界の答えにしてしまう辛さが、世知辛い世間にはたっぷりと満ちていて、それを乗りこなすべく仮面を被った少女たちの第二章は、ここから始まる。
 CRYCHICをようやく終えられたからこそ、新たに始められるのだ。

 

 

 ここに至るまでに、愛音や楽奈の存在が絶対不可欠で、CRYCHIC残党だけじゃ絶対こんなハッピーエンドにたどり着けていないのは、風通しの良い展開だなと思う。
 色んな連中が擦れ合い、かさぶたまみれの心がもっと強く、もっと優しくなっていく物語は、まだまだ続く。
 祥子が始めちまったバンドなんだから、オメーが終わらせてまた始めるしかねーだろ!
 次回も楽しみ。