機械の如き従順と不変を超えて、シンギュラリティの彼方に可能性を掴む。
健気なホテルロボットが100年ぶりのお客様を迎え撃つ、アポカリプスホテル第2話である。
前回の静かなペーソスを殴りつけるように、意思疎通困難なエイリアン相手のドッタンバッタンが可愛く楽しく描かれる回である。
笑うと同時にひどくホッとし、大変良かった。
ホテルを託されたときには想定外だったエイリアンを、就業規定を改変して”お客様”と認め、すれ違いや衝突も引っくるめて大事な物語として受け入れる。
ヤチヨと銀河楼は変化に対して柔軟に開かれており、それが決まり切った破滅を跳ね返す、生物としての強さなのだと感じた。
前回シャンプーハット一つで発狂しかかっていたヤチヨだが、新たなお客という刺激には柔軟に対応し、帰還確率0.000002%の絶望にも打ち勝つ希望を、過去の思い出から未来へと繋いでもいく。
その在り方は長い時を生きる代わりに変貌しない鉱物(無生物)というより、環境の変化に柔軟に対応し己を改める生物のそれで、機械に託された人間性を強く感じられた。
オーナーとの茶会を水の中思い出し、和敬静寂の心で異質な存在を迎えようとするヤチヨには、見知らぬイースターエッグを開放できる可能性が満ちている。
それが役に立つのか立たないのかは、あらゆる進化がそうであるように不鮮明だけど。
でも岩のように動かぬ健気と寂しさだけが、銀河楼のロボットたちの全てではなく、むしろ花のように開いて鳥のように羽ばたいていける生きた変化こそが、ヤチヨの特異性だと解ったのが嬉しかった。
銀河楼という、価値観を共有し世界を埋め尽くした滅びに抗う閉じたシェルターに闖入してくる、環境観測ロボットさんの衝撃も、ヤチヨは柔軟に受け止め、たった一人取り残された世界でオーナーの願いを引き継ぐことを選ぶ。
数十年応答なし、人類の帰還どころか生存すら絶望的な状況にも膝を屈せず、愉快で前向きで明るい日々を紡ごうと、終わりに抵抗してくれる。
その姿は健気で希望と可能性に満ち、人間より人間らしい。
この輝きが、周りにどんだけバカにされようがロボットホテルを造った、オーナーという人間種から引き継がれているのが好きだ。
抗いがたい滅びによって故郷を捨てても、流浪の果てに死に絶えても、人が己を人と定義するためにいちばん大事なものは、彼らが作り出したものに残っている。
銀河楼の奇妙なロボットたちが、地球の新しい客を礼儀正しく、優しく楽しく迎えていることこそが、形を変えて人の営みが意味を維持し続けれるという、確かな希望そのものなのだろう。
そんなふうに、人間性の変容と維持を描く物語は、正しくSFのド真ん中である。
タマンないねこの味…。
そんなヒューマニティを、同じく人間性の発露である可笑しみにたっぷりと浸して、テンポ良く笑わせてくれる作品なのも、大変いい。
ミキシンの熱演が光る環境観測ロボさんの、ちょっとアブない部外者感が良いスパイスとなって、どっかズレたヤチヨの奮戦が可愛く健気に、しっかり描かれていた。
竹本泉テイストをキャラデザだけでなく、ドラマに宿る極上のトボケにもしっかり継承して、のどかで楽しいコメディが元気に暴れている様子は、本当に素晴らしい。
ヤチヨをバグらせる人類真実を、「言わなきゃ良かったかな…」と後悔する環境観測ロボさんに、ハエトリロボさんがビームツッコミ入れてるの、可愛くて良かったな…。
音声言語を扱うヤチヨだけでなく、物言わぬ従業員にもどんどん愛着が生まれてきているわけだが。
エイリアンとのドタバタファーストコンタクトを描く今回、人間ではない彼らの健気さ、鋼鉄の身体に宿るヒューマニティを読み解き、感じ取り、好きになっていく翻訳行為が、僕と作品の間に展開したのも良かった。
ヤチヨが解らぬなり通じ合おうと、健気にエイリアンを接客する物語を読む中で、僕もまたヤチヨたちがどれだけ人間性の残滓を引き継ぎ、守り、変えていってくれるかを受け取る。
その相互作用が奇妙ながら意義あるものだと、ポジティブに紡ぐお話しが僕の思い入れを肯定してくれているようで、大変良かった。
アポカリプスホテルという異質な他者が、本当は何を言いたいのか。
僕とてそれを解っているわけではなく、わかろうとして藻掻いてこんな文章を書いている。
的外れで身勝手な読解を、それでも不格好に積み上げて相手を解ろうとすること、そうして受け止めたものを変化の種に活かしていくことは、可能性に満ちた営為であると、二話にして作品からエールを(勝手に)受け取った感じもある。
あらゆる物語は対話困難なエイリアンであるからこそ、わかろうとする意味を宿すものであるなら、僕も”アポカリプスホテル”という愉快な隣人を、楽しく読み、噛み砕き、見届けたい。
そんな気持ちが強くなる、素敵なエピソードだった。




というわけで推定植物系!
100年ぶりのお客様がホテルにやってくることで、物語は前回紡がれた破滅の運命から外れ、奇妙な運動を始める。
相も変わらず、異様な張り切りようでズレた接客に精を出すヤチヨがかわいいが、ヤチヨは通じないなり相手の言葉を理解しようと努め、自分の中に翻訳機構がない異性語である…あるいは”語”ですらないと認識してなお、エイリアンと向き合うのを止めない。
どうにか通じる手段を探して客を観察し、ミラーリングを行い、通常の接客セットから、相手が喜び受け入れられる要素を探り当てようと頑張る。
この頑張りは事前にビルトインされて不動なプログラムではなく、ヤチヨが”考えて”絞り出した精神の発露であることが、後に絶望して形だけの接客をする姿からも見える。
異星人襲来という、100年前には想定されていなかった事態を前にして、ヤチヨは「ホテリエである私」というアイデンティティを足場に自分を支え、客の定義の方を書き換えていく。
銀河楼十則に凝集されたホテルの理念を、どうすればこの異様な状況で達成できるか、自分なり考えて応対し、観察し、ブラックボックスの中身を推察しようとする。
このコミュニケーションと変化に対し拓かれた姿勢は、極めて生物的…あるいは人間的で素敵だ。
シャンプーハット一つで経営は傾かないし、人間基準のおもてなし全部が意味をなさなくても、どうやらエイリアンはホテル暮らしを楽しんでるらしいと、ヤチヨは激変していく現状に取っ組み合い、価値を見出していく。
そしてそれを自分の中に止めずに、ホテルの仲間やお客様に拡大して手渡し、共有していく。
そうすることで生まれる物語が、バラバラな個体を繋ぎ合わせて社会やら共同体やらを作り、新たな喜びを拡散していく様子を、コミカルに描くエピソードでもある。
エイリアンの闖入により、身内の価値観に自家中毒していた銀河楼が刺激を受け、より適正にトンチキに変化していくお話…ともいえる。
生理学SFだ…。




通常のコミュニケーションが成立しない、異物としてのエイリアンと並走して、同じロボットでありながら銀河楼の外を知る環境観測ロボさんも、今回物語に加わる。
彼はヤチヨを価値判断の要として、「異星人でも客は客」とする銀河楼を揺るがし、人類の帰還が絶望的である事実を、テンション高く投げ込む。
なんとなれば異物≒客を消去しようとする彼の判断を、ヤチヨは体を張って止めるわけだが、愚かな人類なら絶滅戦争に飛び込んでいきそうな価値衝突を、賢いロボットたちは極めて温和に、笑えるコメディとして乗り越えていく。
世界最後の観測機となってしまった環境観測ロボさんには、前回描かれた銀河楼の静かな滅びとはまた違う…しかし根っこの部分では同質な寂しさと痛みが、確かにある。
美しく滅びきった日本の情景を静かに刻むことで、彼なりのシリアスな重荷をちゃんと描きつつ、それが銀河楼に受け止められて、奇妙な仲間となっていく様子が見れて、とても良かった。
ロボットだろうが一人は寂しく、滅びは悲しい。
銀河楼が100年…まぁ多数の途中退職者は出しつつも、一丸となって小さな社会を維持できてきた外側で、鋼鉄のダンディーは絶望に抗い使命に従って、日本を回ってきたのだ。
そんな彼がもたらす真実は残酷で、ヤチヨはその重たさにバグるほど揺れ動き、しかし「客を守る」という己のアイデンティティを裏切れず、深いプールに身を投げる。
ヤチヨが戸惑い己を見つける一連のシーケンスには、揺れ動く水が数多描写されていて、その可変性(水はどのような形にもなる)と継続性(どのような形になっても水は水である)が、このエピソードの核であると伝えてきた。




羊水、洗礼の水、あるいは黄泉の川べり。
人類が積み上げてきた文化的イマージュなども反射しつつ、ヤチヨは衝撃の真実に揺さぶられ、自分とお客の根源を探り、茶室でのひとときに行き着く。
銀河楼という狭い水槽に閉じ込められた自分たちが、100年積み上げてきた徒労。
その虚しさに思い悩み、心の入ってない接客なんぞカマしつつも、ヤチヨは溺れている(と思い込んだ)エイリアンのために身を投げ、彼を助けようとする。
そのプログラム外の衝動にこそ、ホテリエとしてのヤチヨの本質があり、それは遠い始まりの記憶にも繋がっている。
頑なで機械的な接客しか出来ない自分に、オーナーが手渡してくれた夢。
それに支えられればこそここまで来たし、これからも進んでいくのだと、水の中で掴み取ったヤチヨの答えは、一碗のもてなしとなってエイリアンに手渡され、ブッシャーとぶっかけられ返す。
それが真実、お互いの思いを通じ合わせるコミュニケーションなのか、エピソードは明瞭な答えを出さない。
ヤチヨとエイリアンはお互いが何を言っているのか、辞書を持たないまま相手の思いを推察しあい、奇妙ながら愉快な時間を…素敵な物語をホテルに刻んでいく。
むしろそんな試みと変化自体が、真なるコミュニケーションでありもてなしなのではないかと、お話はヤチヨとエイリアンの奇妙な時間を、優しく見守り続ける。
空回りでもすれ違いでも、確かに何かが生まれたからこそ、新たなお客様との日々にヤチヨは自分を見つけ、これからの銀河楼を支える物語を掴み取れた。
水鏡に己を反射し、迷いを振り切って新たな自分になった。
彼らロボットはそうなれる存在であるし、滅びし地球の新たな客であるエイリアンもまた、そんなふうに変化とコミュニケーションに対し拓かれた”人間”なのではないか。
そんな希望と期待を、ホッコリ見てるものに生み出してくれるエピソードで、大変良かった。
ヤチヨが色々悩み凹むからこそ、それを乗り越えて変化に対応する自分を見つけられるという描写が、見てて無茶苦茶元気出るんだよな…。
”人間”こうじゃなきゃいけねぇなと、己を鑑み発奮させる大事な鏡が、非人間を主役にするからこそ曇りなく眩しいのは、SFのイイところフル回転だと思う。
ヤチヨたちは人間のイヤーな所、なんももってねぇ”源




ホテリエとして様々なものを与えてきた返礼に、エイリアンは謎の苗をヤチヨに手渡す。
貨幣制度は疾うの昔に崩壊し、形骸でしかないことを既に把握してんのか、してないのか。
お代は朽ちた銀行からダイレクトに回収して、「客とホテル」という関係を壊さぬように、物語は一つの終りを迎えていく。
イイ感じに綺麗に収まったと思ったら、イースターエッグが開放されてダバダバ沸騰ポットが”水”垂れ流すのも、話の締めとして大変いい。
ここら辺のトンチキでタフな柔軟性、ヤチヨの沢山ある良いところでも特に良いと思うよ…。
この置き土産がどんな芽を出すかで、中身がわからないブラックボックス同士が触れ合った今回の意味も、また変わってくるだろう。
それでも確かに何かが繋がったからこそ、エイリアンは自分に似た何かをヤチヨに手渡したのだと、僕は思いたい。
シャンプーハットから己の身まで、色んなモノを手渡すことでお客様と意味ある物語を作ろうとした、ヤチヨの思いが響いたからこそ、エイリアンは彼女の真似をしたのだと思いたいのだ。
ここら辺の応答不可能性に関して、かなりシビアな判断をしそうなクレバーさが既に匂い立ってもいるが、同時に人間性への期待と信頼を分厚く、作品の根っこに置いてるアニメだとも感じるね。
というわけで、銀河楼100年ぶりのお客様が、静かな滅び以外の物語”をロボットたちと紡ぐ物語でした。
言葉通じぬ異質なエイリアンと並走して、同種なれど違うものを見てきた環境チェックロボさんを置くことで、異質な存在との交流が人間に何をもたらすのか、見事に可視化出来ていたと思います。
どんだけ異様で不思議な存在でも、銀河楼はそれを最高にもてなせる存在で有り続ける。
そんなヤチヨのアイデンティティが、間違っていないし柔軟に変わりうる逞しさをもっていると、良く解って嬉しかった。
美しい滅びのその先に、異星人と機械はどんな物語を紡いでいくのか。
次回も楽しみです!
人”だしなぁ…。