全てが滅び絶えた末世でも、生きてりゃ腹は減るもんだ。
殺して食って生き延びて、禽獣すらだに人の世の理を知る、アポカリプスホテル第4話である。
ここまではなんかズレた感性を持つヤチヨを真ん中において、シニカルでブラックなユーモアを人類滅亡後の世界に描いてきたこのアニメ。
ポン子が従業員となったことで、日々に疎み腹をすかし罪悪感に涙し、それでも必死に生きようとする、業の深い炭素生命体の馴染みある視点が作品に入ってきた。
動物は、同じものを食っていると飽きる。
そんな当たり前すらナチュラルに想像できない、終わりのない永遠を待てるタイプの知的生命体の盲点を、今回のお話はしっかり描く。
今回ポン子が命がけの狩りに身を投げ、命を奪って命を繋ぐ罪深さに直面するのは、彼女が客ではなく従業員になったからだ。
座っていればサービスを受けられる側ではなく、サービスを提供する責任ある立場になったからこそ、ポン子はヤチヨに付き従い、東京砂漠に降臨したサンドワームと戦い、その肉をチェンソーで解体することになる。
他の家族のように、新しい肉が出てくるのを待って、それがどんな戦いと業を背負っていたか知ることもない場所で、ボーッと待ってることも出来た。
しかしポン子は前回獣の所業を”反省”して、働くことを選んで、否応なく色んなことを学ぶ立場に己を引っ張り出した。
この変化が何をもたらすのか、人類帰還の気配も健気なロボットの救済もなかなか見えないお話しからは簡単に読めないけども、洞アクションとして大変冴えた画作りにも助けられ、今回の奮戦は手応えと充実感があった。
ポンコツながら懸命に、帰らぬ人類の尊厳を守るためにホテリエ頑張ってるヤチヨの、どっかズレた自己進化記録とはまた違った、とても親しみがあってわかりやすい、タヌキ少女の人生学習。
正直「こんな真っ直ぐな球も投げるんだなぁ…」と、ストライクゾーンにすっぽり入る気持ちよさで見届けれて、大変良かった。
こういうシリーズ内部での変化も、また面白いね。
銀河楼の外側へ飛び出すお話しだったので、人類壊滅後の世界がどんだけ広く、自由で、危険なのかも良く分かった。
やっぱロボットたちが例外的に秩序と清潔を保つ、あのホテルだけが自然なるカオスに抗っていて、人類が去った地球は古き霊長なんぞとっくに忘れ去り、ワイルド&フリーダムだなぁ…と感慨深い。
ホテル側視点で進む話なので、今回飛び込んだウィルダネスが例外にも思えてしまうけど、むしろ今の地球ではあっちがマジョリティで、ロボットと宇宙人が少数派なのだな。
そして、少数派だからって迫りくる滅びにそのまま飲み込まれ、死んでいきたいわけでもない。
誰もが荒野の中、必死に生きているのだ。
前回水槽の中の魚をとっ捕まえていた様子、食って糞して積み上げ縄張りを主張する姿からも、食べることと生きることの繋がりはこのアニメの中、しっかりあった。
「客は食べる」とプログラムされてはいるけど、実感としての食事(その背景にある殺生)が解らない機械共には、感じられない生きることの現実。
涙ながら、己が屠った命を糧とするポン子の姿には、どんだけ時が流れても、生まれた星が違っても共通な業の鎖、それに縛られればこそ何かを学ぶ意味が、良く滲んでいたと思う。
これまでのシニカルな知性とはまた違った、不思議な体温のある味わいで、大変良かったです。




どんなご馳走でも毎日なら飽き、出してもらってる立場で文句垂れるのがヒトの…狸の業である。
とはいえヤチヨ達が客をもてなす立場に己を置くなら、出てきた不満には答えるのが責務というわけで、潤沢とはいえない資源を前に頭を捻って、ホテリエロボは新メニューを考える。
ここら辺、待望のお客様が来たからこその悩みって感じで、長い長い時を静かに待ち続けてきた頃から、銀河楼が変わってきているのを感じられる。
そしてその悩みは、ロボットだけで解決するものではない。
ポン子が従業員になったの、困難や課題を有機生命体と共有する架け橋になってて、凄く良いな…。
相変わらず崩壊世界の美術は最高に冴えていて、食材探しの旅は地球最後のピクニックな色合いを帯びるが、そんな平和の中に既に、殺し殺され食い食われの関係性は刻み込まれている。
蜘蛛の巣に囚われた紋白蝶の無惨は、この後ポン子たちが死ぬ物狂いで挑む大激闘と、そこに滲む業を予感させる。
同時にそれを無惨だと感じるのも人間の勝手で、禽獣はその定めを疑うことも悲しむこともなく、あたり前のこととして受け入れ、生きたり死んだりしていく。
ポン子が死にたくないと走るのも、恐怖にすぐさま化けの皮剥いで失神しちゃうのも、そんな怯えを乗り越えて戦う強さを得るのも、軒並み知的生命体ゆえの不自由と可能性だ。




崩壊世界にサンドウォーム、SFオタク大興奮のシチュエーションが降って湧いて大感謝であるが、ポン子とヤチヨと環境チェックロボさんが力を合わせて戦う様子は、大変見応えがあった。
コブラクダのコブからドバーッと血が溢れてくる場面の黒いユーモアとか、相変わらずなヤチヨの小ボケなんかも交えつつ、画面を揺らし迫りくる魔獣の巨体、知恵と勇気を振り絞らなければ立ち向かえないその強さは、抗う者たちの必死さを良く照らしていた。
滅びの絶望すら穏やかに飲み込む、のどかなアニメだからこそ、こういうアクションの冴えが良い効き方をするなぁ…。
ヤチヨが激務の余波で電池切れに陥り、ポン子一人で絶望的状況をサバイブしなければいけなくなる展開は、少女が自然の摂理と己の在り方をしるエピソードに必要不可欠で、大変良かった。
危機のサイズ感とでもいうべきものが凄くちょうど良くて、錆びついたクレーン動かして三人がかりで怪物狩りするド派手な絵面から、一人で立ち向かうしかなくなって息を潜め、惨めに生存を希うちっぽけな人間のスケッチへ…そしてそれを飛び超えて、死に抗い生を掴む意地が炸裂するクライマックスへと、メリハリの効いたアクションが暴れまわる。
ここの組み立てが冴えていたのが、ポン子の大冒険をワクワク見守れる足場だった気がする。




ポン子は目の前に迫った己の死に抗い、文房具を指の間に挟んで爪の代わりとし、チェンソーを構えて脅威に立ち向かう。
ここで獣の爪ではなく、ありあわせの武器で敵を殺そうとするところに、人間を擬するタヌキ星人のカルマを感じることが出来て、大変好きだ。
道具を使うヒトの習性すら、知らず真似していくるために血に塗れるのは、なにもクレーンを武器に変えるロボットだけではないのだ。
泣きながら逃げるばっかりだった弱い存在が、生き延びるべく牙を剥く変化には強いカタルシスがあり、ポン子の魅力はこの話数でぐっと増したと思う。
散々コスってた”おやつ”が逆転の秘策になるオチの付け方といい、ロボとタヌキの大冒険として、凄く収まりが良いエピソードだったと思った。
天国のおじいちゃんに届くほどじゃなくても、汗塗れ走り抜けて従業員の勤めを果たした、ポン子にトランシーバーは声を届けてくれる。
激戦を経て逞しくなったポン子は、これから奪う命にわざわざ名前をつける。
それは生きるために殺して、食って生き延びる生の無為に、飲み込まれないための戦いだ。
冒頭、これから食べる鶏に名前をつけるのを、ポン子がためらっていた描写と上手く響いてもいたし、デジタルの合理論でそういうことを思いつきすらしない、ヤチヨとの対比にもなっている。




食材の正体とそれを得るまでの激闘を知っている身からすると、タヌキ一家の大喜びにも不思議な笑いが見えてくる食事風景で、ポン子はこれから腹に収める食事に手を合わせる意味をしみじみ思い知り、涙ながら奪った命を腹に収める。
光と闇が交錯する鶏舎で、「大きくなーれ」とこれから奪う生命に声を掛ける、あまりに人間らしい矛盾にすら、向き合える逞しさを、この冒険でポン子は得た。
それはヤチヨのトンチキ機能解放とは、ちょっと違った手触りの成長だ。
よりストレートで体温があって、有機生命的でわかりやすい。
サブタイにあるように文化的で、”人間らしい”とすら、言えるかもしれない。
しかし飯食わぬヤチヨが”人間らしく”ないかと問われれば、彼女たちだけで静かに銀河楼の一話を描いた一話を思い出せば、すぐさまNOと言える。
人無き地球に描かれるヒューマニティには、様々な色がある。
お客の立場でガーガー言ってくるタヌキの気楽さと身勝手も、そこからはみ出してもてなす責任に手を汚したポン子の成長も、不変ゆえに気高くたくましいロボットたちの生き方も、そこに遠く反射する今は亡き人類の残光も、それぞれの輝きがある。
そういう多彩さを作品に織り込めているのは、やっぱポン子が銀河楼の従業員になったからこそで、その一歩目としてこのエピソード、とても素晴らしかったと思います。
食わなきゃ死ぬ動物だからこそ、ポン子は殺して生き延びる自分の業を真っ直ぐ見据え、手を汚して前に進む強さを得た。
それは「同じもの食ってると飽きる」という、極めてシンプルな人間の常識すらわからない、ロボットたちには得れない変化かもしれない。
この差異が積み重なり、あるいは騒々しくも楽しい交流の中で混ざり合って、一体何が生まれるのか。
人が滅びきった地球の上に、新たな霊長たちが描く物語は、どんな”人間らしさ”を刻みつけていくのか。
ポン子の大冒険を通じて、新たな色合いもしっかりと見えて、大変良かったです。
次回も楽しみ!