仕事を休んでホテルを出て、地球の長い午後を歩く。
最終話一個前、ほぼ背景のみ台詞なしで展開する大勝負…アポカリプスホテル第11話である。
大変良かった。
草薙マジ最強。
思い返せば第一話、滅びの中に唯一つ生き残った文明の残滓は、静かで揺らぎがない永遠をロボットたちが必死に守っていて、とても美しい破滅の予感に満ちていた。
それをギャグと感動と暴力でガンガン揺らし、初期設定からはみ出した魂を得、異星の客をドンドン呼び込んで変化していった結果、今のヤチヨと銀河楼がある。
死体遺棄すら一緒にやれる、心を繋げた大事な後輩。
思い描いた形じゃないが、賑やかな仕事場。
今のヤチヨは色んなモノを手に入れて、ではホテリエとしての外殻を取っ払って生身にした時、何が残っているのか。
それをヤチヨ一人で破局の東京を静かに歩き、自分だけしか気づいていない(ポン子が休みを強制してくれないとケアできなかった)死と向き合い、廃墟に満ちる命と出逢う、静謐なエピソードがあぶり出していく。
草薙の圧倒的な美術力が暴れ狂い、描かれるアポカリプスホテルの”アポカリプス”の部分。
それは第1話、美しき銀河楼の外側を描かず、”ホテル”の部分をまず削り出した物語が、11話の歩みを経て補完された証と感じられた。
このエピソードと物語の始まりは、凄く対照的・相補的な構造になってて、
自我バリバリ芽生えまくりの珍妙アンドロイドが何処から来て何処へたどり着いたのか、始まりと終わり(続きの始まり)が呼応する物語として、今回で完成したなぁと思えた。
僕は一話ずっしり、外部からの介入がなければ静止した永遠を延々進み続け、いつか世界を満たす破滅に飲まれていただろう銀河楼とヤチヨの描写に使った、このお話の始まりがとても好きだ。
あそこでこの後メチャクチャにされていく白紙のキャンバスが、印象深い美しさと寂しさによってしっかり打ち立てられたことで、その上にハチャメチャな絵の具が乗っかり、メチャクチャなロボ人生が積み重なり、かわいいヤチヨがかわいいまんま、暴力と犯罪へのブレーキがない暴走超特急へと変化していく歩みが、楽しくも鮮明だったと思う。
ムジナの葬儀に自分なりのアート、生死の哲学をしっかり実体化させ、もはや霊長が押し付けた理想を超えて独自の命を宿し、未来へと育める存在なのだと証を立てたヤチヨ。
そんな彼女は次回、待ち望んでいた人類が宇宙の長い旅を経て、いま銀河楼を満たす多彩なエイリアンの一人として、地球に帰還する瞬間に立ち会う。
そんな幕引きに相応しい大事件を前に、凄く静かに美しく、第1話に切り取りきれなかった地球の滅び、その只中にあって逞しく生きる”生命”となった、ヤチヨの姿が見事にスケッチされていた。
ヤチヨは文明の残滓の只中を、そこに芽生えた逞しい自然を目の当たりにし、共食い整備で命を繋いできたルーチーンに則って、”食える”同種を探し歩く。
それは第1話の時点で彼女の日常になっていた、描かれざる野生動物の生態であり、アンドロイドすら殺して食って生き延びる業からは逃れられていない。
その生臭い生存のハラワタを、華麗なヴェールで覆い隠すことで銀河楼のおもてなしは成立していたわけだが、異星の客に涙代わりにお湯ダバダバしたり、大気圏突入して鋼の思春期を炸裂させたり、心を寄せた親友が妻となり母となったり、ライフステージのよしなしを駆け抜けて、今ようやく生身のヤチヨが嗅げる。
その歩みは、銀河楼の外側にすでに広がっていた滅びと、ヤチヨが向き合いながら歩く終末散歩でもある。
これもまた、第1話の段階ですでに在ったもの…というかもはや、地球にはそれしか残っていないものだ。
この亡滅に抗うことで、ヤチヨは客のこない銀河楼を完璧に保ち、すでに世界が終わっているという事実を目の当たりにしないことで、ホテリエとしての己を保っても来た。
狂いきった世界の中で、誰かから受け継いだ正気だけを保っているのは、もはや狂気なのだ。
だからあの美しく停まった第1話以降、ゴロゴロ転がる話の中、ヤチヨが激しい狂い咲きの中変わっていったのは、現状に適応し率直に生きるための過程でもある。
滅びが世界に満ちていて、自分たちと鏡合わせのようなもう一つのホテルをとっくに食い殺していたと…自分たちもまた滅びてしまう存在だと認めてしまえば、静止した凶器を維持できない危うさが、第1話でのヤチヨには在った。
しかし生れて死んで子を育み、形を変えながら理念を伝える生存のうねりを山盛り体験した今、ヤチヨは滅びと向き合える。
すでに終わっている世界に人間はいないが、たくさんの動物達が物言わぬ暮らしを育んでいて、変貌した東京は変わった姿のまま美しい。
その静寂を、ヤチヨがずーっと何も言わず歩いていくのは、人類亡き後の世界に生きたり死んだり繰り返す同輩…一匹の獣としての己を、ついに認めるところまでたどり着いたからではないか。
そんな気にもされる、崩れきった文明の残滓と、それを跳ね除けて逞しく生きる生命の灯が、あまりに美しいエピソードだった。
やっぱ草薙はスゲーよ…この話、美術が圧倒的じゃないと絶対に成立しないんだが、ヤチヨの歩みに合わせて異様な数とクオリティで叩きつけられまくるアポカリプストーキョーの仕上がりと物量、そのメチャクチャを叶えちまってるからな…。
日本最強の背景美術会社を信じればこそ、この異質で適切な最終話一個前が成立し、沈黙が続けばこそ最後の「生きてる感じがしました」がずっしり響くわけでね。
図抜けたクオリティをどう物語に効かし、視聴者をぶん殴るのか。
ずーっと考え続け、答え続けたアニメよ。




つーわけですっかり頼もしくなったポン子に支えられ、2日間の自由を与えられたヤチヨはそれを持て余し…しかし腐らない。
むんずと札束掴んで愛するホテルの客となり、機械といえどもメンテナンスを必要とするアンドロイドの性を確かめ、夢の温泉の温度を獣と一緒に確かめ、己の命をつなぐために廃墟に進み出していく。
いつもの空回りのように思えたポン子の懸念が、ドンピシャでヤチヨ命の危機を射抜いていて、知らぬ間に激ヤバフラグへし折っていく流れ、やっぱ”ポンヤチ”だと思う。
前回は”死”に共に触れたので、今回はその”生”を無自覚に掴み取るってわけよ!
この後の旅でも、ヤチヨは動物…あるいは動物型エイリアンと共に並び、銀河楼の外に広がるカオスを歩いていく。
そこには文明の名残が無惨に崩れ去っていて、確かにかつて生きていたからこその都市の死骸の中、確かに今生きている生命に溢れている。
その破滅と生存の同居は、美しく保たれた銀河楼から出ることなく、オーナーに与えられた理想の形骸を追いかけ続けてきた第1話から、ヤチヨがどう変わり、何を見れるようになったかを雄弁に語る。
ずっと描いてきたものを改めて、異質な静けさに包みこんで描き直す今回は、ここまでの物語の総決算であり、ヤチヨの到達点を語らずに描いていく。




ひび割れた鏡の中に己を照らすヤチヨが、極めて印象的だけども。
この物語自体が静かな鏡のようなもので、僕らがここまでのお話に何を感じ取り、どんな意味を見出してきたかを、セリフのない静けさゆえに改めて照らしてくれる。
長い時を費やして挑んだ、ウィスキー蒸留もロケット発射も遠い過去に錆びつき、あの時は一面の砂漠だった場所は緑に満ちている。
時は流れ、何もかもが移り変わるが、そこには破滅と死だけが満ちているわけではない。
思わず誰かと出会い、何かを手渡され、うっかり取り落としたことが、種子を芽吹かせ生命で満たす。
完璧な理念と美しさを保ち続けた銀河楼が、とてもいい場所であることは僕らも知っている。
そこにある理性と文明を、さんざん狂気と暴力でかき回して、今回描かれるのはエントロピーが極大化した野放図な破局と、そこになんの意図もなく繁茂する生命だ。
銀河楼とかつてのヤチヨが体現する、揺らぎなく未来もない秩序と、この混沌は対立するようでいて、何かが続いているのなら否応なく、お互いを補う関係にある。
生きている限り何もかもが変わっていってしまうし、そうして世界に溢れかえるカオスを再秩序化し、生きやすい世界に塗り替えていくことは、混沌を己の内側に取り込む行為でもある。
ずーっとそういう事をやってきたからこそ、銀河楼ロビーには緑と異性の客が満ち、ヤチヨはトンチキなイースターエッグを開放され、拳にブレーキがかからなくなっている。
こうあるべきと思い込んでいた形ではなくとも、不変なはずのアンドロイドは己を書き換え、喪失に悩み、暴れ倒した挙げ句己を取り戻し生まれ変わらせて、しぶとく長い時を生き延びてきた。
だからこそ仕事を奪われホテルの外に出て、すでに滅んでいた世界の一部に混じっても、ヤチヨは己をもう見失わない。
歪んだ鏡に写った自分も、また自分であるのだという鏡対自我をしっかり獲得している。
それがあればこそ、己の外側にある世界…そこにだけ結像する真の己を見れるのだ。




ヤチヨはポン子が労基法関係の書物を回収した”状態のいい本屋”からキャンプ用品を回収し、途中ギラギラ輝く偽物の救いに眼のハイライトを消し、ホテルの外で眠る。
ここでヤチヨが野生動物相手に、私服のまんま青天井のホテルをこさえていることと、その炎の中で貴重なはずの東京ガイドを焼いているのは、凄く印象に残った。
こんな場所でも彼女はホテリエだし、しかしそうあるためにはもう、旧い形は必要ない。
こんなにも変わり果ててしまった世界において、ガイドブックは焚付程度にしか機能しないのだ。
移動する先々で動物がヤチヨに懐く様子が、釈尊入寂図を思わせて、エピソードに程よく暗い死の影を伸ばしもするのだが。
そんな陰りを打ち払うほどに、ヤチヨがおっ立てる炎の柱は力強く、色んなモノを逞しく利用して生き延びる勇姿は眩しい。
そしてこれは、きらびやかなホテリエ生活…ヤチヨの”仕事”の裏にずっとあって、しかしカメラが切り取ってこなかったもう一つの素顔なのだと思う。
人類撤退から物語開始までの数十年、初期状態からはみ出していく創意工夫も、尊ぶべき文明を身勝手に使い潰すエゴもないなら、銀河楼はあのカタチに保たれていない。
ヤチヨが自分で獲物を探るタフな捕食者でもあったからこそ、失われたはずの人類の命脈は保たれていた。
だからこの静かで賑やかな旅は、ここまでずっと歩いてきた足取りがヤチヨに与えたものを確認すると同時に、この星に置き去りにされて以来ずっと彼女に根付いていた、魂の色を見届けさせてもくれる。
まーヤチヨがハチャメチャでおもしれーホテリエロボだってことは、すでに僕らみんな知っておるし、第1話の段階で共食い整備で命繋いでる様子、ホテルの外に広がる広漠に必死に抗っている姿は、既に描かれていたわけだが。
ここら辺の滲みの技芸が冴えていたからこそ、一見ひどく穏やかに滅んだ後の世界を美しく描いているように見えて、作品がテーマと選んだ芯をしっかり掴み取ってる信頼感も、初めから元気だったね。




不思議なロバを輩に、あるいは美しい海辺でオットセイ相手に花火を披露し、ヤチヨは銀河楼の外にある世界を楽しむ。
あんまりにも静かで美しいので、濃厚に「あ…死ぬ…ッ!!」という実感が時折襲いかかってきて、凄く不安にさせられる回でもあるのだが。
この感覚は別に勝手な思い込みでもなく、東京探索の中で予備パーツをはぎ取れなければ、いつかエラーがヤチヨを殺す。
今回の動物いっぱい静かな廃墟旅は、極めて実利的な自己メンテナンスの旅でもあり、穏やかな美しさと生存のための抵抗は、ヤチヨの中で融和し同居している。
ロケット発射場や蒸溜所の”今”を見つめたのと同じように、ここまでの物語で開放されたイースターエッグ機能が、旅を楽しく彩ってくれるのも嬉しい。
ブラックコメディから感動秘話まで、振り幅激しく色んなモノを見させてくれた物語の中で、ヤチヨは色んな体験をし、自分を変えてきた。
それが素敵で良いものだと、幕引きを前に作品自体が保証してくれたような嬉しさが、ヤチヨが獲得してきた機能が物言わぬ隣人と楽しく過ごす助けになってる様子から、たっぷり感じ取れた。
カオスの中で否応なく変化していく流転を、笑いながら肯定する。
コメディだからこそ紡げる人間賛歌が、最後までとっても元気だ。




己の命をつなぐための静かな旅の果て、ヤチヨは朽ちたホテルへとたどり着く。
鏡写しの銀河楼、こう成り果てていたかもしれないもう一つの可能性を、美しいまま死んでいるホテリエロボに見て、ヤチヨは遺骸からチップを抜き取る。
それは電力以外を消化できない彼女が、しかし他の生物と同じく殺して食って生き延びる業のただ中にいるのだと、鮮明に示す。
そしてそんな生死の業にただ獣として流されるのではなく、一足先に静かになった同輩のために、頭を下げて祈りを捧げる”文明”が、鋼鉄の肌にしっかり染みていることも。
ここでヤチヨにあまりにも似ているホテリエロボに対し、ヤチヨが弔意を示すのは、やっぱ自分が大気圏突入で死にかけ、生き直してムジナの葬礼を取り仕切ったからだと思う。
時の流れが必然的に連れて来る死から、超然と永遠を生きているようにも見えるヤチヨが、必死なサバイバルを泳ぎきってなんとか、自分とホテルの命をつないできたことが、この朽ちた鏡から良く見える。
ホテリエの定めとして、何事にも動じない悠然を崩せなかったヤチヨが、私服でさらけ出す/向かい合う/暴き立てる、アポカリプスの当たり前。
世界はとっくに終わってんだから、そらーみんな死んでるし崩れている。
そういう世界で銀河楼を守り、崩れぬようメンテナンスし、斃れた仲間の遺骸からパーツを剥ぎ取って己を保つ闘いが、あの美しいホテルを維持してきた。
その外側でも多分、似たような戦いがあって、銀河楼以外は上手くいかず終わっていった。
地球最後の生存者たちは、奇妙なエイリアンが日常にはみ出す変化を飲み干し、接客マニュアルを書き換え、カオスに適応し譲れぬ秩序を保ってきた。
今回ヤチヨが歩いた旅は、そんな奮戦記の一番新しいページであり、つまりはここまでの闘いがなければ綴れず、未だ続いていく”日常”なのだろう。
ずっとそういう場所にいて、そこからまた歩いていく。
アポカリプスの”アポカリプス”な部分に、グッと踏み込む今回。
ずーっと銀河楼の外側を包囲し、いつ喉笛を噛みちぎってやろうかと狙い続けてきた滅びと死は、一緒に歩いてみると奇妙な隣人であり、独自の美しさすら宿していた。
そこもまた、かけがえない自己の延長線上にあるのだと思えるだけの強さを、ここまでのトンチキ大騒動にヤチヨは掴み取ってきた。
だからここでは死ねないし、ホテルには戻らなければいけない。
大事なお客様も、優しい同僚たちも、こんだけ色んなことがあっても失われない優美な理念も、相変わらずそこで生きているのだから。
死と混沌と破滅に満ちた世界にあっても、生きていかねばならない。




そんな実感を得たからこそ、奇妙な翼で夜を飛ぶ茶色いペガサスの背中から、夜なお眩しい銀河楼を見る帰還は美しい。
思えば第6話、惑星を砕くほどの暴力に身を置きつつ一瞬の日常をホテルのもてなしに受け取ったハルマゲが、一人で見ていた夜景にようやくヤチヨも追いついた…という構図でもあるか。
ともあれ表向き平穏無事に休日を終え、ヤチヨはその感想を「生きている感じがした」と告げる。
ここまで積み上がった物語、そこで生まれた変化と強さ、改めて削り出される必死の生存を知れば、そこに宿る思いは長い沈黙の果て、感慨深く重たい。
物語それ自体の手応えだ。
旅の終わりに新しい共にアタマかじられ、新たにイースターエッグが開放されたように、この旅は物語の終わりじゃない。
美しくそびえ立つ死亡フラグをベキッとへし折り、しっかりパーツ交換に成功したヤチヨは、ちゃんと銀河楼に戻ってきてこれからも、奇妙に変貌していく永遠を生き続ける。
思っていた形とは違うし、思わぬ己とも出会わされるし、不思議な出会いも沢山ある、終わってなお続く日常。
それを波乱万丈愉快千万、元気に駆け抜けていったヤチヨが今、どこにいるのか。
何処から来て、どんな切なさを食って、滅びに満たされた世界でタフに生きのびてきたのか。
彼女なりの世界と人生を、歩いてきたのか。
そこをしっかり描ききるべく、思い切った演出プランを選択し、素晴らしい仕上がりで描ききった回でした。
大変良かったです。
僕は第1話のどっしりした時間の使い方に惚れ込んで、このアニメに前のめりになったのだけども、あの時描かれなかったホテルの外を、同じリズムで描いてくれる回が最後に来て、とても嬉しいです。
始まりと同じが繋がればこそ、ずっとそこに在ったもの、物語を通じて手に入れたものが静寂の中に際立ち、凄く力強く”アポカリプスホテル”を感じられた。
ありがたい限りです。
次回最終回、とても楽しみです。