ぷにるはかわいいスライム 第17話を見る。
前回衝撃のデビューを果たしたジュレを一旦舞台裏に下げて、コタローの悩み多きサマーシーズンを描く回。
3つのエピソードを通して南波くんとルンルの出番が多く、色んな枷に縛られて不自由なコタローと、そういうモンから自由にモンスーノに狂ってるハリキリボーイの対照が、なかなか眩しい回だった。
ホビーを題材に扱いつつ、傷ついた少年にピッタリ寄り添うたった一人のぷにるを描くこのお話し、実はホビアニあるあるあんま出せないんだが。
そこら辺を商業ホビーのクールさ含めて、南波くん一人が元気に背負ってる感じはあるね。




話の方はキュティちゃん限定ショップを前にコタローが身悶えしたり、ホビアニあるあるをコスリつつズレたパワーアップを果たしたり、意志を得たルンルの満ち足りた毎日を描いたりしてた。
前回ラブコメ濃度濃いめだった反動か、とにかくぷにるが七歳児の頑是なさを全開にしていて、全編ガキンチョでかわいい。
かまぼこみたいなお口をパッカリ開けて、単純極まる快楽原則でおめでたく生きてるプニルを見ると、肌は潤い関節は滑らかさを取り戻し、全身の細胞に”悦”が入るのでありがたい。
このご利益、巣鴨あたりにぷにる地蔵を作っても良いだろう。
思春期に試され削られてきてるコタローの子どもな部分を、ぷにるが無自覚にケアして救ってあげている構図が、この物語にはあると思うけど。
逆に永遠に幼きぷにるが隣りにいることで、コタローも子どもである自分に引っ張られて未成熟に留まってる部分も、結構大きいのかなと思う。
「ぷにるがせがむから」を言い訳に、カワイイやらホビーやらがまだ好きな中学生でいることを、コタローが自分に許して心を保っている感じが、楽しい夏のスケッチからちょっと伝わるんだよな。
この心の栄養補給がないと、全てを諦めきった量産型の青春ゾンビが学校に放り出されるだけなので、そういう相互の引力は極めて大事なんだけども。
思春期に差し掛かり話が合わなくなった年少の家族を置き去りに、新しく広がる自分の世界に進み出していってしまう子どもだって、世界にはたくさんいる。
そういうフツーの子ども達に比べて、コタローは自分をズタズタにした世界や他人への信頼がないから、大人の鋳型にハメられていくフツーの社会を前に、難しい足踏みを繰り返している。
それはクラスで孤立する陰キャくん特有の悩みのようでいて、皆同じ戦を前に苦しみ、何かを選んで進み出している場所なのだろう。
ここら辺、雲母麻美が「誰にでも優しい、聖母のようなお姉さん」というイメージをかなり意識して作り上げて演じているのが、興味深い画角である。
悩みもな~んもない無邪気なガキンチョのぷにるのほうが、可愛い服が期待けどで女だから似合わない、聖母の姫たる悩みには向き合えてたりする。
自分には手が届かない、大人びた余裕の奥にあるきらら先輩生身の震えを見れないまま、コタローはぷにるとは素の自分をさらけ出し、受け止め合って日々を過ごせている。
この幸せで閉じた相互充足が、色んな人との触れ合いの中で切り崩され、より強くなっていく歩みを、この物語はずっと追いかけている。
歳経たからこそ生まれたはずの思慮は、時に物事のあるがままを見る瞳を塞ぎ、自分が勝手に背負い込んだイメージで少年を縛るけども、それを切り崩してくれるものもまた、自分の外側から来るのだ。
無邪気であることの罪、考えすぎの罰。
大人になってしまうコタローと、大人になることを許されていないぷにるの間には、知らず色んなモノが積み上がっていくのだ。




その一つを南波くんとルンルを通じて描くのが。今回の第1エピソードになる。
夏到来に浮かれるコタローが、デートと同じくらい友達と遊ぶことを楽しみにしているのが、僕は本当に好きだ。
自分を射抜く世間の目に振り回され、場違いで居場所のない苦しみに身悶えしているコタローは、ぷにる以外に生身の自分を受け止めてくれる人を、かなり切実に求め続けている。
友だちとワイワイやって、共同体の中で自分を充足する願望が濃い彼は、そうして肥大化しすぎた自意識と社会意識に縛られて言動が不自由となり、「クラスで浮いた変なやつ」になってしまってもいる。
そんな彼の不格好も込みで、ダチやってくれてる南波くんやホネちゃんやゴーやんは、本当にありがたい存在なのだが。
コタローはそんな大事な友だちの”好き”を、自分が一番言ってほしくない言葉で引き裂こうとしている自分に、すんでの所で気づいて止める。
言われた南波くんだけでなく、言ってしまった自分も深く傷つけるだろうフツーの押し付けを、自省し自制出来るだけの自我がギリギリ、コタローには育っているのだ。
ここら辺感情の赴くまま真夏の大暴走かまして、ライバル偵察どころか色々ぶっ壊すぷにるのフリーダムさとは、面白い正反対だと思う。
考えて足を止めることは、マイナスばっかじゃないわけだ。
「俺のキュティは好きでよくて、南波のモンスーノ愛はダサいからダメ」というヤバい(けどありふれてる)線引もあり得たわけだが、コタローはキュティとモンスーノ…女の子向けホビーと男の子向けホビーに共通する”好き”の方を見て取り、危うい所で言動を改める。
そうして飛び込んだ映画館でコタローは、自分が頭の中パンパンに膨らませていたほどには、世界は”好き”を縛っていないことに気づく。
それが一度は自己防衛のために踏みつけかけた、南波くんの”好き”を尊重することを選んだからこそ得れた知見だ。
こういう体験をちょっとつず積み上げながら、小さな勇気と賢さに報いがあってくれる世界が、コタローの前に在ること。
かつてコタローの心をズタズタに引き裂き、未だ癒えない苦しさに縛った残酷だけが、世界の全てではないこと。
今コタローがそういう色合いで、彼自身の世界をだんだん塗り直しているのは、やっぱコタロー自身の成長以上に彼が手を伸ばし触れた人たちから、手渡されたモノが大きいと思う。
そういう大事な誰かが、ぷにる以外にもどんどん増えているのは、ボッチで不格好なコタロー青年にとって、凄く大事で幸せなことだ。
明るく楽しいホビーコメディをぶん回しつつ、そこに馴染みきれない主人公の内的宇宙に瞬く星と闇を、とにかく丁寧に描き続けてくれるのはありがたい。




そして後半は無明ゆえに想像力を掻き立てる黒い影と、ルンルの幸せな一日。
ぷにる自身がどう思おうが、コタローの中育ちつつ在るエロティシズムによって漆黒の不定形は少女の形に彩られかけ、コタローはここでもすんでの所で、身勝手な欲望の投射をせき止める。
ぷにるはぷにるであってぷにるでしかなく、自分がこうあって欲しいと願う欲望をぶちまける、透明なキャンバスではないのだ。
ここら辺、ぷにるが自分のセンスと”好き”で自在に形を変えれるスライムであること…他者の欲望を感知できる知性があることと、面白い共鳴してる描写だなと思う。
欲望の投射と他者性の無化は、今後ジュレと濃いめのロマンス闘争やっていく中で話の真ん中に飛び出してくる、極めて重大なテーマなのだが。
第3エピソードはマイペースで独自の感性を持った(そうあることを、アリスちゃんに寿いでもらえた)ルンルが、自分の欲望を投げかけることにも、他者からの欲望を受け取ることにも、かなりバランスよい態度で向き合えていることを示す。
ぷにるの”かわいい”への感性は世間一般の共感を得て、大バズするポテンシャルを持っているコトが、これまで幾度か描かれてきたけど。
ルンルが目覚めた”かわいい”は、そこからちょっとズレた、どっかシブい独特のものだ。
それをロッカーの中に集めて毎朝愛で、何かを”好き”である自分を譲らない自由を、この世界は許している。
同時にそれが許されていないと感じたから、コタローちゃんはあんなに自意識弄らせちゃったわけだけど。
でも勝手に相棒呼ばわりしてくる南波くんの領域侵犯に、悪くないなと微笑んで、朝の教室で一緒にボトルシップを作れる関係が、確かにここにはある。
好きとカワイイに貴賎なし、みんな違ってみんな良い。
そういう綺麗事をずーっと守り続けているのは、俺は凄い偉いなと思う。
主役であるコタローの欠落はそのまま、それと向き合い何かを学び取っていく物語の推進力になるので、いつだってコタローは物語のいちばん大事な部分において、一番の劣等生なんだけども。
「そんなビリッケツくんが、いつか必ず幸せな場所にたどり着けるよ」とルンルの幸せな日常を通じてお話が約束してくれているようで、凄く良かった。
自分を押し殺し大人の鋳型に魂をハメていくことに、このお話はかなり濃い目の憎悪をもってると、僕は勝手に感じているんだけども。
同時に子どもであることのままならなさや脆さ、身勝手な危うさなんかもしっかり睨んで、じゃあどうすればもっと善い存在に育っていけるのか、笑いながら探り続けている。
そんな探索がどんな色合いで眩しいか、改めて感じさせてくれる夏の三連作でした。
コタローが子どもであり大人になりかけな自分と向き合う話は、鏡として永遠に幼いぷにるが強調されるので、可愛くて良い…。
次回も楽しみッ!!