ウソで繕いチカイで縛る、ヒビだらけの私たちのキズナ。
人でなしVS死にたがりの五色濱心魂決戦! な、わたたべ第12話である。
いよいよ嘘つき人魚も年貢の納めどき、死にたくて死にたくてしゃーないタナトス小娘相手に、清くも正しくも生きられない自分のぶっ壊れ方をどうぶつけたものか、その真価が問われる対峙となった。
最初のトライは因縁こじらせた挙げ句の百合マイト特攻で終わったわけだが、自分の願いを圧し殺して相手の求める嘘を積み上げた挙げ句、自分の中に溢れるものをこらえきれず本当の気持ちを叩きつけ結果、比名子はひどく傷ついた。
…というか、傷つき泣き続けていた自分を思い出した。
比名子は家族が理不尽に死んで以来、健全に情緒を育んでくれるゆりかごを喪ってしまったわけで、その心は汐莉と出会った頃よりさらに幼い気がする。
残酷な世界から誰も自分の大事なものを守ってはくれないのだと、肌に刻まれた傷が毎日語りかけてくる日々の中、孤独に灰色の世界を生きているのならば、それも当然であろう。
この幼さを幸せに見守りたかった美胡ちゃんの気持ちは、穏やかな温もりは伝えつつ比名子に届ききらず、「やっぱり死にたい…」という本音を、アイスのお礼の代わりに叩きつけられてしまった。
愛する人に置き去りにされ、一人陸に生き延びるのは、かくも苦しい。
愛の喪失に絶望が滑り込み、満たされていたからこそ孤独に締め付けられる人間の苦しみは、生来世界から切り離された一種一命の異物にとって、納得と実感から遠い。
本当のところよく解らない”人間らしさ”に手を添えようとしても、嘘の上に嘘が重なっていく寂しい遠さに隔たれて、汐莉は結局のところ、比名子の希死と望生を判ることは出来ない。
他人が他人であるという普遍的な隔絶を、乙女と人魚のあり方に宿して削り出し、深く潜り込む探求の物語は、アニメが終わるこのタイミングでも、平穏で正しい決着へはたどり着かない。
流れつけるのは、ひたすらに嘘のない己の本音と、それが届いてくれない嘘とすれ違いの岸辺だ。
今回汐莉が思いを届けきれず、本音を全部吐き出したうえでホントは果たしたくな新たな誓いで、比名子を生の岸に繋ぎ止めたのも。
比名子が間近に汐莉の涙を受け取っても、お互いの傷口から血を交換しても、生きるに足りる理由として受け入れられなかったのも。
未だ未熟な幼体のまま、生きるべきか死ぬべきか、理不尽な世界で幸せがどこにあるのか、全く分からないまま漂い繋がっている、彼女たちのあり方に真摯な結論だと思った。
矛盾と痛みに満ちた世界で、それでも生きていいと思える人格的成長を果たすには、水底に家族を奪われた孤児も、陸に上がったばかりの人でなしも、未だ幼すぎる。
ならばこの流れがどこにたどり着くのか…という話なのだが、宙ぶらりんにされた中間地点として、二度目の約束を美しくも切なく、嘘なく描いた筆は、凄く大事に作中現実を不器用に生きる愛子たちを見つめている。
そういう視線があるのならば、さんざん漂った挙げ句押し付けられた正しさだとか、負のカタルシスを満たす自死ポルノだとか、そういう物語に落ち着くことはないだろうという、信頼と期待が今の僕にはある。
死にたいという気持ちも、繋がれない苦しさも、水中苦界を泳ぎきった果てに見える彼女たちだけの結末を、掴み取るために必要なものなのだという、ある種の納得が既に出来上がっているのだ。
僕はそういうモノを描く画材として(のみ)、絵空事の中の絶望を期待しているフシがあり、だからずっとこのお話は、とても前向きなお話だと思って視ている。
むせ返るような死と潮の匂い、表面上の明るさに陰る濃い負の色。
そういうもので満ちていても…満ちているからこそ、ひどく拗れて縺れて、それでも三人各々のあり方に真摯に向き合って赤い血を流していく物語は、生きること(つまりは死ぬこと)の本当に辿り着こうともがいている。
そう感じられる物語だからこそ、かなりの前のめりで物語を睨んでいる感じはある。
そしてその期待は、今回雨の砂浜で演じられた魂の衝突と、その後の景色によって確かに、力強く受け止められた。
微笑みの仮面を貼り付け、比名子に都合のいい夢を語ってきた汐莉は今回、壊れた涙腺の代わりに降りしきる雨に涙を流してもらって、血を吐くような願いを告げる。
偶然と運命が入り混じるあの浜辺で、奇跡のように出会った輝きをもう一度、どうしても取り戻したい。
今まで比名子の望みに応えるように、都合のいい捕食者を演じてきた(それは人でなしの本質…確かにその一部でもあろう)バケモノは、美胡ちゃんとはまた別の角度から、「生きて」という刃を死にたがりに突き刺す。
それは身勝手で切実で、ようやく嘘つき人魚が本音を告げてくれた瞬間だ。
痛ましく本気で、迫力に満ちて美しい。
この切望を顔を覆い、赤子のように泣きじゃくりながら拒絶する比名子の幼さも、今までなかなか表に出てこなかった彼女の地金だと思う。
俺はずーっとこの話、最悪の悲劇で育成環境と精神を引き裂かれてしまった、惨劇の遺児の生存記録として見てきた。
だから汐莉が押し付けてくる生への意志を、首を振りながら拒絶するその幼さは、痛ましいと同時にようやく見れた彼女の傷口で、それが晒されなきゃなんも始まらないと、ずっと思ってきた患部だった。
コミュニケーション初心者の施術は、自分の中からようやく溢れた気持ちにだけこだわり、それを届けるべき比名子の痛みや幼さに回り込むことが出来ない。
結果「生きる」という人間…あるいは生物として正しい決着は挫滅して届かず、いつかの死を約束することでなんとか活かす、お互い満額回答とは行かないズレた繋がりが、二人を繋ぎなおす。
傷だらけの赤ん坊に未熟な人でなし、ぶつかり合えばそういう場所に流れ着くのも納得であるが、この妥協はなんも感じない怪物に思えた汐莉にとって、不味くて耐えられないほど痛い。
それでも飲み干して、比名子の隣で日常を送る所までは自分たちを持ってこれたのだから、それで重畳。
そう大人な判断が出来るほど、嘘つき人魚が成熟していないのは、皆も承知のとおりだ。
この泣けない道化の哀しみを、美胡ちゃんが解ってくれていたのは嬉しい
「死にたい」と「生きていて欲しい」
混ざり合うことのない本音を不器用に叩きつけ合って、お互いを受け入れる余力が魂のどこにもない二人が、たどり着いた新たな妥協点。
それは最初の嘘と文言は同じだが、嘘を引っ剥がした後の生々しい傷跡をお互いに睨みつけて、異様な組織液で満ちている。
正しくも清くもない、捻じれ曲がった繋がりであるが、それでも二人はお互いの真実を視野に入れて、嘘のない場所に立ち直す所まで、お互いを引っ張ってこれた。
それを描く物語は泣きじゃくる人生の迷子達が、肩を支え合ってなんとか陸を歩いていく、不格好な足跡となる。
人魚たちの足あとだ。
それがこの後、美胡ちゃんを隣に置いてどこに流れ着いていくのか。
描き切るには物語の残りは足らなすぎ、しかし残り一話、新たに始まるいつもの日常を描く形で幕が下りていくのは、見事な構成だと思う。
嘘を引っ剥がして見えた本当を、お互い受け入れるほどには心が育たなかった幼子たちが、それでも捻くれたまま生きていく、陸と海が触れ合う場所。
その景色がどんな色なのか、最終話全部を使ったエピローグで見れる…かもしれないのは、とても嬉しい。
なぜなら嘘にくるんだ痛みを隠して、三人が積み上げてきた本当は確かに、温かな燈火を日常に宿してきたからだ。
どれだけ傷だらけで幼くても、それは嘘じゃない。




というわけで、行きずりの悪霊に命を委ねようとした阿婆擦れを殴り飛ばし、嘘つき人魚渾身の対話が始まる!
もー比名子が望む嘘を積み重ねたところで、色んなモノが拗れてぶっ壊れていくだけだと思い知った汐莉は、降りしきる雨を避けることなく、己の望みを腹の底から絞り出す。
ずっと泣いていたのに、それを表に出せば涙で溺死してしまうから、泣けなくなった女の子の顔に手を伸ばし肩を掴み、「生きて、戻って、輝いて」というエゴを、真っ直ぐに伝える。
それはあくまで汐莉自身に向いていて、傷つき取り残された比名子の”今”に伸びてはいない。
未だ幼いままの心の傷も、ズタズタにされたまま必死に生きてきた現状も見ず、かつて偶然出会った輝きに取り憑かれ、時を巻き戻し死と悲しみを乗り越えて、もう一度笑えと告げてくる。
「人でなし」は汐莉への全く正しい形容であるけども、人でなしも恋をする。
人魚が足を生やし、なかなか届かない声を陸に届けようとするのは、古来恋ゆえと話は決まっているのだ。
そして魂を焼くような出会いは、比名子にとっては絶大な力を誇る怪異によって勝手に消され、勝手に蘇された、外側からの押しつけでしかない。
無力な人間の子供に判るのは、大事な家族が水底に消えて、苦しくてしょうがないまま生きてきた、死にたい自分の今だけだ。
この過去と現在の断層、生きて笑って欲しいエゴと死んで終わりたい願いのズレ…消えた家族を今でも希う比名子の純情と、その切なさを本当のところ判ることが出来ない汐莉の冷徹が、少女の心に摩擦熱を生む。
今まで自分を引っ張り、留め、あるいは守ってきてくれた汐莉の手のひらを跳ね除け、死にたい気持ちを叫ぶ時、比名子の頬には赤みが戻り、死人の生を一瞬終えている。
終わってしまった過去に縛られ、そこで息はできない水底を見つめ続けているときは、脈動しない人形の心臓。
そ誰かがエゴイスティックな願いを叩きつけ、それに自分を引きつけようとして伸ばす手のひらを、跳ね除ける時、そこにようやく血が通う。
汐莉の微笑みと同じように、比名子の能面もまた、違和感と痛みに満ちた陸をなんとか生き延びていくための擬態だ。
その奥には水となって溢れる感情が潜んでいて、生きているからこそ死にたいほどに心も動く。
でもそれをどうしたら、誰かと共有できる形に整えていけるのか…情動を育てる経験に乏しい二人には、上手く賢く正しく生きていく手筋が見えない。
ここら辺、上人に産土神の役割を押し付けられ、ガチで神様頑張った結果第二の天性になっちゃった(結果、エゴだけで動くのが極めて難しくなった)美胡ちゃんの成熟と、残酷な対比である。
今ここで汐莉が比名子の前に立ててるの、身勝手なガキ同士対等だからだもんなぁ…。




比名子は陸に生きる人間として、生来の涙腺で赤ん坊のように泣き、たった一人誰にも抱きしめてもらえない苦しさを、自前で表現できる。
しかしそういう機能が生来ない人魚は、涙を流すにしても天泣の力を借りるしかなく、降りしきる雨は悲泣の証、強引に地べたから比名子を引っ剥がす二度目の約束に、ままならない思いの色を添えていく。
比名子に脳髄灼かれた人でなしが、剥き出しの気持ちを叩きつけている時には複雑な沈鬱が宿っていた表情が、不出来ながらそれしかない妥協案を叩きつける時には、微笑みの仮面に覆われ直している。
それが淋しく哀しく、嘘がなくて好きだ。
比名子が死人のごとく地面に倒れ伏して流す涙の意味を、汐莉は本当の意味で判ることが出来ない。
それは家族とともに幸せな未来に包まれてあった、今はズタズタに壊れた残骸から生まれてくるもので、心の故郷との絆が未だ切れてくれないからこそ、赤子は母の胎内に戻りたくて泣く。
その幼い必死さがあまりに悲痛で、耐えきれず俺も涙したわけだが、この切実に汐莉は共感できない。
彼女はバケモノであり、家族を筆頭にあらゆる世界との繋がりから、弾き出された存在だからだ。
そこに必然はなく、全てが流れ行くまま頼りなく…そんな生き方にダイナマイトでヒビが入ったところで、人魚は太陽に出会ってしまった。
その運命があまりに特別だったからこそ、永遠を祈って血を分け与え、バケモノの残穢がその光を陰らせないよう、記憶を奪った。
人間の根幹たる記憶を自在にいじれてしまう人魚の異能…それを行使することにためらいがない壊れ方が、ここでの断絶の根本を為しているように思う。
比名子は家族との幸せな思い出があればこそ、それが奪われた虚無に耐えきれず、自分を溺死させてくれる水底を望んでいる。
そういうどうしようもない痛みすらも、奇跡のように出会った思い出すらも、人外の異能は書き換えれてしまう。
そんなふうに、人が人であるための境目を踏み越えてしまえる存在が、どう人と隣り合うのか。
未だ完全な回答が出ない難問だからこそ、二人の手のひらは複雑に絡み合い、付いては離れ、押しのけては追いすがっていく。
比名子の首元を乱暴に掴んで、自分の方(つまり「生きる」という岸)に引き寄せるために、汐莉が思いついた妙案。
今度は本当の願いを隠すことなく、食べる気に為れない血を分けた愛子を、それでも食べて終わらせるという約束。
人でなしの間違えきった誤答は、しかし未だ人になりきれない幼い二人が今出せる唯一の回答であり、途中点しかつかないことなんて汐莉にも解っている。
だから微笑みの仮面を引っ剥がした後、こんなに寂しそうな涙を、雨に流して貰うのだろう。
フラつきながらも生きる方へと進んでいるようにも見えた、比名子の現状。
それはもう一人で立てないほど弱々しいモノで、家族の思い出が残骸になった地獄で生き続けるのは、耐え難く苦しい。
そう告げて泣きじゃくる赤ん坊を、立たせるやり方として比名子の掌はあまりに乱暴であるのだが、誰かを抱きしめ優しくするやり方なんぞ解んねぇバケモノにとって、こういう拳の使い方のほうが馴染みは深い。
でも汐莉は叶うなら、優しくしたいんだと思う。
それが解んねぇなりに「いや解れよッ!」と美胡ちゃんに発破かけられて、人でなしに必死こいて、どうにか愛する人に優しくする手として選んだのが、捻れきった嘘を本気で突き出す事だ。




本当にバカだなと思うけど、でもそれが二人の現状であり事実なんだから、そういう場所から進み直すしかない。
死にたいという気持ちも、それに寄り添えない壊れ方も、本当の気持ちを伝えあったからって直ぐ様”治る”もんでもない。
魂の形を決定的に変えてしまう、理不尽な崩壊/邂逅。
その残骸から新たに進み出して、どうにか人間の形を取り繕いながら、共に進んでいく先に何が待っているのか。
血まみれの口づけは、その答えを教えてくれない。
作品が持つエロティックな力強さが、最大限発揮された見せ場…本当に素晴らしかったです。
俺は掌のアニメーションとしてこの作品を見てきたので、いつか来る絶対的な死を汐莉が(不本意ながら)約束し、比名子がその掌を掴み直したときも、己の祈りと呪いを込めて汐莉がその唇に血まみれの指を添えたときも、釣り合いを取るように汐莉の不味い血を奪うべく引き寄せたときも、たいそう興奮した。
相手を引き寄せ/触れ合い/跳ね除けるデバイスとして、多彩な感情と意味を宿す、指先の言語。
それを適切に扱ってきた物語が、一つの答えを少女たちに刻ませる時、掌が極めて重要な意味を付与されていることには、特級の興奮を生み出すほどの一貫性がある。
俺は詩学の背骨が、真っ直ぐ通ったアニメが好きなのだ。
比名子は自分に惹かれ全てを捧げる生きた汐莉より、死んでしまった家族の方を大事にし続ける。
その方向性が子供のあり方そのものなのが、また現世に置き去りにされて自分をサだてられなかった孤児の寂しさを、より際立たせもするのだが。
それは自分を選ばせるだけの引力を、汐莉が不器用に演じきれないということでもあり、あんだけ嘘に嘘を重ねてきたくせに、ここで都合のいい嘘を自分にも想い人にも手渡せない誠実に、思わず震える。
今回告白したように、美麗なるタナトスに満ちて死にたがりを満たす夢は、全部ウソだった。
陸の命にも生物の定めにも頓着しない海の生き物は、たった一人彼女の太陽にだけは、嘘がつけない。
そういう都合の悪さをむき出しに、それでも血を介して祈りと呪いを混ぜ合わせ、グチャグチャでズタズタなまま隣に在り続ける資格を、微かな眩しさが涙雨を引き裂く浜辺で、汐莉は掴み取った。
それはおずおずと手を伸ばし、相手の同意を得て自分に引き寄せるGentleな仕草ではなく、どこまでもエゴイスティックで不器用な、ならず者の掌だ。
だがこの荒くれた踏み込みが、ずーっと汐莉を覆っていた薄膜を最後に引っ剥がして、その歪な素顔を晒してくれる。
どうしようもないほどに、好きで好きでしょうがない。
だから嘘で覆って約束で繋いで、いつか来るかもしれない再生の日まで、嘘をつき続ける。
そういうなりふり構わない必死さが、このクライマックスにようやく溢れたのは、汐莉を物わかりの良い闇のスパダリではなく、自身痛む足で荒廃した陸地を進んでいくべき幼子であるのだと、明かしてくれて気分がいい。
ずっと「そうだったら良いな」と思ってきたので、生きるのも死ぬのもヘタクソな子供の地金を晒して、二人が嘘のないもので繋がり合って、この先の未来へ進んでいってくれると解ったのは、心から嬉しいのだ。
そこには嘘だともう解っている嘘があって、血が滲むほど強く叩きつけあった心があって、混ざり合うことなくすれ違い、触れ合って支え合っている。
世の中に流通する”正しい”人間様のあり方とは、全く噛み合わないけども、惨劇に引き裂かれた死にたがりと、彼女を愛してしまった人でなしの現在地としては、その歪な繋がれなさ/繋がれてしまっている手触りが、全くの真正なんだと思う。
そういうのが曝け出される所まで、あやめに爆弾落とされ美胡ちゃんに支えられ、自分を持っていったバカ人魚。
口付けた獲物の血は耐え難いほど不味く、それでも必ず食い殺して終わらせると、約束する瞳に涙雨。
ありえないほどに無様で、あるがままに美しい、とてもいい表情だ。
そういうモノを愛する人にさらけ出せるところにたどり着いたのなら、そこから先の道は、必ずしも水気のない荒野ってわけじゃないと思う。
この水際の死闘を見届けてみると、海の生き物であり死に親しいはずだった汐莉こそが「陸で生きろ!」と吠え、そういう人外の理屈から遠く翻弄される側だったはずの比名子が、家族の待つ水底へと沈みたがる逆転が起きている。
人魚が陸に上がり、乙女が海に沈もうとするさかしまを、どうにかせき止めて明日を続けていくために、罅だらけのまま差し出した妥協案。
そこに強い痛みが響き続けていることを、微かに光がさしてきた浜辺で無きながら笑う汐莉の顔が告げている。
”か弱い足からは、だれの目にもわかるくらい、血がにじみ出ましたが、それでも、お姫さまはただ笑って、どんどん王子のあとについていきました。”
「人魚の姫」ハンス・クリスチャン・アンデルセン作、矢崎源九郎訳より。




ここで…ここで、ここでッ!
比名子がギリギリ岸にとどまって、捻くれた絆で命を繋いだ現場に隣り合うことも出来ず、生存した魂に触れることも出来ない美胡ちゃんが、声を奪われた人魚姫の痛みを見抜き、代弁してくれるのが、マジで良かった。
よく整った女の仮面の奥底に、一体どれだけの哀しみと痛みが溢れているのか、ちゃんと見てくれる人がいるから、この切ない決着をギリギリ、あの子たちがたどり着くしかなかった真実なのだと飲み込めている。
完全に荒れ狂う三井寿前にした宮城リョータなんだよな…(「一番過去にこだわってんのはアンタだろ…」に、一生脳味噌灼かれてる男)
俺は神の領域にたどり着くまで己の獣性に首輪をつけ、人に隣り合う存在として己を磨き上げた…からこそ、その理に反して死にたがってる汐莉の魂に触れられない、美胡ちゃんのことが本当に好きなんだけども。
陸で行われる人の営み、生死の明滅に隣り合ってきた彼女は、自分の領域に迷い込んできた海の生き物にも手を差し伸べ、比名子が受け止めきれない仮面の下の哀しみを、見抜いて手を添える。
それはバケモノとしての自分を暴いたからこそ、改めて比名子に向き合える己を取り戻してくれた、恩人への返礼でもあるのだろう。
その義理堅さが、いつか出口のない海底から汐莉を引っ張り上げる。
そんな予感が確かに感じられるのは、美胡ちゃんが汐莉の哀しみを言葉にする前、人魚の前途を塞いでいる息苦しい電柱から、言葉を受け取った後汐莉が前に進んでいるレイアウトの変化ゆえだ。
ここら辺の心理主義的描線を、徹底して適切に使いこなしてきたことで生まれる、無音の詩情と説得力が、このクライマックスには大変元気で、そこも良かった。
画面を圧迫する幾何学の構図、そこから解放され生まれる希望の予感を、浴びれるからこのアニメ好きだって部分、かなりあるからな…。
構図と配置が生み出す映像の幾何学に、己が生み出した作品を満たしてきた物語だからこそ、見てるこっちが勝手に受け取り、心揺らす無音の詩があるのだ。
幼いまま身勝手に泣きじゃくり、愛する人を振り回す比名子に苦笑いしつつ、この必竟からなお進み出していく(しかない)決意を風に載せた時、その前途を塞ぐ壁。
それを打ち壊すのは、人に隣り合うものとしてその深奥を見つめ続けてきた、美胡ちゃんの言葉だ。
汐莉自身が思っているより、恋敵として友達として、美胡ちゃんが彼女の隣りにいてくれてくれることの意味は大きいのだと、今回改めてわかった。
幼い比名子とだけ向き合ってると、自身未熟な汐莉は簡単にぶっ潰れてしまうわけで、そこを大人で公平な美胡ちゃんが、献身的にサポートしてくれてる構図なんだな。
マジありがてぇから、ちゃんと社作って参拝しろよッ!
傷ついている自分の悲憤に向き合えず、適切なグリーフケアが出来ないから心が沈んでいるってのは、実は比名子と全く同じである。
どう生きれば良いのかわからない、優しくすればわからない不器用は、繋がり合えない他者だけでなく、自分自身にも伸びている。
そういうがんじがらめの難しさの中、それでも自分の中にある本当を暴いて、なんとか届けようともがいて、失敗し成功し、痛みを誰かに分かってもらいながら、どうにか生き延びていく方法を探る。
その歩みを人の生と呼ぶのならば、人でなしもその贄も、毛むくじゃらで優しい保護者も、みな”人間”なのだろう。
だからこ彼女たちを主役とするこの物語も、ずっと人間のお話だ
人間の形をしていない怪異、モラルから外れる希死。
そういうモノを扱えばこそ、人が生きるということの難しさと痛み、暗い輝きと眩しい呪いについて語りうる、極めて正統なファンタジー。
それが描くべき現段階を、力強く美しい筆致で描いてくれるエピソードでした。
たいへん良かったです。
色々ズタズタで幼い少女たちにとって、この醜悪な約束こそが命綱なのだと、確かに納得できるものが描かれたその先。
日常に宿る空気がどのようなものか、残り一話しっかり見せてくれそうです。
未だ道半ば…雨混じりなれど、空微かに熺るし。
そんな空模様をあの子たちがどう歩いていくのか、見届けたいと思います。