イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/03/11

神様はじめました◎:第9話『神様、ふいうちをくらう』
男どもが不甲斐なくとっ捕まってる間に、奈々生様が神様の本領を発揮して大暴れする回。
奈々生様の凛々しい表情がバッチリ決まってて、『つえー、神様つえー』という気持ちになった。
ヒロインするときもあれば、バッチリヒーローする時もある受け幅の広さが、奈々生様の好きな所。

一方次郎兄はクッソ童貞オーラを世界中に振りまきつつ、無様な姿を晒していた。
あの人の童貞オーラどっかで見たなぁ……と思ったら、BROTHERS CONFLICTのバスケだった。
いやあの人ほどキモくないけどね……変に理解者ヅラとかしないし……。
奈々美様が巴衛一筋なので、次郎兄の初恋は爆破確定なわけですが、そこら辺どう爆弾処理するんだろーか。

 

・幸腹グラフィティ:第9話『グツグツ、へは……。』
大晦日を仲良しの友達と一緒に過ごすという、ヒジョーに萌え四コマらしいゆったりした話……の中に粘度高い女と女の情念を練り込んだ、ヒジョーに幸腹らしい話。
椎名をソッコーで舞台から下ろし、せっかく返ってきた叔母も飲み会という名目でカメラから外す辺り、このアニメがどれだけ食事を介して閉じた関係性を育んでいく中学生を接写したいか、良く分かる。
きりんを待っていて冷たくなった手とか、イイハナシ風に見せかけた情念の渦過ぎて危険だったね。
あのアマシレッとした顔してますけど、暖めてもらう瞬間のために忠犬マチ公してましたよ。(歪んだ見方)

歪んでいるといえば食事シーンの使い方も、いつものメタファー過ぎて凄かった。
恋人の到着を待てず一人でおっ始める所とか、時間を置いたらもう一度食べたくなる底なし加減とか、もう隠喩が隠喩として成立してないレベル。(歪んだ見方)
何でもセックスの暗喩に見える中学生マインドはさておくとして、食事を語る語彙がエロ漫画と被ってる所が、こう言う邪推をされる理由だと思います。
二次元で飯の巧さを表現する場合、一般的かつ有効な手筋ではあるんだけど、こうも一辺倒だと食事アニメとは受け取れないよね、正味の話。

中身の方は『きりん大好き!』『リョウ大好き!』『椎名はそれなり!!』といういつものとーりの感情を、年越しというイベントに乗っけて流す展開で、特に起伏はねぇ。
ゆる系四コマって流れていく時間と微細に変化していく世界、両方に視線を向けないと、変化の中で変わらない私達の貴重さに気付けないジャンルだと思うんだけど、このお話ってリョウときりん
で視線が完結しちゃってて、よそ見しないんだよね。
それが原作からのテイストなのか、アニメスタッフが練り込んだ歪みなのかは、原典にあたってない自分には判別つかないところですが、少なくともアニメの歪み方に関しては欠落した俺の感性に響くわけです。(唐突なブランキー引用で〆)

 

ユリ熊嵐:第9話『あの娘たちの未来』
衝撃の第8話ラストから、実写を挟んでの今回。
銀子の自問自答と紅羽の逡巡、ユーリカ先生の決着が描かれるお話でした。
共通しているのは過去との対話……なのかなぁ?

紅羽に撃たれた銀子が目覚めた場所は、かつて少年兵としてクマ的生活を営んでいた氷の世界であり、時間が巻き戻った場所です。
なので、死人のはずの蜜子も出てきて色々喋ってくれる。
彼女が銀子を責める良心と、真実を開示する探偵の仕事を同時にやってくれているので、あのシーンは凄く解りやすく展開してたと思います。
クマの世界とユリの世界を分けるという意味では、断絶の壁と同じ役割を持っている場所であり、あの蜜子はジャッジメント・ガイズと同じ仕事をになってるって考えられるかな?

銀子は秘されていた真実を蜜子の協力で思い出し、開示していき、己の罪を白日に晒していく。
蜜子の声は銀子の良心の声でもあるわけで、『『食べた』のは蜜子でも『殺した』のは銀子』という告発は、銀子自身の強い後悔を意味しているわけです。
だから、るるちゃんは「見殺しにした」と言っているのに、それを受けた銀子は「私が殺した」と言い換えている。
銀子の中で、泉乃純花殺人事件の犯人は自分であり、嫉妬という動機も強い後悔も、スキの裏側(内側?)でくすぶり続けていた。

銀子が純花と出会っており、会話もしていたという事実も公開されていましたが、強い後悔の念を見るだに、嫉妬すると同時に純花のことをスキになりかけていたじゃないかなぁ、などとも思ってしまいます。
『大好きで大嫌いで、ずっと友だちになりたかった』という繰り返されるモノローグは、銀子から純花への語りかけでもあるのかもしれん。
まぁ俺が純花大好きマンであるっていう事、みんな純花のことスキであって欲しいという願いを持ってることは、この読みに強いフィルタをかけてはいると思いますが。
でも、ただの嫉妬と罪悪感だけで、人間って死を覚悟できるのかしら?


蜜子の亡霊は彼女自身が言っていたように、銀子の欲望≒クマ的な部分でもあるわけで、銀子パートラストで蜜子を食し、一体化するのは欲望に身を任せることにした、という解釈が出来ます。
その結果「私はあの子を食べるよ」という宣言に至るわけですが、愛するものを食した末路は今回、ユリーカ先生がイヤッというほど魅せつけてくれているので、銀子は同じ間違いをしないと思いたいです。
あの終わり方が二回繰り返されるのは、ちょっと寂しすぎる。

しかし『あなたをヒトリジメしたい』という欲望は、けして切り離せないスキの一部分でもあって、蜜子との一体化は見方を変えれば、綺麗事ではないスキの本質と向かい合うため、絶対に必要な出来事と言える。
ここで欲望だけに押し流されてしまえば、空っぽの箱を満たすことも出来ず、自分自身が作った箱のシステムに殺されたユリーカ先生と同じ末路を、銀子は辿ることになる。
ユリーカ先生の断末魔を、母の面影を背負った紅羽が聞いたことも引っ括めると、間違えてしまったかつての主人公たちとは、違う道を歩かせようと物語は動いてると、僕は思うわけです。
思いたいだけなのかもしれんですが。

氷の世界から帰還した銀子は、否応なく生者としてもう一度、紅羽に再開しなければいけない。
その時彼女はユリに化けたクマではなく、ユリ的なモノを剥奪された剥き出しのクマになっているはずです。
ここら辺の流れは『月の娘と森の娘』そのまま。
今回その結末を仄めかして引いたので、断絶の壁を超えたクマとユリは一体どうなるのか、箱の中の結末を早く知りたいところですね。


一度は銃という暴力で銀子を排除した紅羽ですが、特に誰の力を借りるでもなく、銀子の本心と向かい合いたいという気持ちに辿り着いています。
クマを排除する存在としてではなく、友達として再話に立ち向かいたかったというのは、ユーリカの誘いに銃を持たずノコノコ出てきたことからも見て取れます。
こういう暴力への恐れは、迷わずユーリカ先生を撃った大木蝶子と対照的だなぁと思いました。
友達だった純花を殺し、自分自身も迫害したシステムの暴力に助けられる展開は、すんげぇ皮肉だった。

銀子と触れ合っていくうちに、紅羽は純花を凄い勢いで忘れていきます。
あれだけ回想されてた死人のシーンは露骨に減り、ペンダント触るだけでいいのに胸元に手を差し入れようとする紅羽の欲望は、自分としては実は嬉しい。
頑なに他者を排除し、死人のために己を捧げて生きるより、薄情に死人を忘れて、目の前の暖かさに齧り付く浅ましい生き方のほうが、嘘も無理もないように思うからです。
悪意を秘めた透明なクラスメイト達では紅羽の空疎は埋まらなかったわけで、紅羽を薄情にさせる(=過去に囚われるのをやめ、今を生きさせる)のは、銀子だけの特権なわけです。
そう言う唯一性は作中で特殊化されている『スキ』以上の意味合いで、『好き』という言葉にしっくり来る。
ラブ・ストーリーであるこのお話において、そう言う関係性が構築されているのは、良いことだなと思います。
紅羽の、そして銀子の心にも純花という刺が刺さっている以上、完全に忘れ去ることなんて出来るわけもないし。


そして失われてしまった人、壊してしまった関係に一生取り憑かれた人の哀れさが、今週のユリーカ先生の姿であります。
『失われた永遠の名残を恣にすることで、喪失を再獲得しようとする存在』という意味では、苹果を陵辱することで桃果を取り戻そうとしたゆりさんとか、かつての自分の面影を背負ったウテナを蹂躙して憂さを晴らしてた暁夫さんとか、ウテナのことを時子と呼んでいた御影といった、イクニ世界のダメ人間をやっぱ思い出します。
綺麗な時を閉じ込めて湖に沈める試みは、必ず歪んで腐敗していくのが、幾原邦彦の世界律なんでしょうね。

ユリーカ先生は澪愛に選ばれなかったと思い込み、永遠の友達を自ら破壊し、空疎な心の延長として嵐が丘学園を製造し、その内側に透明な嵐という暴力装置を呼び込んでしまった、凄く『悪い』人です。
しかしその心の奥底には、『善き』ものとして描写されている主人公の少女たちと同じ、柔らかで綺麗な愛情があった。
それは歪んでしまったけど、本質的に同じものであり、危険性を孕みつつやっぱり『善い』ものなんだと思います。
そういう『善い』ものがどうしようもなく変わってしまって、何処にも行けない結末を迎えてしまう寂しさと哀しさを、僕は紅羽に看取られたラストシーンには感じてしまう。

今回ユリーカ先生が退場したことで、彼女が主人公たちのうつしかがみ、間違えてしまった主役であるという構図は、凄く鮮明になったと思います。
綺麗な思い出と永遠の約束は四人の少女たち総てに、選ばれなかった切なさは銀子が純花を見殺しにした動機、るるが銀子の真実を告白した理由に、それぞれ結線されている。
ユリーカ先生は澪愛を捕食した瞬間に決定的に間違えてしまったわけですが、四人の少女たちの物語はまだそこに到達していない。
それは、まさにこれから語られる未来の物語なのです。

そして、かつての主人公たちと今の主役たちは、大筋は似通っていても大きく違う所が沢山あります。
紅羽が持っているクマへの憎しみは母の愛情の反転であり、"彼"の喪失を歪んだ形で引き継ぎ、箱への偏愛を募らせたユリーカ先生とは違う。
一度銀子を排除した紅羽は、銀子とるるが与えてくれた友情を頼りに、再話に向かって自分から歩き始めた。

紅羽はこの様に違う部分をはっきりと見せているのですが、選ばれなかった寂しさと独占欲を抱え込んでいるクマたちが、ユリーカ先生とどう異なるのかは、まだ見えない所です。
というか、今週亡霊と対話し一体化した銀子は、かつてのユリーカ先生と同じ位置に立った、と言えます。
そこからどういう道を辿り、どういう結論に至るのか。
とても楽しみですね。

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第8話『I want you to know my hidden heart』
こちらも一話実写特番を挟んで、新章に突入したモバマスアニメ。
デビュー第三弾を飾った蘭子の個別回、であると同時に、一話から七話までの結果を見せる復習回でもあり、いつもの様に不器用プロデューサーの小さな一歩を見せてもいるという、モバマス得意の多面取りが冴え渡るお話でありました。
こうして24分を多角的に使って、色んな事を同時進行する手腕は、群像劇をスムーズに回す上でとても大事だと思います。

主題である蘭子のことを扱う前に、『七話までの決算と、八話以降の予感』という見方をすると、目立っていたのはやっぱり本田さん。
ニュージェネレーションのトップとして、序章でも突出して目立っていた彼女は、それ故に真っ先にへし折れる仕事を担当し、沢山傷ついてもう一度立ち上がりました。
その結果、前に出るスタイルそれ自体に変化はないわけですが、二話で片鱗を見せ五話で肥大化し六話で破裂し七話で再構築されたミーハーさが、なりを潜めています。

出だし、クーラーの温度調節器から画面に入っていく今回は、春の物語だった序章からそれなりに時間が過ぎ、私服は半袖に、暑さ対策を考えなければいけない初夏に季節が映っている。
そうして表現される時間経過を背負って、今回の本田未央の発言は軽さと親しみやすさの中に、思慮深さが混じったものに変化しています。
私物持ち込みの提案にしても、蘭子に対しての積極的なコンタクトにしても、プロジェクト全体を考え、それをより良い方向に持って行こうとする働きかけ。
二話では『探検』する対象だった美城プロダクションは、今回の私物持ち込みを経てCパートには『私達のお城』に変わっている。
勝手に盛り上がって、勝手に失望して仲間を振り回した本田未央は、過去に学んで己の背筋を正しつつも、彼女の強みである人間関係の視野の広さや、積極性を失うことなく人間的な成長を遂げているのです。

独特な世界観を持ち、それを共有することに困難を有している蘭子が今回のメインキャラクターなわけですが、本田さんのコンタクトの仕方はソフトかつパワフルなものです。
スケッチブックに興味を示しつつも、拒絶されれば中身を見ることはしなかったり、メンバーの中でいち早く蘭子の言語に接近し、別れるときに「やみのまー」と口に出していたりと、思い込みではなく等身大の個人を見て、的確に間合いを詰めるコミュニケーション強者っぷりが目立っていました。
前に出て良いタイミングと距離を間違えない天性の目の良さがあるからこそ、より近い間合いに滑り込み、身体=心に触っても拒絶されない特権をもぎ取れる。
結果として本田さんが女の子をペタペタ触りまくる、ボディコンタクトが非常に多い回となりましたが、仲良き事は美しき哉なのでガンガンやりなさい。

一度凹まされたことで、自分が陥りがちな失敗に自覚的になり、それでも自分らしさ、自分の強さを忘れずに積極的に前に出る彼女は、物語の牽引役としても、一キャラクターとしてもやっぱり魅力的です。
「やっぱプロデューサーは丁寧口調のほうがいいかも」という中盤の台詞は、蘭子の個性を否定しない結末を先取りして予言してもいるわけで、物語進行に寄与するキャラクターなんだなと感じますね。


無論今回の話は本田さんだけの話ではなく、デビューできない焦りを誰かにぶつけるのではなく、的確にコントロールできるようになった前川であるとか、七話の経験を踏まえ、プロデューサーが前に進むのを促している渋谷さんであるとか、過去を踏まえた成長の描写はそこかしこに見られました。
前川がアイドルに対して常に本気のクソ真面目女であるのは前々から描写されていたわけですが、今回の私物に対する発言で、彼女のプロ意識がスッキリ見えた感じもありますね。
前川は多田さんに辛辣なように見えて、このクソ真面目さから考えるとキツいこと言うのは心をひらいている証拠っぽい。

あと、『猫耳と語尾に『にゃ』は前川のギリギリっぷりバロメーター』という今までの演出を踏まえると、デビューというセンシティブな話題を出しつつも猫キャラ被ったままでいられる辺り、少しは余裕を演じられるようになってる感じです。
立ち位置も余裕のない最前線ではなく、真ん中辺りだったし。
いや、やっぱ声震えてたけどね……ホント前川クソ真面目でステキ。

今までの蓄積を活かしていたのはアナスタシアが顕著で、自身も言語コミュニケーションに難しさを抱えていたからこそ、悩める蘭子に一番最初に接触する役割を担っていました。
早い段階で周囲からの助力を見せることで、例えば六話で見せたような徹底的な下げではなく、一話でソフトに解決させる雰囲気を出す意味合いも、あのシーンにはあります。
寮生であるアナスタシアがコンタクトすることで、舞台を寮に移して今まで触っていなかった場所をズームアップできるという意味もあるでしょうし、あそこのシーンはかなり多義的だと感じました。
夕暮れ、信号、テールライト、パイロンに各種注意看板と、過剰なまでの赤をあそこで見せていることで今後の困難を予告し、Cパート頭の青信号の緑と対比させる演出も綺麗でしたね。

今回目立ってたのは、誰かの行動を誰かが真似するという、好意故の模倣。
未央の持ってきた携帯用扇風機を蘭子が使っていたり、莉嘉が未央と同じように宇宙人ごっこしてたり、パターゴルフを羨ましそうに見ていた多田がブタミントンに参加していたり、誰かの何かを羨ましく思い、同じ行動をとってみたくなる描写が多かったように思います。
これは春から初夏への時間経過とともに、模倣を望むほど近くなったメンバーの距離感を見せていて、切れ味鋭い演出だと感じました。

プロデューサーも七話までの頑なな態度を軟化させ、自分の考えを伝えようと努力し、不明なことがあれば自分一人で抱え込むのではなく、プロジェクトメンバーと一緒に解決しようとする態度を見せていました。
私物持ち込みの提案に対しても、建前を持ち出す前に各メンバーの意見を聞き、『一人一個ルール』という妥当なすり合わせポイントを出すという、よりバランスの良いコミュニケーションが可能に為っています。
ここら辺は本田さんが見せた成長と同じく、七話までの物語で犯した失敗をどれだけ反省し、二度同じ過ちは繰り返さない人間に変化したのか、しっかり見せる意味合いがあります。
七話まで(特に六話から七話中盤まで)の物語がかなりハードな上下運動の繰り返しであったのに対し、今回は所々に笑いどころを仕組み、『この人たちは大丈夫ですよ』というサインを大量に練り込んだ作りであったのは、第二章の始まりとして安心できる見せ方であったと思います。


さて、ここまで話したのはあくまで周辺についてであって、今回の中心軸はなんといっても神崎蘭子でしょう。
過剰にシャイな自分自身を守るべく、邪気眼中二病言語でしか他者とコミュニケーションを取れない彼女が、アイドルとして人間として、いかに自分をわかってもらうか。
簡単にまとめてしまえば、今回のテーマはこれになります。

(直接的関係ないんですけど、自身の憧れとファンの求めるイメージのためにゴシックな世界観を演出し続けているユリカ様と蘭子は、当然のことながら似て非なるキャラクターであります。
ゴシックな外面とシャイな内面という二面性は共通しつつも、アイカツ!第19話第20話とデレマス8話は全く異なる部分を問題視し、掘り下げ、克服していく。
その類似と相違はそれぞれ、キャラクターが抱える問題と、それが結線されているテーマをしっかり見据え、見事な手際で解決した証明なのかな、などと思いました)

今回蘭子は、一度も自分の言葉を崩さない。
解りやすい共通言語を覚える解決策よりも、周囲が歩み寄り相互理解していくためのヒントをどう出していくのかというところが、今回重点的に描かれるポイントです。

これはコミュニケーション困難の源泉である独自の世界観が、アイドルという個性重視の業種に於いて(ゲームを踏まえるなら既に、アニメだけを考えるならこれから)飛躍するための強力な武器であるから、というのが大きいと思います。
意味分かんない中二病言語を喋り、目立つゴスロリ服を着ていればこそ、アイドル神崎蘭子は強烈にキャラが立っているわけです。
エキセントリックなのはあくまで作りのキャラであり、普段はフツーに喋ってフツーの服着てフツーに意思疎通する小器用さは、前川の仕事ということかもしれません。

同時に彼女は脳髄まで中二病に侵された、現実認識の歪んだ人物というわけではなく、内面的には恥ずかしがり屋で仲間思いの子供です。
助力を申し出てくれたアナスタシアにも、自分を理解しようと骨を折ってくれるプロデューサーにも、蘭子は強い感謝を感じ、どうにか報いようと足掻いている。
しかし自分の言語を捨てて、ぶっちゃけた話ができるほど器用でも大人でもなく、このジレンマが話を牽引していくことになります。
PV撮影に被せるように、蘭子は特異な言語に翻訳される前の本心を喋っていますが、彼女の不器用ながら真摯な態度の見せ方や、内田真礼さんの可愛さ溢れる快演などの助けを借りて、視聴者は彼女の気持ちをしっかり感じている。
彼女が最後に見せた本心は、結末に辿り着いた視聴者へのサービスであり、同時に視聴者が感じていたことが間違いではないというサインでもあるのです。

ホラーやスプラッタは怖いからダメで、ハンバーグにケチャップかけて食べるのが大好きな蘭子は、相当子供っぽい。
私物として色鉛筆とノートを持ってきたみりあと、自分の世界を『闇の預言書』と銘打たれたスケッチブックに書き記し続ける蘭子は、精神年齢的に近しいのかもしれません。
だからこそ、みりあだけが蘭子の言葉を最初から理解する特権を持っているのかな?
あのオチは今回の話を笑い混じりに、ソフトに着陸させるだけではなく、今後蘭子の言語をみりあが通訳し、真意を伝えるのに手間取らないための下準備にも為っていて、巧いなぁと関心しました。


蘭子が自分の言葉を崩せない以上、そこに接近していくのはプロデューサーの仕事になります。
手製の辞書を片手に、何とか蘭子の言うことを分かろうとするプロデューサーは、相変わらず不器用で真面目で、有能で可愛らしい。
敬語を崩そうとギクシャクしたり、ハンバーグが好きだったり、話のトーンに合わせて今回のプロデューサーの描写は隙が多く、萌えキャラとしての才能を見せつけていました。

蘭子とプロデュサー、不器用同士が意志をつなごうとした場合、頼れる武器は二つしかありません。
その内の一つ、仲間との交流は今回たくさん描かれます。
蘭子もプロデューサーも頼れる仲間がいて、どうすればお互い歩み寄れるのか、正解を助言してくれる。
凛ちゃんの助言でプロデューサーは自作辞書を一旦閉じ、かな子のくれたマーブルチョコは二人の距離が縮まる重要な小道具になる。
シンデレラプロジェクトの十二人は、季節が移り変わり、より親密な距離を手に入れているのが判ります。

しかし結局のところぶつかり合い分かり合うのは当事者二人なので、噴水の前でのコミュニケーションにはもう一つの武器、真摯さを使うしか無い。
蘭子の世界を崩すこと、プロデューサーの真面目さを壊すことが正解ではないのは既に見せているので、このシーンはお互いの心の距離が付いたり離れたり激しく動き、演出もそれを強調します。
蘭子が最初に歩み寄り、プロデューサーがそれを受け入れた瞬間、街灯が付く。
『ハンバーグが好き』というゴシックな外面に反する内面に触られれば、境界線である噴水の向こう側に蘭子が逃げる。
プロデューサーも『ハンバーグが好き』という類似点を見せることで、境界線を跨いで再び、二人の距離が縮まる。
話がまとまれば空に二匹の鳥が飛び交い、夜のはずなのに夕方よりも光は強い。
モバマスアニメは画面に心理を仮託し、的確に表現すること非常に上手だと幾度も述べていますが、この噴水のシーンはその証拠のような、分かり易く見事なシーンです。

未央が見たがっても「禁忌に触れるな!」と見せなかったスケッチブックを、逡巡を乗り越えて蘭子が手渡し、その内容を真剣に受け取ったプロデューサーが「とても、大事な事だと思うのですが」という言葉を返すことで、不器用同士の心の交流は成功裏に終わります。
不安に思いつつも信頼して自分の秘密を預け、理解してもらった蘭子は身振りを交えてで中二病言語を加速させていきますが、この元気な様子はデビューが決まってテンション上がっている物語開始時と、実は同じです。
艱難辛苦を経て物語の起点に帰ってくる構図は、非常に基本的であるが故に、こう言うふうに丁寧に描くと強い安定感と安心を覚えますね。


七話までの第一章が終わり、ニュージェネレーションに傾いていた物語の重点が、他のキャラクターにも拡散する第二章。
その出だしとして、大きな満足を得られるお話だったと思います。
丁寧なストレスコントロールを繰り返し、一話でしっかり神崎蘭子の物語が完結するよう、綿密な計算がなされたお話は、ニュージェネレーションの破綻と帰還というヘヴィなブロウを直前に食らっている分、柔らかく心地よいものでした。
単独のお話としても、シリーズ全体の相互作用としても、楽しく、嬉しく、面白い第二章開幕でした。
はー……蘭子可愛かったなぁホント……。