イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

響け! ユーフォニアム3:第3話『みずいろプレリュード』感想

 楽しいってなんなのか、雨に隠れて見えなくなる日もある。
 過大な責任を背負う黄前部長が、おどけた策士に焚きつけられて火消しに走り回る、ユーフォ三期第3話である。

 瞳や指先、脚や髪の毛。
 細やかな身体表現を丁寧に切り取り積み重ねる、京アニイズムが大変元気な回で、初コンテとなる以西芽衣の演出に、作監一人原画六人の超絶タイトな陣容がしっかり生命を吹き込んでいた。
 幾度目かのアニメブーム、スタッフが水膨れする傾向が強い中でこのクオリティをこの人数で仕上げきる、怪物的制作体制こそが京アニの凄みだなと、改めて感じる回だった。

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 前回まではやや引いたカメラ位置から、客観的に久美子最後の一年を麗しくスケッチしていた感じが濃かったが、部長として人間として重たい課題に向き合う今回、カメラは瞳や指先、ほつれる髪の毛へと近寄り、そこに宿る細やかな感情を切り取り積み重ねる。
  静止画ではなかなか伝えにくいのだが、誰かの言動が体の一部に表出されて飛び出し、それを受け取って揺らぎ変化するそれぞれの心が、滑らかかつ多彩に変化する瞳の色合い、指先の震えにしっかり描かれているのが、とても良かった。
 水面に投げられた石が波紋を呼び、それが触れ合って新たな形を水面に描くように、誰かが自分の外側に顕にした言葉や仕草は、空気を伝わって確かに届き、何かを変えていく。
 その媒介となる透明で不定形で、名前をつけえない特別な空気に”部活”が満ちていること……それが許され、否応なくそうなっていく時間と空間を、このお話はとても大事にしていると思う。

 初心者も経験者も、エンジョイ勢もガチ勢も、様々な考えと経歴と実力をもつ他人同士が100人集まって、高い理想へと駆け上がっていく特別な空間。
 そのトップとして、迷いながら皆を導いていく立場に久美子はなってしまっているわけで、生まれる軋轢や溢れ出す感情に気圧され傷つきながらも、必死に必要な顔を取り繕い、必要な言葉を紡ぐ責任がある。
 それは部と部員のためであると同時に、誰よりも上手くなりたくて、誰よりも吹奏楽で最高になりたい久美子自身の欲望を、そこに繋がった仲間と音楽を、高みに押し上げていくためでもある。
 クローズアップで切り取られる個人的感情の震えは、”部”という複雑で特別な空間を通じて他の誰かに伝わり、何かを書き換えていく。

 それがかつてあった衝突や崩壊にならないよう、大人になりかけな久美子は確かに震えながらもなんとか受け止め、時に視線を下げて自分に言い聞かせるように、時に顔を上げて誰かに伝わるように、嘘のない真意と誰かに刺さり何かを動かす社会的言辞を、混ぜ合わせながら発していく。
 都合の良い偽善か、心からの誠意か。
 久美子自身にもなかなか区別がつかず、つける必要も多分ない、個人的でありながら社会的でもある言葉が、どこから生まれるのか。
 細やかに感情の変化を切り取る、身体部位のクローズアップはその源泉を、強い迫力と説得力を込めて描いていた。
 身体とそこに宿る心が、隠せないほどに揺らぎ震えるからこそ、運命を動かすほどに強い音が世界へと、確かに放たれていくのだ。
 ……青春を奏でる楽器としての、少女たちの身体にクローズアップした回とも言えるか。

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 何かを動かしうる強い圧力をもった、シリアスな身体のクローズアップと並走する形で、ちょっと崩してあざとくかわいい記号的表現と、視線の行く先を描くバストアップも有効活用されている。
 エピソード内部を駆動させるミステリを機能させるべく、釜屋すずめはわざと空気読めないお騒がせキャラとして印象付けられ、おちゃらけた雰囲気ととびきりの可愛さを、コミカルに演出される。
 それが煙幕となって、友達と部の危機を未然に防ぐべく久美子を手のひらの上で転がす、ズルくて賢い気質が見えにくくなる。
 最後まで見るとすずめの本性、今回の危機の本質が暴かれて『裏切られた!』となるわけだが、この驚きはパッと見の印象が必ずしも人間のあり方に繋がらない、ユーフォらしい複雑さが未だ健在であることを良く語る。
 セルメガネに異様な奥行きを隠し、複雑怪奇な人格と計算高さで深奥にたどり着かせないすずめの難しさは、どこか田中あすかを思い出させるものであり、都合よく久美子を操るズルさに起こるよりも、湧き上がる懐かしさと切なさに助けられて、より好きになってしまった。
 俺は砂糖菓子みてーな甘さと嘘くささで覆われた、いかにもアニメな美少女から生っぽい味がする瞬間が大好き。

 後に破裂する……前に、適切に切開して部活全体にダメージがいかないよう対処できた、サリーちゃんの暗い爆弾。
 それが確かにそこに在ることに、久美子は繊細に気づくし、気付けるように視線のアンテナを張り巡らせている。
 先輩として部長として、なにより色々な波風に翻弄された黄前久美子個人として、青春探偵は三年生になっても人間の機微をしっかり視線で追いかけ、眼の前の相手をちゃんと見ようとする。
 泣きじゃくる新人と、ビシバシ釘を刺す親友両方を視界に入れ、お互いの理と情がどこに在るのか、どこに行くべきかを、余裕の微笑みを頑張って取り繕いながら考えている。

 繊細に切り取られ重ねられる視線の変化は、時に自分の内側と外側、ある考えと別の考えを行ったり来たりし、あるいは自分の外側にいる誰かを見届け、別の誰かへと移っていく。
 『全国金』という未踏の目標を掲げた以上、泣こうが喚こうが気にせずビシバシ鍛え続ける、麗奈のやり方は正しいし必要だ。
 しかしそれが取りこぼしてしまうものは確かにあって、だからこそ今の北宇治は職分を分け合ったトロイカ体制で、公私ともにバランスを取りながら進んでいる。
 そうやってなお、トップを目指すからこその厳しさは誰かの心を削り取り、その痛みに目が行ってしまう優しい誰かを、ともすれば当人よりも傷つけていく。
 本質的にバラバラな人間存在が複数集まる以上、”部活”にとってそれは必然であるし、それでもなお誰も欠けず最後まで走りきりたい久美子の願い(あるいはエゴ)は、当たり前の難しさを前にして、複雑に揺らめく他者を見つめさせる。
 あの黄前久美子が、こうして一歩引いて”視る”存在になったこと、そこに自分自身も含まれていることを、数多の視線を綾織にして紡がれる今回のエピソードは分厚く教えてくれていて、なかなかに感慨深い。

 

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 『一生久美子をペタペタイジって、急に「にゃん」とか言い出す久石奏があざとすぎてキッレそ~~~~~~~~~』とか、まぁなってもいるが。
 このアニメが”ユーフォ”である以上、重たく暗くなるのは必然ではあって、そういうシリアスな曇り空に一点の清涼剤、スカッと爽やかわざとらしい萌えっぷりがありがたくはある。
 ホント三期の奏、劇場版での呪いが反転して久美子LOVE力バリバリ上げてきて最高に可愛いのに、『人工甘味料なんて全く使ってません。黄前先輩のことは特別好きでもありません』みてーなお澄ましヅラ維持してんの、マジあざとい。
 こういう深夜アニメ特有の味わいと、天然素材でじっくり出汁を取った本格青春ドラマのコクが、絶妙にブレンドされていい塩梅なのはやっぱ良い。
 唐突にぶっこまれる黒江真由の戦闘力開陳とかも、京アニらしい清潔感と精一杯の媚態が堪能できて素晴らしかった。
 最高だ。

 まーそこら辺でギリギリ呼吸をさせつつ、世界はどんどん重く暗い色合いに染まっていく。
 ガチ勢拗らせたあまりド素人に努力を供与する、明らかにヤバいところにやる気がリーチしている後輩たちにも微笑みながら応じ、『話を聞いてくれた!』という実感を手渡して難しい問題を保留し、適切にガス抜きつつ方向性を見定める。
 ”部長”がやるべき極めて難しい立ち回りを、久美子が立派にやっている様子が明暗同居する中二階に描かれ、『マジ頑張っとるな……』という気持ちも濃くなる。
 前回真由を案内する時も印象的に使われていたこの場所は、集団としての意思を統一して”金”へと突き進んでいく順風満帆の影、確かに蠢く不穏を書きつけるキャンパスとして、いい具合に有効活用されている印象だ。

 そういう上手く調整された外面を、なんとか顔面に貼り付けて本音を覆い、人間の間を泳いでいくのが、強豪大集団のスタンダードであるけども。
 人間は社会的動物であると同時に感情をもった一個人であり、未だ発展途上な思春期の住人となればなおのこと。
 滝先生い激務の残滓を見届け、うっかり『大人って大変そう……』と口にしてしまった久美子と、鬼教官への苦手意識が口から飛び出したサリーちゃんが、同じ仕草をしているのは印象深い。
 コミカルな明るい場所でも、暗雲立ち込めるシリアスな現場でも、社会性の扉をこじ開けて思わず飛び出してしまう本音ってのは、一年三年区別なく確かにある。
 『人間そんなモン』だからこそ部活を運営していくのは難しいし、難しかろうが皆でやっていく以上、その頂点に立ち重荷を背負う久美子はなんとか、建前と本音に挟まれながらなんとかやっていくしかない。

 ……のだけども、サリーちゃんの口から爆弾飛び出した瞬間、久美子はその衝撃に立ちすくんでしまう。
 この動けなさは生身の18才として大変リアルで、やらなければならない正しさだけではどうにも前に進めない、感情の動物としての黄前久美子を見事にえぐっていた。
 トップを目指す競技集団と、未だ柔らかい感情を残す子どもの共同体と。
 ”部活”が持つ複雑なあり方の間に、たっぷり溜まった軋みがサリーちゃんを通じて飛び出した瞬間だが、この難しさを余裕顔で乗りこなせるほどまだ、黄前久美子は大人ではない。
 この未熟な立ちすくみも、同じ方向を向けない影の中の足先も、部長になった久美子が”今”どこにいるかという記録の一つであり、嘘のない大切なものだ。
 暗い廊下の向こう側へ、サリーちゃんを撮り逃してしまう経験があってこそ、久美子は100人からの大集団の代表として、『難しそう』な大人のなりかけとして、もっと強く正しくなっていける。
 そんな成長への途中経過としても、麗奈がビシバシ叩きつける”正しさ”がサリーちゃんだけでなく、親友なはずの久美子も取りこぼし足を止めさせている共鳴としても、とても良い描写だった。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 釜屋すずめが狙って出してるコミカルな空気を前置きに、雨脚は強くなり世界は暗くなり、大量離脱の悪夢再びかとショックを受けたところで、画面の重さは最高潮に達する。
 視線を反らし動揺を気取られないように務める可愛らしい仕草と、地獄の底みたいになってる踊り場の闇が面白い対比をなし、明るいギャグ担当が持ち込んだ爆弾がどんだけ重たいか、憂鬱に探るガラス越しの景色へと繋がっていく。
 マージでサリーちゃんを包む暗闇重たすぎ濃すぎで、ユーフォらしい心理主義の一番強い部分を食べれて良かった。
 こういうドス黒いモノと上手く向き合えず、三年前の北宇治は内部崩壊していったわけだが、あの時はエンジョイ勢がガチ勢を駆逐する形だったのに対し、今回は本気すぎる連中の力みが初心者を泣かしている構図で、人の繋がりの多彩さ、難しさが良く伝わる。
 何しろユーフォも第三期、おんなじピンチに翻弄されていても成長は見えないわけで、滝先生の元結果を出し、出しきれず今年こそはと意気込む強豪だからこその課題克服を、作品は切り取っていく。

 重たく暗い闇のそこから顔を上げて、久美子は開いた窓越しに色んなものを見る。
 泣きじゃくっていた子がサリーちゃんの指導を受けながら、『上手くなりたい』と必死に頑張っている姿も、ノートに刻んだ自分の願いも、確かにそこに在る。
 上を目指すからこその厳しさに涙しても、悔しさをバネに自分を鍛える逞しさは、かつて久美子自身が噛み締めた苦みと、だからこそ上手くなれた事実を、初々しい後輩たちから滲ませている。
 上手くなろうとする誰かと、それに寄り添う誰かはかつての久美子自身であり、見通しの効かない闇の中に遠く離れていくように思えても、他人事とは思えない……部長として思ってはいけない親しさを残している。
 窓辺からノートに目を戻し、かつての自分が何気なく書きつけていた願いを確認することで、その思いは更に強まっていく。
 視線は断絶と衝突に満ちた暗い世界から、光が在るからこそ影が生まれる場所へ……そこで肩を並べている誰かの頑張りと、責務と情熱を両方背負って”部長”やってる自分へと、確かに伸びていく。

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 とはいえそんな風に世界と自分と他者へ伸びていく視線が、絡まり惑うのも人間集団の難しさであり。
 ”部”としての歴史と経験、それが生み出す目的意識や集団としての目標をがっちり共
有しているおなじみの面々から、一人黒い制服を着込んだ真由は露骨に浮いている。
 積極的に排除さrてるいるわけじゃないけど、流され漂うばかりに思えて鋭い毒を隠し持つクラゲ少女は、自分という異物が和を壊さぬよう慎重に間合いを探りつつ、勝ち負けよりも楽しさを大事にしたい己を、曲げも譲りもしない。

 この柳のような態度が、大人のなりかけとしていい塩梅に距離感を測り、明るく楽しくガチろうとしている低音パートでどういう距離感なのか、やや引いた位置から切り取るカメラは示唆的だ。
 真由の抱える当惑や不安も、戸惑い髪先をいじる指先にしっかり刻まれているが、今回課題を炸裂させて解決へと至るサリーちゃんがどんだけ、揺らぐ瞳のクローズアップを抜かれているかを思うと、彼女の深奥は未だ遠い。
 その遠さ、解らなさい、底知れなさに挑んでいくことが、三期の物語を牽引する大きなエンジンであり、未だ完璧ではない未熟な存在だからこそ、少しでもより良い自分を掴もうと足掻く久美子の戦いを反射する、大事な鏡にもなるのだろう。

 

 そこら辺は先の話として、ゴシップ気質なさっちゃんが騒ぎ立てる一年生ボイコットの危機を前に、久美子はちょっとバランスを崩し前のめりになる。
 ここで一年指導係に指名された葉月ちゃんとりりりん先輩が、しっかり部長の手綱を握って良い間合いを取り戻させているのが、久美子だけが物語の中成長したわけではないと、豊かに語っている。
  『そういう仕事だから』と責任を任され、果たすべき使命として積極的に頑張っている、かつての自分たちに似た誰かのケア。
 そればっかりにかまけてもいられないけど、とても大事なものを誰かに預けることで、100人の大集団はなんとか成立している。
 前回麗奈と秀一と力を合わせ、他には預けられない弱音を吐き出しながら頑張る部長が描かれたけど、それとはまた違った形で頼れる仲間が久美子を支えてくれること……そういう強さを葉月ちゃんも梨々花も育んでいることを、強く感じられる。

 気持ちをただ素直にぶつけて、自分に都合のいい何かを引っ張り込むだけではなく、相手の願いを受け止めて、お互いが気持ちよく過ごせる距離を測る。
 1年時も2年時も波乱まみれ、そういう大人っぽさとは無縁だった北宇治の現在地は、思いの外風通し良く、周囲を見ながら動いていることが、一年組と先輩たちが朗らかに交流する様子に見えてくる。
 ここら辺はあっという間に後輩の心をつかんだ、剣崎梨々花の対人性能の高さかなとも思うが、重たく苦しい凶器だけでなく楽しく繋がれる笑顔を携えて、三年目の北宇治は雨上がりに明るい。

 その真中に立つ久美子が、柔らかく礼儀正しく差し出した手のひらは、『私は貴方を思い、尊重します』というメッセージを強く発している。
 身体言語は時に、発声言語が語るべき意味内容よりも雄弁で形のないものを、その仕草の中に宿すが、サリーちゃんと二人っきりで話せる親しさを、それを許す信頼を獲得するために、久美子がかなり意識して自分の体を使っている様子が、この訪問からは見て取れる。
 体を使って意味を宿す行為は、楽器を媒介にして曲を作っていく……そえで彼岸の全国金を勝ち取ろうとする吹奏楽表現者の使命でもあるので、久美子がボディランゲージの使い方を気にかけている様子は、作品のテーマ的にも大事だろう。
 この細やかなメッセージ性を受け取ることで、すずめも自分が誘導した部長の人格を最終確認して、一対一の青春勝負を明け渡したんだろうしね……。
 サリーちゃんのプライベートが閉じ込められた私室の、更に近しいベット脇まで踏み込む資格があるのか、キッチリ至近距離で確かめてから状況にGO出すの、セルフレームの奥の冷静を感じれて好きだ。

 

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 いよいよ熱を増す繊細な表現は、優しいサリーちゃんが抱え込んでいる辛さを吐き出し、それを黄前部長が受け止めメッセージを返す様子を、丁寧に積み上げていく。
 素直で真っ直ぐで良い子だからこそ、苦手意識とか痛みとか、暗い感情に慣れていなくて強く傷ついてしまうサリーちゃんの気持ちを、美しいみだれ髪は豊かに語ってくれる。
 そこにはサリーちゃん個人の気持ちだけでなく、結果のために何もかも振り捨てて突き進む競技集団であると同時に、孤星豊かな思春期の子ども達を百人集めた教育と生活の現場でもある、”部活”の難しさが反射している。
 上手くない今と、上手くなりたい自分と、上手くなれるだろう未来が複雑に反響し、時折ノイズを交えつつも熱くて複雑な共鳴を……北宇治の音を作っているその場所が、久美子は好きだ。

 そんな自分を確かめるように、強く手のひらを握りしめた後、黄前部長はそれを拡げる。
 自分に言い聞かせるように視線を下に向けて、必死に言葉を探しながらサリーちゃんが預けてくれた思いに、自分の気持ちを重ね応えていく。
 かつて先輩たちが自分にしてくれて、かつて自分が先輩たちにした、触れ合うからこそ暖かく傷も生まれる旅路の新しい一歩を、出来る限り誠実に適切に進めるよう、その視線は色んなものを視る。

 ここでまず久美子の意識が、自分の中にある心と体験を彷徨い探り、その後『ここから私の言葉が出ているんだよ!』と告げるように胸に当てられて、サリーちゃんへと飛び立っていくのが、俺はすごく好きだ。
 貴方と私の間にある、すれ違っているけど結び合うことだって出来るとても柔らかく温かいものを、どこに定めればこの病床から立ち上がって、一緒に進めるのか。
 外から借りてきた正しさではなく、あくまで自分の体験と感情に根付いた嘘のない思いを届けられるよう、久美子は必死に『良い先輩、良い部長』の顔を作りながらも、サリーちゃんに語りかける。
  立派だ、とても。

 

 厳しさに涙することがあっても、皆で一緒に高みへと進み、最高の景色を見てみたい。
 久美子のそんな願いが、眼の前のサリーちゃんだけではなく境内に遊ぶ友人たち……厳しくて悔しくて泣いていた初心者の子、汗を流しながら後輩を指導するドラムメジャーにも伸びている様子も、凄く良い。
 人間が人間であり、だからこそ心の通った音楽が生み出せる以上、北宇治吹奏楽部は迷うこともぶつかることも、今までそうだったように必ずある。
 それでも可愛らしく絵馬に刻まれた決意と祈りを、なんとか共有しながら進んでいくことを、久美子は願い祈り、彼女を部長とする皆が共有している……はずだ。

 それが不可能ではなく、押し付けでもなく、泣きじゃくっていた弱い子が弱いまんまなんかじゃなくて、昨日出来なかったことが出来るようになって嬉しくて、その喜びを糧にもっと頑張れるのだと、ちゃんと書いてくれているのが俺は好きだ。
 弱みも迷いも見せず、進むべき理想像へとビシバシ仲間を駆り立てていくドラムメジャーが、弱い存在を踏みつけにする喜悦に酔わず、ただただ高みを目指して一心不乱である様子も。
 演奏のクオリティを担保する責任を、自分の気質と重ねて背負ってる麗奈の厳しい言葉と態度は、生徒が自分で掲げた高い目標を成し遂げるためには絶対必要であるし、泣かされた側にもそこに薄汚い私心がないことは、ちゃんと伝わっている。
 だから久美子もサリーちゃんが……自分を慰めたり真意を通訳してくれる誰かがいない場所でも、二人はとても良い顔をして、真っ直ぐ前を向いて汗を流している。
 音楽のならない場所で柔らかくお互いの思いを伝え合う以外にも、心が通じ同じ場所を見つめられる瞬間は沢山あって、そのどれもが眩しく正しい、嘘のない決断なのだ。
 サンフェスに向けて奮戦する書士sん車とドラムメジャーを挟むことで、久美子だけが立派に頑張っているわけではなく、彼女が導く仲間たちも傷つきながら力強く、同じ未来へ進んでいけると教えてくれる回で、大変いい。

 

 

 

 

画像は”響け! ユーフォニアム3”第3話より引用

 部長として先輩として人間として、親しくても近すぎない最適距離を必死に探って心を通わせた久美子よりも、更に密接した義井沙里の0距離を釜屋すずめは独占する。
 湧き上がる不安や痛みに押しつぶされそうになっていたサリーちゃんは、久美子の誠実な態度に己の心を預け、本来彼女が向き合うべき明るい光へ視線を戻す。
 そんな親友の回復を見届けて、しかしすずめが同じ光を見つめるのではなく背後の闇に顔を逃がすのは、後に暴かれるチャーミングな犯行計画への予告として、とても印象深い。
 光に必ずつきまとう闇に耐性がない、真っ直ぐ優しくいい子がだからこそ陥った、人間性のどん詰まり。
 空気読まずにおちゃらけてばかりいるようでいて、部を揺るがしかねなかった一大事を火種の段階でもみ消し、一年生エースの憂いを晴らした今回の解決策、一体誰が書き上げたのか。
 そこら辺の視力の良さと、影の中が見えてしまうからこそサリーちゃんが真っ直ぐ見つめる未来を、自分の景色だと受け止いきれない釜屋すずめの複雑さが、隣り合って交錯しない視線には反射している。

 暗い場所から明るい場所へ、鮮烈に歩を進めることで再生と成長を眩しく輝かせるサリーちゃんが、一人では越えられなかった壁。
 それがすずめには見えていて、誰がどう動けばより善い未来を掴めるか……ともすれば影の前に立つすくむこともあった黄前部長よりも鋭く、見抜いていた感じもある。
 この賢しさが他人にどう見えるのか、理解っているから笑いで覆い隠している部分もあるのだろうし、ここら辺の制御の巧さは後輩にめちゃモテのりりりん先輩も、多分同じなのだろう。
 いい人、面白い人、可愛い人が皆、透明で眩しい光だけを見据え、自分をその中においている訳でも、置けるわけでもない。
 そういう人間の難しさと面白さが、軟着陸を無事果たしたボイコット未遂事件に……その犯人であり探偵役でもあった釜屋すずめに、鮮烈に反射する回である。

 黄前久美子に、そういう怜悧な知性は似合わない。
 一個一個世界と自分と他人を探り探り、思い出の中に解決策を探しながら、正しい建前と熱い本音を必死にないまぜにして、生真面目に不器用に手渡す。
 そういう、とても黄前久美子らしいやり方で此処から先の旅も走っていくし、そこには色んな人が……特に久美子の0距離を唯一専有する麗奈が隣り合って、進んでいくということが見えるエピソードだった。
 この”特別”に滑り込むべく、久石奏がかなり暴れている様子、俺はマジ好きだぜ……。

 自分とは全く違うタイプでも、心響き合って人生が交わることがあるし、その差異と共鳴は面白いものだと、あすかや麗奈などなど、アクの強い連中と魂のぶつかり合い果たした経験から学び取っているのは、黄前部長の強みだろう。
 55人編成のブラスバンドが、金管木管高音低音、様々な楽器があればこそ最高の音楽を生み出せるように、100人の社会集団にも様々な個性や願いや思惑があって、ぶつかり合いながら自分たちだけの音を探していく。
 その先頭に、真ん中に、震えながら立って未来へ進んでいく久美子の姿が、とても鮮烈な回でした。
 頼もしさを必死に演じ、一人間として震える心と視線を抱えながら”部長”であろうとしてる三年生の久美子は、やっぱ立派だ。

 

 まだまだ物語は始まったばかり、今回大爆発しなかった火種は別の場所で、全てを焼け野原にするかもしれません。
 そういう人間集団のヤバさを嘘なく描けばこそ、響き合い高鳴る青春の鼓動。
 まずはサンフェス本番……どんな可愛げと颯爽とギスギスが見られるか。
 次回も楽しみです。