イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

夜のクラゲは泳げない:第3話『渡瀬キウイ』感想

 激ヤバドルオタお嬢様を仲間に加えたJELEEだが、世間にうって出るにはまだコマが足りない……。
 なら動画作成に強い現役クリエーターだッ! てんで、頭ピンクのキウイちゃんに白羽の矢が立つ、ヨルクラ第3話である。

 第1話はまひると花音、第2話は花音とめいに焦点を合わせて展開したわけだが、今回はJELEE最後の一人となるキウイちゃんにフォーカスして、幼馴染とガッツリ噛ませて仲間に引き込むまでを描く回となった。
 第1話においては自由な悪魔を羨ましそうに見上げる側だったまひるが、花音やめいと出会って自分らしい創作活動に踏み出したことで力を取り戻し、嘘っぱちの影に沈み込んでいた彼女のヒーローを、新しい場所へと引っ張り上げる様子は、出会いが生み出すポジティブな力を感じれてとても良い。
 ”竜ヶ崎ノクス”という偽りの名前で、登校拒否児である現状を覆い隠していた偽りのヒーローが、彼女がいればこそ最高になったJELEEデビュー曲”最高ガール”に愛と友情を乗せて、堂々四人で何かを作り上げる手応えも、荒波かき分け生きていく頼もしさに満ちている。

 絵画、歌唱、作曲、動画編集。
 色んなジャンルのアートが一まとまりにぶつかって、JELEEという新たなアイデンティティを生み出していく気持ちよさも濃くて、多彩な才能と表現が自分たちだけの価値になっていく清々しさを、たっぷり味わうことが出来た。
 花音が見つけ信じたヨルのアートが、まひるの曲がっていた背中を伸ばして力を与え、解釈違いを乗り越えののたんLOVEを蘇らせためいが曲を生み出し、そこにキウイちゃんの編集技術が命を吹き込む。
 色んな人の力が結集しなきゃ生まれないMVという表現形態に、誰かに本当の自分を殺され、名前を奪われていたクラゲ達の魂がしっかり集まって、何かが始まり動き出す。
 出会い支え合えばこそ生まれていく、クソみてーな世界に負けない強さが熱く滾っている様子が、一度関係を壊し結び直した幼馴染コンビの絆から感じられて、見ててメチャクチャ元気になる回だった。
 第1話では蓄光性の輝き窃盗生物だと、自分を卑下していたまひるだけども、オメーが必死にダチのために藻掻いて踊ったことで、悪堕ちしかけてたヒーローだって力と名前を取り戻していけるのだ。
 薄暗いヨル(ラテン語でNox)にだって、輝くものは確かにあるのだ。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 というわけでVRの鎧、生徒会長という嘘で覆い隠しているもの、キウイちゃんのリアルは大分暗い。
 性別を超越した世界でガッツリ稼ぎ、名声を得ている”竜ヶ崎ノクス”の無敵っぷりは、現実世界の自分に背を向け閉じこもる逃避癖と、いつでも背中合わせだ。
 三話にして切開されていくキウイちゃんの薄暗さは、新しい仲間とともに青春リスタートをキメたまひるの明るい充実っぷりと対照をなし、幼馴染のはずなのにどっか遠い場所に流れ着いてしまった、クラゲのような少女たちの姿をシビアに照らす。
 文字通りお山の大将として、高くて危うい場所にふんぞり返っていた幼い自分が、高校デビュー失敗とともに地面に落ちた痛みを、ひた隠しにすることでキウイちゃんはまひるのヒーローを継続できている。
 かつて自分を見上げてくれた幼馴染の、視線を逃げ込んだ先でも維持しているようなヒーロー・アバターを、キウイちゃんは花音たちと出会う時も引き剥がせない。
 ”竜ヶ崎ノクス”でいることで、ギリギリ彼女は強い自分でいられるのだ。

 この軋みを通話越し、たしかにまひるは(まひるだけが)なんとなく感じ取っていて、ナイスな仲間ができたとニッコニッコな花音&めいちゃんとは、少し違う視線で画面を睨んでいる。
 形は変わっても確かに繋がっていて、でも画面の奥にある嘘を見抜けはしない微妙な距離感が、まひるがヨルに戻りかけていることで変容していることを、無自覚ながら感じ取っている気配。
 それがキウイちゃんの健気な強がり、必死な嘘の奥チリチリと発火していて、なかなか緊張感のある絵面だった。
 目的なくダラケていた第1話より、この第3話のまひるはやるべきことを見出して、活力に満ちているように思える。
 キウイちゃんもVtuber活動こそが自分の居場所だと、胸をはれているならそれも良い青春なんだろうけど、ヒーローの御神体で必死に守った自分の居場所には、どこか危うさと苛立ちが軋んでいるようにも思える。

 

 導火線に火が付くのは、子どもが好むジャンクなお菓子が底をついて、薄暗い部屋の向こう側へと進み出さなきゃいけない瞬間だ。
 ラップに包まれたサンドウィッチと、置き去りにされた千円札。
 学校という社会に自分をうまく接合できなくなり、苦しんでいる我が子に家族がどういう態度でいるのか、短いカットながら良く伝わる痛ましい描写の後に、無敵なはずのキウイ=ノクスは地獄に直面する。
 唯一の友達より高い場所に立つために、付いた嘘をもう引っ込めることも出来ぬまま、学校に戻ることも出来ないまま、蛍光色のフードとグレーのマスクで自分を守ってる女の子は、扉の向こう側に拡がる闇に立ちすくむ。
 それが、自称無敵のヒーローの現在地だ。

 僕は今回のエピソード、キウイちゃんが学校に戻るでもVtuberを辞めるでもなく、”竜ヶ崎ノクス”のまんまJELEEに入るのがスゲー良いな、と思う。
 自分を置き去りに皆が大人に近づき、着飾った女の装いでヒーローごっこの衣装を投げ捨てる流れに、乗り切れず置き去りにされて選んだ居場所で、キウイちゃんはしっかり成功した。
 逃避で選んだ嘘っぱちだったとしても、新たに選んだヒーローネームに相応しい強さと華やかさは、電脳空間で確かに花開いている。
 Vtuberという新しい仕事を必死に頑張ったからこそ、スパチャでたっぷりお菓子も買えるし、JELEEに必要な編集技術を手渡して、彼らのアートをより良くすることだって出来る。
 まひるが最終的にたどり着く、幼馴染のヒロイズムを先取りするように、どんだけ苦しかろうと逃げていようと、”竜ヶ崎ノクス”が嘘っぱちなんかじゃないのだと物語が告げているのは、とても良いなと思うのだ。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 ひょんなことから暴かれた嘘から溢れ出す痛みに、耐えかねてまひるとの絆を断ち切ってしまったキウイちゃんは、これまでで一番濃い闇に自分を沈める。
 世界で一番高い場所で、ヒーロー幻想に溺れる今までのやり方がダダ滑りし、クラスに馴染めぬまま逃げ出した過去にどう向き合えばいいのか、わからないまま蛍光グリーンのクラゲは、夜の街に逃げ出していく。
 キウイちゃんがドヤ顔で差し出す、彼女なりの”好き”をガキっぽい異物と拒むクラスメートが、年頃の女の子なら当然読んでいるべきティーン誌を新たなバイブルと抱えていたり、暴走したキウイちゃんが一番拒絶反応を示すのが、チンピラの好色な視線なのが、かなり痛いなと感じた。
 ”女”なるものとして誰かに求められ、それに相応しい装束や行いをするものなのだと、勝手に世の中が決めて生まれる大きな流れに、ずっとヒーローでいたかったキウイちゃんは乗っかれなかった。
 そこでまひるみたいに量産型を目指し、”好き”を諦めたフリで自分を守る道だってあったわけだが、彼女はそれを選べなかったのだ。

 周りの連中が当然と飲み干す、性的成熟を当然とする新種のコミュニケーションが、キウイちゃんには不自然で恐ろしいものと写り、怖くて怖くて逃げ出した。
 それを大人になれない情けなさだとか、当然を受け入れられない空気の読めなさと切り捨てるのは、どうしても僕には出来ない。
 自分がどんな存在であるのか、決める自由が当然子ども達には用意されるべきで、その範疇は勿論、性成熟にも及ぶ。(『成熟しない、選ばれない』と選ぶことも含めて)
 女性名詞のHeroineではなく男性名詞のHeroであり続けることを望んだキウイちゃんは、女という鋳型にはめ込まれて自分の大事な部分が切り落とされる辛さを、教室を満たす窒息生の流れから感じ取って、誰でもない誰かになれる電脳空間で、ようやく息が出来たのだと思う。

 

 そのヒロイックな深海は、まひると一緒に笑えた過去と確かに繋がっていて、逃げて逃げて痛みにうずくまってたどり着いたのは、新しく輝き直した夜のクラゲの足元だ。
 そこにしかもう居場所がないと、苛立ちとともに刹那的消費を連打し、過剰な武装で尖った課金アバターに警告喰らいながら、携帯電話の中の嘘っぱちはキウイちゃんを満たして/癒やしてくれない。
 自分が眩しく輝いて、照らしてあげるはずだった彼女のヒロインは、うずくまったままの自分を追い抜かして、どっか遠い場所で輝き直している。
 たった一人では輝けない夜のクラゲの一人として、とても苦しい時間を過ごすキウイちゃんにとって、黄金色の思い出だけがギリギリ、自分の形を保つ切り札だ。

 その思い出も、嘘がバレて壊れてしまった。
 弱さ故に向き合えず、自分で命綱を断ち切ってしまった。
 そんな痛ましいクラゲ少女の姿は、携帯電話の中の思い出をかき消した先週のめいちゃんとか、うずくまって何かが起こるのを待ってた先々週のまひるとか、後にJELEEとなっていく同志と、良く似ている。
 何者かでありたいのにそれを許されず、窒息性の”当たり前”を押し付けてくる大きな流れにも乗っかれず、喉の奥で大きな叫び声が、世界に向けて飛び出すのを待っているような、そんな夜。
 そこに一人きりで漂うのは、とても痛くて辛くて、耐え難いことだ。

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 『ならおんなじ痛みを知ってる夜の住人が、必死こいてエールを踊って届けて、暗い場所から引っ張り上げてやるしかねーだろーがッ!』という僕の願いを、既に”ヨル”としてのアイデンティティを取り戻した光月まひるはしっかり叶えてくれる。
 トンチキ無様に見える踊りを、ここにはいない誰かのために必死にやりきって、彼女だけのアマテラスを岩戸から出そうとするまひるの強さと優しさは、メチャクチャ胸に迫った。
 この奮戦が功を奏して、JELEEはデビュー楽曲”最強ガール”を世間にぶちかます力を得ていくわけだが、リアルとウェッブに優劣なく、様々な表現が確かに力を持ちうること、そのためには誰かのために作り届ける真心が大切なことを、身体を使った歌と踊りが先んじて語っている。
 ヨルが描きノクスが動かしたJELEEちゃんのダンスは実体を持たないが、夜に一人きりのどっかの誰かの心に確かに届いて、花音が思い出した『誰も置いていかない』という理念を形にしていくだろう。
 そういうJELEEの優しさと力強さが、生身の光月まひるが生身の渡瀬キウイのために、必死過ぎて無様ですらある、世界で一番かっこいい踊りの中に既にあるのが、俺はとても好きだ。

 このヒロイックなエールを携帯越し、闇の中に受け取ったキウイちゃんは、爆速でアレンジと動画制作を完成させ、”最強ガール”のMVを……彼女がJELEEになるためのパスポートを形にして手渡す。
 息苦しい夜の底で、アートをやることでしか自分でいられない不器用な少女たちが集う。
 その一員として自分を成り立たせるためには、何かを作るしかなく……竜ヶ崎ノクスであり渡瀬キウイでもある女の子は、己に参入資格が大いにあることを、作品の形でしっかり届けた。

 

 視覚に訴えかけるイラストレーション、聴覚から飛び込む楽曲制作、それらを統合した動画という表現。
 いろんなアートが重なり合ってJELEEがアイデンティティと命を得ていくわけだが、視覚芸術担当であるまひるが運命を見つけた時、夜が特別に輝く表現が僕は好きだ。
 第1話において極めて印象的に、『このお話はこういうお話です!』と己を叫んでいたこの美しさは、JELEEのヴィジュアルデザインを担う彼女だからこそ見えるものであり、自分の感性から溢れ出させて世界を満たすことが出来る、特別な空気だ。
 この極彩色の蛍光の中でなら、フツーも当たり前も飲み干せないまま逃げ出した、生きていられぬほどに息苦しい夜の生き物たちも、自分たちのまま世界を泳げる。
 そんな切実で必死な……余暇遊戯と侮られがちな”アート”なるものがその実真っ先にえぐり取るべきものを、まひるのセンスはしっかり感覚し、体得し、表現しうるのだと、この美しい夜は強く語っているように感じる。

 その眩さは、夜に涙ぐんでいる貴方の光の反射なのだと、まひるはキウイちゃんに真っ直ぐ告げる。
 そんな率直さは、量産型の仮面で自分を覆い隠していた、かつてのまひるでは差し出せなかったものだろう。
 あの時花音がヨルの美術を見つけ治し、貴方の”好き”が私の”好き”なのだと共鳴してくれたからこそ、今ここでまひるは彼女のヒーローを眩しく照らす光になれる。
 誰かから輝きを盗まなきゃいけないと、なにもない己を卑下していた少女は、暗闇に迷って沈みかけていた大事な人へ、眩しい息吹を差し出せれているのだ。

 

 そんな風に、いろんな光が受け渡されて乱反射することで、世界は楽しく眩しくなっていく。
 冷たい無関心や嘲りで、誰かの”好き”を押しつぶして窒息させるクズたちに負けず、自分たちで選んだ新たな名前を高く掲げて、生きる術(Art)を形にしていける。
 そういうお話をここまで三話、色んなキャラでやってきたし、これからもやっていくのだという叫びが、涙ぐんだり驚いたり笑ったり、表情豊かなキウイちゃんの”今”から分厚く匂い立つ。
 出会ったときは竜ヶ崎ノクスのアバターで自分を守らなければ、未来の同志と繋がることが出来なかったキウイちゃんが、まひるからの愛と憧れを受け取った後では生身の自分で、嘘のない”渡瀬キウイ”で繋がれているの、俺は本当に良いと思う。

 いろんな名前とあり方が全部本当で、何にもすり潰されないまま夜に瞬く世界。
 息継ぎを許さぬまま自分を追い詰めてくる苦界でも、必死に積み上げてきた技術(Art)が、誰かと出会えた奇跡の中でもう一度輝き直して、未来を切り開いていける物語。
 そういうのはなんか……前向きでスゲー良いと思う。
 そういう、人間がより善くより自由により明るく在るための武器として、このお話が己を語るための術として選んだアニメを筆頭とする、人間のアートは在るのだと思うし、作中で描こうとしているテーマとそれを削り出す表現がシンクロし重なっている構図は、とても力強い。
 このアニメ自体が、一人きり夜を漂う誰かのために紡がれる、もう一つのJELEEの音楽なのだろう。

 

 

 

 

画像は”夜のクラゲは泳げない”第3話より引用

 『怖いものなんてなにもないよ』と、怖いもの息苦しいもの自分を傷つけるものだらけの世界で強がれるのは、一体なぜか。
 少女たちの出会いとすれ違いと衝突と再生を、色んなキャラクターと色んな形で描いてきた物語は、そんな問いかけに『一人じゃないから』という答えを返す。
 どピンクに染まり直した新しい自分と、思い出の中確かに力強く胸を張っているヒロイックな過去が、確かに重なり合って嘘じゃなかったと、キウイちゃんは2年ぶりの再開に微笑む。
 無敵のフィンガーサインを、もう一度親友に突き出せる自分を、渡瀬キウイは取り戻したのだ。

 そんな彼女がいてくれたから、『最強ガール』は世に飛び出し、少女統合ユニットJELEEは息吹を得る。
 思春期の大きな流れにずたずたに引き裂かれた生身の自分を、バーチャルな洞穴で癒やし鍛えた先にある未来へ、皆で進み出していくのだ。
 それが力強くて眩しいだけじゃなく、『アタマピンク~~!?』と大騒ぎでなんかかわいいのが、俺はすっげぇ良いと思う。
 自分たちを窒息領域に追い込む暗い影は、確かにクソな現実を満たしているけど、それがなんぼのもんじゃい。
 笑い飛ばし、肩を組み、力強く自分たちだけの表現を形にしながら、夜のクラゲは荒れ狂う未来へと進んでいくのだ。
 その爽やかでパワフルな一歩目が、とてもチャーミングなエピソードでした。
 大変良かったです。

 

 つーわけで、キウイちゃん加入エピでした。
 あえてメインになるキャラを絞ることで、それぞれが背負う影や痛み、置き去りにされた祈りや願いが強くクローズアップされたり、それを明るい場所へと引っ張っていく誰かの強さやありがたさが、愛しく輝いたり。
 このアニメが選んだ語り口が、アート少女青春群像劇という形式としっかり噛み合って、力強いトルクを生み出している手応えを、しっかり感じ取ることが出来ました。

 三話にしてJELEEの皆が凄く好きになり、こっから世界に殴り込みをかけていく戦いを応援したくなっているのは、大変ありがたい。
 やっぱ『いけ! やれ! メチャクチャしろ!!』って、観客席から身を乗り出してワーワー言いたくなるお話のほうが、見てて楽しいからな……。
 そうしたくなる切なさや苦しさも、出会いが生み出す眩い爆発や、いろんな才能とアートが結びあって生まれる美しさの中にしっかり感じ取れる、良い痛みのあるアニメだと思います。
 四人になったJELEEが、どんな青春を駆けていくのか。
 次回も楽しみ!!