イマワノキワ

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アイドルマスターシンデレラガールズ -2nd Season-:第18話『A little bit of courage shows your way』感想

女の子たちの迷い道くねくね、今回はゆにこ先生が場外までかっ飛ばした、Candy Islandの二回目裏。
第9話で描かれたCIの関係性を時に批判的に、時に発展的に膨らませつつ、杏&きらり、智恵理&かな子にあえて分断させることで、CIが現在抱える問題点を全て表面化し、解決の糸口を付けるお話でした。
ネガティブな要素から目を背けず、『道化には道化の、負け犬には負け犬のプライドと戦い方があるはずだ』という信念に基づいた、太い描写が展開され大満足。
ともすれば不快になってしまいそうな要素を扱いながら、キャンディや江戸切子といった綺麗なフェティッシュを巧く使って、ムードとテーマをまとめ上げる手腕が本当に素晴らしかったです。


お話に立ち入る前の前景として、お話全体での智恵理とかな子の扱いについて触れておきます。
僕はこのアニメに傷があるとしたら智恵理だとずっと思っていて、それは彼女がほぼ単一の役割、『負け役』以外の場所から出ることが出来ていなかったからです。
チエルはほぼすべての状況で、人見知りで自己評価が低い『出来ない』子でした。
前川が反乱を起こした時も、、バラエティー番組でも、合宿でも、夏フェスでも、智恵理の担当は涙目になってごめんなさい、と言うことでした。
無論それはキャラクターたちが対面している問題の大きさを視聴者に伝える大事な仕事ですし、智恵理という人物が中々成功体験を積みにくい、難儀な性格をしていることからでもあるでしょう。

しかしこのアニメはキャラクターが持っている一見した印象や表面的な人格、基本的な物語役割を一歩踏み越えた、意外だけど納得もできるような側面に光をしっかり当て、多角的な描写をすることで登場人物の魅力を引き出しせるアニメです。
CPのお母さん役のきらりも傷つくことがあり、子供であるみりあや莉嘉も誰かを受け止め、明るく元気な本田未央は時に空回りし、猫キャラ前川は暴走したりマジになったり忙しい。
そういう両面性をスムーズに飲み込ませる技法があり、尺を多面性の描写に使う設計があればこそ、視聴者は彼女たちを単機能的な人形ではなく、作中で息づく人間だと認識できている。
そのような立体的なキャラ描写に強い魅力を感じている立場としては、智恵理の掘り下げ方は弱く感じるわけです。

無論これまでのお話の中で、智恵理はしっかり成長しています。
緊張に弱く人いきれしてしまう性質を飲み込んで、アップダウンクイズではCIの危機を救いました。
しかしあのシーンだけでは、智恵理が『負け役』を脱する描写としては弱いし、その後変化や成長を強く印象付けるシーンも、殆どなかったように思います。
むしろ『負け役』として、集団に危機を持込み場を緊迫させる役割が目立っていた。
他のキャラクターが自分の欠点と長所の折り合いを巧く付け、バランスのとれた人格に向けて一歩ずつ成長する中で、彼女の停滞は僕の目には目立って見えたわけです。

そして、僕は彼女を『負け役』のままではいさせてほしくなかった。
単純に一人の女の子がうまく前に進めないことに苛立っていたのもありますが、このアニメの良い所である多角的な描写が、智恵理を素通りすることで徹底を失い、描写の一貫性に傷がついてしまうように感じたからです。
一瞬でもいいから、確かに智恵理がただ『負け役』なのではなく、そこから一歩踏み出し何者かに変化していく予感を受けたいと、ずっと思ってきました。


対してかな子は『普通の子』です。
島村さんほどひたむきなわけでも、前川ほど真面目なわけでも、杏ほど天才なわけでもなく、智恵理ほど『負け役』なわけでもない。
飯食ってたり作画が不安定だったり、要所要所で可愛かったりするくらいしか物語の中で役割を担えていない、真ん中から動かないキャラクターとして、僕の目には映っていました。
特に失敗も成功もしない『普通の子』がアイドルを続けることが出来るのは、何故なのだろうか。
『普通の子』にもそれぞれ個別の悩みと弱点、乗り越えるべき傷があるはずなんですが、そこに触れるエピソードは、これまでのお話の中にはあまりなかったと思います。

もちろん優しくてお菓子が好きなかな子の柔らかな感性が、CIに潤いをもたらしていたことは否定しません。
あの子がいればこそ抜けた空気、くぐり抜けられた試練は、当然たくさんある。
その上でなお、もう一歩踏み込んだ描写、三村かな子が持っている特有の何かが見たいなと、ずっと思っていました。


所属メンバー三人中二人が掘り下げきれていないのは、担当回だった第9話が、双葉杏とバラエティー番組の回だったことと、無関係ではないでしょう。
杏ちゃんはあらゆる状況を乗りこなす天才であり、第9話でも迫るトラブルを器用に解決し、CI全体を成功に導いていました。
その反面、かな子と智恵理は引っ張ってもらう傾向が目立ち、最後のクイズで智恵理が一ついいところを見せても、『CIは双葉杏のユニット』という印象が拭えなかった。
杏ちゃんの天才性は見ていてとても面白い要素なのですが、それにかなり頼ることでCIというユニットが存続できていると、僕の目には映ったわけです。

今回のお話は、あえて『出来る』杏と『出来ない』智恵理・かな子を切り離すことで、『CIは双葉杏のユニット』という印象を打破しにかかりました。
智恵理とかな子は何が出来なくて、その解決としてどう立ち回り、どう再び失敗し、そこからどう立ち直って何を見つけ、どんな価値を生み出せるのか。
第9話では掘り下げきれなかった二人の特質を、丁寧に追いかけて描写しています。
杏もきらりとのコンビ『あんきら』として、バラエティ番組が持つ負の側面に切り込み、キャラ売りが二人に与えている傷について語ってはいますが、軸足はどちらかと言えば『出来ない』組、智恵理とかな子に乗っかっているように、僕は感じました。

智恵理もかな子も、根は善良で真面目ながら、それ故に間違った方向性の努力を推し進めていくキャラクターとして描かれています。
巧く話そうと焦るあまり他人の顔色も、周囲の状況もわからなくなってしまう智恵理。
『食べる』という個性を切り捨てた過度なダイエットにより、体調を崩してしまうかな子。
自分の個性の御し方を知っている『あんきら』と対比すると、不器用でがむしゃらな努力を二人は続けます。
(個人的には、ダイエットを『デブだから』という体型的な理由ではなく、『気が緩みやすいから』という心の問題に持っていったのは、ソフトで良い操作だなと思います)

それは結果的に自分と他者の笑顔を失わせ、幸福な結果を呼ばない努力です。
しかしそうして、『出来ない』ヤツなりに必死に誠実に努力したからこそ、プロデューサーは作中初めて強く自分の意見をアイドルに伝え、幸子は発破をかけに来たのではないか。
『負け役』である智恵理、『普通の子』であるかな子が持っている強さというのは、むしろその不器用さにあるのではないか。
そして素直さと優しさがあればこそ、様々な人の助力を素直に受け入れ、肩の力を抜いて新しい成功をつかむことが出来たのではないか。
彼女たちの奮闘を追いかけた今回の描写を見ていると、そういう気持ちになってくるのです。


智恵理が第9話で見つけた『カエルさんのオマジナイ』を、今回プロデューサーは禁止します。
『カエルさんのオマジナイ』は他者をどうでも良いと切り捨てることで自分を保つ緊急避難であり、そこに頼り切りになっていては、新しい成長はやって来ないからです。
そもそも江戸切子の中身に目を向けず、お愛想と取られた最初の挨拶は、外側だけ保って内容を考えない、無軌道な努力によって生まれた強張りです。
『カエルさんのオマジナイ』は智恵理を笑顔のない、誰も幸せにしない場所に閉じ込めてしまうと、プロデューサーは考えたのでしょう。

同じように、きらりから貰った飴を手渡しすることで、食事を取らず自分を追い込めば問題が解決するという思い込みから、かな子を開放します。
きらりに対する思いやりの返礼として貰った飴が、かな子の窮地を救う真心のリレーは凄く胸に響く描写ですが、それはさておき二人への助言に共通しているのは強張りを脱すること、形式に囚われず目的に立ち戻ること、自分らしさに立ち戻ることでしょう。
努力を求めた真剣さや真心それ自体は間違いではないのだから、それを発露させるやり方から力を抜いて、怖くても自分を信じて一歩を進めれば、上手くいく。
その時は、気が緩まない程度に甘いものを食べたり、視界を塞がない程度にオマジナイを使ったりしても、本質が見えているのだから大丈夫。
これが『負け犬』と『普通の子』が見つけた世界への勝ち方であり、アイドルとしてファンを笑顔にする強みだと、今回の話は描写しています。
これは、彼女たちの『負け方』を正面から描写することでしか、けして描けなかったでしょう。

EDにかぶせるように、二度目の江戸切子の取材が描写されます。
緊張がほぐれた二人はようやく店の様子や、職人のオジサンの表情をしっかり見て、自分の素直な興味を言葉にして伝えることが出来る。
『クローバー』や『クッキー』といった、自分の個性を活かした要素を江戸切子と組み合わせて表現し、オジサンを素敵な笑顔にすることが出来る。
『負け犬』と『普通の子』はようやく、彼女たちなりのやり方で『勝った』わけです。
僕はこういう話が、ずっと見たかった。
素晴らしいエピソードでした。


『カエルさんのオマジナイ』禁止は第9話に対する猛烈なカウンターですが、第9話の要素をポジティブに引き継いだ部分もあります。
ライバルとして登場したKBYD、特に輿水幸子の先輩としての顔は、第9話で接触していなければ発生しなかった、魅力的な引き継ぎといえるでしょう。
『CPの外側と接触することで、新しい答えを得る』という二期の基本ラインもしっかり踏襲した、いい演出だったと思います。

強気な自分を演出し続ける幸子が二人にかけた『アイドルは前を向いているものです!』という言葉は、自己評価が低い二人にとっては実現が難しいものかもしれません。
しかしその難しさに飛び込まなければ、二人は一生『負け役』のままでしょう。
困難に挑戦し、折れ曲がったり凹んだりしながら、無駄な努力を重ねながらどうにかやり方を見つけていく時、幸子の言葉は二人の強い支えになる気がします。
最初から前を向ける強さがあるなら、わざわざそれを言葉にしないとは思うので、幸子ももしかしたら『負け役』から這い上がって自分を変えてきた、タフなアイドルなのかもしれませんね。

当たりの強い幸子を時に茶化し、時にソフトにフォローしながら支えている、友紀と紗枝との関係も、凄く良かったです。
今回CIが『杏抜きの二人』という可能性を見つけたように、人間の関係性は不変のものではなくて、色々な可能性がある。
幸子に二人が見せた柔らかな優しさは、いつもはデコボコしたKBYDの新たな側面を見せていて、メインであるCIの関係性変化に説得力を足していたように思います。
単純に、イジりつつも絶対に間違えてはいけないタイミングではシリアスになれる三人の関係が、凄く好ましかったのもありますが。

 

『出来ない』『負け役』の二人は隘路を迷って答えにたどり着いていましたが、『出来る』『天才』の二人にも、二人なりの悩みがありました。
杏ときらりは身長差46センチ(アニメ公式ページキャラクター紹介基準)というギャップが売りのユニットであり、求められるキャラクターを理解した上で、二人は積極的にそれを演じに行きます。
目の前の仕事でいっぱいいっぱいな『負け組』のために、回しやすそうな食べ物のランキングを提案する余裕すら、『出来る』二人にはある。

しかしだからこそ、デカいのとチッコいのというギャップが笑われているのであって、きらり自身や杏自身は見過ごされているかもしれないこと、道化として笑い飛ばされることが自分たちの商品価値であることに、二人共気付いてしまっている。
周囲を見る余裕が無い『負け役』も大変ですが、他者の求めるイメージを敏感に感じ取り、それを演じることすら出来てしまう『天才』たちにも、同じかそれ以上の苦労があるわけです。
杏ときらりは今回、プロデューサーの助けを直接的には借りず問題を解決する、『出来る』二人です。
しかしだからといって、痛みを感じていないわけでも、苦労していないわけでもない。
プロデューサーという直接的なメンター抜きで、二人はどう問題に立ち向かうのか。
これはもうお互い支えあう以外に方法はなく、膝を貸した側が次は膝を借りて休むような、戦友のような『あんきら』の距離感が今回描写されていました。


杏ちゃんは天才なので、自分が抜けたCIが相当危ういことに気付いていて、ずっとソワソワしている。
それで仕事に影響をおよぼすほど『出来ない』わけではないですが、気になるものは気になるし、きらりも敏感に杏の変調を感じ取っています。
きらりの対人的な感覚の鋭さはプロデューサー相手にも発揮されていて、杏が後に言葉にする『デカさいじり』に対する傷を気にかける相手に気を使って、魔法の飴玉を手渡したりしています。
第10話ではメッコリ凹んでいたきらりですが、自分の傷には比較的強く、だからこそCPのお母さんとして色んな子に気を配っていられるのかもしれません。

きらりが投げかけた『素直にならないと、心がきゅーって苦しくなっちゃうよ』という心配をそのまま帰す形で、杏もきらりの傷に触っていく。
プロデューサーがいない以上、ここをケアするのは杏しかいないことを、楽屋でのやり取りの中で感じ取っているのでしょう。
ギャップを笑われる道化であることの痛みを気にする杏に対して、きらりは自分の特長にプライドがあることを明言します。
第10話では縮んでいた身の丈を思い切り伸ばし、でっかい靴やバッグをしっかり強調しながら、大きな自分でも望むまま可愛くあることと、その体が誰かを笑顔にしていることを誇りにしていることを、彼女の言葉で表現出来る。
世間には笑われる自分の身長は、きらりにとっては乗り越えた傷であり、かけがえのない個性として受け入れている段階なのでしょう。
ここのスマートな自己肯定は、上手く行かなくて泣いているかな子や、何を言えばいいのかパニックになっている智恵理とは、分かりやすい対象をなしているように思います。

『杏と一緒の仕事、本当はどう思っている?』という問いかけは、対社会的な問題について尋ねているのと同時に、個人的な関係の確認でもあります。
『心が痛いから、杏ちゃんとは仕事したくない』と言われたらどうしようという、ナーバスでシリアスな恐怖が、この時の杏にはある。
最初の楽屋と立場を入れ替え、今度は自分がきらりを支える立場になりながら、『きらりは、杏ちゃんといるきらりが大好きだよ?』という言葉を貰って、案外臆病で繊細な杏の心はようやく落ち着きます。
この時きらりが見せている、誰かの目に写った自分をこそ誇りに思う心境というのは、前回美嘉が莉嘉に言った『カリスマJC城ヶ崎莉嘉の姉』という言葉とどこか似ていて、話数を超えた響き合いを感じます。


『あんきら』のギャップを笑いものにする、バラエティ番組が持っている歪みが表に出ることは、CPの現状へのカウンター描写にもなっている気がします。
『綺麗』『高貴』といったハイなレイヤーの仕事を常務が積極的に握りこんでいる以上、プロデューサーとCP連合軍が武器に出来るのは、成人女性にスモックを着せるようなロウアーなバラエティが軸です。
様々な個性を活かすことの出来る自由さはしかし、アイドルを傷つける下世話さと背中合わせであり、それは実は既に第9話で嫌というほど描かれていたりもする。
わざとらしく表に出る『仕掛け人』とのやり取りや、アイドル情報誌の紙面を上手く使いながら、CPが使える武器の危うさを巧く表面化していたと思います。

バラエティの下世話さ……というか、アイドルの笑顔を奪いかねない危うさに乗り気でないプロデューサーも、今回描写されていました。
自分たちのやり方が正しいのか悩むことで、より善い方向に是正されていくと思うので、今回これまでの路線にカウンターを当てたのは、描写がより深まる足場になると思います。
疑問を持てば視野が広くなり、こわばった姿勢が解消されてより素直な自分らしさに立ち戻れるってのは、今回も言われてたことですし。

CPの弱さを見せると同時に、常務側の描写にも進展がありました。
『Legend』といういかにも常務好みのコピーで売りだされたのは、フレデリカ・奏・周子というスラっとしたイメージのアイドル。
これが以前言っていた『美城というブランドに相応しい、カリスマ性を持った高嶺の花』の具現だと思うのですが、たしかに衣装や照明はキリッとした印象を与え、自分たちの強みを理解している印象があります。
中身の方は適当なのが二人と、キス魔を装いつつ踏み込まれると脆いのが一人ですが、上手く乗りこなす……のかなぁ。
相当苦労しそうだ。

 

演出全般のはなしをすると、第8話のコンテ/演出を担当した岡本学さんが再登板し、独特の色彩感覚を活かした絵を作っていました。
明暗で心象を見せる演出ラインもバンバン入っていて、インタビューに失敗して帰ってきた智恵理とかな子のいる部屋は、この世の終わりかと思うくらい暗い。
切子屋さんの軒で休憩しているシーンも、問題点を洗いなおしているシーンと、飴をもらって幸子に説教貰って立ち直るシーンとの明暗が、時間経過というレベルではなく明らかに違う。
失敗に終わった第一回目の訪問と、夕映え時の二回目の訪問も、黒白ハッキリと成否がわかれています。
このぐらいクッキリと印象を操作するライティングこそ、このアニメの統一された強さだと僕は思っているので、今回の見せ方は面白かったです。

こっから先は完全に妄想なんですが、なんで今回江戸切子だったんでしょうか。
EDシーンで被せられた描写が分かりやすいですが、切削加工だけでなく焼き出しの段階で手作業をともなう江戸切子は、形や色会い、加工がそれぞれ異なります。
似ているようでいろんな形、いろんな色を持った江戸切子は、しかし統一されない味わいこそが特徴であり、魅力でもある。
工業生産品なら弾かれてしまう歪さを愛でる視線が、江戸切子の価値を作り上げている。
それは『出来る』ヤツ『出来ない』ヤツ、『負け役』に『天才』に『普通の子』と、色々揃って個性があるCI、CPと重ね合わされてんじゃないかなぁと、僕は思うわけです。

これは一切言語で表現されておらず、つまり映像から受ける個人的なイメージでしかないわけですけど、同時にそういう場所に無言のメッセージを込められればこそ、このアニメは叙情的なわけで。
過剰なメッセージを思わず読み取りたくなってしまうほど、このアニメには絵的な魅力があるという感じでしょうか。
最後の場面でとびきり綺麗な硝子たちを場面において、詩情でエピソードを引き締める構成は、ほんとうに素晴らしいと思いますね。


CIについて感じていた不満感、不安感を完全に回収しつつ、『出来る』ヤツ『出来ない』ヤチツ、それぞれの優しさと弱さと強さに思い切りよく踏み込んだ、名エピソードでした。
言葉にしないおもいやり、言葉にしてあげるおもいやり、両方がしっかり描かれていて、見ていて気持ちが良かったです。
そして杏ときらりの距離感描写が『ほんま……ほんまゆに子先生……ありがとう……』という感じで、最高に素晴らしかった。
楽屋でズリズリって寄って来る時の『オマエ、オマエまさかオマエ』っていう動揺は、中々生まれない類の感情だと思います。
はー……いい話だった。
次回も楽しみだなぁ、本当に。