イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

すべてがFになる -THE PERFECT INSIDER-:第2話『蒼色の邂逅』感想


森ミステリの起点にして、この20年間のサブカルチャーに色々影を伸ばした作品のアニメ化、二話目。
島でも大暴れな萌絵ちゃんと、相変わらずの鈍感主人公犀川先生、そして事件の始まりという流れ。
かなり早い段階から"四季"のエピソードをピックアップし、真賀田四季(13)の人生踏み外し講座も並列して流れてました。
幼四季の描写がかなりのニンフェットであり、『ああ……Fってそういう……』って気持ちになった。

一話で強調されていた萌絵ちゃんの幼さは、真賀田博士の過去とカットバックしあうことでより強調され、かなり危ういレベルにまで高まった。
こうして映像にされるとアレだな、萌絵ちゃん軽くイヤな女だな、オイ。
まぁ事件が起こると萌え萌えフェイズは抑えめになる(無くなるわけではない)ので、『もう取り戻せない少女時代』の描写として、濃い目に芝居をつけたのはありそうだ。


未来の最先端だったはずの研究所の描写は、iPhoneでドローンが操縦できてしまう現在、少し古びて見える。
しかしこの話が20年前の作品であることを考えると、原作者の先見性と『未来っぽさ』を作品への熱狂と没入に変えた独特の筆を褒めるべきか、それをリファインしきれてないアニメ化の未熟に起こるべきか、はたまた20年の時間を経て乗り越えられてしまった『かつての未来』描写としての切れ味を褒めるべきなのか。
原作とアニメ化の間に時間が開くと、こういうところの同時代性をどう同期させるか悩む瞬間がある。

犀川先生はあまりにテンプレやれやれ中二主人公過ぎて……』という意見をどっかで見たが、直接間接問わずず、犀川先生の完成されたやれやれ中二力の影響を受けて、やれやれ系のテンプレが煮詰まったわけで、そこら辺は因果が逆である。
ここいらもアニメ化との間に時間が合いた結果の、奇妙な『見せかけの周回遅れ』現象なのだと思うが、見せかけが見せかけなのか実態なのか、僕も含めて大概の人は記にしないわけで、ノスタルジーを踏破した今っぽいフックが、少し欲しくなってきた。
ぶっちゃけ、原作読んでない人このアニメ楽しんでいるのか、少し疑問だ。
『ダイアログの洪水に押し流されて俺は幸せだけど、他の人溺れてない? 大丈夫??』という感覚は"魍魎の匣"アニメでも感じたので、メフィスト系アニメにはつきものの問題なのかもしれない。
あえてノベルズ一冊+αに原作の分量を抑え、作品世界に腰までどっぷり浸かる覚悟を決めたのは、じっくりと進む作中時間と、それを使って見せられる空気の感覚で伝わるので、原作ファンとしては大いに安心しているのだが。


出だしということで細部にまで張り詰めてきた気合は、二話で少し抜けたように感じる。
いにおデザインは泥臭さと非現実性を両立させていい塩梅なのだが、少し気が抜けるとあっという間に山本夜羽になってしまうのが、色々悩ましい。
とは言うものの、ぬるーい半リア充のキャフフタイムは花嫁姿の真賀田四季の登場で思い切り爆破されるわけで、『ロボットと花嫁と死体』という、シュルレアリスムの原義に忠実な意味合いで『シュール』な絵面はなかなかショッキングだった。
今回結構尺使って描写されてた研究所の仲間、ここから一気に背景行きだもんなぁ……。

楽しくて、退屈で、愉快で、不愉快な西園寺萌絵の日常の延長線上が、真賀田四季という異才によってブツブツと断線し、その一方が犀川先生に繋がっている回でした。
こうして見せられると、やっぱり"すべてがFになる"は西園寺萌絵と真賀田四季による、犀川先生を巡る綱引きなんだなぁ。
今回ラストで四季博士が一気に綱を引いたけど、一変してしまった世界を受けて西園寺くんがどういうリアクションするのか、来週の出だしの見せ方が気になります。